「死神の精度」の感想はこちら。
http://noyuki.seesaa.net/article/104800363.html娘を殺された夫婦は復讐を望んでいる。
犯人はサイコパスと呼ばれる類の精神の持ち主であり、娘を殺しただけでなく、夫妻が心底絶望することを望んでいる。
そしてその復讐劇のさなかに死神の千葉がいる。
千葉は正義の味方ではない。だがしかし、敵でもない。ちょっととぼけた不思議な仲間という感じ?
前作をお読みの方は死神「千葉」のスタンスをご存知だと思う。
ストリーの巧妙さを楽しませてくれる前作に比べ、本作「死神の浮力」はボリュームもあり、なによりも内容がヘビー。
まっすぐにまっすぐに「死への恐怖、家族が死ぬことの恐怖」を扱っている。
だがしかし!
とぼけてほのぼのと面白いのである。
例えばこんなエピソードが出てくる。
「ただの扇子と見せかけて、ひょいと抜くと懐剣が出てくるものがあるんだ」と、福沢諭吉が誰かに教えられる。すると福沢諭吉は「そんなものはつまらない」と言う。
「剣と見せかけて、そこから扇子が出てくる方がいい」と福沢諭吉は言う。
「剣が出てくるだなんて、殺伐とした時代にわざわざ殺伐としたことをしてどうする」と。
この本は終始、剣とみせかけて扇子が出てくるようなおかしさを意識して描かれていると思う。
人間自身の存在のわからなさの根源である「死」。
それは、ふっと目をこらせば必ず見えてくる、深くて暗い淵のようである。
だから、文学はそこを避けて通れなくなってしまう。
でも、どうせなら、剣とみせかけた「扇子」のように見せたいものだという作者の心意気が、いろんなものから救ってくれる。
こんなに重たくて、こんなに悲しくて、わたしは読書中に、なくなった末期がんの知人のことを夜中に思い出して号泣してしまったというのに。
それでも、色とりどりの扇子が飛び出してきて、剣だけでは描ききれない、「死者を思い、悲しみの中に生きるということ」がリアルに描かれている作品だと思う。
そして、わたしは。
自分の死期を悟る日がきたら、もう一度、この作品を読んでみたいと思っています。
あ、最後にもうひとつ。「死神の浮力」の「浮力」はどういう意味なのか? と自分なりに考えてみました。
ゾッとしました。
ネタバレになるのでここには書きませんが。

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posted by noyuki at 16:33| 福岡 ☀|
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伊坂幸太郎の備忘録
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