
話題になっているので、勝間和代と香山リカの対談を読んでみた。
ふたりとも時代のマイノリティを代弁しているだけであって、その主張は反目するものではない。
なんとなく、その側面をいろいろ考えてみた。
香山リカについて。 努力することが求められる世の中で彼女は、努力できない人を弁護している。カタチから「勝間和代のような生き方」を目指すことの危険さも彼女は知っている。
学校に馴染めない子どもたち、仕事社会でうつ病になる人々。彼女はそんな人々の代弁者である。
ところが、対談においては「かみついている印象」を持たれる分、不利だなあと思った。
勝間和代が雄弁な分、そういうふうに見える。
彼女はひとりで書くことの方が、もっと素晴らしいものを生み出せるような気がするのが残念。
勝間和代について。 それでも「単純にどちらに賛同するか」とまわりに尋ねると、香山リカと答える人の方が多い。
努力して何かを獲得するのは、カッコいいことだとは思われないのは風潮である。そこに「努力して何が悪い?」って言い切るのも、マイノリティだと思う。
大卒女子の中には成功者も多いが、実はいろんな意味で脱落している人も多いことも知っている。
有能であることへの妬みは大きい。それを「恨まない、敵をつくらない」という処世を身につけてやりすごしてきた人だと思う。
たくさんの処世を身につけてビジネスの世界を生きていく。それは当然のことであるけれど、実は妬みにもなっている。
二人の対談を読んでいると、努力をして有能になることも恨まれ、ドロップアウトすることでも蔑まれるという、構図が見えてきた。
そうして、ふたりの女性が言葉をつくして弁護している。
誰に代弁してもらわなくても、いろんな人がふつうに自分でいられればいいのに。
そんな、ぜんぜん関係のないことを考えた。
どちらも、「自分を貫く、善き人」である。
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