2012年01月17日

隠れ家 「Chacha」

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「Chacha」


雑談の中で「隠れ家のように使っているカフェがあってね...」って友達に喋ったところ、「自分の隠れ家だなんて思えるお店があるっていいね」と返され、それで改めて、ああ、そうなんだ、この町の中に私は小さな世界をいっぱい持っているんだ、と思った次第。

日曜日の昼下がり、ふらりと歩いて紅茶を飲みに行った。
「近くまできてるんだけど」と電話してきた女友達の誘いに、ふらりと会いに行った。
遠くから里帰りした人とゆっくりと話したくて、何時間もここで近況を報告しあった。
ポットで入れてくれる紅茶がお気に入りだけど、けしてそれだけでは終わらない。

ケーキがすごくおいしいから。

パスタのデザートつきのランチを食べても、それと別に必ずシュークリーム(130円)を頼んで、その場でクリームをいれてもらうし、ケーキだって一種類じゃ終わらなくて、いくつも頼んでシェアしてみたり。大好きなモンブランは見つけたら必ず頼んでしまうし。
ここに来た瞬間に、いつも気にしているカロリー計算とかがふっとんでしまって、何を食べてもいい自分と何を話してもいい自分が現れてしまう。
日常の「縛り」を一瞬にして「なきもの」にしてしまう、その開放感が、とても隠れ家っぽい感じ。

お店の方と話すこともあるし、知らないお客さんと長々と話し込んでしまうこともある。
帰りにはテイクアウトも...

隠れ家だけど、誰にも秘密ってわけじゃない。
いろんな人の隠れ家になって、そこでいろんなことをシェアできればいいなと思っているお店です。
そうそう、大事なことを言い忘れてました。
ここのケーキが私、いちばん好きです。

「Chacha 」久留米市荘島町1-13 明治通りの縄手の交差点あたり、ガソリンスタンドの真ん前。
夜は9時くらいまで開いてます。
駐車場はないけれど、テイクアウトだったら、路上駐車も大丈夫?

お店のブログはこちらからどうぞ。

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posted by noyuki at 17:06| 福岡 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 荘島物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月30日

私的読書ベストテン 2011

大変な一年だった。しばらく本が読めなかった(気持ちの問題で)。
そして、たしかにいい作品だったのに一年を通して振り返ると、それほど心に残っていない本もあった(これも気持ちの問題です)。
人間は現実が大変なときは本も読めなくなるのかもしれない。
物語の世界に戻るまでとても時間がかかった。
新しい作家の方との出会いが少なかった。
同じ本を2度も3度も繰り返し読むことがなぜか多かった。
そんな2011年だったけれど、それでも振り返ってみると、こんなにたくさんの出会いがありました。

10 「くちびるに歌を」中田永一
五島列島の合唱部の話。どす黒いところがなくて、こまやかな部分も見られて楽しかったです。

9 「仏果を得ず」文庫 三浦しをん
三浦しをんさんをたくさん読んだ一年だったが、文楽を描いたこの作品には新しい出会いがありました。求道のヨロコビというものが溢れている作品だと思います。

8「スローハイツの神様」辻村深月
辻村深月さんにはじめて出会う。セリフがキレがよく心地よかった。また何か読んでみようと思っているがまだ叶っていません。

7 「焼け跡のハイヒール」盛田隆二
いや、「きみがつらいのは、まだあきらめてないから」を入れるべきだろうと思ったけれど、とてもこの作品が好きだったので、ムック本(大人婚)に掲載の分だけど、あえてこちらを。主人公の強い生き方が物語全体をひっぱっていて、とても嬉しくなった物語。そして泣きました。本になるのを楽しみにしています。

6 「困っている人」大野更紗
友人の中で大ブームになった本。闘病ものであるけれど、楽しく、そして、人を想う気持ちの強さが物語をひっぱって行く様子に感動しました。彼女の人生に幸多かれと祈ります。

5 「偉大なるしゅららぼん」万城目学
相変わらずの壮大なほら話。そして、情景のひとつひとつが目にうかぶ細やかな描写が楽しかったです。まったくテンションが落ちてないのがすごいと思います。

4「事の次第」文庫版 佐藤正午
単行本「バニシングポイント」でかなり前に読んでいる。しかし、昨今の佐藤正午さんの作品に通じるものがあって、今回読み返してみて、その手法のすごさに改めて感心させられた。クールな文章がほんっっとカッコイイ作品でした。

3 「モダンタイムス」文庫版 伊坂幸太郎
今回上下巻の文庫。しかも、文庫化にあたって、こんなに結末が変わっていたのが驚きだった。現代には現代にそぐう作品がある。そういうものを完成させるためにこれだけの加筆修正は賞賛したい。ハードカバーのストリーも文庫のストリーも、選べないほどどちらも好きでした。

2 「身も心も」 盛田隆二
高齢者の恋愛にドキドキさせられた。純粋な美しい気持ちが浮かび上がり、好きな人のために生き延びたいという欲求に、生きることの意味を考えさせられた。とてもいい作品です。梶芽衣子さんで映画化、というのがほんとに実現したらいいなと思っています。

1 「舟を編む」 三浦しをん 光文社
この本に出会えて(幸せだった感)が一番だった作品。辞書を作る、という目標のために集う人の人生が長いスパンで描かれている。どの人も、実現させたいもののためにキラキラしている。「職業もの」というわけでもなく、その職業に関わる人の「深さと真摯さ」がすごく克明かつ楽しく描かれていた。
読んで幸せになれる本、という点で2011年に出会えた最高の本でした。



おまけ。「3月のライオン」「テルマエ・ロマエ」「ヒストリエ」など、コミックの新刊に楽しい作品の多い年でした。小説では「きらら」に連載中の佐藤正午さんの「鳩の撃退法」がどうなるかわくわくどきどき。
これらは未完の作品ですが、今年読んだ中で幸せだった本としてぜひ、名前をあげておきたいと思いました。

今年1年出会えた本に感謝をこめて。そして来年出会える本を心待ちにして。
今年1年を締めくくります。
来年もまたよろしくお願いします。

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posted by noyuki at 22:16| 福岡 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月28日

なるだけ短めの物語 4

一期一会


結局あたしはライ麦畑の番人をやめた。
そもそもパートタイムの番人だったわけだし、一生ライ麦畑の番人をやるつもりなんてなかった。でも思い返してみると、けっこう楽しんでいたように思う。
日本の狭い社会にありがちな職場のトラブルに疲弊してして、心病んで、あたしはここを離れる。
楽しかったのにな、と心の中でつぶやいてみる、戻れる自信なんてまったくないから、楽しかったなんて言っちゃいけないんだけど。

あの日、りょうちゃんと二人で砂浜で歌った日のことを、あたしは今でもよく思い出した。
太陽のまわりがまぶしいくらいの金色で、波もまた金色にキラキラしていた。
あたしたちは無人島でふたりきりで、次の船が来るのをすごーく心静かに待った。

「ゆうこさん、かわいっ!」
そう言いながら、りょうちゃんが膝をつついてくる。「りょうちゃんもかわいっ!」そう言ってあたしも膝をつつき返す。
大きな音が苦手で、先の予測ができないのが苦手なあたしたちだったが、次の船を静かに待つことはまったく苦痛じゃなくって、なぜだかとても幸せな気分に満ち溢れていた。
船は必ずやってくる、そしてこの場所にはかぎりなく静かにゆっくりとした風が吹いていた。

遠くから小さなエンジン音が聞こえて、それがだんだんおおきくなってきて、ひとりの女性がまず降りてきた。
「りょうさん?」
「はいっ」
「待たせてしまってごめんなさいね、さみしかったでしょ?」
「はいっ」そう答えながら、りょうちゃんはとてもニコニコしていた。

同じスーツを着てるからたぶん同じ旅行社の人だろう。年配で、短めのタイトスカートがピチピチな田原さんという女性は、うっすら汗をかいてるのにアイラインはまったくにじんでいない。
「嵐が好きなの?」田原さんはりょうちゃんが腕にしている嵐のリストバンドを見つけてたずねた。「嵐はわたしも好き。りょうちゃんは誰が好き?」
「にのくん」
「そう、わたしは松潤が大好きなのよ!」

それから次々に降りてきた初老の女性や男性がりょうちゃんのまわりを取り囲んだ。腰が曲がった分だけ小柄に見える、笑ったカタチのままに皺が刻まれていったような人ばかりだった。
「まあ、こんなかわいいお嬢さんを、置いてったのね。こわくなかった?」
「かわいいねえ。ウチのひ孫よりかちょっとおねえさんなのかねえ」
「暑くなかったかい?」
みんながりょうちゃんの手を握ったり肩を叩いたりしながら、取り囲む。
またパニックにならないかとどぎまぎしたけれど、りょうちゃんはあたしの心配をよそにニコニコしていた。
近隣の町の老人会の団体の方で、これからみんなでホテルに行って一泊するらしい。
「わたしたちといっしょに船に乗るけんね、ぜんぜんこわくないよ。船からバスに乗ったら、すぐにホテルたい」
30人ほどの団体は、ちょっとおざなりにまわりを散歩したりしながら、喉かわいてない?ってりょうちゃんにペットボトルの水をくれたりしている。なにしろかわいくて仕方ないって感じだった。
りょうちゃんはずっとニコニコしてた。初対面の人は苦手なはずなのに。

時間がくるとりょうちゃんは、団体の中の比較的がっしりした男性の背中におんぶされて船に乗った。
「ぐらぐら揺れるとこわいだろうから、おんぶで行くね?」って言われて、そのままカラダを預けたのだ。
そして船の一番まえの席に座って、田原さんの説明にひとつひとつ返事する。
りょうちゃんはまったくこわがってなかった。
「はいっ」「はいっ」そして時には「へええええ〜」って。
誰もがニコニコしていた。りょうちゃんの言葉を聞いて笑ったりしながら。
バスに乗る頃には、もうみんなに打ち解けていて、りょうちゃんは得意の嵐の歌のサビを口ずさんだりして、そのたびに誰かが拍手をしたり笑ったりしてくれた。

これはいったい何の魔法なんだろう? 初対面の人は苦手なはずなのに。

大きなリゾートホテルが見えてきて、ゆっくりと車寄せにバスが入ってくる。
心配そうに待っているスタッフの顔が玄関に見えた。

「さあ、お待ちかねのホテルにつきました」田原さんが言った。「日頃は、移動時間はみなさんゆったりされていて、わたしの説明を子守唄にお昼寝される方も多いのです。だけど今日はりょうさんが元気よく返事してくれて、説明する方もとても楽しかったです。そして短い時間でしたが、笑い声がいっぱいの移動時間でした。これもりょうさんのおかげでした。ほんとにりょうさん、ありがとう、またどこかでお会いしましょうね」
みんなが拍手をしてくれた。
そうそう、りょうちゃん、楽しかったよ、という声がたくさん聞こえた。
「ありがとうございました〜」りょうちゃんがすごく大きな声でお礼を言った。

ああ。
自分だけがライ麦畑の番人をしていて、いろんな人やモノから彼女を守りたいと思ったいた自分はただの傲慢なヤツだ。
りょうちゃんの世界はそんなふうにはできてはいなかったのだ。
りょうちゃんの心はずっと外に出たがっていた。

あの日をさかいにりょうちゃんは変わった。
先の予定がわからないとパニックになったり、知らない場所でへたりこんでしまうのは相変わらずだったけれど、それでも、何かわからないけれど何かが変わった。
「いつか、わたしはこわくなくなるんだ」って心の中で思っているような気がした。
そして実際、パニックが落ち着くと、誰の前でも天真爛漫にふるまうのだ。
彼女のふるまいは、いつも笑いを誘ったり拍手をもらったりした。そんなとき彼女は、とてもうれしそうに笑った。

あれは一期一会っていうんだろうな。
たった一回会うだけの人たち。その、一度きりの優しさ。

だけどもみんな、その一度の中で、自分の胸の中にある光る石を手渡してくれるんだ。
自分たちがその場所から消えても、けして色褪せない光る石。
そしてりょうちゃんも。自分の中の光る石をお返しに手渡せるってことを、彼女は心のどこかでちゃんと知ってたんだ。

長いスパンだったけれど、あたしとりょうちゃんだって一期一会だったんだろう。
あたしはりょうちゃんに、たくさんの光る石をもらったような気がする。
それは、宝物にしてぜんぶ並べておきたいくらいの綺麗な光る石ばかりだった。
あたしはりょうちゃんに、あたしの胸の中の光る石をちゃんと渡せただろうか?

さよなら、りょうちゃん。
今度はまた、今はまだ出会ってない誰かが、あたしとは違う石を手渡してくれるはずだよ。

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posted by noyuki at 22:30| 福岡 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | なるだけ短めの物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月17日

「身の上話」光文社文庫 佐藤正午




ハードカバー版の感想はこちらどうぞ。
http://noyuki.seesaa.net/article/130869259.html
そして、以下は文庫版になってからの感想。

ハードカバーが文庫になるとき、「時間もたったしそろそろ文庫で」というようなスタンスを感じるものももちろんあるのだが、この「身の上話」に関しては、「こんなにおもしろいのに! すごいよ! 読んでみてよ!」みたいなオーラが文庫本全体から溢れているので、なんだか嬉しくなって、表紙を見て「ミチル!」と叫んで思わず手にとってしまった次第。

そうそう。ミチルはまさしく表紙の写真のような女性だ。
一人で何時間もベンチに座っていられる。
少しズレたところもあるのだが、自分の頭でけっこう考えて判断するし、それと同時に感情の赴くままに行動する部分も持ちあわせている。それでいて「土手の柳は風まかせ」と評されるような女性。

ミチルの人生が変わったのは、離れたくない男とともに衝動的にいっしょの飛行機に乗ってしまったから。そして手に持っていた宝くじが当たっていたから。
それがこんなことになるなんて、というようなことが次々に起こって、ほんとに、最後はこんなことになるなんて、だ。

池上冬樹さんの解説が圧巻だ。
「どうしてこれが賞(日本推理作家協会賞)を取れないのか」伊坂幸太郎氏も赤川次郎氏も佐々木譲氏もこんなに絶賛してるのに、という悔しさを熱っぽく語られている。
苦笑するくらいに熱っぽくw

表紙や解説がすべて「おもしろいんだよ、読んでみてよ!」と叫んでいる。
作者の作品年譜までついている。
ほぼ同時期に発売された小学館文庫の「事の次第」と「愛の深さを競っている」ようで嬉しい。
こんなに愛されて出版された本は幸せだなあと思う。
ほんとに嬉しくなるくらいにそう思う。





余談その1。

「宝くじが当たらなかった」短編があります。
「人の物語」に収録された「愛の力を敬え」という短編です。
ここでも女性が、別れがたい男性と共に東京行きの飛行機に乗るのですが、宝くじは当たらず、女性は郷里に帰ります。
男性は小説家に尋ねます。「この話は小説になりますか?」
小説家は「宝くじが当たっていたとしたら小説になるかもしれない」と物語の中で答えます。
とても好きな作品だったけれど「宝くじが当たってたらどんな小説になるんだろう」と、ちらりと思いながら、まったく想像できませんでした。
まさか何年もたって、ほんとに宝くじの当たる小説を読むなんて!

余談 その2。

「ダンスホール」の中で「金は必要ない」というフレーズが出てきます。なのに主人公は大金を手に入れる。
「身の上話」も大金を手に入れて、運命が変わる話です。
現在「きらら」で連載中の「鳩の撃退法」でも主人公は大金を手に入れます。
大金を手にいれたとき、人はどうなるのか?
「物語のカタチは違うけれど、一貫したテーマで続いてるよね」と先日友人と話しました。
「鳩の撃退法」で大金を手に入れた主人公の行動が楽しみであります。


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posted by noyuki at 22:22| 福岡 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月30日

新聞が言葉狩りをするような社会は最低だと思う

どうしてもニュースの意味がわからない。
居酒屋で懇親会をしていて「これから犯しますよ」と言ったことによって田中防衛局長が更迭されたというところ。
その前後のこと、沖縄県民の感情のこと、「発言の有無は否定せざるを得ない」という文章の意味。

文脈の背後関係というのがまったくわからないから、これは政治的なこととか沖縄県民の感情に背後関係があるのかもしれないけれど、「非公式の懇親会で言葉狩りをされて更迭された」という印象だけがわたしの中に残っている。
とてもこわいことだと思う。

言葉は完璧ではない。
言葉は心のすべてを言わない。心にそって、よく似たかたちの言葉を選ぶけれども、それでも言葉は心のすべてではない。
なによりも言葉は多かれ少なかれ「選びまちがえる」。

居酒屋だから酒も入っていたのかもしれないし、これは公式の発言ではない。
そういう場所で、選び間違えた言葉がピックアップされて、報道されて、更迭される。
それが報道機関によって行われている。
こわいことではないか?
わたしはこわい。
「言論統制だってできるんだぞ」って言われているようでこわい。

「ひどい発言をした人間は辞めさせられて当然」という社会の雰囲気もとってもこわい。
「ちょっと今のひどいよ、撤回してよ」「ああ、そうだねごめん」みたいなやりとりのない社会にいるように思える。
人はみな、言い間違えて人を傷つけたりする隙間を持っていると思う。
その隙間があるから、埋めるために「やりとり」をするんだ。

どんなに不適切な発言であってとしても、言葉狩りは言葉狩りである。
誰もがそういうことができると思っている社会は不自由だと思う。
これでは「言い間違える自由」がないではないかっ!

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posted by noyuki at 21:58| 福岡 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月27日

なるだけ短めの物語4 「ライ麦畑」1

「ライ麦畑」1


無人島でリョウちゃんとふたりっきりになってしまった。
比喩でもなんでもない。
まがりなりにも本物の無人島だ。
大声で叫んでもふたり。
ああ、空が青いなあ。ちぎった綿あめのような雲が、気づかないくらいにゆっくりに流れている。
冗談みたいな青空。
あたしが砂浜にへなへなと座り込むと、その隣にリョウちゃんがちょこんと下を向いて座った。

「無人島体験ツアー」は今回の旅行のメニューだった。
港から船に乗って無人島を体験。とは言っても20分ほどの乗船で行ける、ゆっくり一周回れるくらいの砂浜だ。小さい東屋だってある。
降りて30分ほど砂浜で貝やヒトデや漂流物を探したり散策したり写真を撮ったりして、また船で帰る。
とても簡単はツアーだ。

あたしの働く福祉施設が、ここのツアーに参加したのは、近隣の施設と合同だし、主催団体がすごくサポートしてくれるっていう評判だったからだ。
実際にそのとおりで、打ち合わせも綿密で、車椅子の人でも自閉症の人でも大勢のスタッフでフォローしてくれた。こんな機会でもなければ、みんなで旅行なんてできない。
無人島ツアーのあとは、リゾートホテルで地元の団体との交流会。ホテルにチェックインしたら海の幸満載のシェフ自慢の料理でパーティの予定だった。
ところが予定どおりにはいかなかった。

「いや、いや! 怖い! 乗らない!」
そう言ってリョウちゃんが暴れた。行きの船でも猛烈なエンジン音でパニックだったのだ。あげくに、帰りの船には乗らないと砂浜にひっくり帰る。主催者のスタッフが二人がかりでスレンダーなリョウちゃんを抱えてくれたものの、暴れて暴れて、すごい力で抵抗する。
出発時間が迫って、まわりの障害者の方たちまで顔色が悪くなっていくのがわかり、ああ、どうしようと泣きたくなってしまった。

「これ以上時間を遅らせるわけにもいかないのです。他のお客様もいらっしゃいますし」
ツアーコンダクターの西田さんがすまなそうに言った。
「30分あとに、もういっかい船が来るのですが、そのときにお迎えするのは可能でしょうか?」
可能だと思います。直感でそう答えた。いや、それしかないんだろうな。
「わたしどもの別のツアーがこの島に来ます。そのあとのホテルも一緒です。あちらの担当もベテランで、うまく対応できます。申し訳ないのですが、この状態で乗船しても危険なような気がしますし。30分、ここで待たれてなんとか落ち着かれたりはしないでしょうか?」
ピンク色のチークも明るい西田さんはどちらかというと新人さんの部類ではないだろうか。汗で化粧もとれてしまって、困って泣きそうな胸のうちが手に取るようにわかる申し出だった。

「しばらく落ち着くと場面転換ができると思うのです。わたしとふたりで静かに過ごして、つぎの船に乗るように言い聞かせます」
そう言って、出てゆく船を見送った。
今まで2年間リョウちゃんにつきあった経験からして、パニックがおさまれば、できるような気がした。でも、ほんとに大丈夫なんだろうか?
みんなが心配そうにこちらを見ながら、それでも船は出ていった。
あたしは無理に作り笑いをして手を降って見送って、そのあとはへたりこんで、砂浜に腰をついた。

ライ麦畑からいきなり転落したような気分だった。
ライ麦畑。その言葉を今思い出すのもおかしかったけれど、大きな音や知らない場所がこわいリョウちゃんを守ろうとするとき、自分が「ライ麦畑でつかまえて」の主人公みたいなライ麦畑の番人になったような気がしていた。
そういう仕事にやりがいを感じていたといえば嘘になる。むしろ逆で、失業する前みたいにバリバリ何かを販売するような仕事に戻りたくてしかたなくて、でも、せっかく見つけた仕事を辞める勇気もなかっただけだった。
ただ、大きな音や話し声が苦手なリョウちゃんは少しあたしと似ている気がしていた。そんなときたまたま「ライ麦畑でつかまえて」を読んだものだから、ああ、こんな仕事だと思うといいのかな、と思ったくらいだ。
彼女がライ麦畑から転落しないように見守るくらいならできるだろう。
もともと専門外だからいつまでやれるかわからないけれど、それでも「ライ麦畑の番人」という設定は自分の中では悪い感じではなかった。

でも、あっというまに転落してしまったな。
ほんと、見守っていたつもりでも、あっというまだ。

真っ白なカモメが青い空と青い水平線をいったりきたりしながら旋回していた。
「ゆう子さん、ゆう子さん」そう言いながら、リョウちゃんは体操座りの膝であたしの膝でつついていた。
「ゆ・う・こ・さーん」
そう言いながら何度もつつく。

どうやら、パニックはひとまず収まったらしい。
今、リョウちゃんは、「なんだかわるいことをしてしまったな」と思ってるんだろうな。
そういうとき彼女は繕う。
きちっと理論だてて反省したり改善できたりはしない。
だけども、それでも、なんとなく繕う。

「しょーがないなあ。リョウちゃん、つぎの船が来るまでふたりでゴロゴロしていようか。それから、ちょっとしたら船がくるんだよ。今度は、その船に乗って帰るんだよ」
「はいっ」

そういって何ごともなかったように、自分の膝であたしの膝をコンコンとつつく。
おなじリズムでコンコンとあたしもつつき返してみた。
コンコン。コンコン。コンコンコン。コンコンコン。
調子が乗ってきたので、それに合わせて歌を歌ってみた。
「あ〜らし、あらしっ、オーイエー♪」

リョウちゃんが大きな声でケラケラ笑った。
ゆう子さん、もういっかいっ。
何度も何度もそういうので、何度も何度も繰り返して歌った。
あたし、きっと、つぎの船がくるまでに100回くらいこの歌を歌うんだろうな。

今日、ひとつ、気づいたことがある。
ライ麦畑は段々畑になっていて、いっかい落ちたとしても、その下にはまた別のライ麦畑が広がっているってことだ。

うん、だからそんなに絶望しなくていいんだ、たぶん。




つづく

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posted by noyuki at 22:15| 福岡 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | なるだけ短めの物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月13日

「きみがつらいのは、まだあきらめてないから 」角川文庫 盛田隆二




1991年から2011年までにわたる7つの物語からなる短篇集。
登場人物も、かけおちする大学生、フィリピン人の娼婦、恋人へDVを繰り返す女性、うつ病を患う銀行員と多岐にわたる。

「舞い降りて重なる木の葉」が収録されていたことが嬉しかった。
「夜の果てまで」の原型となる短編で、マリクレールに掲載されていたものの、その後20年間「まぼろしの名作」となっていたものである。(夜の果てまでの文庫あとがきで、その存在が明かされています)
「夜の果てまで」が映画ならば、「舞い降りて重なる木の葉」は一枚の写真のような作品だと思う。どこにもいけない「今」がぎゅっと凝縮されていて、その密度の濃さに息を飲んでしまう。「その瞬間」とか「その衝動」が、二十年後の今も炎を放っていた。

表題である「きみがつらいのは、まだあきらめてないから」。
人は風邪を引くように鬱を患うことがある。だけど人は、そのときのことを「振り返りたくもない」と思うかもしれない。あるいは断片的にそのときの状況を思い出して語るかもしれない。ここには、物語というかたちで、その心理状況が克明に記録されている。読む人によっては苦しい作品かもしれない。描くことはもっと苦しい行為だったかもしれない。それでも、この作品にすがりつきたくなる瞬間を持つ人も多いと思う。上質の物語であると同時に、これは患った人間にしか描けない「心の記録」だと思う。

作者が年齢を重ねるにつれて「ダイブ小説」と評された時代から、「市井の人の暮らしを克明に描く時代」へと作風は変わっていったように思っていた。
だけど、こうして年代を追って読んでいくと、「変わっていない一本の線」がしっかりと見えてきた。
そのことについては、解説の中江有里さんの文章があまりにも的確で素晴らしいので、ぜひ解説で読んでいただきたいと思う。まるで解説までふくめて、短編の連なりがひとつの物語になってるような気がした。

人は弱い。弱いくせに、自分を守ることだけを考えることはできない。弱いくせに、もっと弱い誰かを守りたいと思ってしまう。
現実世界は、ときどき正論でそんなわたしを叱咤激励してしまったりもするけれど。
少なくともこの短編集の中の人々は、それでもそんなふうに生きているんだと思って、なんだかとても嬉しくなってしまった。

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posted by noyuki at 22:22| 福岡 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月31日

「事の次第」 小学館文庫 佐藤正午






注・ この文章には少々のネタバレが含まれていますので、これから読まれる方はご注意ください。




最近の佐藤正午さんの文章は複雑な構成が多い、と、書こうとしたけれど、コレは最近のではなくて1997年に「バニシングポイント」の題名で発表された作品だった。
大昔に読んだ記憶を紐解いてみると、短編が不思議なつながり方をしていて、その雰囲気が好きだった作品。
今、読んでみると、おおまかに言えば「ダンスホール」に繋がっているような、登場人物のつながりが物語を作り上げている独特の手法。
構造の話をすればきりがないが、町のうわさ話のように人の物語が流れてゆく感じがとても佐藤正午さんらしい作品だと思う。

たとえば飛び降り自殺をした女性の話。
彼女は脇役としてしか登場しない。タクシーに乗り込んできて財布を忘れた女性。近所の放火事件を心配する妻の口から発せられる「犯人」。そして、主人公のひとりと曖昧な恋愛関係にあった女性。
三方面の「語り」の中に、生きているひとりの女性の姿が浮かび上がる。
どの顔もまったく別の顔だ。
そして、いくつもの別の顔の中から、彼女という物語が浮かび上がってくる。

また、どうしてもわからなかった男の過去が、この短編の別の物語で語られていたり。
一見関連のないように見える物語が、人物を通して繋がっていったり。
本当の話と噂話が組み合わさってできあがったものは、外面と内面と両方から突き詰められていくような重厚さと緻密さを兼ね備えているように思える。

ひとつひとつの短編をとっても佐藤正午さんらしい物語を楽しめるが、時間をかけて連作の中に出てくる人物を追ってみても夢中になれる作品。
描かれている事だけではない何かが、圧倒的な筆力の中で浮かび上がってくるとき、読みながらぱっと脈があがり興奮していくのが自分でもわかる。
それが最近の佐藤正午さんの醍醐味だ。

余談 1。

解説の東根ユミさんは、小学館の「きらら」にて佐藤正午さんのロングインタビューをメールのやりとりで行った女性。彼女の解説は素晴らしいけれど、実は東根ユミさん、謎の女性のように思います。

彼女の名前を検索すると「ロングインタビュー」に関わる記事以外に何も出てこないし、フェイスブックにもTwitterにもいらっしゃらない。ライターという職業上、それもまた不思議。偽名か、あるいはまったく予想もしていない方がインタビューされてるんじゃないかと思っています。

余談2。

個人的に「事の次第」の人物相関図を書いてみています。
まちがいもあるかもしれません。

http://shogofan.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3571830





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posted by noyuki at 15:15| 福岡 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月18日

「舟を編む」 光文社 三浦しをん



最近の三浦しをんさんの本はほんとに楽しい。
おもしろいとか、このあとどうなるか続きが気になるってのもあるけれど、なによりも楽しい。気分があたたかくなって、ああ、この楽しみをずっとずっと味わっていたいって思っていられる。

「舟を編む」は大渡海(だいとかい)という辞書を編纂する物語だ。
出版社の事情やら、その辞書の規模の大きさから、大渡海(だいとかい)は完成するまでに15年の歳月を要する。
これはその15年にわたる物語だ。

主人公の馬締(まじめ)光也が、風変わりではあるけれど魅力的だ。二宮くんや錦戸くんあたりが演じてもきっといい味を出すのではないかと思う。そういうのを想像するのもまた楽しい。
そう。しをんさんの書く男性は、外見や性格に難があったとしても。とにかく「魅力的」なのだ。
髪の毛の毛穴からフェロモンがにじみでる雰囲気まで描き出せる稀代の筆力と、声を大にして言いたい。

そして、脇をかためる西岡や、新しくメンバーに加わる岸辺も、その魅力と探究心に惹かれるように辞書に夢中になっていく。おまけに学者や、印刷関係の方までも、辞書に対する熱意がすごい。

人の熱意は美しい。
わたしたちの使う「言葉」という道具は、複雑で膨大ではあるけれど、それもまた美しい。
それを存分に味わえる。とてもとても幸せな本だと思う。

「大渡海」が出版される際には、わたしは迷わずアマゾンで予約したい。


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posted by noyuki at 22:05| 福岡 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

なるだけ短めの物語 3

「ノイズ」

ネットで知り合ったその人は、楽しい人だった。
会ってみてもその印象は変わらない。思ったとおりのダンガリーのシャツ、よどみないの会話、そして正確にわたしの心の奥底にマリンバのように響く感情の音楽。

なのに、彼といっしょにいるといつも気づかされてしまう。

わたしは音が苦手なのだ。
「no music no life」な人と、ちょっと大きめのジャズが流れるお店に入ると、まったく会話が成立しなくなってしまった。音だけに集中している分にはいいのだが、ちょっと会話をしようとすると、マーブルのようにその2つの音が入り交じる。
彼はわたしの混乱に気づかずに、機嫌のいいままでずっと喋り続ける。
わたしはだんだん口数が少なくなる。そして機嫌が悪くなる。気分よくカクテルをおかわりする人はそれには気づかない。
音が会話の妨げになるなんて想像もできないのだ。
となりのテーブルにグループ客がいるだけでもダメだ。そんなときも会話がマーブルになる。一度耐えられなくなって、出ようと言った。
「よくわからないよ。隣の音と身近な音は別の音だろ? それを区分できないってことがあるの?」
そう言われて改めて、自分の感覚が人より劣っていることに改めて気づかされた。

大きなプロジェクターのある彼の家のリビングには、いつも音があふれていた。
バッハだったりビル・エバンスだったり、借りてきたDVDだったり。

彼のことが嫌いだったのではないと思いたい。
彼をとりまく音の洪水につきあうことができなかっただけだ。

わたしは「変化」に弱い子供で「おおきな音」にも弱い子供だった。体育の時間に新しい体操を学ぶことも苦手で、暗記ものも苦手で、そしてもちろん、子供同士のささいな悪意の標的になりやすい子供だった。

なんで無事にオトナになれたのかも不思議だったけど、それなりの努力もしたと思う。
状況が変わるときは、紙に書いて、何度もそれを見るように気をつけたし、それは仕事をするようになってからは病的なほど大量のメモ作りへと変化していった。人の顔を覚えるための特徴とか記号のような似顔絵とか、名前を覚える記憶のキーワードとかも、いつもこっそりと小さなノートに書き留めておくのを忘れなかった。 幸いにも国語や英語など「文章で表現すること」だけは得意だった。 だからトータルで能力のことを問題にされることもなかったけれど。わたしだけは知っていた。同じことを同じようにやってもわたしにはできないことがたくさんあるのだと。

巧妙に、できないことを避けたり、苦手なことを避けたりしながら生きてきた。

多かれ少なかれ、そういう部分は誰にでもあるのかもしれない。
戦ったり傷ついたりしながら生きることも誰にでもあることなのかもしれない。
他人の事情はわからない。
わたしが知っているのは、わたしがそれと戦ってきた長い歴史のことだけだ。
そして、誰にもそのことを言えずにいたこと。
言ってもそんな些細なことに苦労していたことは誰も問題にしないだろうってこと。
誰も問題にしなくても、自分にとっては、間違いなく弱みあってで引け目であったってこと。

ゆるやかに、現実という場所にいる男を避けるようになった。
わたしはそういうふうにして「巧妙に苦手なことを避ける」のに長い時間をかけて慣れてきたから、こんな感じで自分を守ることは厭わない。

だけど、誘われるたびに使う言い訳は、少し癇に障っただろうか?

ネットの中でだけ、ふたりでいられたらいい。
文字情報だけの、音のない彼とだったら、いつまでも幸せでいられるからだ。

いちばん最初の夜、すごく緊張して音のない闇の中で二人の肌を合わせた。
細い三日月の夜の、身体のこすれあう音だけが響く闇はとても素敵だったことを、今でもずっと覚えている。
一年も前のことが、まるで昨日の夜のことみたいに鮮明だ。
それはもうおそらく、二度とないことだ。そう思うと、少し、というか、かなりさみしい気分になってしまった。

それでもわたしは、こんなふうに、混乱を避けて自分を守っていくんだろうと思う。
誰に対しても、繰り返し繰り返し。

ネットの中にいる、文字情報の彼は。
今でもせつなくなるくらいに好きなんだけど。
それでもわたしは自分を守り続けていくだけだ。


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posted by noyuki at 22:02| 福岡 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | なるだけ短めの物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする