「タピオカ」6・ 太郎
メッセージの送り主はカヲルという名前だった。
僕は女性を想像していたのが、今僕の目の前で雪乃の仏壇に手を合わせているのは若くて華奢な男性だ。
年の頃は20代後半、あるいは30代になったばかりだろうか。細身のチャコールグレーのスーツは年齢の判断がつきにくいものだったし、柔らかい髪を肩に届かない程度に伸ばしていて、学生なのかどんな職業なのかもわからなかった。
なによりも顔が小さくて、くりんとした目が妙に愛らしい。小柄だったし、スーツを着てなかったら、女性と間違えてたかもしれない。
「とつぜんメッセージを送ってすみませんでした。あのサイトはログインした時間が分かるんです。それでどなたかがログインしていることがわかって。kanaさんか、もしや家族の方かもしれないと思って思い切ってメッセージしてみました。雪乃さんにはお世話になっていて一度お会いしたかったのだけど、結局はこんなカタチになってしまいました」
新幹線を使って5時間かけてやってきたのだという。
ネットでお世話になっていたというのはどういうことなのか?
それは亡くなった後にわざわざ仏壇に手を合わせに来るようなものなのか?
恋愛、という言葉も浮かんだけれど、どこかでそれを否定したかったし、何よりもそういう雰囲気ではなかった。
カヲルには、男を感じさせる匂いというものがまったくなかったのだ。
「あの。お世話って? 雪乃はいったいどういうことをしていたのでしょうか?」
「それは......」
「差し支えなかったら教えてください。僕は雪乃の日記を読んでいるとときどき、雪乃が持っている僕の知らない世界があったんだなって思うんです。それは知らないままでいいことなのかもしれない。でも、僕は。できればカヲルさんや他のみんなが持っている雪乃の思い出も共有してみたい」
「どこまで話していいのかずっと考えていました。でも。太郎さんにお会いして、告白したい気分になってきました。あの。よかったら聞いてくださいますか?」
そこからカヲルの長い告白が始まった。
「わたしには女性的な部分があります。小さい頃からそうだったのかも知れません。でもはっきりと意識したのは、ネットで写真を出すようになってからでした」
そう言ってカヲルは目を伏せた。長いまつげが大きな目を覆った。
女装がシュミなのだとカヲルは言った。
「そうは言っても、女装して街を歩くとかではないのです。自分でゴスロリとか浴衣とか着て、セルフで写真を撮るだけ。加工もかなり凝る方だと思います。自分に見えないくらいにきれいな作品を作るのが楽しいかったのです。わたしはそれを自分のブログに掲載していました。でもわたしは、そうしたくて仕方なかったくせに、人と違うことをやっている自分に後ろめたさを感じてしまっていたのです。雪乃さんはそんなわたしを救ってくれた方でした」
「雪乃のブログを知ってるんだね? 僕はまだ知らないんだ。彼女は、どんなブログをやってたのかな?」
カヲルはまた目を伏せた。そうしてしばらく考えこむ。
「BL、って、ご存じですか? ボーイズラブっていうんですけど。ああ、でも正確にはエロ系の小説っていうところでしょうか? SMとか自分のような女装の話とか、そういう話が中心で、わたしの写真も何枚か、小説と一緒に掲載していただいたこともあります」
僕は話のとちゅうで中座させてもらってコーヒーを煎れた。なんだか喉がカラカラになってしまった。
「紹介してくれたのはクルミという、ネットで出会った女性でした。クルミはSMの女王で、やはり雪乃さんの小説に協力していました。クルミとは幸い住んでいる地域も近かったので会って話したりもしたんですが。話しているうちに、雪乃さんの話題が出たのです」
カヲルは両手で小さなコーヒーカップを包みこむようにしてひとくち飲んで、おいしい、とつぶやいた。僕はその所作を純粋に美しいと感じた。
「その頃のわたしは悩んでいました。同性愛者の方からの誘惑や、男性なのにそんな写真を出すことへの中傷などが続いたのです。わたしの写真に魅力を感じてくれる方がいたのは嬉しかったけれど、中傷する人は、中傷しながらもどこかでわたしを手なずけたい匂いを発していました。最初に否定することで自分の優位を確認したい人。自由なはずのエロティシズムの世界にそういう人がいることも驚きでした。そしてわたしは、誰もが自分のカテゴリーの中にわたしを取り込もうとしているような被害妄想に苦しめられるようになりました。わたしは自分が好きで少しずつやってきたことが、ひとつのカテゴリーの中に閉じこめられていくこととはどうしても思えませんでした。何もないところから、自分の指向性が小さな芽のように出てくる感覚が欲しかったのです。それでいいのよって言ってくれたのが雪乃さんでした」
エロティシズム、SM、女装? 頭の中で言葉の洪水があふれだして、僕は混乱してしまった。
「雪乃さんは、カテゴライズできない感情をどういうふうに自分の中で育てていくのか、とても興味があるのだと言いました。それがとてもかけがえのないことなのだとも。メールのやりとりをしながら雪乃さんは小説を書かれました。ある程度の人には読まれたと思います。ただ、BLの世界には過激なものも多いし、同人誌などで数多くのファンを持つ人もいる。そういう意味では雪乃さんもまた無名の人でした。でも、そういうことは関係なかった。わたしの、誰にも知られないわたし自身が、言葉になって語られることでわたしは救われたのです」
「そのブログのURLを僕に教えてくれるかな?」
僕はそう言うのがやっとだった。
だいたいそんな小説をいつ書いてたんだ? 教えてくれても僕は非難したりはしなかったと思うのに。
そうだ。雪乃は僕が帰って来る頃には、夕飯の支度をすませていつもパソコンに向かっていた。自分の仕事が終わって、僕を待つまでの時間。遅くとも早くとも、雪乃はそれからスープを温め直して夕飯を並べてくれた。あの時間にそんなことをやっていたのか?
「わたしは喋りすぎたかもしれません。雪乃さんは、太郎さんにそれを読まれることを望まれてなかったのかもと、後悔してもいます。だけど、雪乃さんのご主人にできれば、僕も雪乃さんの思い出を共有してほしい。わたしたちは大事な人を失ったから。その思い出を共有してもバチは当たらないんじゃないでしょうか?」
「僕もそう思う。配偶者をなくすことはとてもさみしいものなんだ。絶対的にいない、ということを受け入れるのはすごく時間がかかる。 僕は雪乃の日記を読むことでそれを紛らわせてきた。そこに雪乃の文字があるという感覚だけで、少しだけ救われた気になってしまう。そのブログを読むことができれば、僕は、また少し救われるかもしれない」
そういうやりとりのあとでカヲルは僕のパソコンにその画面を呼び出し、ブックマークしてくれた。
それからカヲルは新幹線の時間があるからと、華奢なカラダを折り曲げて、ていねいなお辞儀をして家を辞した。
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