佐藤正午の小説「ジャンプ」で、恋人が失踪したとき、主人公は自分の気持ちのあやふやさを「まるで芯のないリンゴのようだった」と表現した。
この比喩のリアリティが好きでいつまでも覚えていたけれど、昨日「自分だって芯のないリンゴみたいだったんじゃないか」とふと思った。
けっして恋人が失踪したわけではない。
ただ単に忙しさに忙殺されていたのだ。
自分がやるべき大仕事がいくつか重なり、次から次に片付けることばかりに半年ほど追われていた。
本を読むこともほとんどなくなり、寝る前に頁をめくることなくベッドに倒れ込んだ。
夜にゆっくりとパソコンに向かって自分の言葉を紡ぐということすらできなくなってしまっていた。
はたから見たら「活動的に仕事をこなしている」ようにしか見えなくても、まるで芯のないリンゴになってしまったような感覚がずっと離れなかった。
もともとそういうふうにはできていなかったのだ。
自分にとってはスキマと空白だらけの時間と、そこに漂う夢想やら空想の方が必需品であって、それ以外のことを完璧にこなせても、それはそれでしかなかったのだ。
コンクリートの壁のようにソリッドな世界が終わるとまた、少しずつ、そのすきまから吹いてくる風が見えるようになってきた。
なんだ。
空白はむなしさでもなんでもないじゃないか。
頭の中の野原には風が吹き渡った。
本を何冊か読んで、そのひとつひとつに涙を流した。
ああ、なんて世界がここにあるんだ。その居心地のよさとクリアさに涙した。
それから言葉を紡ごうと思った。
まだ、ぎいこちない。
うまく書きたいことが見つからない。
そうして、カタチを失ったあいまいさを、まだ言葉にできない。
芯のないリンゴじゃなくて。
わたしは芯のあることを忘れてしまったリンゴだったのかもしれない。
あらためて、自分というリンゴには芯があってよかったと思った。
もちろんそれは自分自身の芯という意味ではなくて、寄りかかるべき「大切なもの」だった。
他者の紡ぐ物語。
自分で紡ぎたいと思う言葉のかけら。
そういうものが、きちんとカタチを変えずにここにあったことにまず感謝した。
まずは、そこからだ。
時間ばかりが立ってしまって、もちろんわたしもまた昔のわたしのままではないのだけれど。
まずはそこから始めよう。
そう思ってキーボードに向かった。
まだここには何もない。
だけども。
まずはそこからだ。
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posted by noyuki at 22:19| 福岡 ☁|
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