2004年11月30日

下クチビルとアゴが出る。

「おいおい、下クチビルとアゴが出てるぜ」
 ときおり夫からそう言われる。わたしは自慢気にモノを言うとき、そういう顔になるらしいのだ。

 福岡の銀行に行く用事があり、今日は一日フリーにする。
 銀行は意外にスムーズに終わる。スタバでランチをして、ソニープラザで買い物して、帰るには早いので駅のお店をブラブラ見てまわった。
 リーバイスのタイプ1のメンズジーンズが安くなっている。足下すくわれる。店員さんといろいろ話していて、メンズの小さいサイズを出してもらって試着した。ああ・・・ヒップラインがかわいい・・・自分でもうっとりしてしまって思わず2着買ってしまった。
 ま、ときにはいいか・・

 靴を履いて、裾上げをしてもらう。
 店員さんの目が、わたしの靴に釘付けになる。
「その、コンバース、かっこいいですね。自分、実はコンバースマニアなんですけど、このデザインははじめて見ます」
「ふふっ、これ、限定なんですよ」
 このとき、わたしの下クチビルとアゴは、めいっぱい上を向いていたに違いない。
 それくらい、自慢マンマンだったのだ。

 コンバースは、以前写真に撮った、あのボアつきのヤツ。
 限定といってもまったく流通していないに違いない例のヤツだ。

 ほんとはサンプル品で1000円で買ったのだけど。
 そのことは黙っていようと思った。
posted by noyuki at 22:36| 福岡 | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月29日

ひとりでランチ

 以前ランチのおいしい高級店に誘われていったことがあった。
 仲の良い友達の中にそういう仕切りが上手な人がいて、8人くらいで行ったと思う。わたしはそういうことに誘われる機会が多い方ではないので、大人数のランチはそれなりに楽しかった。

 ピアノの弾き語りのあるそのステーキハウスで、お腹の大きな女性がひとりで食事をしていた。臨月らしいまんまるなお腹で、その人はゆったりとランチを食していた。
 子供が生まれたら、大好きな店での食事もままならないだろう、だからその前に大好きなお店の味と雰囲気を楽しみたい、彼女はそう思っていたのだと思う。ゆっくりと噛みしめるように食事をしていたその女性の(満たされた様子)は、わたしにはとても幸せそうに見えた。

「あんなふうに、ひとりでランチするのって、なんだか惨めそうよね」
 わたしたちのグループのひとりがつぶやいた。
「なんでひとりなのにわざわざ来るのかな? つきあってくれる友達いなくて、こういう所に来る人って、よくわからないな」
 ひそかにわたしは、とても悲しくなった。
 わたしは大好きなお店でお気に入りのものをひとりで食べる時間が大好きだったからだ。もちろん、友人と話しながら食べるのも楽しい、けれど、自分だけで食べたいものを食べる贅沢な時間も、わたしにはなくてはならないものだったのだ。

 月曜日の仕事のコースのとちゅうに、とてもおいしいパン屋さんがある。
 最近はここでパンを買って、その場で食べるようにしている。コーヒーのお代わりもできるし、トイレ休憩もできる。なによりも、好きなパンをその場で食べれるのがいい。
 パン屋さんのテーブルはいつも女性グループでいっぱいだ。ケーキや飲み物もあるし、ちょっとおしゃれをした女性たちがいつも楽しそうに笑っている。
 わたしは、仕事とちゅうのジーンズで、汚れてカサカサになった両手を化粧室でゆっくり洗うような労働者だ。

 ひとりで食べていると、あのときのステーキハウスのことをときおり思い出す。
 もしかしたら口には出さなくても、他のテーブルの人がそんなことを思っているのかな、とも思う。

 仕事をしていたらひとりで食事することも多いけど、それはそんなに惨めなことじゃない。
 自分だけで、食べたいものを選んで食べれるし、人がいない方がゆっくり休憩できる。
 ひとりでランチな時間は、わたしはすごく好きだ。
posted by noyuki at 21:57| 福岡 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月27日

小説「グリーンアイズ」完全版

 以前から、書いては頓挫し、連載してたサイトは消え果て、この小説は完成することがあるのだろうかと自分でも不安だった小説「グリーンアイズ」がこのたび完成しました。
 もう、続きをあきらめていた方、お待たせしました。
 そうでない方も、どぞ、お暇なときにお楽しみください。

 「グリーンアイズ」ここをクリックしてね

 ごめんなさい、右サイドバーのリンクから行ってください。
 あ、長文注意です。全部で7まであります。
posted by noyuki at 22:23| 福岡 ☁| Comment(10) | TrackBack(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月26日

ユニクロが似合う女

 フリースが週末限定で安かったんで、会議の帰りに一枚買って帰った。
 自分でつくづくユニクロが似合う女だなーと思う。似合って悪いか、とも思う、そです、わたし、ユニクロ大好きです。

 ユニクロとのつきあいはかなり古い。10年ほど前、熊本で住んでいた頃、近くに郊外店があったのだ。まだオリジナル製品は少なく、MA1のジャンバーとか買っていた。オリジナルのジーンズは3年ほど履くとなかなか風合いがよくなるもんだなーと思っていた頃に、ユニクロはブレークした。
 東京あたりでは街の中に小さな店があるらしい、が、こっちは郊外店ばかりだ。東京近郊にいる妹は「なんて大きなユニクロなの?」とびっくりしていた。
 そのうちブームはすたれ、今はあまり買わなくなったという。さみしいことだ。

 ユニクロはサイズがすべて一緒なので買うのがラクだ。
 メンズならS、レディスならL(肩幅で選ぶとこうなる)、キッズの150、この3種類だったらだいたい確実だ。
 こんなラクな買い方ができるのがユニクロならではだ。試着する手間も省ける。
 だいたい、フリースとTシャツは消耗品だと思っているんで、毎年新しいものを買う。
 服装に関してはおおざっぱ。そんなわたしにはぴったり。

 そういえば、服にも靴にも金かけないよなあ。
 なのになんで、こんなにビンボーなんだろう。

 シーサー、しばらく遅くて更新できなかったけど、やっと戻ったみたいです。
 ランキングも変わらずよろしくお願いします。
posted by noyuki at 22:03| 福岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月23日

元気があれば何度でもできる?

 コンビニはセブンイレブンと決めているわけではない。
 扱ってる化粧品やお弁当の味なんかによって、いろいろ使いわけている、これは多分みなさんそうですね。
 何も買うものがなくてもコンビニの棚を見ていくのは楽しい。意思もなく無人格になって何か楽しいものを探してゆくという行為にものすごく癒される。

 中でもお気に入りなのが「エブリワン」というコンビニ。ここは、お店で焼いたパンがおいしいんで定期的に顔を出している。あとシュークリームセットもおいしい。300円でエクレア、カスタードシュー、生クリームシューと5,6コくらい入っている。みんなのおやつに最適だ。

 土曜日のお昼にパンでも買おうと思ってエブリワンに入った。
 パンだけではなくもちろんいろいろ見てみる。化粧品関係、相変わらず豊富だなあ・・・でも、化粧惑星ネールアートペンは売り切れだなあ・・・などと思って雑貨の棚をずらっと見ていくと、○ンドームのデザインがいろいろ派手なことに気づいた。うーん、光るのかあ・・・暗いときは便利なんだろなあ、とか思って見てるうちに、すごいものを見つけてしまった。
「元気があれば何度でもできる」しかもアントニオ猪木さんの顔のアップ! というヤツだ。
 す、すごいインパクトだ・・・手に取って見たかったけど、ナツが一緒だったんでそこまではできない。

 こんな感じだと、きっと明るいセックスになるんだろう。
「ね、これ、いいと思わない?」
「やだー(笑)」とか・・・

 そもそも元気さえあれば何度でもできるわけではない、やっぱ相手がいないとね。なんて突っ込んでみたが、あのインパクトの強さには負けました。
 ほんとはちょっと欲しいぞっと。

 
posted by noyuki at 21:42| 福岡 | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月21日

荘島物語「イメルダの街」

con

 祭りのパレードがはじまる。子供たちがラッパやトロンボーンを鳴らし、町中を練り歩く。小さな町には華やかすぎるほどの光景だ。
 それから大人たちは靴を買いに行く。
 ここに住む人々の85パーセントは靴マニアだ。足はひとつしかなくても、靴は何足あってもいいと思っている。
 靴工場の売店の扉が開くと、自分のサイズの場所に向かい、5,6足の靴を抱えてくる。ほんとは10足くらい抱えたいのだが、靴は案外かさむものなのでそういう訳にもいかない。
「ねえ、これとこれ、どっちがいい?」
「うーん、どっちもいいねえ」
「どっちにしようかなあ」
「迷ったときは両方買う、これが鉄則よ!」
 結局すべて買うことになる。荘島の住人にとって靴とはそういうものなのだ。

 安い価格で大量の靴を提供してきた靴工場には感謝しないではいられない。おかげでここはイメルダの街になってしまった。
 靴とはシーズンごとにまとめて買うものだと思っている。
 学校に履いていけないブーツや厚底靴を子供たちは何足も買ってもらうことになる。幸せである。ささやかだけど、同じ指向性を持った住人たちがたくさんいる。家に帰ると、買った靴をすべて並べて、見せ合って喜ぶ。

 本日買ったのは、夫のスニーカー、ショウのニューバランス、ナツのピンクのスニーカーと赤のヒロミチナカノ、わたしはベージュのブーツとコンバースのハイカット裏ボアつきであった。
 ロングブーツはワンシーズンに2足は邪魔になるんで、カナミに譲った。
 コンバースはあたたかかった。すぐにそれに履き替え、もう一度お祭りに戻った。
 PAの係をしている靴工場の若者にすぐに自慢する。
「これ、今日買ったんですよ」
「お、ありがとうございます。おお、これは限定品のようですねー」
 ふふふと満足げにわたしは笑う。
 限定品といっても市販のめずらしいものではない、試作品または見本品であって、ほとんど売られていないってことだ、たぶん。

***

 写真は、わたしが買ったコンバースのハイカット。白いボアがとってもあったかいです。
 
posted by noyuki at 22:12| 福岡 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | 荘島物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月17日

「ふたりのルール」野性時代12月号 盛田隆二を読む

 結婚している男の人と遊ぶのが好きだった。
 それを不倫と言えばそれまでだろうけど、あまりそんな感じもなかった。どちらかと言えばお気楽な関係。
 なんでそうだったかこの小説を読んでわかった。
 彼等はわたしに何も求めなかった。自分に関わる大切な何かを。だから終わらせる必要もなかったし、いつまでもそんなふうにだらだらと遊べるような無敵さだけがあったからだ。

 いま、振り返ってみると、自分に関わる大切な何かをやりとりできない関係という意味では、それほど執着がなかったのかもしれないとも思う。
 もちろん「ふたりのルール」に出てくる花織はそうではない。きちんと執着し、きちんとさみしさを感じ、そして少し泣いたりもする。それでも「終わらずにこの人と一生関わっていきたい」と思っている。
 結婚というゴールのない関係は、わたしのようなサイドから見るととても気楽だ。
 だが、真摯に愛していて、それでいて「ゴールがないから、いつまでも終わらないでいられる」と言うには、どれだけ自分の心への自問があっただろうかと思う。
 このふたりはとても似ていると思う。
 白石の方は、最終の電車までに必ず帰ることを自分で定めている。最低限のルールを決めないと、ほどけたセーターのようにバラバラになってしまいそうで、と言う。
 恋することにおいて、すべてがバラバラにほどけてしまう「夜の果てまで」の対極にこの物語はある。
 ストイックさによって支えられている恋愛だ。

 ストイックはストイックゆえに大事件が起きない。
 だからと言って、心が動いていないわけではない。むしろ、ストイックというのは、ある一定の高ぶりに心を保つすおいエネルギーがいる作業だと思う。

 これが元になってひとつの長編ができればいいなと思った。
 花織はもっともっとそれによって遠くまで行けるだろう。
 想像しながらもけっして行けない遠くまで。彼女に行ってほしいと思う。
 そんな、自分には到達できない場所を想像させる物語だと思った。
 
posted by noyuki at 21:59| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月16日

「電車男」に純粋に泣けた

 掲示板では見知らぬ者たちが友達になれる、そうして会ったこともない友人に助けられることもある。だけど、誰もが会ったこともない友人に助けられる機会に恵まれているのではない。自分の弱さを素直に出せる人間、そうして他者の助言を受け入れることのできる人間だけが、そんな恩恵を受けられるのだ。

「電車男」は話題作で内容をご存じの方も多いだろう。
 2chの掲示板で、女性を助けた電車男がいろんな励ましを受けて恋が成就するという、インターネットならではのドラマだ。
 ただの掲示板の羅列なのに、気持ちのやりとりに純粋に何度も泣いてしまった。
 最後には電車男を祝福するAAがいっぱい。そっか、AAって、こんなに感動するのか・・

 さて、この「電車男」。インターネット発ということもあって、いろんなサイトがあるもんだ。
 電車男の時刻表とか電車男とか。
 ただ、記帳しようとしたら記帳所が閉鎖されていたりと動きも早い。

 この本を読んで「インターネットとは素晴らしい」などと言う気も毛頭ない。
 わたしにとって2chは敷居の高いところで、ニュース速報以外はほとんどみたことがない。
 インターネットは自分を映す鏡のようなもので、人を傷つけたいのならそうい場所があるし、素直な気持ちになりたいのならそういう場所があるというだけのことだ。
 そうして、その場所に真摯に自分自身をさらけ出そうとしたひとりの人間がいる。しつこいくらいに内面をうじうじと書き連ねながらさらけ出す人間、それをおせっかいなくらいに励ましてくれる人間。
 この物語はまるで寓話のようだ。いや、真偽を問うという意味ではない。そういう人間はそうすればいいだけのことだ。
 わたしはそうはしない。素晴らしい物語だと思う、それだけで十分だ。

 本になった時点で、この物語は動かないし、削除されることもない。
 そういう意味では、もう既にインターネットではなくなったのかもしれない。
 ただ、本当にこの物語に感銘を受け、これを本にしようと思った人がいた。その心意気はやはり素晴らしいと思う。
 拍手を送りたい。

posted by noyuki at 22:54| 福岡 ☀| Comment(3) | TrackBack(1) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月15日

昔の王国

 昔いた王国を忘れたわけではない
 本の国の中にたくさんのともだちがいて、わたしはそこで遊ぶのが大好きだった。
 ふつうの世界にもともだちはいて、そこでも遊んでいたけれど。そこはわたしの王国とは違うルールがあって、うまくとけ込めなかった。

「どうしてあなたはいつもそうなの?」と
 母はため息まじりに言った。
 王国の言葉が通じぬいらだちから、わたしは何度も声を荒げ、学校から疎まれ、ともだちを傷つけた。
 なぜ傷つくかさえわからない。
 傷つきたかったのはわたしの方だ。
 母も傷ついた。
 父は何も言わなかった。

「もっとずっと大人になったおまえを見たいけど、その頃自分は死んでるんだろうな」
 と父は言った。
 父の予言はまことにその通りで、成人したあともわたしは、生きづらさを重たいリュックのように背負って彷徨い続けていた。隠し持ったナイフで幾人もの人を傷つけた。
 王国の言葉を世界に発信できない苛立ちを、わたしは凶器のように隠し持っていた。

 昔の王国を忘れたわけではない。
 それは今も変わらずわたしの中にある。
 だけど、どんな人の心の中にも王国があるのを知った。
 けれど、あいかわらずわたしは、そこに入れない。
 無数の王国のある世界で、侵略も略奪もせずとも、自分の王国が存在できることを知って。
 少しは優しくなれたかもしれない。

 トラウマという言葉で父や母を恨むこともなく、今ここにいられるのはどうしてだろう。
 ときおりそのことを考える。
 
 おとうさん、おかあさん。
 扱いづらい子供を、どうやってここまで育ててきたのですか?
 
 世界はわたしを傷つけるものではありませんでした。
 それを知るのに、こんなに時間がかかったけれど。
 わたしはやっと、そのことを知りました。

 
posted by noyuki at 22:08| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月14日

「間宮兄弟」と安全パイ男

 その昔「安全パイ」と呼ばれる男たちがいた。安全パイ男は俗に「いい人なんだけどね」と言われる類の男だ。
 部屋でふたりでいても話は楽しいが何も起こらない、いっしょに仕事の帰りの食事をしたりボーリングに行ったり家に送ってもらったりもするが、恋人ではない。ボーイフレンドという言い方さえも適切ではない。彼等はどちらかというと女友達に近かったように思う。
 だからと言って彼等と遊ぶのが楽しくなかったわけではない。むしろ余計なかけひきをする必要がなかった分、純粋に遊びを楽しめた。
 一度ドライブのとちゅうでラブホの前を通ったとき、「寄っていこうか?」と言われたことがあった。「ううん、寄らない」と答えると、安全パイ男は「そっか」と言ってそのままラブホの前を通り過ぎた。彼等は恋愛に必要な執拗さのようなものを持ち合わせていないのである。(だから安全だった)

 江國香織の「間宮兄弟」を読んで、この安全パイ男たちを思い出した。
 間宮兄弟は冴えない兄弟である。ふたりの間にはいろんな遊びやルールがある。家で本を一日読んだりジグソーパズルに集中したりボードゲームをボロボロになるまで大事にしたり。
 女の子を誘うときは家でパーティをする。もちろんかすかな下心はあるのだが、それは執拗ではない。だから彼女たちにはその下心がまっすぐには届かない。
 間宮兄弟は、気持ちが届かないと失望したりもする。それを読んでいると胸が痛くなる。理由がよくわかるからだ。

 もう、今更バブルでもないだろう・・・とか、某テレビドラマを見て思ったりもする。
 一方で間宮兄弟の部屋の描写を読んでいると、とても安心する。こんな男が世の中にはいっぱいいて、彼等は恋愛も好きだけど、恋愛とは別の王国を持っていて、それがうまいこと共存できないでいるだけなのだ。
 がんばれ、間宮兄弟!
 いまだに男でいるのは大変だ。女はこういうときだけ、押しの強いひとことを待っていたりする。

 江國香織さんは、しみじみした愛を持ってこの間宮兄弟を描かれているように思う。
 そして、その満たされた感触はぴったりとわたしの中に響く。
 わたしはあの頃「安全パイ」なんて呼んでいた男たちの胸のうちを少しだけわかったようになる。
 
 この本はもういっかい読みたい本だ。不器用さと満たされ方のバランスがすごくいい。

 ***追記。

 ある日、なにかのきっかけで、安全パイ男と友達がセックスしたことがありました。
「へーっ、で、どうだった?」と尋ねたら。
「・・・ヘタだった・・・いい人なんだけどねえ・・・」と言われました。
 ああ、そうなんだなあ、としみじみ思いました。

                がんばれ、間宮兄弟!
posted by noyuki at 22:38| 福岡 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月13日

荘島物語「犯人逃走中」

「***さんが亡くなったんで今日の通夜に行きなさい」
 と叔父から電話があって出かける。叔父と言っても夫の叔父である。夫の両親はとうに亡くなっているので、この叔父夫婦がわたしたちの親代わりだ。
 夫は仕事で都合がつかず、わたしが叔父に連れられて通夜に行った。遺影の顔には見覚えがあった。法事などで何度か見かけた方だった。
「ひさちゃんの奥さん」と紹介されて頭を下げる。何度か見かけたことのある夫の親戚にも挨拶をする。
 本来ならば父母が出るべき場所に顔を出すのは苦痛であったが、最近はこういうことがそつなくできるようになった。わたしも大人になったもんだな、と思った。

 喪服のままTSUTAYAに立ち寄り、週末に読むべき本を買う。「野性時代」がまだ出てなかったので「小説現代」を買い、それから緊張したせいか甘いものが食べたくなってセブンイレブンにも立ち寄った。
 店員の金城(金城武に似ているので勝手にこう呼んでいる)が話しかけてきた。(きゃーハートたち(複数ハート))
「大牟田の殺人事件の犯人が脱走してるらしいんです。久留米にいるらしいんで気をつけてくださいね」
 と、ホスト顔負けの美しい笑顔で言う。(この顔を見ると、わたしもとたんに心優しい人になる)
「わたしはもう、これから帰るから大丈夫だけど。店にいるあなたたちが大変ねー、何もないといいけど、気をつけてね」
 立地のいいセブンイレブンは以前、暴走族の抗争に巻き込まれて機動隊に道路封鎖されたという経緯がある。夜勤も週末は並大抵ではない。
 それにしても、こういう心遣いのできる金城は大人だ。そしてこういう返事ができるわたしも大人になったもんだと思った。案外喪服を着てると大人になれるのかもしれない。

 家に帰ると先に帰っていた夫が言った。
「犯人がさ、福岡地検から脱走したらしいよ、近くだからこわいよなあ」
「知ってる。さっきコンビニで金城から聞いた」
「なんでコンビニの店員がわざわざおまえに言うんだよ」
「そりゃ、わたしに惚れてるからに決まっているじゃない」
 えー、何を勘違いしてるんだ、おまえなんか相手にするわけないのに、ちょっと声かけられたくらいで・・・ぶつぶつぶつぶつ・・・
 と、夫は長いことムキになって反論した。・・・冗談で言っただけなのに・・・ちょっと願望入ってただけなのに・・・みんな大人なのに・・・あんただけ、大人じゃない・・と言ってやりたかった。

 テレビではずっと速報テロップが流れていた。ニュースで状況を把握して、だんだんこわくなってきた。
 福岡地検久留米支部って・・・TSUTAYAとは目と鼻の先じゃないか。
 しかもコンビニも歩いていける距離。わたしって、すごいとこ、ひとりでウロウロしてたんだなあ・・・恐ろしいことだ。

 犯人はさきほど大牟田市内でつかまったとYAHOOのニュースに出ていた。
 一家とその友人4人を殺害した犯人は、一度ふるさとの帰りたいと思ったんだろうか。タクシーにでも乗ったんだろうか。
 いずれにしろ、不穏な空気漂う週末にならなくて済んだ。
 文化街はまだまだ酔客でにぎあうだろう。コンビニも朝まで客足が途切れることがないだろう。
 わたしは「エンタの神様」を見て、それから本を読んで寝るだけだ。
posted by noyuki at 22:41| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 荘島物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月12日

荘島物語「公園の秋」

park

 家の前にある荘島公園はわたしの庭だ。犬の散歩をするし、たむろしてる中学生と無駄話をする。枯れ葉が落ちるころは焼き芋をしながらベンチでワインを飲む。写真に映っている小さな子供は保育園の生徒たち。知り合いの先生と無駄話したり、モモを可愛がってもらったりもする。
 その隣の荘島体育館はうちのトレーニング室だ。ときどきエアロビクスに行く。休日には思いついて卓球をしたりもする。2時間で50円、冗談のような価格だ。
 体育館の自販機がウチの冷蔵庫。夜に喉が渇くと子供たちはここに買いに行く。
 体育館を抜けると工場のキャッシュカードコーナーがある。ひそかに「月星銀行」と呼んでいる。このCDがうちの財布代わりだ。
 そしてセブンイレブンはウチの倉庫兼事務所。足りないものはすべてここに置いてあるし、コピーもファクスもここでやる。美容学校に行ってるバイトのお姉ちゃんがメイク用品を選んでくれる。

 すごく狭い範囲で生活している。
 だけどもどこもかしこも自分の家のようで、そういう意味では町全体がわたしの家のようなものだ。
 荘島物語を書いているうちに自分がこの町で非常に満たされた生活をしてることに気づいた。
 
 毎朝カーテンをあけると、公園の白いさざんかがクリスマスツリーの雪のようにぽんぽんと蕾を増やしている。
 公園の木々も、もうまもなく明るく輝くように紅葉してゆく。
 もうすぐ荘島公園の一番美しい季節になる。

***

 写真はクリックすると大きくなります。
 ブランコの前にちびっこい子供たちがいます。
posted by noyuki at 22:30| 福岡 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月10日

荘島物語「処女の顔をした魔女の木」

  majo

 奥に見えるこの柿の木を「処女の顔をした魔女の木」と密かに呼んでいる。
 左側が荘島公園、右の金網は月極駐車場(ここは以前は豊田勝秋さんという鋳造家のお宅だったらしい)、そして柿の木があるのは近隣の工場の従業員専用駐車場である。
 犬の散歩にこのあたりをひとまわりして、この木を見上げる。
 
 かなりの老木なのに、それなりの華やかさのある枝振りだと、その度に思う。
 春には小さな新芽が輝くようにこの木を飾りつける。処女の顔をした魔女がウェディングドレスを着て笑っているようだ。
 秋には柿の葉は落ちてしまうが、渋柿がたわわに実をつける。明るい頬紅で顔を染めた魔女のようだ。
 枝の感じは老獪な魔女そのものだ。なのに、初々しい処女のように季節ごとに自分を飾り立てる。

 きっと、わたしが生まれる前からこの場所で、そんな顔をしていたのだろう。
 そんな魔女と友達になりたいとも思わないし、そんなふうに生きたいとも思わないのだが。
「処女の顔をした魔女の木」を見ていると、時の移り変わりって、そんなにたいしたことじゃないんだなと思うようになる。

***

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2004年11月09日

荘島物語「ブス猫とにらめっこ」

busuneko

 天気もいいし、家の修理をしていて仕事も休んだんで、近所をブラブラして写真を撮ってまわった。
 荘島公園とかわたしの好きな木の写真とか撮ってきたのだけれど、今日の最大の収穫はこれ。
 見てください! この不細工な猫!

 動物写真を撮る方ならわかると思うが、慣れてない猫の写真を撮るのはむつかしい。
 レンズを向けた瞬間に、ぷいっとどこかへ行ってしまうのが常なのだ。
 この黒に白ブチの猫は近所に多い。おそらく、半年ごとに繁殖を繰り返してきたのだろう。みんなこんな顔をして、こんな感じの性格だ。
 ふてぶてしく、何がきても怖れない。そんなブス猫が最初は嫌いだったけれど、最近、こんなやつらと一緒に生きているのがなんだか頼もしくなってきた。
 
 毎朝、丁寧にアイラインを引く。どぎつくならない程度にリップグロスをつける。
 嫌われるよりか、いい印象を持ってほしい。自分だって、きれいにしてる方が気分がいい。

 だけども、心のままにこんな顔して睨みつけたら、いい感じだろうな。
 未知の人物も怖れず、レンズに自分を収められたら、違った生き方もできたかもしれない。
 いや、そんなふうに自分を蔑みたかったのではない。
 
 ふてぶてしいブス猫が、こっちをじっと見てくれたのが、実は嬉しかったのだ。

***

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2004年11月06日

「花のような人」PHPカラット12号

 佐藤正午さんに関しては、ファンというよりかマニアの領域なんだと思う。
 ファンとマニアとどう違うか、と言われれば返答に困るのだが。たとえば、岩波の小冊子「図書」とか、PHPカラットの1ページ目に掲載されている「花のような人」とか、そんな短い雑誌でも読んでいない号があるとなんだか落ち着かない。「花のような人」なんてたったの1ページなのにだ・・・

 PHPカラット12号の「好き、嫌い、好き」はとてもいい作品だと思った。
 女性が毎週末恋人のマンションに通っている。そしてある日駐車場に車を止めて、ふっと「自分は会社に通うように恋人のマンションに通っているのではないか」と思う。
 駐車場の車を1台1台頭の中で消去しながら、好き、嫌い、好き、と花占いのように数えてゆく。
 最後に1台が残る。

 それは「好き」なのか? 「嫌い」なのか?
 わたしのイメージでは「嫌い」だ。そのまま女性は駐車場から自室に引き返すような、そんな潔くも悲しい結末が想像される。もちろんそんなことは、一言も書かれてない。それは「空気」あるいは「わたしの心象風景」としか言い様がない。

 会社に通うように恋人の元に通うのは、会社を辞めるのがこわいからだ。
 もちろん会社勤めを辞めたって、新しい会社を探すなりバイトするなり失業保険ももらいながらぼおっとするなりして何とか生きていける。
 だけどよほどイヤなことがない限り会社は辞めない。それと同様のことが恋人に関しても言える。
 恋人に関しても言えるのだが、それは彼女にとって潔いことではない。そんな女性はとても魅力的だと思う。

 安心を確保するために恋をしていないか?
 そんな疑問を突きつけられて、心当たりをいくつも数えてみたりもする。瞬間の幸せを持続させるのは、あるいはエネルギー、あるいは惰性の運動だ。
 潔い疑問は、何日もわたしの胸にくすぶる。

 ここ最近の佐藤正午さんの短編は、短ければ短いほど、そぎ取られた部分が透けて見える様な気がする。
 ああ、まとめて読みたい・・・今月で最終回の「花のような人」。一気読みしたいなあ・・・
 
 いや。その前に早く、次の長編(いつでるかわからない)が、待ち遠しくてたまらない。
posted by noyuki at 21:43| 福岡 ☀| Comment(7) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月05日

今日から寝るときは

 今日から寝るときは、必ずケイタイを自分の部屋に持っていって寝なければならない。

 そう夫に約束させられた。
 居間に置きっぱなしのケイタイが、夜中の1時に鳴ったんだという。わたしは2階の自室に寝ていたんで気づかなかった。
 夫が部屋に来てケイタイを投げつけた。「ずっと鳴ってたぞ! 眠ったばかりだったのに!」
 寝ぼけまなこで着信履歴を見る。男友達からだった。

 そもそもわたしのケイタイは、よく夜中に鳴るらしい。
 メールやワン切りなど、短い着信音は毎晩なのだという。(宵っ張りの友達が多いらしい) それが階下で寝ていると気になって仕方ないという。
「でも、自分のケイタイだってワン切りとか入るんじゃない?」と切り返すが、自分のには入らないと言う。
 わたしはすごく睡眠時間が長くて11時には寝てしまう。夫がその後起きていて、メールの着信でもとても気になるのだという。
「とにかく、このKという人には、こんな時間に電話しないようにちゃんと言っておくように」と念を押されてしまった。
 気になって電話を取って名前まで見たのだろう。
 仕方ない、わたしだってそれくらいしただろうと思う。

 互いにひとり暮らしを経験したあとに一緒になって、夜はひとりで寝ないと落ち着かない夫婦である。
 そういう距離の取り方はごく自然に定められ、仮面夫婦と言われながらも、まあうまくいっている方だと思う。
 だけどもふつうは「こいつとはどういう関係なんだ?」から、入ってくるんではないのだろうか?
 おまけに万一ただならぬ関係だとしたら、「自室にケイタイを持っていけ」というのは墓穴を掘るようなアドバイスではないのか?
 だけども夫はそういうふうにわたしを責めない。
 それは信じているからなのか、関心がないからなのか?
 そういうことをきちっと聞いてみたい気もするが、同じことをされたらイヤなのでやらない。

 夫婦なのに、うまく触れられない部分がある。
 どこの夫婦もそうなのだろうか?  

 昨夜はその後、着信履歴を見てケイタイをかけなおし、酔っぱらった男友達と長いことバカ話をしたのだが、そんなことは言わずに、わたしはしおらしく反省した顔をする。
 
 今日からケイタイを持って寝ること。
 とにかくその約束だけは、忘れないように守ろうと思っている。
 お互いが、余計な杞憂に悩まされぬように。
posted by noyuki at 22:33| 福岡 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月04日

荘島物語「事件」

 朝、目覚めてカーテンを開けたら、警察車両が目の前に止まっていた。
 公衆電話のボックスで何やら事件が起こったらしい。
 派出所のおまわりさんとは明らかに違う服装の人々が、ものものしく動いている。黒いビニルを道路に敷き、金属探知器のようなものでなにかを探している。電話ボックスの中の指紋も採取している。

「殺人事件じゃないのか?」
 と、夫が言った。なんかそれくらいの緊張感が漂っていたのだ。
「最初は中年の男女が公衆電話の方を見てた、それから警察が来たんだ」
 よほど気になったのだろう、夫は窓から何度も覗いていたらしい。
 その後、夫は会社に出かけ、続きはわたしが窓から覗くようになった。だんだん警察の緊張感もほぐれ、小1時間もしたら、座り込んで休憩をしていた。
 
 ほんとにいったい何だったんだろう?
 よくよく考えて見れば、何かの事件ならばサイレンを鳴らしてくるはずだ。人が死んでいるとしたら救急車だって来るだろう。
 だが、それもなかった。ただ捜査はひと味違った。指紋を採っているとこなんてはじめて見たし、あの金属探知器のようなものは一体何だったんだろう。

 2時間ほどで警察が帰ったので、それからボックスを覗いてみた。
 電話機の下の両替機が使用禁止になっている。
 そうだったのか! 両替機壊して、小銭を盗ってったんだ。
 だから金属探知器なのか。

 公園の脇、体育館の前にある公衆電話ボックスはけっこう利用が多い。一方、このあたりは一般の野外生活者だけではなく、若者とかも雨宿りして夜を明かしたりする。体育館には屋根もあるし自販機もあるから、遅くまでたむろしているグループも多い。
 全国でも有数のシンナー利用者の多い市だと言われているが、とりあえずこのあたりでシンナーを吸う者はいない。
 治安が悪い、というよりか、野外に人が集えるオープンな町というのがわたしの印象だ。
 まあ、でも、小銭泥棒くらいは出現するんだろうなあ・・・

 それにしても。ここに両替機までついてたなんて知らなかった。
 この電話ボックスはISDNとかで、仕組みはよくわからないがモジュラージャックまでついている。つまり、パソコンまで繋げるようになっているのだ。
 繁華街でもない静かな町に、どうしてこんな豪華な電話ボックスがあるのか。
 そっちの方をしみじみと考えてしまった事件であった。

 とりあえず人が死んでなくてよかった。
 もうこの町で路上の花束なんて、わたしはもう二度と見たくなかった。
posted by noyuki at 22:20| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 荘島物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月03日

ボンジョレーヌーボーに怖れおののく

 祝日でもなんでもないのに一気に盛り上がるイベントというものがある。
 バレンタインもそうだけど、最近のボンジョレーヌーボー解禁日もそんな感じだ。

「今年ももうすぐですね。またパーティがあるんでご招待しますよ」
 と、今日、言われた。うわー。やっぱり行くのか、と由美ちゃんと二人で怖れおののいた。
 忘れもしない、去年の解禁日。わたしたちは5人でこのパーティに赴き、うち3人が記憶をなくすという事態に陥ってしまったのだ。
 パーティは、いくつかのワインが飲み比べできるようになっていた。全部を飲むにはそのたびにグラスを空けなければいけない。最後は瓶ごとテーブルに持ってきた。それが災いした。
 財布をなくす者あり、道路で奇声を発する者あり。「酔っぱらってるわたしに、こわいものなんてないのよー」と啖呵を切る者あり。
 あまり飲めない故に記憶をなくすことができなかったわたしは、数々の人に言えない打ち明け話を後々まで覚えていて悩んでしまったくらいだ。

 友人のひとりは、家に帰り、トイレで吐瀉物をぶちまけたまま寝入ってしまったという。
 ダンナがそれを発見して、吐瀉物を片づけながら、おまえは動くな、と言った。
 友人はなぜか、その場で服を脱いで裸になって床を拭いたが、酔っぱらっていたものだから居間の床までドロドロにしてしまったという。

「今年も行くなんて・・・絶対にダンナに言えない・・・」
 と、その友人は言った。そりゃ、そうだろう。わたしはいいけど。
「あ。でも、空き腹だったからだよね、ちゃんと食べていったら大丈夫だよね」
 と、その後、友人は自分を納得させるように言った。
 いいのか? ほんとに行っていいのか? また、大変なことになってしまわないのか? > 由美ちゃん!

 まあ、いい。
 人生にはハレとケが必要なのだ。
 ハレというのは単にみんなで集まって騒ぐのではない。参加することに意義ありとでもいうかのように真面目に音楽を演奏する市民のお祭りでもない。
 ハレというのは、ある種のトランス状態になれる連帯感のある空気なのだ、たぶん。
 繰り返し続いてゆく日常、どんなにがんばっても果てしなく続く仕事。ときどき投げ出してしまいたくなるけれど、投げ出すわけにもいかないなら。
 ある日、それを忘れて心地よいトランス状態になるのもいいのだ、たぶん。

 それがなぜボンジョレーヌーボーであるか、なんて理由はどうでもいいのだけど。
 とにかく、ボンジョレーヌーボーはハレの日なのである。
 
 
posted by noyuki at 22:02| 福岡 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする