2007年01月07日

GIFT

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「川沿いの道をさんぽしてみない?」って、みさ子に誘われたのは12月になってすぐのことだった。「大きな川の河川敷にサイクリングロードがあるじゃない、あそこをどんどん上流の方に行ってみるの。いいと思わない?」
 正直あまりいいアイディアとは思わなかった。12月の河川敷なんてどれだけ寒いか想像するだけで憂鬱だ。
 わたしたちはどこかへ行くときは大体シュウヘイの小さな軽自動車で三人で出かけていたし、わたしの自転車なんてすごいポンコツでどこまで行けるかわからない。
 みさ子はバイト先のお給料で、最近近所のスーパーで赤い自転車を買ったばかりだった。1万円を切る自転車ってどれくらい持つんだろうね? 長距離はきついだろうけど、ま、近所だけでもあったら便利だからいいか、そう言ってみさ子は茶封筒から一万円札を出してお金を払い、防犯登録をしても25円のおつりが来たよって笑った。
 
 もうシュウヘイはいないから、わたしたちはシュウヘイのクリーム色の軽自動車をアテにするわけにはいかないのだ。

 大学が別々のわたしたち3人は、小さな居酒屋のバイトで知り合った。週に二日、わたしたちは土日のメンバーだ。
 美大で絵を描いているみさ子は手先が器用で盛りつけがきれい。シュウヘイは洗い物が手早い。そうしてわたしはもっぱらお運び専門で、あとに時間は洗い終えた食器をせっせと拭いているだけだったのだけど。40代前半の髭の店主も「チームワーク抜群だ」と褒めてくれた。もっと曜日を増やしてもいいのに、と言ってくれるけれど、みさ子は課題が忙しくてこれ以上は無理だと言うし、シュウヘイは平日はバスケットの愛好会に夢中だった。

 仕事が終わるとシュウヘイが軽自動車でわたしたちを送ってくれる。道順でわたしが最初に降りて、それからみさ子を送る。
 わたしは、シュウヘイのことが好きだったけれど、結局シュウヘイはみさ子とくっついてしまった。シュウヘイのくったくのない太陽のようなところに憧れていたけれど、そのことをみさ子に言わなくてよかったと思った。
 言わなかったおかげで、わたしたちはずっとそのまま3人でいられた。
 3人でバイトの帰りに夜中のドライブをしては笑い、24時間のファミレスで延々と好きな映画の話をしては盛り上がり、みさ子のスケッチブックを見て同じ感情に浸ったりもした。
「不思議だよな。ただの、エンピツの青空なのに、みさ子の絵って、すごく、祝福されたみたいに光り輝いてるんだ」
「うん、わたしもそう思う。キラキラしててすごくきれいな感じ」
「ありがとう。そう言ってくれて。自分の感じたものを人が感じてくれたらいいなと念じながら描いたの。感じてくれて、ほんと嬉しい!」
「おまえ、いい絵描きになれるよ」
「うん、なれたらいいなと思っている」
 そう言って、みさ子はつやつやのストレートの黒髪を揺らして笑った。
 自分の中にある小さな所有欲をのぞけば、世界はすごく楽しかった。楽しい日々の風景が、みさ子のスケッチブックに加えられてゆく。わたしは何も創作できなかったけれど、それでもなにかが生まれる瞬間に立ち会えるのは、なにものにも変えられないくらいに楽しかった。

 わたしが就職の職種に悩みはじめた3年生の秋に、シュウヘイは突然海外に行くと突然告白した。留年覚悟で、海外をまわるんだという。
 手始めはまずタイ。そこまでは決めてるけど、そのあとはわからない。だけども今、行かないとずっとそのままな気がするんだ。おれはみさ子みたいに何かを描けるわけじゃないけど、それでも知らない場所で何かを感じてみたいんだ。
 シュウヘイが、いつものファミレスでそう言ったときに、みさ子は両手を口に当てて目を見開いて大きな涙をぽろぽろとこぼした。
 わたしは。泣くわけにはいかないと思って、かすかに痙攣する下まぶたにぎゅっと力をこめた。

「あのあとさ、実はすごい悲惨だったんだよ、わたしたち。てか、わたしがひとりでシュウヘイを責めてしまったんだけどね。あんな大事な話、3人でいるときじゃなくてね、前もって相談してほしかったの。シュウヘイのおうちに2人でいる時間だっていっぱいあったわけだし。それがすごくショックだったんだ。えっと、逆な言い方をしたらね。なんで英子も一緒のときじゃないといけないの?って思ったの」
 河川敷で自転車を併走させながら、みさ子は言った。
「だから、泣きながら何度もシュウヘイを責めたの、あのあと。で、もうバイトも辞めるし別れよう。いつ帰ってくるかわかんないし、って言われて、もうそれっきり。自分からメールする勇気もなくなっちゃった。それでバイト行く気力もなくなって投げやりになってすぐ辞めちゃったの」
 わたしは、ふたりは示し合わせて辞めたのだと思っていた。だからずっとふたりに置いて行かれたような気になっていた。辞めると生活に困るから辞めなかったけど、それでもわたしは置いてけぼりの捨て犬みたいだった。
「出発の日すら知らなかったの。で、先月、空港からメールもらって、それで、ああ、もう行くんだなあってやっとわかった。ひどいよね。こんな別れ方。今になって後悔してる」
「言えなかったんだと思うよ。みさ子がショック受けると思って。シュウヘイってそんなとこあるよね」
「うん。でも。いくらわたしがショックだからって、自分のやりたいことは変わらないんだから、ちゃんと言わなきゃいけなかったんだ、そういうとこ、ずるいし、子供だよね」
「まだ、恨んでる?」
「ううん、もう、そこまでない。帰ってきたら、何年先でもいいから会いたいなと思ってる」

 みさ子の計画によると、サイクリングは片道10キロほどの行程だった。
 河川敷には、サッカー場があって小学生やら社会人らしきチームが激しい試合を繰り広げていた。そうして傍らには、ベンチコートを着た女性が、どのチームにも声を上げて応援していた。
 そこを通り抜けて単調なサイクリングロードを通り、上流の河原でサンドイッチを食べて帰る。そういう計画だったはずだ。
 なのにわたしの自転車がいきなりパンクしてしまった。結局は3キロも走らないうちにサンドイッチを食べて、それからわたしたちはふたりで自転車を押して河川敷をとぼとぼと歩いて帰ることになった。

 わたしは申し訳なさで胸がいっぱいになってしまってたのに、「ああ、小春日和だねえ」とみさ子は嬉しそうに言って空を見上げた。「空って神様からの贈り物みたいだよね」
 みさ子は自転車を押しながらそう言って、ずっと上を向いていた。
「神様は、人間のために創ったわけじゃないって言うかもしれないけど、それでも贈り物みたいな空だわ。ずっと落ちこんでたけど、課題があったから何か描かないわけにはいかなかったの。で、すごい暗い夕暮れの風景を描いたの。正直に自分の心を描くしかないと思って。でもね、描いてみたら、その夕暮れのピンクオレンジがすごいなつかしいような色に見えて。夏にバイトのお店の看板出すときに見上げた空みたいで。ああ、シュウヘイが看板ごろごろひっぱってる、電気繋いであげようって慌てて外に出たこととか。英子がその路地の向こうから手を振って走ってきたところとか、いろんなこと思い出したの。自分の絵にこんなに自分が救われるなんて思いもしなかった。わたし。自分の描くものが自分にこんなにぴったりと寄り添ってくれるなんて知らなかった」
 そう言いながら、上を向いたみさ子の目から、透明な朝つゆのような涙がぽろぽろと流れているのをわたしはじっと眺めていた。
「こうして英子と歩いているのも、神様からの贈り物。あのちっちゃいシュウヘイの軽自動車じゃない世界が世の中にはいろいろあって。わたし、これから、それをいっぱい見ていくんだ。シュウヘイが海外で見る風景に負けないくらいいろんなものをたくさん。わたし、今日、英子とこうして自転車ひいて歩いたこともぜったい忘れない。英子もシュウヘイが好きだったんだよね、シュウヘイはどっちでもよかったのかもしれない、わたしが独占欲が強すぎてふたりに迷惑かけてたんだよね。ごめんね。悪いことしちゃった」
「悪いなんて思ってないよ。それに三人でいるのはすごく楽しかった」
「ありがとう。そう言ってくれてよかった! ずっといろんなことを後悔して仕方なかったのに、今はいろんなものがわたしに寄り添って見えるの。英子も、あの絵も」
 サッカーを応援する歓声が聞こえた。転がってきて自転車にぶつかりそうになるボールも。それを笑いながら蹴り返すみさ子も。
 そうして、あとで見せてもらったあの夕焼けの絵も。
 いまだにみさ子が言った「神様からの贈り物」という言葉といっしょに、わたしの心の中で光り輝いている。

******************

 7年間勤めた会社を辞めて一週間がたった。
 小さなタウン誌のなかでの不倫で、奥様が会社に怒鳴り込んで以来、わたしの立場はみるみる悪くなってしまった。みんなの前で、ホテルの名前まで名指しで言われたら、もう言い訳のしようもなくて俯くしかなかった。まわりの同僚は、ああ、噂はほんとうだったんだっていうような、否定もしない納得した顔で遠巻きにわたしを見ているだけだった。
 手癖の悪い編集長はそのままでも、わたしは居場所がなくなって辞表を出す以外になかった。
 外に出るのもおっくうで買い置きのバランス栄養食だけで生活していたら、ますます動きたくなくなって、わたしはベッドの上でずっと横になっていた。

 今日、なぜかとつぜんあの頃のことを思い出してしまった。
 みさ子はシュウヘイの予言どおり、立派なイラストレーターになって活躍している。シュウヘイは結局あちらで仕事を見つけ、ときどきしか帰国しなくなってしまった。
  
 そうだ、小説を書いてみよう。
 会社ではずっとなんかの文章を書いていたけれど、そうじゃないわたしだけの物語を書いてみたい。突然そう思った。悲しくて答えの出ない恋の物語じゃなくてもいいから。なにかを自分の言葉で書いてみたい。
 みさ子があのとき「神様の贈り物」と言ったみたいに。
 なにかがわたしに寄り添ってくれるだろうか。
 なにか、そんな大切なものが、わたしの中にもあるだろうか。
 あるのかもしれないし、ないのかもしれない。
 だけども、そうしたくて仕方のないような気持ちがどんどんとこみ上げてきた。

 ベッドから起きあがり、とりあえずカーテンを開き、窓を思いっきり開いた。
 あの日、自転車でみさ子と見上げたのと同じように澄んだ青い空が、突風を受けて窓から飛び込んできた。

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posted by noyuki at 22:10| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする