
「あるキング」 徳間書店 伊坂幸太郎
たとえば「将来は野球選手になりたい」という子どもは昔からいただろうけど、その子どもがこれほど時間と家族の協力を得て少年期から野球に打ち込める時代なんていうのは今までなかったんじゃないか?
もちろん野球好きの子は昔でも野球ばかりやってただろうけど、きちんと監督がいて試合して遠征して親がお金を出して、というカタチになったのはいつの頃からだろうか。
生まれたときからそういう親に恵まれて、早期教育の恩恵を受ける子どももいれば、それが無駄になったり、軌道修正する子もいる。
「あるキング」は、そういう熱狂的な環境に育った王求(おうく)の物語のようにみえるけれど、実はそういうふうに見えるだけの「運命」の話のような気がする。
熱狂的な仙醍キングスのファンである両親に生まれた王求は、その才能をいかんなく発揮し、注目されたり敬遠されたり不幸な事件に巻き込まれたりして、紆余曲折を経て、仙醍キングスで活躍するバッターとなる。
語り手は王求のことを「おまえ」と呼ぶ。
それはおそらく、黒づくめの女たち。
王求の一生が伝記のように描かれているにも関わらず、それは伝記ではなく、「天才」そのものをあやつる運命のように思える。
映画にしたらおもしろいに違いない、掌編でありながら十分に楽しめる。
と、同時に、作者自身を「王求」と重ね合わせてみたくもなる。
立て続けにベストセラーを発表する作家の努力も天性も知っているつもりでも、本人にしか見えない風景があるのかもしれない。
「そんなつもりはない」と笑って片付けられそうな気もするが、おそらく、あの場所にいるからこそ見える「運命の軌跡」のようなものが、伊坂幸太郎には見えているのだ。
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