「タピオカ」 5・太郎
仕事から帰ってくると夕食をすませてパソコンを開いた。
それから「雪乃の日記」を僕は盗み見る。盗み見るっていう表現は雪乃がいなくなった今は適切ではないのかもしれないけれど、「やだなあ、恥ずかしいよぉ」と雪乃が言っていそうで、なんだか盗み見ている感触がずっとつきまとった。
カナミが雪乃が死んだことを書いてくれた日の日記にはおびただしい数のコメントが書き込まれた。
知らなかった、冗談だと思いたい、ご冥福をお祈りします、いつまでも忘れません、そして一度お会いしたかった。
僕はそれを見るたびに、yukinoのレスがつかないかなと思って待ってみたけれど、考えてみればレスがつくはずもない。
死ぬっていうことは絶対的にいなくなることなんだと、改めて気づくので精一杯だった。
カナミは一度だけコメントしていた。
その日一緒に飲んだことを告白し、そのあとのくだりを告白していた。それを書くのはつらかったと思う。きっと雪乃が天国から読んでいたら、もう、いいよ、そんなこと書かなくったって、って言うくらいにつらかったと思う。
カナミに対して「kanaさんのせいじゃない」って書いてくれる人がいたからほっとした。
「とても残念だったし、不謹慎かもしれないけれど、yukinoさんは、やってしまったことは仕方ないなんて、いつもの口癖を言ってるんじゃないかなあ」と書いている人もいた。
たぶんネットでも雪乃の人格はきっとそのままなんだ。裏表のない、心の動きがよくわかる雪乃。
そんな雪乃を忘れないように、ずっと日記を読んでみたいと僕は思うようになった。
ここに書かれた日記は4年分。雪乃は毎日、日記帳をつけるようにそれを更新していた。
書かれているのは、夕飯のメニューとか、買った本のこと、バーゲンで買ったもの、ほしいもの、仕事の愚痴も少しあって、あと「たろさん」への愚痴も時々登場した。
休みの日にイタリア料理を食べに行く予定が、車で通ったとちゅうの天ぷらやに寄ることになったとか、あと、転職したあとに悩んでいるたろさんの愚痴はうざいとか、掃除をしてなくて怒られたとか。
そのたびに誰かがコメントで「たろさん」の肩を持ってくれた。いい友達がいたんだなあと嬉しくなった。すぐに怒る雪乃なのに、誰かが弁解してくれると怒りがおさまっていくのがyukinoのレスでわかった。
そっか。こんな世界を雪乃は持っていたのか。
僕は書き始めた当初からの日記を、一ヶ月分ずつ毎日読むようになっていた。
時には、それでもここにいない雪乃を思い出して泣く日もあったけれど、雪乃がまだそこにいるような気持ちになれる日もあったから。僕は毎日毎日、日記を読んだ。
ひとつだけ分かったことがあった。
雪乃が書いていたのはこの日記だけではなかったということだ。
「あちらではお世話になっています」とか「ブログからの友人です」とかの書き込みがときどき登場したからだ。
ただ「あちら」がどこなのかわからないし雪乃のブログのURLもわからない。
カナミは知っているのか? 直感だが知らないような気がした。
まあ、とりあえずはここの日記をずっと読んでいこう。そのうちにわかるかもしれないし。
わからないままだったら、日記を読み終えたあとに色々探してみよう。
雪乃、おかしいね。雪乃が死んだあとにこんなことがわかるなんて。
でも僕は、けっこうこれはこれで救われているような気がするよ。
そんなある日の夜に。僕は日記のトップページにメッセージの到着を示すメッセージを見つけた。
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2008年11月13日
2008年11月05日
「タピオカ」4
「タピオカ」 4・カナミ
やっちまったもんは仕方ない、雪乃の口癖にわたしはこれまで何度も慰められてきた。
でも、今回は慰められないよ、雪乃、ほんとにそう思ってるの?
思ってるよ、残念だったけど誰のせいでもないもん、仕方ないじゃない。そんな雪乃の声が聞こえてきそうで耳を塞ぎたくなったけど、それでもわたしは確信していた。
雪乃って、イヤになるくらいにそういうヤツなんだ。
「約束を忘れないでね」
泥酔した夜に、雪乃の声が聞こえたのを思い出し、それが何のことなのかやっとわかったのは、初七日の法要で手を合わせてお経を聞いている最中だった。
とりあえずはいったん帰って、太郎さんひとりになったときにお話することにする。申し訳なくて向き合う勇気もないけれど、とにかく太郎さんに言わなくっちゃと思った。
「約束」の話をした。
「ようするに、どっちかが死んだら、どちらかが責任を持ってインターネットでお知らせする、そういう約束を雪乃としていたの?」太郎さんはそう聞き返して、それから下を向いた。「なんだか......悲しいな。まるで雪乃は自分が死ぬのを予感していたみたいだ」
「ちがうちがう。この約束って、言いだしっぺはわたしの方なの。ほら、わたし、親と離れてて独身だしひとり暮らしでしょ。ネットにはたくさん友達がいるんだけど、急に死んでしまっても、そういうのって誰も気づかないじゃない。いつのまにか書き込まなくなった、どこ行っちゃったんだろ、で終わるわけよ。そういうのがイヤだなあと思って、それで雪乃にお願いしたの。もし、わたしがひょっこり死んでしまったら、雪乃がそれを知らせてくれないかって。そしたら雪乃も言ったの。じゃあ、代わりにわたしが先に死んだらカナミがしてよねって......もっとも、こんなに早く約束の日がくるなんて思いもしなかったけど」
「とりあえずはSNSで知らせてくれればいいって。いろんなところに出入りしてるけど、自分の日記のところに知らせてくれればそこから伝わるだろうからって。そのときにIDとパスワードを預かってたから、今、持ってきた」
「そっか。インターネットをよくやってるのは知ってたけど、雪乃、お互いに別の世界のことだからって一度も見せてくれなかっもんな」
「べ、べつに、やましいことしてたわけじゃないんだよ、それはわたしがよく知ってる。ただ、とにかく一度太郎さんに言ってから書いた方がいいかなと思って」
「ありがとう」しばらく間をおいて太郎さんが言った。「雪乃の信頼できる友達でいてくれてありがとう。ほんとそうだね。雪乃を知る人に、雪乃が理由も言わずにとつぜんいなくなったって思われるのはやはり悲しい。きちんと知らせるのがスジなんだだろうね」
それから太郎さんは雪乃と共同で使っているデスクトップのマッキントッシュの前にわたしを連れてきた。ああ、会社帰りにここで喋って、 何度かこのマックを雪乃とふたりで見たこともあったっけ。
太郎さんがパスワードを使って雪乃の領域に入る。パスなら知ってると言ってyukinoと入力。
まったくこの単純さも雪乃らしいよなあ、ちなみにSNSのパスワードもyukinoだ。
わたし自身、あまりSNSを最近見てなくて、とくにここ数日はそれどころじゃなかったから、雪乃の日記を見たのもひさしぶりだった。
彼女が三日以上ログインしていないなんて珍しいことだったので、「最近こないね」「元気?」という書き込みが二件あった。
ちょっと考えてから、新規の欄を出して、「yukinoの友人のkanaです」ではじまる書き込みをした。
自動車事故でなくなったこと、今日初七日が終わった事、そして、生前からの約束で代理で書かせてもらっていることを記入した。ああ、これを見てショックな人もいるんだろうなあ、でも約束だから守らなくちゃとがんばって書いたら、ものすごーくエネルギーを使い果たしたような気分になってしまった。
「太郎さんも何か書いた方が......」と言って振り返ったら、太郎さんは後ろで画面を見つめたまま泣いていた。
「改めてこう書くと、雪乃はほんとにに死んだんだなと思うよ」って無言のままポロポロ涙を流していた。
「だけど、よかったらこのページ、ログインしたままにしておいてくれるかな? 僕もこれからここ見ておきたいから」
「いやだよ! 恥ずかしいから! 」わたしはそう言って、慌てて口を押さえる。
「ごめん、今、言ったのは雪乃だね。いいよね、見てても。ね、雪乃。太郎さんにそれくらい見せてあげなよ」
わたしがそう言うと、パソコンの脇のタペストリーが「いいよ」って揺れた。
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やっちまったもんは仕方ない、雪乃の口癖にわたしはこれまで何度も慰められてきた。
でも、今回は慰められないよ、雪乃、ほんとにそう思ってるの?
思ってるよ、残念だったけど誰のせいでもないもん、仕方ないじゃない。そんな雪乃の声が聞こえてきそうで耳を塞ぎたくなったけど、それでもわたしは確信していた。
雪乃って、イヤになるくらいにそういうヤツなんだ。
「約束を忘れないでね」
泥酔した夜に、雪乃の声が聞こえたのを思い出し、それが何のことなのかやっとわかったのは、初七日の法要で手を合わせてお経を聞いている最中だった。
とりあえずはいったん帰って、太郎さんひとりになったときにお話することにする。申し訳なくて向き合う勇気もないけれど、とにかく太郎さんに言わなくっちゃと思った。
「約束」の話をした。
「ようするに、どっちかが死んだら、どちらかが責任を持ってインターネットでお知らせする、そういう約束を雪乃としていたの?」太郎さんはそう聞き返して、それから下を向いた。「なんだか......悲しいな。まるで雪乃は自分が死ぬのを予感していたみたいだ」
「ちがうちがう。この約束って、言いだしっぺはわたしの方なの。ほら、わたし、親と離れてて独身だしひとり暮らしでしょ。ネットにはたくさん友達がいるんだけど、急に死んでしまっても、そういうのって誰も気づかないじゃない。いつのまにか書き込まなくなった、どこ行っちゃったんだろ、で終わるわけよ。そういうのがイヤだなあと思って、それで雪乃にお願いしたの。もし、わたしがひょっこり死んでしまったら、雪乃がそれを知らせてくれないかって。そしたら雪乃も言ったの。じゃあ、代わりにわたしが先に死んだらカナミがしてよねって......もっとも、こんなに早く約束の日がくるなんて思いもしなかったけど」
「とりあえずはSNSで知らせてくれればいいって。いろんなところに出入りしてるけど、自分の日記のところに知らせてくれればそこから伝わるだろうからって。そのときにIDとパスワードを預かってたから、今、持ってきた」
「そっか。インターネットをよくやってるのは知ってたけど、雪乃、お互いに別の世界のことだからって一度も見せてくれなかっもんな」
「べ、べつに、やましいことしてたわけじゃないんだよ、それはわたしがよく知ってる。ただ、とにかく一度太郎さんに言ってから書いた方がいいかなと思って」
「ありがとう」しばらく間をおいて太郎さんが言った。「雪乃の信頼できる友達でいてくれてありがとう。ほんとそうだね。雪乃を知る人に、雪乃が理由も言わずにとつぜんいなくなったって思われるのはやはり悲しい。きちんと知らせるのがスジなんだだろうね」
それから太郎さんは雪乃と共同で使っているデスクトップのマッキントッシュの前にわたしを連れてきた。ああ、会社帰りにここで喋って、 何度かこのマックを雪乃とふたりで見たこともあったっけ。
太郎さんがパスワードを使って雪乃の領域に入る。パスなら知ってると言ってyukinoと入力。
まったくこの単純さも雪乃らしいよなあ、ちなみにSNSのパスワードもyukinoだ。
わたし自身、あまりSNSを最近見てなくて、とくにここ数日はそれどころじゃなかったから、雪乃の日記を見たのもひさしぶりだった。
彼女が三日以上ログインしていないなんて珍しいことだったので、「最近こないね」「元気?」という書き込みが二件あった。
ちょっと考えてから、新規の欄を出して、「yukinoの友人のkanaです」ではじまる書き込みをした。
自動車事故でなくなったこと、今日初七日が終わった事、そして、生前からの約束で代理で書かせてもらっていることを記入した。ああ、これを見てショックな人もいるんだろうなあ、でも約束だから守らなくちゃとがんばって書いたら、ものすごーくエネルギーを使い果たしたような気分になってしまった。
「太郎さんも何か書いた方が......」と言って振り返ったら、太郎さんは後ろで画面を見つめたまま泣いていた。
「改めてこう書くと、雪乃はほんとにに死んだんだなと思うよ」って無言のままポロポロ涙を流していた。
「だけど、よかったらこのページ、ログインしたままにしておいてくれるかな? 僕もこれからここ見ておきたいから」
「いやだよ! 恥ずかしいから! 」わたしはそう言って、慌てて口を押さえる。
「ごめん、今、言ったのは雪乃だね。いいよね、見てても。ね、雪乃。太郎さんにそれくらい見せてあげなよ」
わたしがそう言うと、パソコンの脇のタペストリーが「いいよ」って揺れた。
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