2004年12月31日

いい一年

 いい1年だったなと思う。
 もちろん、よくないことはたくさんあった。天災の多い年だったし、個人的にもうまくいかないことも多々あった。

 だけども、そういうことをきっちり書く時間があった。
 書いてみつめて、言葉にすることで確認して、そうして同感したり、慰めてくれたり、異論を言ってくれる人たちがいた。
 そういう心のやりとりを変わらずに続けられた。
 心が離れたり寄り添ったりして、その中から新しいものがまた生まれる。それを変わらずに続けられた1年。
 それは、やはり、いい一年だったのだと思う。

 サイトの引っ越しをしても、変わらず交流してくれた友人に感謝。
 新しく知り合えた、たくさんの人たちに感謝。
 
 来年だって、そんなにたいした年ではないかもしれない。
 だけど、こんなふうに書き続けていられれば、それで幸せ。
 
 みなさん、この1年ありがとうございました。
 来年もよろしくお願いします。

**

 どうにか年内に「キャッツ」の連載もはじめました。
 最初は例のごとく不定期になると思いますが、よろしくお願いします。
 それと、みなさんのご協力で確実にアップしている、人気ブログランキングも、引き続き右上クリックでよろしくお願いします。
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キャッツ探偵事務所3「カリントウ」 その1

 今年1年のあいだにどれくらいの会社が潰れたのだろうか? 
 合併や統合、そして廃業。そういうふうして失業者が溢れ、ハローワークの前の道が混雑して、
打ち合わせに遅れてクライアントに文句を言われ・・・いや。そういう話ではない、ウチの事務
所の話なのだ、と、ミケコ所長は思う。

 よくぞここまで潰れなかったものだ。浮気調査が債務者捜しに変わったり、企業の極秘調査が
増えたりと、業務内容も景気の変化に応じて年々少しずつ変わってきた。
 だけど給料が滞ったことだけは今まで一度もない。経理内容をすべて把握しているミケコ所長
にとっては、それは奇跡としか言い様がなかった。
 なのに、あのふたりときたら・・・

 スギは今、机の上にニーハイブーツを投げ出して投稿写真雑誌のグラビアを見ている。ピチピ
チの皮のミニスカートはびみょうにめくりあがっている。正面から見ると下着もまる見えだろう。
 雅子は、自分の猫にほおずりしたり抱っこしたり。まったく。呑気なものだ。
 3人のスタッフはともにブラのサイズがFカップ。そして7匹の猫がいて、事務所のバスルーム
には猫用トイレがずらりと並んでいる。
 ある意味ここの事務所は色モノだ。だけど幸か不幸か色モノとして話題になるほどの技量もな
くて、依頼内容は案外手堅いものが多い。
 それは仕事だけはきちっとこなすスタッフたちのおかげだろう。我慢して人に使われる年齢で
はない。それでいて頭の回転がよくて勝手にどんどん片づけてしまう。言いたいことは言うが、
女性特有の悪口や陰口はない。
 案外ここは居心地のいい職場なのかもしれないな。と、ミケコはふたりを眺めながら思った。
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2004年12月30日

掃除の鬼

 いつも同じような生協の石けんを使い、同じような掃除をしているうちに、世の中はどんどん進化している。
 年末になると、ワケわからないような洗剤を買いたくなる。
 すごいネーミングのタワシだったり、「これは一発で汚れが取れますよー」と村上薬局で勧められるトイレ掃除ようのヤツだったり。毎年買うものは違うけど、その都度「この1年でこんなに世の中は進化していたのか!」と驚くことになる。

 今回の一番のヒットは「掃除の鬼」という名のスポンジ。水を含ませるだけで汚れが落ちるという。
 すごいすごい!
 いったいどういう構造になってんだ?
 おかげでトイレもガスまわりの油汚れもあっという間だった。

 あまりのすごさに墓掃除にも、このスポンジをひとつ持っていった。
 ぬるぬるがどんどん取れて、墓石がキュッキュッと気持ちのいい音をたてた。それを水で流すと、墓の中の義父母が、ああとても気持ちよくなったよと喜んでくれたような気がした。

 いつかわたしも、ここのお墓に入るんだろうな。
 一緒に暮らしたことはなかったけれど、とてもやさしかった義父母。夫も一緒に入るんだろうな。
 焼けた骨だけになったわたしは、その中でどんなことを思うんだろうか。
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2004年12月29日

魔女になってもいい頃「西の魔女が死んだ」梨木香歩

 貸本クラブでまわってきた本「西の魔女が死んだ」。
 いいという話はよく聞いたけれど、自分で手に取る機会はなかった。

 読んでみたら、ゆったりした絵本のように、魔女の心得がいくつも書かれていた。
 それは、すごく簡単なこと。自分の意思を持って物事をすること。上等の魔女は外からの刺激に反応する度合いが低い、など。
 西の魔女の正体は、読んでみればすぐにわかるから省略するけど。彼女が言うひとつひとつは、いつも心療内科の先生が言うことにすごく似ていた。ということは、心療内科の先生も魔法使いなのか?

「とらわれないこと」と、先生はいつも言う。
 わたしは、とらわれるものが多すぎて、ダメになってしまう。「とらわれること」によって、生まれるものももちろんある。だけど、そこから生還するために、すごいエネルギーを消費するのも否定できない。

 この本を読んで、そろそろ魔女になってもいい頃かな、と思った。
「とらわれないこと」を意識した。まったくとらわれないことはできないので、とらわれる時間をすごく短縮するように気をつけた。
 道を歩きながら、「イヤなことを考えない考えない」と、繰り返してみた。
 もう、それでいい年になったような気がする。悩むことを「武器」にしなくてもいいんだと思った。

 たとえば、子供がはじめて読んだ本に感銘を受けるように、そんなことを真剣に考えられる本なんてそうそうないんじゃないだろうか?
 そう思い、ナツミに勧めてみる。
「ダメだよー。冬休みのウチに読む本を図書室から借りてきてるから、それ読んでると間に合わないよ」
「キリストの伝記と魔女の話だったら、やっぱり魔女よ。お母さんがぜったい読めって勧めたって言えばいいから」
 ナツミ、うなだれる。
「だって。この前そう言った、吉本ばななの「初恋」もわけわかんなかったんだもん・・・」

 ナツミが感銘する本に出会う道のりはまだまだ遠い。 
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2004年12月27日

everybody loves you

angel

 子供が小さかった頃、どうしてあんなに世の中を憎んでいたんだろうと思う。
 バスの中でもレストランでも、ところ構わず奇声を上げると、もう身の置き所がなかった。自分が場違いな場所にいるみたいで、外出するととても疲れて喘息が出た。

 今日、パン屋さんに入ると、小さな子供がぐずっていた。お母さんはトレイにパンをひとつ載せたままで途方に暮れていた。
 子供は嫌がって、店の中から逃げだそうとする。お母さんはそれを止めようとするが、トレイを持っていて抱っこすることもできない。手を伸ばしてみても、その子はわたしも拒絶する。
 結局お母さんは、トレイのパンを元に戻して店の外に出る。落ち着いたら戻ってくるかなと思ったけど、戻ってこなかった。結局、パンを買うのはあきらめたらしい。

 大きな荷物を持って帰省するお母さんと子供。きっと実家に帰ればもっとゆったりした時間が過ごせるのだろう。だけど、移動するときのお母さんの背中にはいつも緊張感が滲んでいる。
 昔、そんな風景を見て、短編をひとつ書いたのを思い出した。

 古いものだけど、なんだかなつかしくなってアップします。

 「Everybody Loves You」
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2004年12月26日

詩集「ミドリンガル」鈴川夕伽莉

 ずっと昔っから文芸ネットで知り合いだった、鈴川が詩集を出しました。
 なんて、ここで書いても、ただの友達の宣伝って思われるかな?
でも、ほんとに誰かに読んでほしいと思ってここに書きます。

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posted by noyuki at 22:49| 福岡 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月25日

反面教師と呼ばれて

 まあ、そういう批判的な言い方ができるのは考え方がしっかりしてきた証拠だし、違うことを考えている人間が身近にいることを認識しているのは悪いことではないと思っている。

 期末テストをがんばったのにも関わらず通知表が悪かったショウはキレた。がっかりしたのではない、そんなはずはないとキレた。それで職員室に乗り込みひとりひとりの先生に、その成績の理由を尋ねることになる。
「テストはよかったんだけどねえ、レポートが少し点数が足りなかったんだよ、ほんの少しだから次にがんばりなさい」(社会)
「そ・そんなこと言ったって、実験のとき喋って真面目にやってなかったじゃないか!」(サイアク相性の悪い理科教師)そんなことはないと思う。実験大好きだし。
「あ、これ、間違ってるわ、こんな悪いわけないよね」(英語) 
 そう言って英語の先生はその成績表をその場で書き直してくれたという。おかげで合計は目標くらいまで行ったけど・・・おーい、そんなことでいいんかい?

 自分の存在を誇示すること、自分の意見をはっきりということは、思春期の息子の中では罪悪とされている。
 よって、そんなふうにして生きているわたしは、反面教師にしかなれないと彼は言う。

 でも。似てるじゃないか。
 なかなかそっくりになってきたじゃないか。
posted by noyuki at 22:50| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月23日

世界の果てからメリークリスマス

KURISUMASU


「もう、話したくもないし、抱きたくもない、だけど君とは別れない。花織がかわいそうだからだ。花織にだけはさみしい思いをさせたくはない」
 その日、夫は口の中に溜まった気持ちの悪い感情を吐き捨てるようにそう言った。
 わたしはうなづかなかった。了解しようがしまいが夫が決めたこと。それを覆す権利をわたしは持ちあわせていなかった。続きを読む
posted by noyuki at 22:25| 福岡 ☁| Comment(11) | TrackBack(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月22日

今日はこんな日

「おいしいお肉をいただいたから、仕事が終わって焼いて食べたいんだけどね」
 勤め先でそう言われた。納入しているお店で、お肉が有名な食べ物やさんだ。3周年のお礼に、お歳暮代わりに送ってくれたらしい。
 でも、わたしは今日はすごい量の配達で、とても時間までには帰れない、すごすごとあきらめた。

 ああ、あそこのお肉食べたかったな、テレビに出てから他県からも人が来る有名店。予約しないと最近は食べれない。ああ、食べたかったな・・・と思いながら配達した。

「はい、これ、よかったらどうぞ」
 お客さんが紙包みをくださった。
「いつもお世話になってるから。これ」
 開けてみると、とてもおしゃれなカフェエプロン。手作りショップをされている方で、わたしとお揃いなんだけど、と笑って言われた。嬉しかった、お肉の分まで嬉しかった。

「ねえ、たまごっち持ってる?」
 配達先の子供がそう聞いた。
「持っててね、4代目まで育てたんだけど、今朝死んじゃったんだよ、たまごっち、欲しいの?」
「うん、すごく欲しい!」
 今日が誕生日なんだと言う、お母さんに相談して、それをプレゼントすることにした。
 いったん家に寄って、たまごっちを持ってもう一度そこのお宅に行った。夕食のとちゅうの子供が飛び出してきて、すごく喜んでくれた。

 みんなみんな、あまりお金をかけてない、自分の手元にあるもの。そんな小さなやりとりでとても豊かな気持ちになれたいちにち。

 さあ、明日からクリスマス休みだ。
 おかげで今日は配達がいっぱいで泣きそうだったけど。
 

 メリークリスマス!
 
posted by noyuki at 22:44| 福岡 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月21日

荘島物語「みんな」

 アキは日曜の夜になると必ず行方不明になる。学校の寮に帰るのがイヤだからだ。
 そのたびに両親は、いろんなところに電話をかけてアキを探す。
「でも、辞めないんだよね、せっかく高いお金払っていい学校に行かせてもらってんだから」と言うと。
「うん、それはわかってるから辞めない。ただ・・寮はおもしろくないんだ」とアキは言う。
 停学にもなって、それでも続けてがんばるって決めている、だけども、いまだに行方不明になってしまう。

「もう、何度学校に呼び出されたことか・・・」
 ミツの両親も嘆いている。最近ピアスをあけたらしい。教職をやっている父親は仕事を辞めることも考えたという噂だ。
「お父さんもお母さんもいい人じゃない」と言うと。
「うん、いい人だよ。ちょっとズレてるだけで」とミツは言う。

 龍とはいちど、バイク事故で死んだ少年について話した。飛び出した脳みそをお母さんが泣きながらすくい上げたという話。
「どうして、そんなことするんだろ」と龍が言う。
「親ってね、悲しくて悲しくて、それで元に戻してあげたいって思うんだよ」と言うと。
「おれ、ノーヘルでバイクに乗ったりしない」と、神妙な顔をして彼は言った。
 なのに、このまえなんか、ノーヘルで3人バイクしていた。
 龍のお母さんは、もう全然行かなくなったダンスの月謝を払い続けている。行きたくなったらいつでもいかせてあげたいからだと言う。

 みんな素直でまっすぐな子ばかりで、中3の今の時期になんでこんななんだろうと思う。
 両親は心を痛め、会うと「迷惑かけてごめんね」と言う。
 なのに。自分が何をしたいのかわからない。ここがほんとうの場所なのかわからない。だから、やってることはめちゃくちゃで。心配かけてもそれが辞められない。
 こんなに苦しんで大人になろうとしてるんだもの。きっと、誰よりも優しい大人になるに違いない。
 そう思っているけれど。見ていると、彼等は痛々しいほど傷だらけだ。

 荘島公園も夜は冷えきってしまう。
 秋には毎日遅くまでたむろしていた少年たちも、今はここにはいない。
 どこか別の場所で、いまだに痛みを抱えているのだろう。


***

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2004年12月19日

野性時代1月号「サタミシュウ」ってどなたですか?

 エロ小説が好きだ。書くのも読むのも、もう、大好き。
 野性時代1月号掲載の「small world」は、展開も早くて内容もおもしろくて、もう一気に2度読みしてしまった。おまけにほら、こんなサイトだってあるし・・
  small world

 人気作家が覆面で書いたSM小説、もう、その設定だけでドキドキだったけど、なんていうか、これ、すごくリアルでおもしろいと思う。
 ひとつは女性の服装の描写。カーキ色のノースリーブのカシュクールのワンピース、なんて書き方は女性じゃなかったら、どんな男性が書くのだろうと思う。(もちろん、女性であることも想定してみたけど、どうも違うような気がする)
 今を書かせたらピカイチの石田衣良さんかなあ? でも、それじゃ当たり前すぎる感じだし。

 サタミシュウってペンネームはいかにもアナグラムって感じなんだけど、いろいろ並びかえてみてもなかなか思い浮かびません。
 どなたか、想像でも噂でもいいから、知っている人がいたら教えてください。
posted by noyuki at 21:45| 福岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(1) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月15日

「ある朝サンタはいなくなる」

 花織は、朝目覚めてベッドでぼんやりしていてふっと思った。
 そっか、サンタクロースって、やっぱりいないんだ・・・。

 それはクリスマスを10日後に控えた朝で、前日に特に何があったというわけではない。いつもどおり、テレビを見ながら好きなマンガの絵を描いて、父親や母親と他愛もない話をしてから自分の部屋に戻っただけだ。
 暖冬とはいえ、朝の空気はひんやりしていた。母親はトーストが焼けるあいだに、もうじきわたしを起こしに来るだろう。
 そのわずかな時間に、ふっと思ったこと。だけどそれは間違いようのない真実のように思えた。
 ほんとは、サンタクロースなんていないんだ。

 去年のクリスマスの前、花織はカエデと二人でサンタクロースについて話したことを思い出した。
「ねえ、カエデ。みんなサンタクロースなんていないって言うんだよ。太郎のウチなんか、プレゼントがベッドにないんだって」
「それはきっと太郎がサンタクロースを信じてないからだよ。サンタさんは、信じている子供のところしかやってこないんだって」
「ユリカはね、ほんとのサンタはお父さんやお母さんなんだって言うよ」
「ねえ・・・花織も、そう思ってるの?」
「まさか! サンタさんはぜったいいるよ。今年もきっと、朝起きたらベッドにプレゼントがあるはずだよ」
 そうして予想どおり花織のベッドにはクリスマスの朝、ずっと欲しかった子供用のミシンが置かれていた。カエデのベッドにはエンジェルブルーのバッグがあったという。
 近所に住むカエデとそれを見せ合って喜んだ。
 みんなが信じてなくても、わたしたちだけはサンタクロースを信じていよう。サンタさんは信じていない子供のウチには来てくれないんだから。カエデと二人でひっそりと約束した。
 花織のまわりでサンタクロースを信じているのは、もうカエデしかいなかったのだ。

 1学年上のカエデは今年は中学生になって、部活動で忙しい毎日を送っている。
 花織は6年生になって背が10センチ伸びて生理がはじまった。母親にあまり目立たないデザインのスポーツブラを買ってもらった。エンジェルブルーはそろそろサイズが合わなくなってきて、ヒップホップ系の大人用のトレーナーがお気に入りだ。
 だけどもそれで何が変わったというわけではない。クラスのみんなとはときどきケンカはするけれど、みんなでオレンジレンジの「花」を歌ったりして、悪い子なんてひとりもいない。

 だけど。やっぱりサンタクロースはいない。
 それは、少しずつクリアに見えるようになった世界の中の、小さな確信だった。
 不思議に怒りも絶望もなかった、ただ、それがわかるようになっただけだった。
 そういうものなんだ。と、思った。

「花織、プリティリトル、朝よ」
 母親がそう言ってカーテンを開ける。もう、大きくなってプリティリトルでもないのにね、と言いながらも、母親は花織をそう呼ぶことを止めない。それがけっしてイヤではない。

 今年もきっと、クリスマスの朝には枕元にプレゼントがあるにちがいない、と花織は思う。
 それはきっと、わたしがびっくりして、それから喜ぶようなプレゼントにちがいない。
 だけども、お礼のクッキーを玄関に置くのはもうやめようと思った。
 そのプレゼントは、お父さんとお母さんがわたしのために一生懸命に考えて、わたしが寝ているうちに置いたものに違いない。
 それで十分だ。

 だから、サンタクロースなんてほんとはいないって思ったことは、ずっとお父さんとお母さんには黙っていよう。
 花織はそう心に決めて、ベッドから起き上がった。


***

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2004年12月12日

賢者の贈り物(O・ヘンリー)をひさびさに読んだ

「賢者の石」ではない、「賢者の贈り物」だ。
 そう、クリスマスプレゼントを買うお金がなくって、妻は髪を切り、夫は時計を手放す。結局、そのお金でお互いに買った髪飾りも時計用の鎖も無駄になってしまうというお話だ。

 月に1度くらい小学校で朝の本の読み聞かせをしている。
 去年はこの時期「サンタクロースっているんでしょうか」を読んだ。好評だった。今年は明日、この「賢者の贈り物」を読もうと思っている。あまり好評ではないと思う。翻訳が固くて口当たりが悪く、子供には理解しがたい本だからだ。
 みんな、とってもいい絵本を選んでくる。わたしは半分どうでもいいので適当なのを選ぶ。だけど、できるだけいろんな文体に触れてほしいとは思っている。
 昔は児童書はそんなになかった。だからむつかしい文体でも貪るように読んだし、わからない表現のものもどんどん読んでいた。6年生のときには「ゲーテ」とか「佐藤春夫詩集」とか読んでいた。もちろんわからない。だけど、知らない世界は高貴で複雑で、そんな世界があるだけで心躍った。
 今の6年生に同じものを求めはしないが、「複雑さゆえ、それに惹かれてゆく」ものもいいだろうと思う。

 ほんとは「岡崎京子」の「ぼくたちはなんだかすべて忘れてしまうね」を読もうと思っていた。だらだらした無力感の迫力を感じてほしかったからだ、けど、内容的に断念した。
 前に「3代目魚武」の詩集を読んだこともあったけど、これも思いっきりはずしてしまった。わたしはあんまり優秀な読み手ではないのだろう。
 まあ、いい。好きにやれる分、気が楽だ。

「賢者の贈り物」は、まわりくどい表現が多い。だが、ストーリーはよくできていて美しい。
 心の残ってくれるだろうか。
 片隅でもいいから。
posted by noyuki at 22:33| 福岡 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月08日

猫が死んだ夜

 所用があって、夜、家の外に出たら、目の前で猫が死んでいた。
 サバトラの成猫で、近所で何度も見かけたヤツだ。口から真っ赤な血が流れていた。

 どうしたらいいかわからない・・・隣の坂下さんの猫だったら・・彼女は悲しむだろう、と思いながら家をピンポンした。
「ああ、これはウチの猫じゃない。野良ちゃんよね」と坂下さんが言う。「ダンボールに入れて、わたしが明日持って行くわ」
 手伝おうと思ったけれど、どうすればいいかわからない。それでオドオドしていると、わたしがやるから大丈夫と言って、わたしは家に帰されてしまった。

 今日はサバトラの子猫の方が、口から血を吐きながらフラフラしていた。
 昨日の野良の子供だろう。また、どうしたらいいかわからずに坂下さんを呼んだ。
「風邪が流行っているの、別に危ない病気じゃないと思う、ウチの猫も一匹病院に行ってるのよ」
 坂下さんは落ち着いてそう言う。死ぬという現象を前に動揺しているわたしを静めるように。

 人間にだって風邪が流行っている。だけども、わたしは病院で貰った薬を飲むし、あたたかい布団に入って休むことだってできる。
 だけども猫にとっては、風邪すらも「死に至る病」なのだ。

 同年代ばかりの集合住宅からここに引っ越してきて、年長者とのつきあい方がわからずさみしい思いをした。
 今、そんなに親密ではないけれど、わたしは坂下さんを頼りにしているんだなと思った。
 この町を自由に歩き回る猫たちが好きなのに、彼等の死をわたしは抱え込むことができない。彼女は、それを一人で抱え込む。
 ごめんなさい、何も手伝えなくて。と、心の中で言う。

 遠い死も、近い死も。わたしは上手に抱えられずに生きている。
 それはだんだんと、近しい存在になりつつあるはずなのに。

***

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2004年12月07日

その・しあわせ

 その・しあわせ には名前が ない
 いろいろと 考えてみたけれど  
 うまく 名前をつけられなかった

 その・しあわせ には 言葉がない
 たくさんの言葉を つくしてみたけれど よく似たものがなかったので
 どうしても 言い表せなかった

 そのうえ その・しあわせ にはカタチがない
 カタチくらいあれば ぎゅっと抱きしめられるのだけど
 カタチが見えないから 抱きしめようもない

 やっかいなことだ

 カタチも名前もないものは やわらかい空気のように
 するりと 腕をすりぬけてしまう
 自分が抱えていることすら わからなくなってしまう

 わからなくなったとき その・しあわせは もうわたしの中に ない
 どこにあるか 知りませんか?
 誰かに尋ねてみたいけど わたしの中のものなど 誰にも わからない

 その・しあわせが なくなった日のことは わかる
 そんな日は 心がすごくからっぽで 
 わるいことばかりが すきま風みたいに 入ってくる

 神様のカタチを 粘土でこねるみたいにして
 その・しあわせに 似たものを作ってみた
 どれもちがう どれもちがうから
 カタチのないまま そのまま持っておくことにした

 気をつけて 大事にしておこう
 カタチも名前もなく わたしの中にだけあるから
 わたしが抱えているあいだしか 存在しない

 その・しあわせ を

 
 
posted by noyuki at 22:39| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月06日

柴田よしき「close to you」を読んだ

 柴田よしきさんが男性か女性かもわからない、どういう種類の小説と言えばいいのかも未だもってわからない。そんな先入観も何もないところから本を読めるのは「貸本クラブ」のおかげだ。
 お客さんのうちに「最近読んだ本」を紙袋いっぱい置いてきたり、支払いのついでに紙袋いっぱいに本を詰めてもらったりする。お金のやりとりがないので副業とは言わない。ただ、気に入った本を貸し借りするだけだ。おかげで、まったく知らない作家さんの本を読む機会が増えた。

「close to you」は、赤川次郎系かなと思いながら読んでいたら、いつのまにか大友克洋を読んでいるような気分になってしまった本だった。
 派閥抗争から会社を辞めた男性が家でゴロゴロして次第に主婦の生活というものの複雑さを知ってゆく。同時に複雑な事件が起こり、数々の心理戦が繰り広げられる。もう、びっくりした。とにかく描写も細かいし、話も広がる広がる。ジェットコースターのようにストーリーが走ってゆく。
 根幹にあるのは、仕事をする共働き家庭と、専業主婦の価値観の違いだ。
 実生活からいくと、この二者は永遠にわかりあえないのではないかと思われるのだが、登場人物たちは話したり感じたり、憎しみを吐露したりすることで歩み寄ってゆく。そういう接点を作ろうと思うことがすごいと思った。

 ネゴシエイトしない、感じたことを口にしない、霧の中のような世界に生きている。
 だからわたしは他者のことがうまくわからない。わからないというのは多分みんな一緒だと思う。だから、わからない者の中立の立場から、両者を描き歩み寄らせるというのはすごいと思う。
 神の視点ではけっしてない。地を這うようにつぶさに描写で、物語が真に迫ってくる。
 これ、すごいおもしろかったです。
posted by noyuki at 22:08| 福岡 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月04日

言葉のひとり歩き

「憲法9条がかわるとさ、みんな徴兵されるようになって、オレが大人になったら戦争に行かなきゃいけなくなるんだって」
 ある日、学校から帰ってきてショウがそう言った。社会の先生が言ったのだという。そのことについては異論もあったがそのままにしておいたのだけど、先日、おんなじことを別の人から言われた。
 改憲反対の署名を集めているのだという。憲法が変わると、子供たちが徴兵される。なんとしてもそういう状況はイヤなので、ぜひ署名して欲しいと言う。
 わたしはよくわからなかった。

「あのね、新しい憲法の条文には徴兵って言葉が入れられてるの?」
「そうじゃないけれど、そういう解釈ができるような文章になっているの。だから、気づかないうちにその憲法を承認すると、徴兵ってことになるの」
 解釈ができる文章とはどういう文章かも、わたしにはわからない。そもそも今の日本で徴兵なんてことが可能なのだろうか? 自衛隊の仕事を拡大したり、志願兵を募ったりはできるかもしれない。だけど、徴兵されるのだと、まるで熱に浮かされたように彼女は言う。わたしにはうまく説明できないけれど、ちゃんとわかる人が解釈するとそういうふうになるのだ、だから間違いなくそうなるのだと言われ、なんだかうんざりしてしまって、結局署名はしないことにした。

 戦争には関わりたくない、戦争を知らない世代のわたしでもイラクからははやく撤退してほしいと思っている。もう、わかったから、早く帰ってきてほしいと思っている。
 日本では憲法に平和主義が盛り込まれているので、これを通してほしいとも思っている。
 だけど「徴兵されるから反対しよう」というのは、どういうものか。
 一番わかりやすく口当たりのいい言葉を使えば、誰だって危機を感じるだろう。だけど、わたしたちは「あおられて」何かの行動を起こしたいのではない。
 
 口当たりのいい言葉にあおられてそれで結集するのは、たとえば、自国を戦争に導く国民の高揚にも似ている。
 反戦もまた、おなじ理屈で行われるのか?

 わたしたちは、自分で考えて判断したいだけだ。一人歩きする言葉にぶらさがりたいのではない。

 奇しくも先日、学校で子供たちが歌っている反戦歌に疑問を抱き、アンケートで文句たらたら書いたところ、その歌を歌うことが中止になった。
 それもまた、口当たりのいいが痛烈に他国を批判している歌だった。 
「アンケート書いたのnoyukiさんですよね?」と、某先生に言われた。
 数人の先生が疑問を持っていたが、今年は他校と足並みを揃えるという理由で押し切られてしまったのだという。
「でも、保護者から意見が出たので助かりました」と言われてしまった。

 時間は限られているのかもしれないが、ひとつひとつ自分の言葉で考えていきたい。
 嘘が混じる言葉なら、どんな立派な理屈でも嘘が混じってゆくはずだ。
 わたしができることはほんとうに少ない。立派な意見だって、ほんとはなにひとつ持ち合わせていない。だけど、一人歩きしている言葉にくっつくことだけはやめようと思う。

「自分で考える」ことを捨てたら、わたしはわたしでなくなる。それは戦争以前の、もっともっと大変なことだからだ。
 
posted by noyuki at 23:01| 福岡 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする