2011年11月30日

新聞が言葉狩りをするような社会は最低だと思う

どうしてもニュースの意味がわからない。
居酒屋で懇親会をしていて「これから犯しますよ」と言ったことによって田中防衛局長が更迭されたというところ。
その前後のこと、沖縄県民の感情のこと、「発言の有無は否定せざるを得ない」という文章の意味。

文脈の背後関係というのがまったくわからないから、これは政治的なこととか沖縄県民の感情に背後関係があるのかもしれないけれど、「非公式の懇親会で言葉狩りをされて更迭された」という印象だけがわたしの中に残っている。
とてもこわいことだと思う。

言葉は完璧ではない。
言葉は心のすべてを言わない。心にそって、よく似たかたちの言葉を選ぶけれども、それでも言葉は心のすべてではない。
なによりも言葉は多かれ少なかれ「選びまちがえる」。

居酒屋だから酒も入っていたのかもしれないし、これは公式の発言ではない。
そういう場所で、選び間違えた言葉がピックアップされて、報道されて、更迭される。
それが報道機関によって行われている。
こわいことではないか?
わたしはこわい。
「言論統制だってできるんだぞ」って言われているようでこわい。

「ひどい発言をした人間は辞めさせられて当然」という社会の雰囲気もとってもこわい。
「ちょっと今のひどいよ、撤回してよ」「ああ、そうだねごめん」みたいなやりとりのない社会にいるように思える。
人はみな、言い間違えて人を傷つけたりする隙間を持っていると思う。
その隙間があるから、埋めるために「やりとり」をするんだ。

どんなに不適切な発言であってとしても、言葉狩りは言葉狩りである。
誰もがそういうことができると思っている社会は不自由だと思う。
これでは「言い間違える自由」がないではないかっ!

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posted by noyuki at 21:58| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月27日

なるだけ短めの物語4 「ライ麦畑」1

「ライ麦畑」1


無人島でリョウちゃんとふたりっきりになってしまった。
比喩でもなんでもない。
まがりなりにも本物の無人島だ。
大声で叫んでもふたり。
ああ、空が青いなあ。ちぎった綿あめのような雲が、気づかないくらいにゆっくりに流れている。
冗談みたいな青空。
あたしが砂浜にへなへなと座り込むと、その隣にリョウちゃんがちょこんと下を向いて座った。

「無人島体験ツアー」は今回の旅行のメニューだった。
港から船に乗って無人島を体験。とは言っても20分ほどの乗船で行ける、ゆっくり一周回れるくらいの砂浜だ。小さい東屋だってある。
降りて30分ほど砂浜で貝やヒトデや漂流物を探したり散策したり写真を撮ったりして、また船で帰る。
とても簡単はツアーだ。

あたしの働く福祉施設が、ここのツアーに参加したのは、近隣の施設と合同だし、主催団体がすごくサポートしてくれるっていう評判だったからだ。
実際にそのとおりで、打ち合わせも綿密で、車椅子の人でも自閉症の人でも大勢のスタッフでフォローしてくれた。こんな機会でもなければ、みんなで旅行なんてできない。
無人島ツアーのあとは、リゾートホテルで地元の団体との交流会。ホテルにチェックインしたら海の幸満載のシェフ自慢の料理でパーティの予定だった。
ところが予定どおりにはいかなかった。

「いや、いや! 怖い! 乗らない!」
そう言ってリョウちゃんが暴れた。行きの船でも猛烈なエンジン音でパニックだったのだ。あげくに、帰りの船には乗らないと砂浜にひっくり帰る。主催者のスタッフが二人がかりでスレンダーなリョウちゃんを抱えてくれたものの、暴れて暴れて、すごい力で抵抗する。
出発時間が迫って、まわりの障害者の方たちまで顔色が悪くなっていくのがわかり、ああ、どうしようと泣きたくなってしまった。

「これ以上時間を遅らせるわけにもいかないのです。他のお客様もいらっしゃいますし」
ツアーコンダクターの西田さんがすまなそうに言った。
「30分あとに、もういっかい船が来るのですが、そのときにお迎えするのは可能でしょうか?」
可能だと思います。直感でそう答えた。いや、それしかないんだろうな。
「わたしどもの別のツアーがこの島に来ます。そのあとのホテルも一緒です。あちらの担当もベテランで、うまく対応できます。申し訳ないのですが、この状態で乗船しても危険なような気がしますし。30分、ここで待たれてなんとか落ち着かれたりはしないでしょうか?」
ピンク色のチークも明るい西田さんはどちらかというと新人さんの部類ではないだろうか。汗で化粧もとれてしまって、困って泣きそうな胸のうちが手に取るようにわかる申し出だった。

「しばらく落ち着くと場面転換ができると思うのです。わたしとふたりで静かに過ごして、つぎの船に乗るように言い聞かせます」
そう言って、出てゆく船を見送った。
今まで2年間リョウちゃんにつきあった経験からして、パニックがおさまれば、できるような気がした。でも、ほんとに大丈夫なんだろうか?
みんなが心配そうにこちらを見ながら、それでも船は出ていった。
あたしは無理に作り笑いをして手を降って見送って、そのあとはへたりこんで、砂浜に腰をついた。

ライ麦畑からいきなり転落したような気分だった。
ライ麦畑。その言葉を今思い出すのもおかしかったけれど、大きな音や知らない場所がこわいリョウちゃんを守ろうとするとき、自分が「ライ麦畑でつかまえて」の主人公みたいなライ麦畑の番人になったような気がしていた。
そういう仕事にやりがいを感じていたといえば嘘になる。むしろ逆で、失業する前みたいにバリバリ何かを販売するような仕事に戻りたくてしかたなくて、でも、せっかく見つけた仕事を辞める勇気もなかっただけだった。
ただ、大きな音や話し声が苦手なリョウちゃんは少しあたしと似ている気がしていた。そんなときたまたま「ライ麦畑でつかまえて」を読んだものだから、ああ、こんな仕事だと思うといいのかな、と思ったくらいだ。
彼女がライ麦畑から転落しないように見守るくらいならできるだろう。
もともと専門外だからいつまでやれるかわからないけれど、それでも「ライ麦畑の番人」という設定は自分の中では悪い感じではなかった。

でも、あっというまに転落してしまったな。
ほんと、見守っていたつもりでも、あっというまだ。

真っ白なカモメが青い空と青い水平線をいったりきたりしながら旋回していた。
「ゆう子さん、ゆう子さん」そう言いながら、リョウちゃんは体操座りの膝であたしの膝でつついていた。
「ゆ・う・こ・さーん」
そう言いながら何度もつつく。

どうやら、パニックはひとまず収まったらしい。
今、リョウちゃんは、「なんだかわるいことをしてしまったな」と思ってるんだろうな。
そういうとき彼女は繕う。
きちっと理論だてて反省したり改善できたりはしない。
だけども、それでも、なんとなく繕う。

「しょーがないなあ。リョウちゃん、つぎの船が来るまでふたりでゴロゴロしていようか。それから、ちょっとしたら船がくるんだよ。今度は、その船に乗って帰るんだよ」
「はいっ」

そういって何ごともなかったように、自分の膝であたしの膝をコンコンとつつく。
おなじリズムでコンコンとあたしもつつき返してみた。
コンコン。コンコン。コンコンコン。コンコンコン。
調子が乗ってきたので、それに合わせて歌を歌ってみた。
「あ〜らし、あらしっ、オーイエー♪」

リョウちゃんが大きな声でケラケラ笑った。
ゆう子さん、もういっかいっ。
何度も何度もそういうので、何度も何度も繰り返して歌った。
あたし、きっと、つぎの船がくるまでに100回くらいこの歌を歌うんだろうな。

今日、ひとつ、気づいたことがある。
ライ麦畑は段々畑になっていて、いっかい落ちたとしても、その下にはまた別のライ麦畑が広がっているってことだ。

うん、だからそんなに絶望しなくていいんだ、たぶん。




つづく

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posted by noyuki at 22:15| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | なるだけ短めの物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月13日

「きみがつらいのは、まだあきらめてないから 」角川文庫 盛田隆二




1991年から2011年までにわたる7つの物語からなる短篇集。
登場人物も、かけおちする大学生、フィリピン人の娼婦、恋人へDVを繰り返す女性、うつ病を患う銀行員と多岐にわたる。

「舞い降りて重なる木の葉」が収録されていたことが嬉しかった。
「夜の果てまで」の原型となる短編で、マリクレールに掲載されていたものの、その後20年間「まぼろしの名作」となっていたものである。(夜の果てまでの文庫あとがきで、その存在が明かされています)
「夜の果てまで」が映画ならば、「舞い降りて重なる木の葉」は一枚の写真のような作品だと思う。どこにもいけない「今」がぎゅっと凝縮されていて、その密度の濃さに息を飲んでしまう。「その瞬間」とか「その衝動」が、二十年後の今も炎を放っていた。

表題である「きみがつらいのは、まだあきらめてないから」。
人は風邪を引くように鬱を患うことがある。だけど人は、そのときのことを「振り返りたくもない」と思うかもしれない。あるいは断片的にそのときの状況を思い出して語るかもしれない。ここには、物語というかたちで、その心理状況が克明に記録されている。読む人によっては苦しい作品かもしれない。描くことはもっと苦しい行為だったかもしれない。それでも、この作品にすがりつきたくなる瞬間を持つ人も多いと思う。上質の物語であると同時に、これは患った人間にしか描けない「心の記録」だと思う。

作者が年齢を重ねるにつれて「ダイブ小説」と評された時代から、「市井の人の暮らしを克明に描く時代」へと作風は変わっていったように思っていた。
だけど、こうして年代を追って読んでいくと、「変わっていない一本の線」がしっかりと見えてきた。
そのことについては、解説の中江有里さんの文章があまりにも的確で素晴らしいので、ぜひ解説で読んでいただきたいと思う。まるで解説までふくめて、短編の連なりがひとつの物語になってるような気がした。

人は弱い。弱いくせに、自分を守ることだけを考えることはできない。弱いくせに、もっと弱い誰かを守りたいと思ってしまう。
現実世界は、ときどき正論でそんなわたしを叱咤激励してしまったりもするけれど。
少なくともこの短編集の中の人々は、それでもそんなふうに生きているんだと思って、なんだかとても嬉しくなってしまった。

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posted by noyuki at 22:22| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする