2011年04月28日

九州新幹線(日記より加筆修正)


京都のホテルにチェックインして、しばらくして清水五条駅のあたりへ向かった。
バスの路線がわからない。目の前にあったおみやげやさんで地図をいただき、バスの行き先と見比べながら乗ってみた。
そして四条でマクドナルドに入り、無線LANで場所チェック。ここからはたぶん京阪電車でひと駅だ。

今年に入り、わたしの家の玄関からは新しくできた新幹線が見えるようになった。
何度も試運転を繰り返す頃から薄いブルーの新幹線を何度も眺めていた。
夜の新幹線はとりわけ美しい。まるで光の矢のようにまっすぐに延びてゆく。
駅舎は新しくなり、ステンドグラスの明るい天井からは柔らかな光が幸せの象徴のように降り注いだ。
開業の日にはたくさんの人がこの駅にも降り立つだろう。駅前のステージでは一日中音楽やダンスが鳴り響き、地元の自慢料理の出店が並ぶ。
その日はもう目前だった。

だけども約束された未来が必ずやってくるとはかぎらない。
前日に311の大震災が起こり、イベントは中止になった。
小さな未来よりも、もっと大きな現実に押しつぶされ、わたしたちは涙し、途方にくれ、そして混乱した。
それでも九州新幹線は静かにダイヤ通りに駅にすべり込んだ。
経験したことのない大きな現実に混乱することなく、いや、混乱の中に一本のまっすぐな線を引くような確固とした意志を持って、九州新幹線は走りだした。
いつかは新幹線に乗って遠くの町に行こう。
それはわたしの、ごく個人的な小さな希望になった。

清水五条の駅を降り、地図で曲がり角のビルの名前をたしかめて、お目当てのお店に入る。
小さなお店のベリーダンスのショー。たまたま京都に行こうと思い立った日に、そこで知り合いの熊澤洋子さんがバイオリンの演奏をすることを知り、お店に電話してチケットを予約したのだ。

妖しくも楽しいベリーダンスを堪能したあとの休憩時間、「バイオリンの方、お知り合いなんですか?」と、隣の女の子が熊澤さんのバイオリンにいたく感激してた様子で話しかけてきた。
九州から出てくるのに、ちょうどイベントで聞けてよかったって言ってたら、「九州から?」って前にいた女の子も振り向いて、休憩時間中4人でわいわい盛り上がる。
誰の知り合いだとか、誰に習っているのだとか、ここに勤めてるのだとか、ガールズトークに混ぜていただいて、わたしは嬉しくて嬉しくて。 その日の後半のショーを楽しむときは、わたしたちはまるで最初からの知り合いのようにいろいろつぶやきながらショーを楽しんだ。

最初に声かけてくれた女の子がホテルのとちゅうまで道が一緒だからと送ってくれることになった。
パン屋さんで働いていること。
もうひとりの人は朝4時半からパンを作っていること。
そんな彼女に、こんな顔があるなんてほんとびっくり、とか。
そんなことをいろいろ話しながら夜の道をえんえんと歩いた。

列車に乗ること、いろんな不可思議なものを見ること、ふらふら道に迷うこと。
どれも好きだけど、ああ、人に会いたかったんだなと思う。
生きて、手に触れられるくらいの距離の人にたくさん会いたかったんだなと思う。
生存にたいする感覚が鋭敏になっている時期なのだろう。
そういうときはきっと、人に会いたくなるものなのだと気づいた。

たくさんの人に出会い、いろんなモノを見ておいしいものをいただき、そして列車の旅を堪能したのち、わたしはまた、これまでに経験したことのない日常を生きている。

被災地のこと。原発のこと。これからのこの国のこと。自分の意志。
誰もがいままでに経験しなかったことを前にして、一丸となったり、優しくなったり、怒ったりする毎日。
これらの日常はこれからわたしたちの未来を形作っていくのだろうけれど、それが形になるまでのあいだ、たくさんの時間を要するのだろう。経験したことのないものを前にして、人は皆、ちがうことを感じ、ときには暗たんとした気持ちになって、誰かを責めないではいられないこともある。未来はそうやって繋がっていくことに、やっと今頃になって気づいた。

そうした中で、九州新幹線のCMが話題になってることを知った。
開業前、特別な新幹線が走るので、みんなで手を振ろうという企画があることは伝え聞いていた。
駅は満員で定員に達していたが近くにも撮影スポットがあるという。地の利からその場所を見つけて、わたしも出かけていったのだ。
50人ほどの人が集まっていた。
カメラを持つ人もいたが、近所の人がわらわらとやってきた感じのその場所で。
みんなで手を振りながら、アイフォンでその新幹線を撮影した。





ちょっと手ぶれがあるけれど、これがそのラッピング新幹線。

なんだか不思議な気持ちだ。
いろんなイベントが中止になっても、みんなが手を振ったCMでこんなに感動できるなんて。

手を振って誰かが元気になれるんだったら、いつでも手を振るよ。
もう少し、未来のはっきりとした形が見えるまで。

そしてこちらが、その九州新幹線のCMです。残念ながらわたしは映っていません。




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posted by noyuki at 17:30| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

日記「軽やかさ」

これも個人的な日記より。


「軽やかさ」

盛田隆二さんの「きみがつらいのは、まだあきらめてないから」という短編の中で、奥さんがダンナさんに「もしかしてあなた、頑張れって励まされると、逆にしんどくなる病気?」って聞くくだりがあって、(夫はうつ病かもしれない、うつ病だったら大変だろうなあ)と思いながら、用心深く、深刻にならないように尋ねる奥さんの軽やかさが好きです。

実際はその背景はすごく重たいものなのだけど。

重たいものを抱えたときに深刻になってしまうのは当然のことで、希望や頑張ろうって言葉が世の中にあふれることも当然のことなのだけど、その中にいて斉藤和義さんの軽やかさはいいなあと思いました。

怒りも、希望も、すこしばかり自分から距離を置いた場所にあった方がいい。
それは自分の外側で。
内側にはもうちょっと大事なものを置いておきたいから。






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posted by noyuki at 08:25| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日記「ハートカクテルその後」

最近いろいろ日記を書いている。SNSを利用してではあるけれど。
日常が揺らいでいて、なんだか書いていないとどこかへ流されてしまいそうな気がするのだ。
無駄だったり、感情を吐き出すだけのものも多いけれど、今、自分が感じていることをブログで記録しててもいいなと思った。
わたしは今、こんな状況の中でこんなことを感じているってことを。
以下、その日記です。




「ハートカクテルその後」

「ハートカクテル」だと思うけれど、都電に乗っていたら、あ、春がきたって思う場面があって、その絵がとても素敵で、嬉しくて男友達に電話もしたら彼もそう思っていて、電話でしばらく話したってことがあった。

昨日、電車に乗っていて、唐突に「ハートカクテル」のその場面を思い出した。
ああ、春が来るときって、こんなふうに柔らかい光が電車の中に降り注ぐんだよね。

わたしは買い物したいというムスメと一緒に電車に乗っている。

あれからわたしは結婚して二人の子どもを育てて、二人ともまだ少々の援助を必要とする年頃である。
そのときのボーイフレンドも同じくらいに結婚して、短いメッセージつきの年賀状だけのやりとりは続いているのだが、最近の彼の住所は仙台のどこかの駅前らしきマンションだった。

安否を確認するほどの仲ではないので連絡はしないが少々心配はしている。

その頃「ハートカクテル」はモーニングにはオールカラーでついていて。
わたしたちは、あまりたくさんのものを背負っていなくて、身軽で幸せだった。
今は少々荷物が重すぎて、ときどき、都電の春や、潮風の心地良さなどを忘れてしまっている。

男友達も「ハートカクテルの主人公」のように感受性豊かなままでは生きていけなかったにちがいないと思う。
今会って話したら、もっとタフな印象を持つような気がする。

わたしたちは、そういうふうにたくさんの荷物を持って、心の中には「ハートカクテル」にも描けないような、複雑なほころびをたくさん持っているけれど。
それでも、都電の春の一日のシーンを思い出すような日がある。

そんなもんだよな、もう、それだけでいいかな、と、昨日電車の中で思った。




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posted by noyuki at 08:19| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする