2011年10月31日

「事の次第」 小学館文庫 佐藤正午






注・ この文章には少々のネタバレが含まれていますので、これから読まれる方はご注意ください。




最近の佐藤正午さんの文章は複雑な構成が多い、と、書こうとしたけれど、コレは最近のではなくて1997年に「バニシングポイント」の題名で発表された作品だった。
大昔に読んだ記憶を紐解いてみると、短編が不思議なつながり方をしていて、その雰囲気が好きだった作品。
今、読んでみると、おおまかに言えば「ダンスホール」に繋がっているような、登場人物のつながりが物語を作り上げている独特の手法。
構造の話をすればきりがないが、町のうわさ話のように人の物語が流れてゆく感じがとても佐藤正午さんらしい作品だと思う。

たとえば飛び降り自殺をした女性の話。
彼女は脇役としてしか登場しない。タクシーに乗り込んできて財布を忘れた女性。近所の放火事件を心配する妻の口から発せられる「犯人」。そして、主人公のひとりと曖昧な恋愛関係にあった女性。
三方面の「語り」の中に、生きているひとりの女性の姿が浮かび上がる。
どの顔もまったく別の顔だ。
そして、いくつもの別の顔の中から、彼女という物語が浮かび上がってくる。

また、どうしてもわからなかった男の過去が、この短編の別の物語で語られていたり。
一見関連のないように見える物語が、人物を通して繋がっていったり。
本当の話と噂話が組み合わさってできあがったものは、外面と内面と両方から突き詰められていくような重厚さと緻密さを兼ね備えているように思える。

ひとつひとつの短編をとっても佐藤正午さんらしい物語を楽しめるが、時間をかけて連作の中に出てくる人物を追ってみても夢中になれる作品。
描かれている事だけではない何かが、圧倒的な筆力の中で浮かび上がってくるとき、読みながらぱっと脈があがり興奮していくのが自分でもわかる。
それが最近の佐藤正午さんの醍醐味だ。

余談 1。

解説の東根ユミさんは、小学館の「きらら」にて佐藤正午さんのロングインタビューをメールのやりとりで行った女性。彼女の解説は素晴らしいけれど、実は東根ユミさん、謎の女性のように思います。

彼女の名前を検索すると「ロングインタビュー」に関わる記事以外に何も出てこないし、フェイスブックにもTwitterにもいらっしゃらない。ライターという職業上、それもまた不思議。偽名か、あるいはまったく予想もしていない方がインタビューされてるんじゃないかと思っています。

余談2。

個人的に「事の次第」の人物相関図を書いてみています。
まちがいもあるかもしれません。

http://shogofan.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3571830





人気ブログランキング へ
人気ブログランキングへ
posted by noyuki at 15:15| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月18日

「舟を編む」 光文社 三浦しをん



最近の三浦しをんさんの本はほんとに楽しい。
おもしろいとか、このあとどうなるか続きが気になるってのもあるけれど、なによりも楽しい。気分があたたかくなって、ああ、この楽しみをずっとずっと味わっていたいって思っていられる。

「舟を編む」は大渡海(だいとかい)という辞書を編纂する物語だ。
出版社の事情やら、その辞書の規模の大きさから、大渡海(だいとかい)は完成するまでに15年の歳月を要する。
これはその15年にわたる物語だ。

主人公の馬締(まじめ)光也が、風変わりではあるけれど魅力的だ。二宮くんや錦戸くんあたりが演じてもきっといい味を出すのではないかと思う。そういうのを想像するのもまた楽しい。
そう。しをんさんの書く男性は、外見や性格に難があったとしても。とにかく「魅力的」なのだ。
髪の毛の毛穴からフェロモンがにじみでる雰囲気まで描き出せる稀代の筆力と、声を大にして言いたい。

そして、脇をかためる西岡や、新しくメンバーに加わる岸辺も、その魅力と探究心に惹かれるように辞書に夢中になっていく。おまけに学者や、印刷関係の方までも、辞書に対する熱意がすごい。

人の熱意は美しい。
わたしたちの使う「言葉」という道具は、複雑で膨大ではあるけれど、それもまた美しい。
それを存分に味わえる。とてもとても幸せな本だと思う。

「大渡海」が出版される際には、わたしは迷わずアマゾンで予約したい。


人気ブログランキング へ
人気ブログランキングへ




posted by noyuki at 22:05| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

なるだけ短めの物語 3

「ノイズ」

ネットで知り合ったその人は、楽しい人だった。
会ってみてもその印象は変わらない。思ったとおりのダンガリーのシャツ、よどみないの会話、そして正確にわたしの心の奥底にマリンバのように響く感情の音楽。

なのに、彼といっしょにいるといつも気づかされてしまう。

わたしは音が苦手なのだ。
「no music no life」な人と、ちょっと大きめのジャズが流れるお店に入ると、まったく会話が成立しなくなってしまった。音だけに集中している分にはいいのだが、ちょっと会話をしようとすると、マーブルのようにその2つの音が入り交じる。
彼はわたしの混乱に気づかずに、機嫌のいいままでずっと喋り続ける。
わたしはだんだん口数が少なくなる。そして機嫌が悪くなる。気分よくカクテルをおかわりする人はそれには気づかない。
音が会話の妨げになるなんて想像もできないのだ。
となりのテーブルにグループ客がいるだけでもダメだ。そんなときも会話がマーブルになる。一度耐えられなくなって、出ようと言った。
「よくわからないよ。隣の音と身近な音は別の音だろ? それを区分できないってことがあるの?」
そう言われて改めて、自分の感覚が人より劣っていることに改めて気づかされた。

大きなプロジェクターのある彼の家のリビングには、いつも音があふれていた。
バッハだったりビル・エバンスだったり、借りてきたDVDだったり。

彼のことが嫌いだったのではないと思いたい。
彼をとりまく音の洪水につきあうことができなかっただけだ。

わたしは「変化」に弱い子供で「おおきな音」にも弱い子供だった。体育の時間に新しい体操を学ぶことも苦手で、暗記ものも苦手で、そしてもちろん、子供同士のささいな悪意の標的になりやすい子供だった。

なんで無事にオトナになれたのかも不思議だったけど、それなりの努力もしたと思う。
状況が変わるときは、紙に書いて、何度もそれを見るように気をつけたし、それは仕事をするようになってからは病的なほど大量のメモ作りへと変化していった。人の顔を覚えるための特徴とか記号のような似顔絵とか、名前を覚える記憶のキーワードとかも、いつもこっそりと小さなノートに書き留めておくのを忘れなかった。 幸いにも国語や英語など「文章で表現すること」だけは得意だった。 だからトータルで能力のことを問題にされることもなかったけれど。わたしだけは知っていた。同じことを同じようにやってもわたしにはできないことがたくさんあるのだと。

巧妙に、できないことを避けたり、苦手なことを避けたりしながら生きてきた。

多かれ少なかれ、そういう部分は誰にでもあるのかもしれない。
戦ったり傷ついたりしながら生きることも誰にでもあることなのかもしれない。
他人の事情はわからない。
わたしが知っているのは、わたしがそれと戦ってきた長い歴史のことだけだ。
そして、誰にもそのことを言えずにいたこと。
言ってもそんな些細なことに苦労していたことは誰も問題にしないだろうってこと。
誰も問題にしなくても、自分にとっては、間違いなく弱みあってで引け目であったってこと。

ゆるやかに、現実という場所にいる男を避けるようになった。
わたしはそういうふうにして「巧妙に苦手なことを避ける」のに長い時間をかけて慣れてきたから、こんな感じで自分を守ることは厭わない。

だけど、誘われるたびに使う言い訳は、少し癇に障っただろうか?

ネットの中でだけ、ふたりでいられたらいい。
文字情報だけの、音のない彼とだったら、いつまでも幸せでいられるからだ。

いちばん最初の夜、すごく緊張して音のない闇の中で二人の肌を合わせた。
細い三日月の夜の、身体のこすれあう音だけが響く闇はとても素敵だったことを、今でもずっと覚えている。
一年も前のことが、まるで昨日の夜のことみたいに鮮明だ。
それはもうおそらく、二度とないことだ。そう思うと、少し、というか、かなりさみしい気分になってしまった。

それでもわたしは、こんなふうに、混乱を避けて自分を守っていくんだろうと思う。
誰に対しても、繰り返し繰り返し。

ネットの中にいる、文字情報の彼は。
今でもせつなくなるくらいに好きなんだけど。
それでもわたしは自分を守り続けていくだけだ。


人気ブログランキング へ
人気ブログランキングへ

posted by noyuki at 22:02| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | なるだけ短めの物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする