「たとえその男の人が、君が僕を思っている以上にきっと僕の方が君を好きだって言ったって、ぜったいわたしの方が間違いなくたくさん好きだって思う」
何かの雑誌で読んだ、ある女性歌手のインタビューだ。
タミーはそれ以来、その歌手に共感を感じるようになった。
あの男がそう言ったのだ。
つきあいはじめた頃のある日のバーで、男はそういうふうにタミーに言ったのだった。
「わからないだろうけれど、たぶん、僕の気持ちの方がぜったいに重たいんだ」って。
結婚記念日にワンピースを贈りたいと言って、その男は店にやってきた。
仕立てのいいスーツを着た30代前半らしき男性だった。
「妻がここのブランドが好きで。最近ショーウィンドーに飾ってあった幾何学プリント柄のワンピースを買おうかどうか迷っていると話してくれたんです。あ、サイズは38なんだけど」
どのワンピースなのか見つけるのは簡単だった。彼女の名前は顧客名簿にあったし、ワンピースを手にとって見せたのは、ほかならぬタミーだったからだ。
「ウチのブランドのそのサイズなら奥様はとてもぴったりのはずです。肌映りもよくて、いつもより少し冒険的な柄ですけれど、きっと着る機会も多いと思います」
ストレートの黒髪に無地のワンピースを合わせることの多い女性だった。もう少し派手なものに挑戦してみたいけれど自信がなくて、という言葉が自然に出てくる。敵をつくることもなければ、誰かを陥れることもなくおだやかに暮らして、そして結婚していったタイプ。
「その通りだし、憎めない人なんだけれどね」と男は妻のことを評した。
ある晩の帰宅のとちゅうでばったり会ったその男は、きれいにラッピングしてくれたお礼をさせて欲しいと、タミーを誘った。
お客さまにそういうことをしていただくのは禁じられておりますし、それに、わたしは自分の仕事をしたまでですから、というタミーの言うことも聞かず、ほら、あそこのお店、行きつけのバーなんだと、なかば強引にタミーを連れていき、それからメルアドを聞き出すことから、つきあいがはじまった。
強引だけど、話してみると情感に溢れているところが好感だったけれど、妻へのプレゼントを選んだ女性とつきあうのは整合性がない。
そのことを指摘したときにそう言ったのだ。
「君が思っている以上に君のことを好きなんだ」と。
押し切られるようにつきあったのに、だんだん自分の方が好きになってゆくのがわかるときの気持ちは、熱病のようだったけれど、そこにはたしかな敗北感もあった。
いつだってそうだ。
誰かに認められたくてしかたないんだ。
そんな気持ちで恋をして、そしてわたしは自爆してゆくんだ。
がんばって大学に合格したときも、就職が決まったときも、いや、もっとずっと幼い頃から、両親はいつもタミーの出す結果以上のことを望んでいた。
ことに母親は学問に関しては容赦なかった。
わたしは学問も手に職もなかったからお父さんに養ってもらわなければならない。あなたにはそういう人生を歩んでほしくないの。だから、力をつけてひとりで生きていけるようになりなさい。
地方の公務員で暴君であった父の期待以上に、母親はずっと屈折した期待をタミーと兄にかけ続け、兄は期待どおりにその地方屈指の大企業に入った。
タミーは、逃げた。
地元国立大学の二次試験を巧妙に失敗し、家から通えない私立を選び、ひどい愚痴を聞かされながらも学費を出してもらい、大学のある都市に就職した。
実をいえば、それは高校に勤務していたスクールカウンセラーの内緒の入れ知恵もあったのだが、彼の言葉は今でも忘れられない。
「親子だからって、離れていた方がいい親子だっている。実際、君がそうだ。君が知恵をしぼって両親から離れたとしても、僕は賢い選択だと思うだろう」
いままで頼りにしてきた人間を切り捨てるのは容易なことではない。
嫌いと思っていいんだと言われて嫌いになれるのは表面だけだ。
カウンセラーは、決めるのは自分だと言った。
何年も何年も、若いときの暴挙が正解だったのかわからない年月が続いている。
両親は今でも、同居する兄夫婦や子供に対しては暴君だと伝え聞く。
タミーは逃げられた。
だけども、大きな影がいつもつきまとっている。
無条件に自分を受け入れてくれるはずのものを、自らの手で遮断してしまった影。
それはいつも、自分では手に負えないほど過剰で、どろどろとしていて。
それが愛なのかどうかさえもタミーにはわからない。
もし、男の愛情が「自分以上」のものだと男が言い切るのならば、彼はこの巨大な影以上のものを抱えているということなのか?
そんなことはあり得ない。
それだけは見ているだけでわかった。
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