2021年04月25日

「クララとおひさま」カズオ・イシグロ





「クララとおひさま」。カズオ・イシグロの新作です。
とてもリズムよく読みやすい和訳でした(土屋 政雄氏:訳)
「わたしを離さないで」に通じる不穏な世界観もあり、謎も多いけれど、とても素敵な物語でした。
(以下ネタバレです)
*     *     *
 クララは旧式のAIロボット。
お店のショーウインドウで約束をかわした女の子ジョジーは、母親にお願いしてクララを家に迎え入れます。
ジョジーの姉は病気でなくなっており、父親は別居中。そしてジョジー自身も「向上処置」を施された少女で、とても病弱。
そのような状況だから、母親は「ヒステリックなほど神経のはりつめた状態」です。

一方、ジョジーの幼なじみのリックはとても賢いけれど「向上措置」を受けていない少年。同じシングルマザーの子供ではあるものの、圧倒的な経済格差が見え隠れします。
二人は、ジョジーの描いた絵にリックが台詞をつける、ふたりだけの遊びが大好き。その遊びの中で、二人の魂のつながりは「ゆるぎないもの」に見えました。

謎の不穏な出来事がいくつも起こります。
ジョジーの肖像画を母親が描いてもらっていること。それもただの肖像画ではないこと。
ジョジーの体調がだんだん悪くなっていくこと。
リックの進学(向上措置を受けていないのでとても困難らしい)に対する母親の行動。

クララは心を痛めます。
心を痛めるという表現が適切なのかはわかりません。

クララは悪い排気ガスを出すクーティング・マシンを壊したいと思い、おひさまが特別な力をジョジーに与えてくれるはずだと信じています。

優秀なAIロボット(AF)であるクララは、生活の中からいろいろなものを学ぶ。
それは理屈に合った判断であり、(少し)根拠があるものであったり、迷信じみていたりもします。

未来のロボットの情報処理は完璧でクール、だと勝手な先入観を持っているわたしにクララは「AIロボットと共にすごす未来」を具体的に見せてくれます。

もちろん未来にも「どうにもならないこと」は起こります。
「どうにかしたい」という思いは、情報や人知を超えた「祈り」となります。

カズオ・イシグロの描くこの近未来が全てではないかもしれないけれど。

心の中にある不穏や悲しみやどうにもならないことを、AI ロボットと分かち合い、ともに祈る未来があるのかもしれない、そんな未来が来たらいいな、と思える作品でした。


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posted by noyuki at 13:45| 福岡 ☀| Comment(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月30日

「もうわたしのことは考えないで」と彼女は言った

夢の中で久しぶりに女ともだち3人で集まった。

わたしたちが連絡を取り合うのは「どこかでおいしいものを食べよう」という時だけ。
昨今はコロナで、会って食事をする機会を逸してしまっていた。
それでしばらくのあいだ電話もメールもないままだったのだ。

集まったのは、白い椅子に白い丸テーブルの、広くて雑多な感じのイタリア料理の店。
予約のときにアサミがコース料理を注文してくれてたらしい。
「お店で悩むより楽だから、勝手に頼んでたの」と笑いながら言ってくれた。
前菜と、オリーブオイルをつけたバケットをわたしちは食べた。癖のないオイーブオイルをつけるとバゲットはいくらでも食べられそうな気がした。

少しずつ近況を話して。メインの魚料理が出てきたころにアサミが言った。
「ねえ。これからはさ、もうわたしのことなんて考えなくていいから」
どういう意味なんだろう? とわたしは呆然とした。

「だって、あなたが思っているようなわたしじゃないし。だからもう、わたしのことは考えないでほしいの」
もうひとりのメンバーのふう子も何か言いたそうだったが、けっきょく何も言わなかった。
わたしの思うようなアサミではないってどういうことなんだろう?

それからモノクロームの舞台でダンスを踊るアサミの姿がフラッシュバックしたが、それはわたしの知るアサミではなかった。
そして忽然とアサミはいなくなってしまっていて、そこで目が覚めた。

*     *     *

どうしてあんな夢を見たのだろう?

そう思ってしばらくたってから気づいた。
そうか、アサミは数年前、旅行先の事故でなくなってしまってたよね。
旅先の国で荼毘に付され、すべてが終ったあとに、妹さんが連絡をくれた。
わたしたちは何も見てなくて。だからいつまでもわたしは、案外、どこかで生きていうんじゃないかと何度も何度も思ってしまってた。

アサミには、わたしがいつまでもそう思っていることが嫌だったのかも。
そう思ってベッドの中で少し泣いた。

言い訳させてほしい。
アサミが死んでしまったから悲しいのかもしれないけど、でもそれだけじゃないんだよね。

わたしはアサミと定期的においしいものを食べに行くのが好きだったんだよ。
「アサミ、そろそろ電話くれないかな」とか思っている毎日がたまらなく幸せだったんだよ。
自分じゃなかなか電話しないくせに「そろそろ会いたいな」っていうタイミングで、アサミが連絡くれる日々がとても幸せだったんだよ。
だから今でも「また、そろそろ電話くれないかなあ」と思っている。

それはあきらかにわたしの脳の記憶違いだ。
脳がいつまでも記憶の書き換えができないのを許してほしい。
それが、あまりにも幸せな記憶だから、書き換えができないままなんだよ。

アサミがどう言おうと、わたしはまたアサミのことを考えてしまうのだろうけど。
アサミが「もうわたしのことを考えないで」って言ったことも、いつまでも覚えておこうと思う。
まだまだアサミのことを考えていたいわたしを許してほしい。

*      *     *

「死って、生きているなかで一番わからないことだよね」って昔、話したことがあった。
そのときアサミは涙ぐんだよね。

いちばんわからないものが、いつまでもアサミの思い出と一緒にわたしの心の真ん中にはある。

そうやってわたしは今日も生きてく。


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posted by noyuki at 18:58| 福岡 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月28日

佐藤正午さん「ファンならではのネタ」をわたしに語らせてください(その3) 驚愕! 鳩の撃退法が映画化されたってよ



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「鳩の撃退法」が映画化された!
え? あんな複雑な小説がどうやって映画になるの? というのが正直な感想。
しかし、わたしの正直な感想なんてすっ飛ばして、公式ツイッターがあれよあれよと更新されている。Time flies like an arrow!

Twitter 映画「鳩の撃退法」公式さんはコチラ

「鳩の撃退法」は2014年11月より小学館より出版された上下巻の長編小説である。





もともとは小学館の「きらら」で連載されていたものだが、毎月読んでも複雑でわからない。
そしてやっと出版されて一気読みしたが、やはり時系列と「現実と虚構」の複雑さは変わらない。
では、なぜに延々と読み続けたかと言われれば、答えはシンプルである。

おもしろいから!
複雑な小説の渦に巻き込まれてゆく快感、どこから読みはじめても読み進められる中毒性の高さ、ただただそれにつきる。

小さい子供を連れた幸地ヒデヨシの家族が忽然と姿を消す場面から始まる。これから朝食をはじめようという瞬間に。家族は消えてしまう。

主人公は作家の津田伸一(映画では藤原竜也)。
登場人物は古本屋の房州老人、不動産屋の慎改美弥子、ドーナッツショップの沼本店員、出版社で働く鳥飼なほみ、そして黒幕の倉田健次郎!その他大勢すぎて書ききれないorz

ある日、あまりにも時系列が複雑なので、整理してみようとノートに書きながらメモをして驚愕の事実を発見した。

ここに描かれているのは、2月28日たった1日だけの出来事である。

それぞれの事件が絡み合った2月28日。それぞれの思いや、それぞれの愛や執着が絡み合う2月28日。
それを思う存分楽しんでください、という作品です。

*     *     *

(付録小ネタ1):きらら のロングインタビューの3月号に編集者オオキさんのこんな書き込みがあったので気になっていました。

そしてこのあと予定していることも、正午さんとの仕事のことですが、予定どおりに進むことを祈って、2021年もよろしくお願いいたします。

このことだったんですね!ああ、予想の上を行くお知らせでした。

(付録小ネタ2):トップの画像は、サイン会で(無理やり)いただいた販促用のコースターです。この物語の要となる「spin」「チキチキ」というふたつのお店のコースターです。


以前に書いた「鳩の撃退法」の感想はこちら

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鳩の撃退法 時系列のまとめはこちら

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posted by noyuki at 14:05| 福岡 ☁| Comment(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月31日

「コロナと潜水服」奥田英朗〜死者と暮らしがつながってゆく世界






いとうせいこうの「想像ラジオ」は、東北大震災とつながっていた。
奥田英朗の「コロナと潜水服」は、タイトルどおりコロナとつながっている。
このふたつの作品の共通点は、「死者と生者がさかい目のない世界に同居している」ことだ。
もちろん内容はぜんぜん違うけど。

文章巧者奥田英朗のやわらかくリズミカルな文章の中に「見えないはずのもの」が登場する。
こわくはない。うまく言えないけれど、つながっているから。

海の家
妻の浮気が原因でひと夏を海辺の借家ですごす男の話。
そこに住む足音だけのタケシくんとの奇妙な同居。

ファイトクラブ

希望退職を断った者の集まり。追い出し部屋的な工場警備の仕事場に、昔のボクシング部の道具が発見された。
コーチが現れ、そこから毎日が変化してゆく。

占い師

野球選手とつきあっていて、そこそこの贅沢をしたいけれど、野球の成績がよくなっていろんな女に群がられるのも困る。
値踏みしたり、呪いをかけたりの女のかけひき。
気さくな占い師との奇妙な友情。

コロナと潜水服

コロナが見える息子。予言もできる息子。テレワークの父親はコロナを恐れ、潜水服を着て息子と公園に行くが。やはりコロナに罹患することになってしまう。オチがなかなか洒脱。

パンダに乗って(超おすすめ❤️)
動物ではない。中古のフィアットパンダを買った男の話。納車に出向いた男が、ナビの音声案内にいろんな場所に連れていかれる。
泣いた。せつない。名作。

死者の世界と生者の世界はここでは地続きだ。
不思議なもので、自分もコロナ禍の中でそのあたりのバランスが崩れているような気がする。

死にたくないと言ってなくなった人の写真が真っ赤に怒っているようにみえたり。
人のカラダの中にあかりが灯っているように見えたり。
今だけだろうか? それとも、ずっとこんな風に見えるんだろうか?

入院中になくなった男性が入居する予定だった老人ホームの一室。
寒波で水道破裂した女性を緊急でその部屋にご案内した。

夕暮れの空に話しかけた。
「ごめんね、Kさん。せっかく帰ってみえるのを待ってたのに。でも、せっかくだから使わせてくださいね」
「いいよ。ぼくはもういないから、その部屋は困っている人に使ってあげて」
空がそう答えた。

そう。認知症で、短期記憶がなくて大変だったけれど、彼は最後までけして怒らず、こんな紳士的なところがあったんだよね。
わたしは今でもあの日のあの部屋のことを「Kさんの贈り物」と呼んでいる。
死者と生者は、コロナの世界で地続きになってつながっている。


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posted by noyuki at 14:35| 福岡 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月27日

わたしにはノワールがある


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仕事で定期的に話す人がいて、いつもわたしにこう言ってくれる。
「会うといつも笑顔くれるよね、人にあげすぎて、なくならない?」
仕事なんだから少々のことでなくならない、と思ってたけれど、ある日、ふっとこう思った。
元気とか笑顔とかソトヅラとか、意外となくならない。
「わたしにはノワールがあるから」。

振り返ると厨ニ病が長かった。
もう、今となれば説明するのもむつかしいんだけど、他人との距離感がわからないし、いろんなことに傷ついた。
自己肯定力むっちゃ低くて、そういう女友達4人とネットでつるんでいた。
こういう考え方は間違えているとか、こういう理屈で動くと人は嫌な方向に行くとか、こういう人のこういう考えによって自分は傷つくとかそういうことばかり話してた。毎晩のように。
そして、そういうことに傷つくグループには、もちろん共通点があった。
自分が認められないという経験をなんらかの形でしているということ。
腑に落ちないひどい人生経験があったり、本人にしかわからない疎外感やトラウマがあったり。もっと遡って小さい頃の孤独感が強かったり感情的な成長がいびつだったり遅かったり。

家庭環境もあっただろうし、環境だけでは説明のつかない「生まれついてのもの」もあったのかもしれない。
そのときに夜ごとに並べ立てた絶対的な孤独と不条理を、わたしたちは、いつのまにか乗り越えられた。
約4年間の毎夜の繰り言を経て、もう語らなくても、生きていけるような気持ちになった。
「もういつ死んでもいいと思ってたのに、わたしはもう大丈夫」と遅い結婚を決めた友人が書き込んだときは、ディスプレイに向かって号泣したくらいだ。

あのときの、ノワールをいつまでも大事にしている。
あのときの真っ黒いわたしたちを記憶しておきたくて、ちっとも進まないノワール小説をずっと描いている。
ちっとも進まないけれど、少しずつ、何年も連作短編で書いている。
書いていないときも、頭の中でプロットを少しだけ積み上げている。
わたしの中に時々現れる「真っ黒い感情とやりきれないもの」は、自動的に「頭の中のノワールの小箱」にどんどん放り込まれる。

小箱にあるのは「真っ黒い感情」だけではなくって。
エロとか、セックスやエロい感情が引き起こす、まちがったパワーバランスとか、過剰に被虐的なものとか露出とか羞恥シチュエーションとか。
あ、そのほかにも「加齢でなくしていったもの」とか「彼岸に渡った友人との答えのでないやりとり」とか、とりあえず黒いものがどんどん入っていく。

ある日気づいた。
ノワールの小箱があるから生きていける。
ここに、愛してるものがたくさん入っている。
誰から見ても、うっとおしくてヤバくて、日々の生活の中で口にだすこともないけれど。

心の中のノワールを大事にしていると、案外「なにごともないようにふつうに」生きていけるものだ。


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posted by noyuki at 17:22| 福岡 ☁| Comment(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月28日

「兄の終い」村井莉子さんを読みました




洗練された文章で淡々と軽やかに描かれているけれど、けっこう大変なお話でした。
なにしろ音信不通だった兄が、宮城県の多賀城という縁もゆかりもない町でなくなり、警察署から電話がかかってきたところから始まるのだから。

なくなった兄と暮らしていた息子の良一くんはまだ小学生。
なくなった父親のために救急車を呼び、担任の先生に連絡し、児童相談所にお世話になっているという。

作者は、前妻の加奈子ちゃんとともに、この兄の身体と居場所を片付けに行く。
兄の子である良一くんは、いろいろの手続きのすえ母親である加奈子ちゃんのもとに帰っていく。

大変な「終い」の備忘録的な部分も、文章の軽やかさが救ってくれるものの、大変なことだったに違いなく。その中で浮かび上がる「兄」の人柄と不器用さが、救いでもあり、せつなさでもありました。

そしてわたしの感想は。
小説の中で前妻の加奈子ちゃんが発した言葉とまったくいっしょでした。

「ああいう人は、たっくさんいます」

本当にそう思います。今の日本にこういう人がたっくさんいると思います。
一部の人には行政の手が届き、一部の人は誰にも知られないまま。
たっくさんのそういう人がいると思うのです。

根拠もないのに、なんでそう思うんだ? と言われるかもしれませんが。
「仕事柄感じている」としか言いようがありません。

真面目で勤労意欲もある、持病もあるが、がんばって働きたい。
そんな「兄」の書いた履歴書を読んだときに「ああ、これじゃ受からないよね」と思うし。
そういう兄が小学生の息子を扶養し、きちんと食事をさせることも「とんでもなく大変なことだよね」と思う。
子供がいたからこそ、気づいてもらえたことも、もし完全な独居だったら、そうはいかなかったかもしれない。
びっくりしながらも、きちんと動いてくれた妹と前妻に連絡がついたのも、運が良かったことなのかもしれない。

そういう人がたっくさんいると思いながら、私たちの目に触れるのは、偶然にも支援を受けられることになった一部の人、のような気がするのです(あくまで空気感)。

あと非正規で「コロナくび」になった人というのがまわりに複数いるのですが。
知っている人で数人いるんだから、こちらもけっこうな数字なのもかもしれないですよね(あくまで空気感)。

すぐれた小説でありながら、その小説のバックグラウンドにある現実をきっちりと見えすえている作品だと思いました。


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2020年10月25日

読書日記「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書)」

〜リアルワールドに「渡る世間」しかなくても、ネットの中にはちゃんと私が私でいられる「社会」があるような気がするんだよ



読んだのは↑この本です。こちらの本↓ではありません、為念。



同じ名前の本があるんだ〜。あ、でも下のやつの方が早く出版だったみたいですね。

(で、上の同調圧力の感想です)
世間学の佐藤直樹さんと、もと劇団第三舞台の鴻上尚史さんの対談。
対談だけど、するすると読めました。おもしろかった!

「世間」というものは、この本をじっくりと読んでいただくとよくわかるように、「同じ空気を読んで、同じことを考える人々の集まるところ」。
私は鬼っ子だったから「まわりを見て、まわりと同じようにしなさい」って小さい頃から母親に口すっぱく言われ続けた。そのことに反発していなかったし「それも道理だ」と思い込んでいた。それがたぶん世間ってやつだったんだと思う。
だけども。結果としては「まわりと同じこと」ができなかったんです。なぜか。

大人になって、近所の植物画教室に通って、模写をやって。
たったハガキ一枚程度なのに、まったく見本とは違ったものが出来上がっている。
まわりはほんとうにきれいな模写をやっていると言うのに。
なぜに「同じことができないのだろう」とそのときもつぶやいた。
不幸中の幸いか、絵の世界は案外自由で「人と違うことはいいことだよ」と先生が言ってくれたからよかったけれど。

「人と同じことをやる、人と同じようにふるまう」というのはある意味「能力」だと思う。
無意識にこれをやる能力がないと、いろんなところで落ちこぼれてゆく。
いや、すでにかなりの高確率で落ちこぼれていってる。地域社会というやつの中で。
しかし、この本では「それが世間というやつで、そんなもの気にしなくていい、社会はまったく別ものなんだ」って言ってくれている(ような気がする)。
ブラボー!
とは言っても「コロナ」というシビアな時代の中で、同調圧力は増大し、世間の見えない縛りはとんでもないことになってしまっている。

では、どうすればいいのか?

敵の正体を知れ、自分を追い詰めるものの正体を知れ、そして、居心地のいい空間を作り上げているコミュニティの正体を知れ。
同じ世界で、同じ考えでいるから、「ニッポンすごい」になっちゃうんだよね。
そしてまた、同じ「世間」が繰り返される。
というような未だに同調圧力かけあっている社会に半分足をつっこんでいても、実は最近はそれほど息苦しくないことに気づいている。

わたしにはネットがある。
まあ、少々の軋轢はどこでもあるだろうけれど。少なくとも「けして世間ではない」社会がちゃんとあるような気がするんだよ。


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2020年09月27日

短文「午後の最後の芝生」

ずっと独身でいるにちがいない。
なんとなくムスメのことをそう思っていた。
オタクで偏屈でひきこもり気味。家から出ずに何日もすごせる。
ときにはピアスを一緒に見たり、カフェにいくこともあった。

ところがこのムスメが、そうそうに結婚してしまった。

遠距離恋愛の彼と、2人で近隣の都市に就職し、いつのまにか同居していた。
休日にはときどき2人で実家に遊びにきてムスメの部屋に泊まっていった。
物静かな彼は、控えめにオットのビールの相手をしてくれ、ときにはみんなで食事にも行った。

正式に結婚、転職すると、ふたりで話し合って、もっともっと遠いところに引っ越していった。
コロナ禍では、なかなか帰省できないくらいの距離だ。

誰もわたしたち夫婦の持ちものにはならない。
巣箱の場所を忘れたようにどこかで飛んでいってしまう。
それが思ったよりも、あっというまで、ときどきポカンとしてしまった。

休日には窓をあけ、ムスメの部屋の空気を入れ替える。
子供のころに兄弟で使った2段ベッドをフラットにして、ふたつ並べている。
(コロナでなかなか帰省できないけれど)いつでも2人で泊まれるように。

友達と映った写真がコルクボードに並んでいる、いくつかはもう、色あせている。読んだ本がまだまだそのままになっている。背伸びして買った洋書のペーパーバックもある。たんすの中には小学生の頃の自由帳や、おえかきに使ったペンがたくさん残っている。

それを見ているといつも、村上春樹の「午後の最後の芝生」という短編を思い出してしまうのだ。
芝生を刈るアルバイトをしていた主人公は、仕事の終わりに女主人からビールをご馳走になり、その家の娘が住んでいた部屋に案内をされる。
「この子はどんな子だったのだろうか? たんすの服やこの部屋の感じから想像して教えてくれ」と言われ、主人公は、自分の正直な感想を女主人に述べる。

何年も一緒に生活したムスメは、おそらく今も、同じ思考で同じ生き方をしているだろう。あるいは、少しは変わったのかもしれない。だけどそれは、わたしの知らなくていい2人の生き方だ。

それでも。この部屋に入ると私は、なぜか必ず「午後の最後の芝生」を思い出してしまう。
そんな「脳の回路」がときどきさみしい。


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2020年08月28日

「一人称単数」村上春樹 文藝春秋





文学界に不定期連載されていた短編に加えて書き下ろしが一遍。
どれもちょっと不思議で、じっくりと心の状態を表現する作品が多く楽しめた。
が。ひとつだけ印象の違ったこと、ありました。

書き下ろしで読んでいた文学界の表紙のポップさと、単行本の表紙の静かな劇画調のイメージが違いすぎて。
別の作品を読んでいるような気になってしまうのです。表紙の印象って大事なんだね。
でも、劇画調表紙をじっくり見つめたおかげで、草むらにレコードジャケットを一枚見つけた!これはビートルズ? 
あ、それから品川猿がレコードをかけてる絵もあった!なかなかの仕掛け。あと、カバーを外したときのチョコレート色の表紙も!こうしてじっくり見てみるといろいろ楽しめます。

1:「石のまくらに」 短歌をつくる女性との出会い。短歌は純粋に素敵なものばかりだった。

2:「クレーム」同級生の女の子からピアノの招待状を受け取る。そのあとに出会う老人からの不思議なメッセージ

3:「チャーリーパーカー・プレイズ・ボサノヴァ」チャーリーパーカーがボサノヴァのレコードを出したという偽の文章から始まる、夢のような時間との出会い。わくわく楽しい作品。

4:「ウィズ・ザ・ビートルズ」ビートルズのアルバムを抱えた女の子の話と、その子とは別のガールフレンドの話。言葉にならない高揚感を持つことと、それを持てないことの残酷さが胸につきささる。

5:「ヤクルトスワローズ詩集」ヤクルトスワローズ詩集なるものが存在することは以前から知っていた。その一部とそれにまつわるエッセイ。

6: 謝肉祭(carnaval)美しくない容貌とアンバランスなほどの繊細な知性を持った女性の話。読み応えあった。

7:品川猿の告白:短編「東京奇譚集」で活躍した、あの品川猿の告白。そうか、そういう理由があったのか。相変わらずでなんとも憎めない、少し年をとった品川猿の告白。

8:一人称単数 久しぶりにスーツを着て外出し、バーで読書をしていると、出会った女性に詰られる。いろんな解釈ができる話。「ハードボイルドワンダーランド」的な同時進行の世界なのか、夢物語なのか。よくわからないことへのとまどいが残る作品。

好きな短編もあるし、そこまで思い入れられない短編もある。
それでもテーブルの脇に置いて、ふっと思いついた短編をめくってみるというのをずっと繰り返している。
じわっと好き。

さてさて。どれが一番好きですか? と聞かれるとちょっと困ります。
「品川猿」と答えたいところだけど、もっと心にひっかかる表現もいくつか。

うん!ヤクルトスワローズ詩集が一番好きかも!
これを読むと「勝つことだけが人生ではない。敗れることも大事」と思えてしまうんだよね。



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posted by noyuki at 15:13| 福岡 ☀| Comment(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月12日

伊坂幸太郎の備忘録 「逆ソクラテス」




少年たちよ少女たちよ。くさるな、絶望するな。未来は、ここではないどこかに繋がっている。魔法の呪文を教えるから、その呪文を唱えて、ここより先まで生き延びろ。

こんな気持ちになって、読む前よりも無敵になれた! この本はそんな短編集です。

逆ソクラテス:先入観でしか人を見ない教師久留米の中で、「ダメ」の落胤を押されている草壁くんの話。「ぼくはそうは思わない」。

スロウではない:転校生高城かれんといじめられっ子の村田花の話。語ってくれるのは病床の磯憲先生。

非オプティマス:久保先生に嫌がらせする騎士人くん。そして福生くん。暗い久保先生、再生してゆく。

アンスポーツマンライク:磯憲のコーチするバスケットチームの面々。怒鳴らないコーチと自由に育ったメンバー。そして刃物を持った不審人物。

逆ワシントン:正直に告白したばかりにひどい目にあってしまうドローン少年と、その仲間たち。そして、ラストに登場する店員は、あのときのあの人。

子供時代が苦しかったのは、もしかしたら「子供だったから、より強い人に押さえつけられてたから」かもしれない。
けれど大人になって、もう一度自分より弱い人に同じことをするなら意味がないよね。
わたしが大人になったみたいに、みんな大人になれている。
生き延びるための呪文をつぶやきながら、その先にある別の世界でちゃんと生きている。

読みながらそれを確かめられて本当に幸せな本でした。
ネタバレしないように用心して語りましたが、ようするに傑作です!


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posted by noyuki at 15:44| 福岡 ☔| Comment(0) | 伊坂幸太郎の備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする