2007年08月10日

side B 佐藤正午 小学館文庫

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 競輪に関するエッセイを集めた文庫。
 実はハードカバーでも数年前に読んでいたのだが、文庫で再読。
 表紙や直筆のサイン入りの帯のせいか、ずいぶん印象が違う。おそらく同じ作品、同じ文章であっても、込められたメッセージが違うのだろう。

 わたしは競輪に関してはまったくの素人なので、誰が劇的に勝ったとか、こういう試合でこういう悔しい思いをしたのかを読んでもまったくの門外漢なのだが、それでもおもしろい。ああ、こういうおもしろみがあるんだ、こういうときに人間はこういう感情が湧くんだとかいうことをひとつずつ噛みしめて、競輪というものがこの世にあって、こんな素晴らしい文章が生まれてよかったなと思う。

 なかでも心に響いたのは、競輪選手にサインを求めるエピソード。
 作者の著書に関わるエピソードを持つ選手で、どうしてもそのサインが欲しいと思うのに、相手に固辞されてしまう。同期の競輪選手のサインを集めているのでその一枚に、と作者は言うが、実はサインも集めていないし、欲しいのは彼のサインだけだ、なのにそれが叶わない。
 
 実はわたしのハードカバーの「SIDE B」には作者のサインが自筆で入っている。
 今はもう佐世保にない某書店にて自著にサインしてくださった本を、人を介して送ってもらったものだ。
 心酔する作家のサインを欲しがるファンへのサービスという一面でした捉えてなかったものの、このエッセイでそのB面を見れたような気分だった。
 たった一筆のサインで身近なものに感じたいというファン心理を、作者は自分の中に知っていたのだろう、そうしてそれに応えてくれていたのだろう。
 
 そうして、あとがきでまた、驚愕の事実が告白されている。
 2006年の秋から連載を休筆したいきさつについての告白だ。「にわとりが先かたまごが先かわからなくなって」街を彷徨ったすえに、サウナの休憩室で見たテレビCMによって焦点が定まる。
「そうか、自分には競輪があるじゃないか」
 そう思って久々に競輪場に通い、そこで熱くなった記憶とともにいろんなものがよみがえってくる。
 
 わたしが「にわとりが先がたまごが先か」わからなくなったとしても、競輪場に通うことはないだろう。
 だけども、そのときはきっと、このあとがきを何度も何度も繰り返し読むにちがいない。

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posted by noyuki at 22:29| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(2) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月03日

天上の白い笑み 光文社 桐生典子

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恋愛というのは、はたして(芸術)なのか(日常)なのかと考えてみたくなる小説。

幼なじみの羊子と瑠璃は、男のシュミも指向性も考え方も違うのに、つきあいの長い女ともだち。
これはその対照的な恋愛についての物語。

羊子の恋愛は(ある種の芸術)のように見える。
最初に恋に墜ちるときの感情、それを昇華させる洗練された会話、行動、純粋な感情の結果としての終わり方、終わったあとの感情のくすぶり。
すべてが自分の中にわき上がるものを具現化する極上の芸術作品のようで、とてもきれい。

反して、瑠璃の恋愛は(日常の中にある)恋愛。
自分の美貌を武器にして、生活力のある男と結婚し、しっかりと生活の根ざそうとする恋愛。

価値観の違う彼女たちはお互いを認めてない。鋭い指摘をしたり反感を抱いたりもする。年齢を経て立場が違ってくるにつれと、その幅も大きくなる。
大人になってつきあっている女ともだちってそういうところがすごくあると思う。そのリアルさがとてもいいなと思う。

そうしてこの本を読むと、自分は羊子だろうか瑠璃だろうかと考えてしまう。
自分の目指す恋愛は。羊子? 瑠璃?
そうして、自分の中にその両方が住み着いていることに気づく。
羊子のように純粋に求めている反面、瑠璃のような打算をやまほど繰り返し、そのバランスは人によって違うだろうけれど、そういう相反するものが自分の心の中にあって、それを無意識に使い分けて生きている自分に気づいてしまう。

だから羊子と瑠璃は親友でいられるのだろう。

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posted by noyuki at 22:38| 福岡 ☁| Comment(4) | TrackBack(1) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする