2009年10月26日

伊坂幸太郎の備忘録 その5

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「あるキング」 徳間書店 伊坂幸太郎

たとえば「将来は野球選手になりたい」という子どもは昔からいただろうけど、その子どもがこれほど時間と家族の協力を得て少年期から野球に打ち込める時代なんていうのは今までなかったんじゃないか?
もちろん野球好きの子は昔でも野球ばかりやってただろうけど、きちんと監督がいて試合して遠征して親がお金を出して、というカタチになったのはいつの頃からだろうか。

生まれたときからそういう親に恵まれて、早期教育の恩恵を受ける子どももいれば、それが無駄になったり、軌道修正する子もいる。

「あるキング」は、そういう熱狂的な環境に育った王求(おうく)の物語のようにみえるけれど、実はそういうふうに見えるだけの「運命」の話のような気がする。

熱狂的な仙醍キングスのファンである両親に生まれた王求は、その才能をいかんなく発揮し、注目されたり敬遠されたり不幸な事件に巻き込まれたりして、紆余曲折を経て、仙醍キングスで活躍するバッターとなる。

語り手は王求のことを「おまえ」と呼ぶ。
それはおそらく、黒づくめの女たち。

王求の一生が伝記のように描かれているにも関わらず、それは伝記ではなく、「天才」そのものをあやつる運命のように思える。

映画にしたらおもしろいに違いない、掌編でありながら十分に楽しめる。

と、同時に、作者自身を「王求」と重ね合わせてみたくもなる。
立て続けにベストセラーを発表する作家の努力も天性も知っているつもりでも、本人にしか見えない風景があるのかもしれない。
「そんなつもりはない」と笑って片付けられそうな気もするが、おそらく、あの場所にいるからこそ見える「運命の軌跡」のようなものが、伊坂幸太郎には見えているのだ。

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posted by noyuki at 21:29| 福岡 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 伊坂幸太郎の備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

「身の上話」 佐藤正午 光文社

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「まるで、自分を見ているみたいにわたしと似ている」と、ミチルのことを評した友人がいた。
なるほど、彼女に似ている。
ミステリー小説の主人公らしく頭のキレるタイプでもなく、愚かすぎて何もかもを破綻させてしまうタイプでもない、ちょっとのんびりした友人くらいの等身大の主人公がミチルだ。

職場のみんなに頼まれて宝くじを買いにいったついでに、出張する恋人の飛行機に乗ってしまう。
そうして、援助されたり、お金に困ったりしながら、宝くじの当たりを手に入れてしまう。
同郷の友人や、その友人の友達と一緒に暮らしたりするウチに、いろんなことに巻き込まれてしまう。

そんなミチルのことを、冒頭から語り手は「わたしの妻」と言う。
と、いうことは、ミチルはいずれこの語り手の妻になるのだな、と思うのだが、それまでの経緯があまりに多くて、やっと知り合ったときに「繋がった!」と思う。
しかし、繋がると同時に、また別の物語がはじまる。

怖い夢を見て目覚めた朝を想像してみるといい。
ああ、これまでは夢だった、ひどい話だけれど、とりあえず夢から目覚めた、と思っているけれど、実はまだ目覚めてなくて別の夢がはじまっているような、不思議な感触。
そして別の夢があれよあれよといううちに、また違う場所に連れていってしまう感触。

そういうふうに、あれよあれよ、と、別の物語が終わってしまい、ミチルも読者も、夢の中に取り残されてしまうのだ。
どうしろというのだ?

取り残されてしまう小説。
ミチルとともに読者が夢の中に取り残されてしまう小説。

現実に目覚めるまでのあいだ、しばらくの時間が必要。


****************

蛇足。

作家は一生のウチにいくつのパンドラの箱を開けるのだろうか、と考えるときがある。
ひとつでもパンドラの箱を開けることができる小説家は幸せだと思う。
時間を経て、複数のパンドラの箱を開ける小説家もいるのかもしれない。

最近の佐藤正午さんの小説のうちで「5」が、わたしにはパンドラの箱に思える。

では、パンドラの箱を開ける以外の小説は駄作なのか?と言われれば、けっしてそうではなくて、むしろそれ以外のどれもが
「評価されるべき作品」だと思う。

「パンドラの箱を開ける」という偉業ののちに、自分のスタイルで楽しませてくれる作品。
もっともそれが「いつもの小説」というわけではなく「どれもまた新たな小説」なのだけど。

「パンドラの箱」だけにとらわれてはいけない。
それとは違う場所で、作家は常に、思わぬ進化と意外性にチャレンジし続けている。



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posted by noyuki at 22:07| 福岡 | Comment(1) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月12日

「ストリートチルドレン」 光文社文庫 盛田隆二

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文庫化を機に読み返してみる。
どうも、とちゅうから「リセット」と記憶がミックスしていたことが判明。
とはいえ、一気に読み進んだ。
「疾走感」「地を這うリアリズム」。そのふたつを存分に味わえる作品。

1699年、下諏訪の村を逃げ出した19歳の三次が江戸の内藤新宿にたどりつく。
そこから「つながりのない」血脈をたどりながら300年にわたる物語が現代までえんえんと続いてゆく。

三次が茶屋で知り合った男に、どんな仕事が(江戸には)あるかと尋ねる。
「食っていくだけならなんとでもなる」と男は答える。
それが最初のキーワードのように思えた。
 
貧乏も飢饉も戦争も不義も密通もありながらニッポンの内藤新宿で人々はそのように生きてきた。
その中にはいろんな人生がもちろんあるのだが、それでも300年、この物語の人々はこのように生きてきたのである。
そのアバウトさとたくましさと優しさは、現代の新宿の象徴のようにも思え、なんだ、なにひとつ変わってないじゃないか、思い煩うことなどあるものか、これからもこういうふうにやっていけばいいのだと思うのである。

政治を憂い、国を憂う世の中で、よりよい世界を作ることも必要なのだけど。
人は路上で生まれ、路上に死ぬのならば、それはそれでいい。
その強さを「わたしたちの300年の血脈」が知っているのだから、どうにでもなるのだ、きっと。

というようなことを思って、根拠のない強気な気分になれる作品。
ああ、ほんとに、気持ちのいい読後感である。




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posted by noyuki at 21:42| 福岡 | Comment(1) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

小説「タピオカ」をまとめ読みに追加しました

「タピオカ」加筆修正してまとめ読みに追加しました。
よろしかったらまとめ読みをどうぞ。

      こちらから読めます





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posted by noyuki at 15:34| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タピオカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする