ヨルムは静かだ。
夜の海を見つめているように遠くをみている。
今ここで起こっていることを20メートル先から見ているような感じで、焦点があってないんじゃないかって心配することもあるけれど、それはたぶん、一定の距離を保ちながら静かに現実世界と対峙しているだけなのだと思う。
わたしはときどき、彼女とふたりっきりになって一日中話していたいなと思う。
そうだとしても、話すのはたぶんわたしがほとんどだ。
彼女はときどき、ああ、そうですねとか、あ、ほんとだとかうなづきながら私の話を聞いてくれる。
海にぽーんと小さな石を投げるような静かな会話。小石が海に沈んでゆく音だけが聞こえているような感じ。
黒目がちのヨルムの目はいつも静かな海を見ているわけではない。
彼女の心にはいつか嵐がやってくる。
それが不定期に起こるのを、わたしもヨルムも知っているし、とりあえずは何種類もの小さな錠剤が彼女を守ってくれているのも知っている。
それでも嵐はやってくる。
低くない確率で「それ」がやってくるのをわたしたちは知っている。
「眠れないんですよ」と、ある日のヨルムがそう言うた。仕事を休んだ次の日のことだった。「すぐに病院に行ったんです。しばらく再発しなかったから大丈夫だと思ってたんだけど、やぱりダメだったみたい。この病気とは一生つきあわなきゃいけないからって先生に言われた」
ヨルムは淡々とした口調だった。不謹慎な言い方をすれば嬉々とした感じにも聞こえた。
わざとではない。ヨルムはそういう病気なのだ。
その日から、静かなヨルムの心に白い波の形が見えるようになってきた。大きな波がざぶんざぶんと揺れている日もあって、そんな日のヨルムは饒舌だった。
つきあっている男の人がいるんです、ほんとは、でも会うことはあっても、なかなかカラダの関係まで行きつけないの。おまけに、今彼は、わたしのチャンネルが変わったことにとまどってる。メールもなかなか返事がこない。毎日送ってるんですけどね。あ、それからわたし、明日は仕事の面接に行こうと思って。ここの仕事ってフルタイムじゃないから、どこかフルタイムのところ探してるんですよね。わたしもほら、いつか、独立して家を出なきゃいけないから。
「大丈夫? 落ち着いてから行った方がいいんじゃない?」
「ううん。今だとなにか出来るような気がするんです。てか、今じゃないとできない気がする」
ヨルムは書類を揃えて、日程を仕事の面接に行くがことごとく落ちてしまう。
ヨルムはめげない。
病院の先生もやんわりと止めるようだが、ヨルムは今しかできないと言う。ヨルムの病気がヨルムを動かすのだ。そして、そんなふうに無敵になって動けることがヨルムの原動力になっている。
いっしょに仕事をしている日もヨルムは饒舌だ。
ずっとおしゃべりしたり笑ったりしながら、単純でおもしろくもない仕事をどんどんこなしていく。そしてわたしも、そんなヨルムのエネルギーに乗っかるようにして、いつもよりもよく喋り、よく働く。
楽しい。
静かにいろんなことを受け止めていた彼女の心が今、潮流になって流れだしている。
頭のいい彼女の心の動きがひとつひとつわたしに染みいって、ああ、こんなふうにヨルムは思うんだなってわかるのがとても楽しい。
ときどき引きずられて疲れることもあったけれど、それでもなんだか楽しかった。
それから約1ヶ月のあいだに、わたしとヨルムのチームは膨大な量の仕事をバンバンを片付けていった。
まるで居酒屋の店員みたいに「これ、終わりました〜。つぎ、どんどんいきま〜す」とか言いながら、お互いの仕事をやりとりして、まわりで見ていた人たちも「ここのチームはすごく楽しそうね」とケラケラ笑う。
わたしたちも笑う。
不思議と咎められることはなかった。
わたしたちは「楽しそう」だったし、何よりも常軌を逸したスピードで、すごい量の仕事を片付けていたからだ。
それからしばらくして、大量の薬がやっと効果を発揮してヨルムはまた静かな夜の海に戻った。
暗い海にはもう波は見えなくて、ヨルムはお昼休みにはクスリを飲んで眠った。
「すごいエネルギーを使って、カラダが疲れてるんだろうって。どれだけでも眠れるんですよ。ほんとにわたし、あの1ヶ月のあいだ、ほとんど寝れてなかったし、今体中が疲れきっている感じ」
仕事が終わって駅までの距離を歩くのもつらいらしく、「車で駅とおるなら乗せていってください」って言われることが多くなった。
「いっかいね、すごくヤバかったみたいで、先生がその場で注射したの、そのとき、わたし立っていられなくってその場に座り込んじゃった。すごいショックでしたよ。だってね、なんでもできるような気がしてたのに。たった一本の注射で動けなくなってしまうなんて」
なんでもできるような気がしたんですけどね、そう付け加えてヨルムは笑った。
ああ、眠たい。そう言って車の中であくびをするヨルムの横顔を見てみる。
もう、黒目がちの瞳には何も映っていない。
わたしはとても小さい人間だから、やっぱり原因を考えてしまうのだ。
ヨルムはいつもなにかを我慢してたんじゃないかとか、幼い頃になにかのトラウマがあったのかとか。
そして余計なことだと思いながら結果までも考えてしまうのだ。
これからヨルムはわたしの傍にずっといてくれるだろうかとか。
今の仕事場のスタッフはヨルムの病気を知っていて、それでもいつまでもいていいのだと言ってくれるけれど。
でも、それではヨルムののぞむものは何ひとつ手に入らないのではないかとか。
彼女と同年代のロストジェネレーションの若者たちがそうであるように、ヨルムはなかなか手に入らないものをいっぱい抱えたままなのだろうか?
あくびをしたまま寝入ってしまったヨルムを乗せて、公園脇の大きな道に車を止めて、窓をあけた。
カラダという宇宙のなにかもわからないくせに、そうして理由をつけて片付けようとしてしまうのが愚かなことなのかもしれないなあと最近思うようになってきた。
カラダの中の海に理由はない。
ヨルムを見ているとよくわかる。
それは、ただそこに揺れていて、そしてときに激しく波立つだけ。
きっと、理由なんてなにもないのだ。
台風が近い、夏の突風に髪の毛がゆれて、それでヨルムが目を覚ました。
「あ、あ、ごめんなさい。寝てしまってたんですね」って言いながら。
「ねえ、少し前にふたりですごいテンションで仕事したとき。あれはあれで楽しかったね」
わたしがそう言うと、表情のないヨルムの目が少し涼しげに笑った。
「ほんとそう、あれはあれで楽しかったですね」
今はほんとに疲れててとてもあんなふうにはできないけれど。
でも、またいつか、そんな日が来ると思いますよ。
ヨルムは天気予報の原稿でも読み上げるように、窓の外を見ながら少し笑ってそう言った。
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