ベランダの恋人との逢瀬はいつもベランダだ。
携帯電話の着信音が聞こえる、わたしはそれを持ってベランダの戸を開ける。
「今、いい?」とベランダの恋人が尋ねる。「いいよぉ」わたしはそう答え、ベランダに置いた椅子に座る。
南西を向いた広いベランダからは、公園に隣接したテニスコートが見える。制服を着た女子高生がスカートを翻しながらラケットを振っている。その向こうにはマンションが林立している。そのマンションの隙間を、箒に乗った魔女のように風が通り抜ける。
わたしたち夫婦は、カナミが幼稚園の年中の頃にこの中古マンションを買った。
13階建てのマンションの7階。そろそろ小学校を視野に入れて家を探したのだが、ベランダの広さに一目惚れした。
「ここに椅子とテーブルを置いてビールを飲むといいね」と夫が言って、ベランダ用の白い椅子と小さなテーブルを購入した。
夏の夕暮れなど、そこでビールを飲む日ももちろんあるのだが、それ以外の日はわたしの専用のようなものだ。
夕方、子供が帰ってくる前くらいの時間に、ベランダの恋人と電話で話したりする。
今日の天気のこととか、地下鉄で読んだ本の話とか、たわいものない話をしながら、わたしは洗濯物を取り込んでテーブルの上に放ってゆく。
冬の日の太陽がマンションのすきまに沈んでゆく。少しずつ軌道をずらしながらも、同じように沈んでゆく。
退屈で昨日と今日の区別もつかないような一日も、言葉にすることで、ある種特別な一日になることを知った。
言葉に変えることは、わたしたちのあいだで実体を持つことなのだ。ひとつひとつの出来事が言葉に変わってゆくのは楽しい。
ベランダの恋人は遠いところに住んでいるのでめったには会えない。
半年に一度とか一年に一度会えないことはないのだが、会っているときは楽しくて、そのあとは会えないのがさみしくなる。
ベランダの恋人にはセックスが不似合いだ。
めくるめく瞬間と、日常とのギャップで、わたしは帰るべき場所を失う。名前を持たないセックスは暴力的に日常を壊してしまった。ひとたび壊してしまったあとで、それがわたしたちの望みではないことにようやく気づいた。それからわたしたちは、もっともっと、穏やかに長らえることを選んだ。
選べるまでに、とてつもなく長いぎくしゃくとした時間が流れた。それでもわたしたちがそれを選んだのは、けして間違いではなかったと思っている。
ある日、わたしはその男のことを「ベランダの恋人」と名前をつけた。ベランダの恋人はその日から、夕暮れの空を通して繋がれるようになった。少しだけわかった。すべての関係には名前と適切な距離が必要なのだ。
ここのところ一ヶ月ほど、ベランダの恋人からの音沙汰がない。
メールを打っても返信さえもない。わたしは毎日、夕方ごとに携帯電話を持ってベランダに出た。携帯の電源は切れているようにも思えた。
最後に話したのはどういう内容だったのか?
職場の検診でひっかかって、再検査に行かなければいけない、何事もないといいんだけどね。たぶん何もないよ。すごく元気そうな声だもの。でも、安心するために再検査するのは悪いことじゃないよ、そういうやりとりだったと思う。
あれから何がどうなったのか? ベランダの恋人は病気だったのか? それともなにか別のトラブルを抱えたのか? それとも、もう、こんな関係はやめようとある朝ふっと思い立ち、わたしの携帯を着信拒否にしたのか?
不自由な想像力は、悪い方向に走りだそうとするばかりだった。
そうだ。いつもそうだ。
わたしは悪いことばかりを想像する臆病な人間だったのだ。
そうじゃないのは、ベランダの恋人がオプティミストだったからだ。
わたしは、毎日家族の夕飯を作り、夫とビールを飲んだ。なのに、たったひとつの不安で、すべての景色が色褪せてしまっていた。夜になってベランダに鍵をかけてカーテンを閉めてしまう。するとそれだけでベランダの恋人の記憶をすべてを置き去りにしてしまうような気がした。 わたしのまったく知らないところで、ベランダの恋人は別の日常を生きている。それがどんなことであろうとも私は知らないままでいるしかない。今、もし、ベランダの恋人が遠い町で死に絶えていたとしても、わたしはそれすらも確認できないのだ。そう思うと、心の中に小さな黒い毛糸玉のようなモヤモヤがいくつも転がっていった。
クリスマス休暇に入った。
よけいにベランダの恋人は遠くなった。なにがあったとしても家族がベランダの恋人を支えてくれるだろうし、あるいは彼が家族を支えていることだってあるのだろう。
そうしてわたしもまた、わたしの家族にそうすることが必要だった。
「今日はみんなでアイスクリームを食べに行こうか」と、その日夫が言って、わたしたち家族は流行のアイスクリームショップに並んだ。
「食べ終わったら、みんなのクリスマスプレゼントを選ぼう」
日常ではないイベントにカナミが喜んだ。
アイスクリームショップは長蛇の列だった、いろんな種類のアイスクリームの色鮮やかなメニューを見つめながらカナミも辛抱強く並んだ。
そしてわたしたちの番がやってくる。
「今日はおまたせしてすみません。クリスマスだから、うたをうたいながら作りましょうね」
小さなカナミにそう言って、ショップスタッフがみんなで声を上げてうたいながらアイスクリームをアレンジしていった。
I wish you a merry ice-cream! I wish you a merry ice-cream!
カナミがぎゅっとわたしの手を握った。驚きと喜びの鼓動がその手がら伝わってきた。夫がその様子を笑いながら見ていた。
クリスマスの魔法の粉を振りかけたアイスクリームにカナミが目を丸くして喜んだ。
あたたかい歌声だった。
そうだ、こんなふうに祈ればいいのだ。
祈るのだ。悪いことを考える前に、いいことに変わるように祈るのだ。
祈ればいい。
悪いことを想像する前に、いいことに変わるようにと祈ればいいのだ。
それだけで、世界の景色は、こんなにも簡単に変わってゆくのに。
下を向いて、甘いアイスクリームをつつきながら、少しだけ泣いた。
涙でアイスが塩味にとけるのを悟られないように、静かに、わたしは自分の中のペシミストのわたしを溶かしていった。
夫にはトミーヒルフィガーのマフラーを選ぼう、カナミはなにが欲しいのだろうか、なんでも欲しがりだから時間がかかるかもしれない。彼女ができるまで、ゆっくりと時間をかけて選んでゆけばいい。
それから、家に帰ったら、ちょっとの時間をかけてベランダでメールを打とう。
届いても届かなくてもいい。
届かない気持ちのやりとりで、世界がくるくるとその風景を変えてゆくなら。
わたしは、ベランダの恋人のための、わたしたちの世界の風景を作っていけばいい。
I wish you a merry Christmas!
わたしたちの家族がその瞬間を楽しんでいるのと同じように。
ベランダの恋人にもその気持が届きますように。
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