むかしコミュニケーションの授業でアサーションってヤツを習って。
ああ、これで、他人とちがう意見を言うときに、憎しみとか逆ギレとかしなくて済むんだって思ったんだよ。
アサーションっていうのは、なんていうか、「悪意なく、他人に反対してもまったく問題ない」みたいな話で。
でも、そう思いはじめてしばらくしたら、なんだかすごく感情が平坦になってしまったようで、すごくさみしくなってしまった。
今でも、仕事で人と違う意見を言うことももちろんあって、いや、ほんとは仕事とかそういう話じゃなくて、違和感をきちんと表さないと自分が気持ちわるくって。
それで、こちらがふつうに言っても、人はいやだなあと思ったり、自分自身の状況がそれによって浮き上がってしまったりする「空気」がわかるんです。
でも、自分が主体だから自分が言おうと思うことは言っていいや、っていうのと同時に。
なんていうか、そのウエットな感じとか、少しの後悔も含めてすごく好きなんだと思う。
それは、ずっと小さいときに植え付けられた、すごく保守的な感情で、今では自分の中でオールリセットできたと思ってるんだけど、それでも愛してるっていうことなんだと思う。
あと、人を想うときに、他人だからどうにもならないこともあるんだけど、その、「どうにもならない感情」とかも。
ずっと若い頃にすごく愛していた感情なんだと思う。
ずっと引きずってはいない。
でも、そういうマイナス感情をなくしてしまったと思っていても。
なんていうか、ときどき顔を出して見える、甘くせつなく気持ちがなつかしくなってしまうんだ。
もう、昔の自分とは違うけれど、昔の行き場のわからなかった自分のことも、最近はけっこう愛してるんだなって、今はそういうふうに思うことにしています。
