2005年09月30日

佐藤正午「花のような人」岩波書店

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「大人のための絵本だ」と言った人がいた。
 牛尾 篤さんの挿絵も美しい、そしてたくさんの女性たちの細やかな心の動きが、まるで色とりどりの花のよう。短編のひとつひとつが読み応えがある、お得な一冊。

 雑誌「PHPカラット」で連載されていた作品だった。1ページめの見開きにきれいな花の写真とともに載っていた短い文章で、毎月楽しみにしていた。
 それが一冊の本になったとき、印象がまったく違う。牛尾 篤さんの挿絵と、名コンビである岩波の坂本編集さんの手腕?
 女性の心理描写であったり、情景描写であったり、喋っている女性だったり。
 彼女たちは、みんながみんな「いい人」ではない。だがすごく上手に自分の内面を見つめている。
 まとまりのない生徒を受け持った女教師が、その子供たちをばらばらに咲き乱れる花のようだという。そこには少しばかりの諦念と愛情が溢れている。
 彼の家に週末に「仕事のように」訪れる女性が、駐車場の車を数えながら、好き、嫌い、と花占いをする。答えの出ない自分に対する誠実な迷い。

 もしかしたら、心の中にある様々な雑念は、百花繚乱の花のようなものではないか?
 どれもこれも、どれもこれも、作家の目線で描かれると、嫉妬も憎しみも疑惑も、生きている者たちが持つ静かに完成された花のような感情ではないか思える。
 そうしてわたしは、今わたしの中に渦巻く言い様のないものを、花として認める。
 小さな充足感が訪れる。

 子供が好きな絵本を100回読むようにして、何度も読んでいたくなる作品だ。

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posted by noyuki at 22:12| 福岡 ☁| Comment(4) | TrackBack(1) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月20日

一瞬の夕焼け

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時間があったのでどこかへ行こうという話になった。
「わたし、弓張岳に登ったことがない」
そう言うと、山頂に雲がかかっているから何も見えないのではないか、と言われる。
男女4人のグループで車は一台。まるで大学生の頃のようだと思う。
当時、時間だけはたくさん余っていて、誰かが車を持っていた。わたしたちのグループはよくドライブをした。
だけどそれは、車の中で音楽を聴いたりおしゃべりをしたりするためだったような気がする。

その当時のごとく、幸運な時間がちょうど転がっていた。
少しの晴れ間が見えて、結局登ってみようということになる。

だが、山道の途中から雲がかかってきた。
思いのほか、高い山なのだろう。
頂上の展望台に着いたときは、わたしたちは雲の中だった。

とりあえず、景色の見えない展望台でおしゃべりをする。それだけで十分だった。
空も海も夕日も、いつも変わらずにこの世界にある。
今日、うまいこと出会えなかったとしても、わたしたちはそういうものを失うわけではない。

ところが。
風が吹いて、一瞬の光が海を照らした。
海に浮かぶ島々。それを輝かせる夕日。
慌ててシャッターを押した。
そうして、10秒もしないうちに、また雲に閉ざされていった。

頂上で最初から最後までこの風景を堪能するという至福もあるのかもしれない。
だけど。
一瞬だから至福だった。

たった10秒間の至福。
そんなものがいくつも、この世界にはあるのかもしれない。

これからもっと、もっと、出会おう。


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posted by noyuki at 22:33| 福岡 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月17日

家路

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信号をわたって
ひとつめのかどをまがりしばらくあるいてゆくとこんなふうだ

生い茂る草と
イキモノたちのにおい
スナック菓子の断片を
アリが運んでゆく気配

ああ
わたしの家が近い

誰もが持っているはずのとうめいなコートを
失くしていらい

わたしはいつもずぶぬれだ

おかえりとも言わず
そそくさと逃げるものたちよ

それでも満ち足りる
わたしのことがわかるか?
posted by noyuki at 06:05| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする