2025年04月20日

思ったことは口にしろ 〜紙の本を作って届けたい日記 オーディオブック「ミドリの森」



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「読書のバリアフリー」という話を最初に耳にしたのは、市川沙央さん(ハンチバックの作者)のインタビューを読んでからでした。

 もちろんオーディオブックの存在も知っていたし、実際に視覚障害のある知り合いが図書館から本を送ってもらって読んでいるのも知っていた。
 ただただ世界がうまくつながらなかったのです。
 友人の星ノ原コウさんが「ミドリの森」のナレーションを読んでくださっていたのはけっこう前の話で、それでもまだまだいろんなものがつながらなかった。

 そんなわたしが「文学フリーマーケットでオーディオブックを売ろう!」とある日思いました。
 Amazonにはたくさんのオーディオブックがあるし、星ノ原コウさんは仕事としてそういった本のナレーションもつけておられる。
 文字が読めなくても本を読むことはできる。
 わたしの本だって、そんなふうにしていろんな人に届けばいいと思う。
 
 というところまで思いついたのですが、実際にどうやって売ればいいのかとなると、なかなかむつかしいものでした。

 1・ダウンロード販売にする・・・売買が成立したら、その場でQRを読み取ってもらいダウンロードをしてもらう。ただし、QRコードはその場読み取りのみ。

 2・CDで販売する・・・CDで買っていただき、車の中やいろんなところで聞いてもらう。

 その二つの方法を考えましたが、どちらが需要があるのか正直言ってわかりません。文学フリーマーケットでは両方の販売になる予定です。
 とりあえずまだまだ手探り状態なのですが、CDは2枚組の販売になります。
 ジャケットも作ってみました(上の写真参照)
 値段も星ノ原コウ先生におまかせして決めていただいて、CDラベル印刷はシバカズさんにお願いする予定です。

 「誰が買ってくださるの?」という気持ちと「誰かのところに届けたい」というワクワクな気持ちが入り混じっています。

 見も知らぬ誰かに届けたいという未知なるワクワクが、ずーっとずーっと続いています。
 
 
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posted by noyuki at 15:48| 福岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | kindle出版 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月30日

佐藤正午「熟柿」発売になりました!

熟柿 (角川書店単行本) - 佐藤 正午
熟柿 (角川書店単行本) - 佐藤 正午
https://amzn.to/4iItGxK

 最初に「熟柿」が連載作として登場したのは2016年12月号の「小説野生時代」だった。
 前年2015年に「鳩の撃退法」が山田風太郎賞を受賞し、その翌年より「山田風太郎賞の発表の号」に毎年「熟柿」が掲載になったように思う。
 当初は一年に一度の連載だった。一年ごとに拓くんが大きくなっていくのを楽しみにしていた。
 ちょうど最初の連載の頃に、佐藤正午さんの佐世保のサイン会に行ったことがある。「月の満ち欠け」のサイン会だった。
 「熟柿、楽しみにしています」
 と言ったら、佐藤正午先生はこう答えられた。
 「あれはね、完結待ってたら10年かかっちゃうよ」
 一年に一度の連載予定だった。ところがとちゅうで出版の形態が変わり、web出版の「野生時代」だったり特別編集のだったりもした。
 初出から8年で完結したので、結果的には10年はかからなかったが、「いつ出るのかわからずヤキモキしていた時期」もあり、友人のあいだで情報交換したりしながら連載を追いかけ、それで完結したときには、文字通り「柿が熟してポタリと落ちた」ような気持ちだった。
 読者がそうであるように。編集者や出版社、そしてなによりも作家もそういう気持ちだったのではないかと思う。
 よい作品の完成を待つ時間はずっと幸せだった。
 
 主人公の「かおり」は、大雨の中、泥酔した夫を助手席に乗せて運転し、ふらりと道路に飛び出した老女をはねてしまい、そのまま逃げてしまう。
 結果、罪を償うこととなり、獄中で夫との子供を出産する。
 その後、夫の希望により離婚。
 息子と会いたいあまり幼稚園で違う子を連れ去ったり、入学式に小学校に忍び込んだりもするが、息子に会うことは叶わない。
 職を転々とし、苦労をし、騙される「かおり」は思慮に欠けているようにも思えるし、「なにをやってもうまくいかない不運につきまとわれている人」のようにも思える。
 そんな「かおり」にも流転しながら、少しずつ、幸運や、仲間がついてくる。
 息子のために働いてお金を貯めることばかりではなく、自分の将来のキャリアを考えたり、信頼できる人と繋がったりもする。
 
 どこまでいけば大人になれるかわからない。年齢や仕事だけでは計れない「熟成」がどこにあるのかわからない。
 そんな毎日の中で「人が熟す」という場所までには、どういう道のりがあるのだろう?
 あるいはなにごともなければ、「まったく大人にならないまま」で過ごすことだってできるのかもしれない。
 もしくは毎日が洪水のように流れているだけの場所で、わたしたちは少しずつ「熟して」いけてるのかもしれない。
 わたしは。わたしが熟していけてるのかさえもわからない。

 でも、この物語の中には、それを待っていてくれる人がいる。
 そのことを思うと、すごく希望が持てる。
 読んだあとに、ずっと希望を持っていられる。
 そんな傑作でありました!

***

 おまけ。
 連載中には、毎年サブタイトルがついていたような記憶があります。
「チューリップ」「ニッケ」「ふりかけ? ゆかり?」
 あれがけっこう好きでありましたが、残念ながら、もう記憶も薄れています。


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posted by noyuki at 19:52| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月16日

思ったことは口にしろ 〜紙の本を作って届けたい日記 





 表紙の差し替えに時間がかかっていたkindleペーパーバックですが、ついに発売となりました!

 ああ、ああ。今日は休日だから、今日発売できたらいいなあと思いながら見ていたら、「ミドリの森」のペーパーバック版が反映していたので震えてしまいました。
 電子よりも、ずいぶんいろんなところで苦労しました。
 何度もズレていた感じも、きれいに収まっています。苦労した分喜びもひとしおです。
 試し読みもできますので、よかったらアクセスしてみてくださいね!

 さて。価格です。1000円の価格設定にしていましたが、なぜか1100円となっていました。消費税でしょうか? こういうことも実際Amazonの画面で見てみないとわからないものでした。

 こうして今年の最初の目標であった「紙の本を作って届ける」は、一部達成しました。
 でも、まだまだ今は次にやりたいことが溢れかえっています。

 何度も失敗して「できない」って思っていたことが「できた」!
 それだけでも嬉しい。
 そしてそして。
 自分で作った自分の小説を本にできるなんて。
 
 世の中いろんなことが起こるな、と思って、嬉しくてしかたがない。

 次回は「コピー本を作る」です!

 
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posted by noyuki at 15:29| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kindle出版 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月26日

伊坂幸太郎の「楽園の楽園」を読んだ


  伊坂幸太郎の新作「楽園の楽園」を読んだ。

 伊坂幸太郎の作品の中で「もっとも美しい本」という。
 その美しさに心奪われ、3人の主人公の言葉、やりとりに軽快さと心地よさを感じ、そしてラストの展開に「え〜〜〜〜っ!」となる! という本。

 主人公の3人(五十九彦、三瑚嬢、蝶八隗:ごじゅうくひこ、さんごじょう、ちょうはっかいと呼びます)が、先生の住む「楽園」の場所を探す旅に出かける。
 3人はあらゆる感染症の免疫を持つ、最強のチームだ。
 五十九彦はスポーツ万能な少年。
 三瑚嬢は、おしゃべりで頭の回転も相当いい感じの少女。
 蝶八隗は、お腹が空く、食べ物関係の情報豊富な大柄な少年。
 実際に3人の姿は、挿絵にとても魅力的に描かれている

 物語の話や外来種のセイタカアワダチソウなどの雑談をしながら、3人は地図にもない、驚くほど美しい光景に出会う。
 楽園というべき圧倒的な存在に、そして、その場所で「先生の声」を見つける。

 そして先生の語るこの先のことは….?

 楽園の描写も先生の語ることも、抽象的でうまく説明できないが、魅力的で納得できる言葉にどんどん引き込まれていく。
 地球のことも自然のことも、筆力で魅せる大きな語りに夢中になってしまう。

 そしてラストは……?

 いや、ここは読んでいただかないとどうしようもないでしょう。

 ほんとに、とても魅力的な挿絵で、引き込まれる不思議な物語でした!
 

 


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posted by noyuki at 21:07| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊坂幸太郎の備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月10日

正午派2025

正午派2025 (小学館文庫) - 佐藤正午
正午派2025 (小学館文庫) - 佐藤正午

「正午派」である。
 わたしは「佐藤正午派」として生きている。
 そんなわたしのバイブル本が2025年早々に出版された。

 2009年に出版された「正午派」の増強版である。
 予約して「バイブルなので紙の本で」と思って買った。
 ところが、到着してパラパラめくっているうちに頭がバグってしまい「紙の本だけでいいはずがない。電子もダウンロードすべきだ」と思いなおし、その場でダウンロードしてしまった。
 理由はごくシンプルで、なおかつゲスい。
 文庫の中に挟まれている、本人の後ろ姿やキープしたボトルの写真や冷蔵庫の中身のスナップ写真を「もっと拡大してしっかりと見てみたい」という衝動からであった。
 電子版はしっかりと拡大できるため、目論見どおりで満足だった。

 小説家の本には「小説」「短編小説」「インタビュー集」などがある。
 ところが、小説家が書くものはもちろんそれだけではない。
 新聞の連載記事。地元タウン誌に載せた自著の解説。人生相談や、文芸本に掲載された写真日記的なものもある。
 福岡の西日本新聞に掲載される短編があれば、ネットで読めないものを写メして友人と回し読みし、札幌の新聞のインタビューがあれば、友人からのLINEでそれを読み耽る。
 そういうふうにしてトレジャーハンティングのように「けしてその場でしか味わえない文章」をずっと追いかけていた。
 自分の知らない作品があるのも我慢ならないし、流れる水のようにその場でしか味わえないものもすべて味わいつくしたいと思っていた。

 そんな「正午派」はわたしだけではないと思う。

 そして、そんなファンのために「正午派」という書籍を出版してくださる小学館にも感謝しかない。だが、同時に「それは佐藤正午の著書を出版する出版社の当然の使命ですよね」とも思ってしまっている。
 すばらしい「正午派」の完全保存版を作ってくださってありがとうございます。
 全作品の年譜や、新聞に掲載されていた幻の名作「佐世保駅7番ホーム」とか。
 ああ、本になって再会できて本当によかった。

 「正午派」はわたしの生き方だ。
 大好きな作家がいて、新しい著書を待つことを指標に、毎日の雑多な仕事や生活をおこなうことができる。新しい作品に出会える日を待って、毎日を生きている。

 あなたが「ハルキスト」であれ「snowman ハコ推し」であれ「King Gnu好き」であれ、どこか少し似ているのかもしれない。
 
 「正午派」は「正午派の世界」と「正午派のコネクション」の中で生きている。
 そのことをもっと熱く語りたかったが、もう十分うざ熱いと思われるので、このあたりで、やめます。

 追記。新刊の「熟柿」は2025年春の発売予定!との情報が「正午派」には掲載されていました!!!

 追記その2。240ページにある「水曜日の愛人」という短編は、わたしの一番好きな短編です。人と関わるときにかくありたいと、うっすらと自分のベースになっています。



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posted by noyuki at 17:40| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月22日

今年の自分ニュースまとめ

 一年が終わりそうです。
 無事に終わりそうでよかった。
 それでは。無事に終わりそうな証に、今年の自分ニュースをまとめてみます。

* オットが腰の手術で入院した・・・入院して手術したけれど、無事に痛みがなくなった。わたしは3週間ほど毎日病院で夕ご飯食べた。病院の中にあるファミマがどれもおいしくてファミマのファンになった。

* 資格試験を受けて合格した・・・業界的な資格の試験。年頭に「今年受験すること」が決まり、春からZoom講義を受けたりした。5−6月に書類を準備して提出。けっこう煩雑で大変だった。9月に書類審査オッケーで、11月に上京して口頭試験。12月の中旬すぎに合格発表。ちょうど一年がかりだった。でも、上京したときはたくさん友人と遊べて楽しかった。
 資格がもらえたら、ちょっと強くなれた気がした。

* Duolingoで韓国語を始めた・・・昨年末からはじめたDuolingo。最初は英語をやっていて、ガチでDiamondリーグでがんばってた。けれど「朝晩こんなに英語の勉強がしたかったわけではない」とある日突然嫌になって、それからまったくの初心者の韓国語を始めた。読めないハングルの発音を真似するところから開始。最近は「彼女の職業は看護師です。看護師は普段とても忙しいです」くらいのレベルの並び替え問題ができるようになる。
 自分で気づいたことがある。
 ひとつのことを繰り返しやるのは、あまり向いていない。しかし、まったく未知の知識をイチから頭に入れていくのは案外向いている。新しい知識を入れるのは精神衛生上とても良い。
 そういうアプローチが自分にとって精神の健康の秘訣だと気づき、毎朝Duolingoを短時間やっている。

* 安野モヨコさんにXで「イイね!」をいただいた・・・ 「鼻下長紳士回顧録」の感想をXでシェアして、偶然にも安野モヨコさんがそれを読んでくださった。読んでくださっただけでも畏れ多いのに、「イイね」をくださった! 
 畏れ多すぎる一生の思い出になりました。
 ちなみに、その感想文はこちら。
 鼻下長紳士回顧録←ここをおして


* 気に入った短編小説が書けた・・・ 佐藤正午さんの「冬に子供が生まれる」を発売から3回連続で読んで、「この続きを書かずにおられない」という気持ちで2次創作。「天神山にのぼろう」という短編を書きました。
 天神山にのぼろう←ここをおして

 最近は「キーワードや泉の場所はわかるけど、それがなんなのか自分でもわからない」と言った感じで書くということが多くなりました。
 昔はそれは「神様がおりてくるもの」と思っていた。
 けれど今はそうではないと思っている。
 ナラティブの泉というものが自分の中にあって、そこに「言葉になる前の感覚や感情」がたくさん溢れている。
 その「自分のナラティブの泉にじっと両手を入れてみる」感覚。
 そうしてじっくりと掌があたたまるように、それが文字になり、言葉をつくり、感情や感覚を獲得していく。
 書いてみると「こんなふうに思ってたんだ!」と驚かずにはいられない。
 そういう書き方のコツが掴めたように思う。
 それは、エネルギーは使うけれど、とても楽しい。



 
 もちろん、一年を通せば嫌なこともあっただろうし、振り返ると疲弊する場面もたくさんあったように思う。
 でも、そちら側ではなく、「今年はこれができたよね」という場面ばかりを思い出すことができる一年だったのは、とても幸せだったのだと思う。

 来年もいい年でありますように!


  
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posted by noyuki at 17:17| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月08日

「新しい恋愛」 高瀬隼子





 高瀬隼子の小説に出てくる人たちは、ちょっとねじ曲がっていて、それが意地悪な感じとか投げやりな感じにも見えて、ときには「ひくわ〜」と思う時もあるけれど、それを含めても、この人の小説を読むのを止めることができない。

 つい、気になってしまう。って感じなんだろうか?

 会社という狭い世界の中で当然のように行われている慣例も。
 姪っ子が喋る、好きでいることがすべてな恋愛も。
 20歳以上、年の離れた男女の恋愛も。
 一歩下がって俯瞰してみると「ちょっと、なんか変じゃない?」みたいな視点になってしまう。
 その視点を無防備に誰彼なく向けていた時代が、ずっと前に私にもあったのかもしれない。
 でも、それを掘り下げるように言語化しようと思わなかったし、言語化するにはちょっと「えげつない」感じで。
 でも、それを読んでみるとおもしろくって・・・
 というようなことの繰り返しながら、結局は高瀬隼子の小説を読んでいる。

 花束の夜・・・会社の送別会で渡された花束を「これ、いらないから」と渡される。その渡された花束を持て余しながら歩く道すじの物語。

 お返し・・・幼稚園の頃から渡されていたチョコレートをずっとずっと渡される物語。好きという気持ちの終点はどこなのか?

 新しい恋愛・・・姉の娘である姪との「恋バナ」の話。彼女の恋愛、自分の「ロマンチックが嫌いな」恋愛。姪の父親の恋愛。いろんな恋愛がキラキラ光っている。

 あしたの待ち合わせ・・・自分を好きでいてくれる男の子が少しストーカーぽくて、それでも好きでいてもらえること。昔の不倫がめぐりめぐってやってくる厄災。そのふたつが同時進行の高瀬隼子らしいえぐさが満載。

 いくつも数える・・・年が離れた人と結婚する上司を、同僚の女性が「気持ち悪い」という。そもそも年がすごく離れた恋愛は「気持ち悪い」のか? つきあいながら「気持ち悪いと思われているのか」と思ってしまったり。会社という小さな社会では「多様性」で片付けられない「囁き」がたくさんあって。それがぐるぐるしてる。

 自分と相手とをつなぐ「横軸の恋愛」。
 世代がちがったり、シチュエーションがちがったりする「縦軸の恋愛」。
 「性愛が一致している恋愛」のみが頭に溢れている年代ってのは、実はほんの一瞬で、それ以外の恋愛の方が案外、かたちがなくって、不思議な感情が交錯しておもしろいのかもしれない。
 だって、みんなこんなに変でおもしろいんだもん!

 そう、思わせてくれるような一冊、だと思いました。




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2024年11月24日

金木犀 2


2、 年度末〜4月

 あいかわらず、芹沢茉莉子は画面の中にいる。
 画面の中では、やりとりの情報量が多すぎて、顔よりも共有画面を見ることが増えてしまった。
 年度末での確認事項がありすぎるのだ。
 いっそ、出社してくれればいいのに、と思うのだが、そう言う契約ではないらしい。

 それでも。
 それでも、あの日のスタバから茉莉子に対する距離が縮まったような気がしていた。
 何を話したわけでもない、本当に仕事のことがほとんどだった。
 気づいたことがひとつだけあった。
 茉莉子はしょっちゅう、驚いたり偶然を喜んだり、ああ!と感嘆したり、いろんな感情が溢れている女性だったことだ。
 そのたびに表情がくるくると変わった。黒目の動きだけ追ってみても、見開いたり細めたりと忙しい。彼女の生活には「驚きや喜び」がきっと溢れかえっているのだろう、と、たつきはとても好ましく思った。

 残念ながらZOOM越しには、その表情の変化はほとんど見られないのだが、やりとりには安心感が加わった。
 楽しいと、たつきは思う。
 とても楽しく気持ちが華やぐのと同時に、渇いたような欲望が自分の中に湧き出るのを感じることもある。
 たとえ仕事の話でも、茉莉子との話は楽しい。
 
 「年度末が終わったら、しばらくおやすみします」と茉莉子は言った。
 「え? そうなんですか?」
 「家の仕事も片付いて、年度末も目処がたったので、旅行のチケットを買ったんです。ふふっ。春休みです」
 「え〜〜! ジャスミン、どこに行くの?」
  後ろの席の女性がたまたま聞いていたらしく口を挟んだ。
 「スリランカです」
 「そっか〜。ひさしぶりの一人旅だね!楽しんできてね!」
 そう言われて茉莉子は手を振った。

 社員だったときから、定期的にひとり旅に出ていたけれど、流行病や家のかたづけでしばらくは行ってなかったらしい、と後ろの席の女性から聞いた。
 「インドとかベトナムとか。けっこう昔から行ってたわよね」
 少し意外な気もしたが、茉莉子の好奇心に溢れたような目の動きから、「それもありかな」という気もした。

 年度末に必要な書類は余裕で完璧だった。
 手直しの部分もなく4月になり、茉莉子は休みに入った。

 2週間程度の休暇と聞いた。

 だが。茉莉子は戻ってこなかった。



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posted by noyuki at 19:12| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 金木犀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月27日

金木犀

  金木犀・1


書きかけの小説です。書きかけのままでアップしていきます。うまく続くといいのですが。


1、3月

 水野たつきは職場でzoomの画面を開いていた。デスクトップの、まあまあ大きい画面だ。
 画面の向こうには芹沢茉莉子がいる。今日も変わらずの白いシャツを着ている。

「おはようございます、今日はよろしくお願いします」
 茉莉子がそう言って頭を下げた。
 ショートボブの黒髪の先の部分が少しだけ揺れた。
 白いシャツの胸元にはネックレスのひとつもない。ひとつめのボタンだけ開いていて、そのままの白い首筋が見える。そしてふたつめ以降のボタンに隠れた胸のふくらみが意外にすごいことにも水野たつきはとうに気づいている。
 芹沢茉莉子は自分よりも少し年上だと思う。なぜか、自分を地味に見せる傾向がある。よけいな飾りもせず、よけいなことも喋らない。
 なんの気遣いもなく仕事を続けられるのは、そんな茉莉子のおかげかもしれないと、たつきは思う。

 「さっそくですが、用語の確認からお願いしたいのです。きちんと当てはまる日本語が調べてもどうしてもわからなくて。水野さんがご存知だといいのですが」
 芹沢茉莉子は言った。
 「この機器の利用手順と、効果についての説明が冒頭から続いており、3ページめにその言葉が登場します。なんらかの効果を示した言葉のようです。そのあたりの翻訳を共有画面で出しますのでご確認いただけますでしょうか?」
 淀みなく共有画面に変わる。たつきは「ちょっと読みますのでお待ちください」と言いながら、文書を読み進める。茉莉子が難儀に思っている言葉は、外国語のままで太字となっておりすぐにわかった。
 ああ。これはわからなくて当然だな。最近自分たちの間で頻繁に使う言葉だ。どこまで流通しているのかわからない。やりとりの中で生まれた「造語」と言ってもいいかもしれない。
 「自分は日本語ではこう呼んでいます」とひとつのワードを口にした。
 「なるほど!意味はそんな感じかなとは思っていたのですが、正確にはわかりませんでした!この言葉は続くページにも頻回に登場します。その言葉を当てはめて、それからもう一度文章の流れを確認します。午後には、正式なものをお届けできますので、今しばらくお待ちください」
 茉莉子は息が弾んだような声をだした。

 外国の取引企業とのやりとりを文書で行なうときは、茉莉子のチェックが入る。
 茉莉子は以前はここの社員だったが、家族が体調を崩して休職し、そのまま退職したと聞いている。
 以前からやっていた外国語への翻訳や文書チェックは外注と言う形になった。
 体調を崩した母親はとうになくなり、悲嘆した父親までもが、その年に脳疾患でなくなった。一人っ子だったため、これまでのマンションでひとり暮らしをしながら生活しているという。
 会社は復職を望んだが「片付けることが多すぎて」との理由でいろいろと先延ばしが続き、そのまま外注という形で落ち着いたと聞いている。
 
 たつきが転職で入社したときは、茉莉子はすでに画面の中にしかいなかった。

「ジャスミンは変わらないわね、ぜんぜん年を取らない」
 と、昔からいる女性社員が遠くから画面に手を振った。
 それに対して茉莉子は、手を振り返すのではなく、ちょこんと頭を下げる。
 「どんな方だったんですか? 在籍されてたときは」
  Zoomを切ったあとに、たつきは尋ねる。
 「どんな、って、あのとおりよ。きちんといろいろ言うけれど、物静かで可憐な感じ。茉莉花​​​​​​​​がジャスミンだから、親しい人にはジャスミンって呼ばれてたわ。恋愛沙汰からは一番遠いところにいて、今でもそういう感じよね?タッキー、デートに誘って!」
 タッキーはマジにやめてくれ!と思う。本名のたつきは正確には龍樹と書く。サインが煩雑になるのでローマ字で書くことが多い。好きじゃないが、タッキーよりもまだましだと思う。
 
 茉莉子さんはいくつくらいなんだろうか?
 と言っても、それを聞く人もいない。
 4〜5歳は年上なのか? デートに誘って!って言われることは冗談にしても、そういう相手が今はいないということなのか?
 そもそも画面の中にいる人をどうやって誘う方法があるのだろうか? 
 雑談すらしたことないのに。

 そう思っていたら、ある日駅で見かけた。
 奇跡かと思った。
 見間違いか? いや。あれは画面の中の芹沢さんに間違いない。
 会社から6駅離れた住宅街の駅。
 急行が止まるこの駅で、たつきは一度改札を出て、改札前のパン屋に寄った。朝食のパンはここのと決めている。そのパン屋の前を芹沢茉莉子は通り過ぎ、その隣にある本屋の中に入っていったのだ。
 奥のコーナーの方へ、まっすぐに歩いている。パンは後回しだ。こんなことはめったにあることじゃない。
 息を弾ませて、たつきはその後ろを早足に詰めていった。
 茉莉子は旅行本のコーナーの前に立った。
 プライベートな空間で。仕事関係の僕に声かけられるのはどういうものだとう? 不快な気持ちにならないといいが。と思いながらも、これは「神様がくれたチャンスだ」と思う。
 「なぜ、神様がくれたチャンスだ」と思ったのかを掘り下げると、少々自分の気持ちがわからなくなる。恋愛対象という意味なのか? いや、それすらもわからない、しかしとにかく茉莉子と話したいと、そこだけは間違いなかった。

 「失礼ですが、芹沢さんでいらっしゃいますか?」
 そう声かけると、茉莉子はじっとこちらを見つめ、両手を口にあて、それから少しして、目を大きく見開いた。白いシャツの上にチャコールの薄手のコートのを羽織っている。
 「びっくり!」
 茉莉子の最初のひとことはそれだった。
 「ああ、すみません。びっくりさせてしまいました。迷ったんですが」
 「あ、いいえ、驚いたとか、迷惑とか、そういう意味じゃないんです。すみません。いつも画面の中にいる方が飛び出してくるなんて、ほんと、びっくりするものですね」
 「画面の中にいる人...」繰り返してみて、それから笑った。「たしかにお互い、画面の中にいる人ですね。僕もびっくりしましたよ」
 「ご自宅がお近くなんですか?」
 「いえ、乗り換えて一駅です。パンを買う日だけ、一回改札を出るんです」
 「ああ、あそこのパン屋さん! わたしも行きます。わたし、この駅の近くなんですよ!」
 もっと慎重な性格を想像していたが、あっさり個人情報を白状して、いいのか。その距離の詰め方でいいのか? もしかしたら、もっと距離を詰めても大丈夫なのか? 本当に、いいのか?
 「本を選びに?」
 「いえ、なんとなく、本屋さんって落ち着くから入ってしまうんですよ」
 「お時間があるのなら、階下のスタバでも」
 「いいですね!」
 いいのか? 本当にいいのか?
 「あ、今の翻訳してるもののバックグラウンドとか聞きたくて、ほら、わたし、そのあたりの経緯がわからないものですから」
 本当にそれだけでもいい。
 たつきは「いいですね!」という茉莉子の声が何度も何度もリフレインした。画面の中の1.5倍ほどはずんで聞こえる、茉莉子の声を何度も何度もリフレインした。



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2024年09月22日

100回は読みたい佐藤正午作品について

 岩波書店より、過去のエッセイ集が3巻連続で発売された。
 読むことで、昔の作品のことを思い出したり、かなり心が掻き乱れている。過去と現在が交錯し、頭の中がとても忙しい。

つまらないものですが。 エッセイ・コレクションV──1996−2015 (岩波現代文庫 文芸362) - 佐藤 正午
つまらないものですが。 エッセイ・コレクションV──1996−2015 (岩波現代文庫 文芸362) - 佐藤 正午

佐世保で考えたこと エッセイ・コレクションU 1991−1995 (岩波現代文庫 文芸361) - 佐藤 正午
佐世保で考えたこと エッセイ・コレクションU 1991−1995 (岩波現代文庫 文芸361) - 佐藤 正午

かなりいいかげんな略歴 エッセイ・コレクションT──1984−1990 (岩波現代文庫 文芸360) - 佐藤 正午
かなりいいかげんな略歴 エッセイ・コレクションT──1984−1990 (岩波現代文庫 文芸360) - 佐藤 正午

 「つまらないものですが」は、電子版になるのも待ちきれずに紙の本を買ってしまったものだから、パラパラめくっているうちに、なつかしい文章と出会いドッグイヤーだらけになってしまった。

 読みたかったのは盛田隆二氏の「夜の果てまで」の文庫版の解説現実➖盛田隆二『夜の果てまで』だ。
 待ち合わせのドーナツ屋で「マリ・クレール」に掲載されていた小説を読んでいた女性は、遅れて男性がやってきても小説を止めることができない。そうして結局二人でその小説を読む、という話なのだが、その雰囲気、雑誌の読み方、最後の小説のしまい方、ため息のつき方まですべての描写が映画のように美しく流れていてカッコいい。
 ちなみに「マリ・クレール」に掲載されていたのは「夜の果てまで」の元となった短編、「舞い降りて重なる木の葉」である。
 それから「舞い降りて重なる木の葉」が家にあるはずなので探した。
 「マリ・クレール」掲載の短編のコピー。友人が某所でこの雑誌を見つけ、コピーして送ってくれたものだった。
  のちほど検索して、盛田隆二氏の「きみがつらいのはまだあきらめてないから」という本に載っていることがわかった。あとでそちらを読んでみればいい。



 それにしても。この「夜はての解説」は、これだけで100回読める。
 「佐藤正午100回読めるリスト」に本日追加しました。


 昔から20回も30回も読んだ佐藤正午の短編がいくつかあった。
 この機会に読み返したくなり、書棚に向かっていろんなものを引っ張り出した。
 読みたい本の埃を払い、読みたい箇所を探し出した。
 今日はこれをやっていた1日。
 ええ、幸せでした。

 ちなみに今日読み返したものはこういう作品でした。

1.「水曜日の愛人」・・・携帯メール小説として小学館の「きらら」に連載されていた。月曜日の愛人から順番に話はあるのだけど、水曜日の愛人がわたしは一番好き。これは「佐藤正午教本」である「正午派」(小学館)に掲載されている。さっき読み返した。超超短編。

2.「愛の力を敬え」・・・NHKのドラマでも好評だった「身の上話」の元ネタになった短編。「人の物語」というアンソロジーに掲載されていて、これもやっと見つけ出し、さっき読み返した。おろかで可愛らしく強い女性の主人公がとても好き!
 どこかに再掲されていたはずなのだが、と、またネットをうろうろ。
「ダンスホール」の文庫版に再掲されていることがわかった。

3.「鳩の撃退法」(これは読み返していません)・・・難解で不思議な世界で時系列が複雑で、読み返すたびに驚きがある。連載を含めて5回は読んでいるけれど、また時間がぽかんとあいたら読みたい。これ、上下巻なので長いです。

 読み返してみると「今のわたしの中身をカタチ作っているもの」はかなりの確率で佐藤正午の小説の中にあったもののように思う。
 軽やかさも、思い切りのよさも、それに伴う愚かさも。

 本を読んでいる最中の感触は、降り積もっては溶けていく雪のようで、見えているようで見えていない。なのに、知らないうちにわたしの中にうっすらと積み重なっている。
 
 ええ。なんか、今日は意味もなく興奮しています。
 本ってほんとにすごいです!


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posted by noyuki at 20:21| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする