少し前の話だ。
夕方からカラダがだるくてすごく寝たけれど、次の日の昼間も眠たくて、夜もまたすごく寝て、それでも翌日もまた眠たくて、結局3日間くらいずっと寝続けたことがあった。
風邪をひいたわけでもなく、とりたてて体調が悪いというわけでもない。
ただただ眠たかった。
そして、泥の沼に横たわって沈んでいくように、わたしは眠り続けていた。
「スピではね。それって守護霊が変わるときだって言うんだよ(笑)」
仲のよい友人にメールでそのことを話したときに、返事にそう書かれていた。
(笑)という文字は、そのスピリチュアルな考え方を押し付けはしないけれどね、というメッセージだったのだと思う。けれど少しばかり心にひっかかるところがあって、しばらくそのことについて考えた。
なくなった父と義母がわたしのカラダからいなくなってしまったのだ、と、それからふいに気づいた。
うまく言えないけれど、二人がわたしの精神的な拠り所だったのだ。
その二人がわたしから離れてしまった。
思い当たることはあった。小さい頃に病弱で精神的にもひ弱だった子供が成長して独立していった 矢先だった。もう見守ってもらう時期は終わってしまったのだ。
もう何年も、カラダの中にいた存在がいなくなってしまったことを、カラダの空虚さが気づいていた。
空っぽな感じで、なんだか物事に集中できない。簡単なことも覚えられず、手から砂がこぼれていくように、いろんなものがカラダから溢れていった。
さみしくて空虚で、たまらなくなって、くだんの友人に電話した。
「そうなのかもね、そしてまた、新しい(なにか)が、あなたを守ってくれるようになるんだよ」
それが何なのか、彼女もわたしも説明することはできない。
そもそも「目に見えない事象を説明すること」はすごくむつかしい、そういう言葉をわたしは持たない。
「だったらね、新しい何かがきちんと入ってきてくれるように心をひらいて待っておくことだよね」
「そうだよ、まさにそのとおり!」彼女がわたしの言葉を受け止めてくれた。
それから何が起こったのか、今も説明できない。
別の言葉で言うと「OSの入れ替え」みたいなことが数日あったような気がする。少々の不具合があったり、また砂がこぼれ落ちたりして、そういうふうに数日がすぎて、だんだんとセカイがクリアになっていったような感触があった。
そうして咲き始めた赤いツツジが、いつになく鮮やかに見えたある日の夕暮れ。
新しいカラダを受け入れつつある自分に唐突に気づいた。
何もラジカルには変わらない。相変わらずのイヤなところもわたしにはあるし、相変わらずのずるい部分もわたしにはそのまま残っている。
ただ、少しばかりクリアなだけだ。
新しいカラダで何ができるようになったのか、今もわたしにはわからない。
わかるのは、きっと何年も先のことなのだろう。
カラダはわたし自身のものであり、そして何ものかが自由に行き来できる容れ物なのだ。
新しいカラダの中に、嫌なものが沈殿していかないように。
よどみなく水が流れるように開かれたカラダを、頭の中で思い描いていこうと思う。
