2006年09月25日

「ありふれた魔法」 盛田隆二 光文社

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「ありふれた魔法」というスピッツの歌からの引用と表紙のおだやかな写真をみると、なごやかな恋愛ものを想像されるだろう。
が、なかなか、どうして。
「リセット」を思わせる疾走感が終始つきまとい、おい、ふつうの日常のありきたりな話だろ? と不安になってきたりもしてしまう。

主人公の智之は銀行の某支店の次長。部下の茜との淡い感情を軸として、銀行社会から脱落してゆく者、家族の問題などが織り交ぜられた作品。
どこにでもある結婚を伴わない淡い感情、仕事でのトラブルや人間関係。
なのになぜこんなに疾走している気分になってしまうのだろう?
そうして読み進めるうちに気づく。そうだ。ありきたりな日常なんてどこにもない。普通に仕事して普通に家庭を持っている自分でさえも、この年になって責任を持つごとにいまだとまどい、淡い恋にささやかな喜びを感じているじゃないか。自分はふつうの人生をおだやかに過ごしているのではない。まわりがどう思っていようとも、自分は自分の、静かな日常を疾走しているんだと。
そうして疾走している自分の日常が、ここに忠実に描かれている。
そう思って最後に自分自身を抱きしめたくなるような小説。

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posted by noyuki at 21:54| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月08日

絶対の孤独

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旅の途上にいた。
ホテルのベッドで目覚めた気分で行き先を決めた。
今日は電車に乗って遠出をしよう、すぐにでもカラダが動きそうだ。

一時間弱の電車に揺られて、知らない町についた。
博物館に行くことにする。
ここ数年わたしを惹きつけるものは、偶像神、埋葬のための装飾品、人型、装飾を施した墓、ミイラ、そんなものばかりだ。
今回博物館で最初に惹きつけられたのは掌に入りそうなちいさく光る誕生仏だった。それから大小の神、異国の神々、仏様。説明を丹念に読み、仏の手の置き方ひとつに意味があることを知った。
死後の世界を信じているわけでもないし、手厚い埋葬で来世のシアワセが保証されると思っているわけでもないけれど。人間がそういうものに思いを馳せる存在であることを確認したかったのかもしれない。

死んだあとのことはわからない。
そもそもなぜ、ここに偶然の時間と空間が存在しているかもわからない。
そのことを考えると胸の奥がチリチリと焼けるような不安が襲ってくる。
それなのに誰ひとりとして真実を知らない。
そういう意味で人間は、ひとりひとりがけっして答えの出ない絶対の孤独を抱えているのだと思う。だから真実を求めるのだ。
来世の安らぎを信じる手厚い美術品を見ていると、絶対の孤独を共通の認識に替えてゆく人々の壮大な思いに触れるような気がした。

けっしてわからない人の気持ちやら、けっして埋まらない当面のささやかな寂しさ。
そういったものをいくつも抱えてわたしはひとりとぼとぼと歩いていた。
たくさんの人のあたたかさに囲まれてそのことを忘れている分、せめてひとりで歩いている今日のこの日だけは絶対の孤独と向き合っていよう。
そう思いながら博物館の庭を歩いていると、バッグの中からメールの着信音が聞こえた。
いま、どこ?
何気ない友人からのメールだった。
立ち止まって返信メールを打ちながら、自然と笑いがこぼれた。

ケイタイのある世界には絶対の孤独なんてあり得ないのかもしれないな。
いや、そうじゃないだろう、たぶん。
絶対の孤独は、絶対のものとしてひとりひとりのココロの中にずっとあるままだ。
それを薄める方向に、太古の昔から人間の気持ちは向いているだけなんだろう。

神というカタチを作り上げて来世を作り上げてきた人類の手厚い思いも、この小さくてうるさい電子機器も。
ずっと奥の方では繋がっているんだろうな、きっと。

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posted by noyuki at 22:31| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする