「ストリートチルドレン」は一冊で新宿300年。
そしてこの「いつの日も泉は湧いている」には、同世代の人々の40年あまりが一冊に一気に描かれている。
人の一生は一冊の本にまとめられるほどに短い。
なのに、登場人物にとっての一生は、長く切なく悲しくもあり、そして日々の喜びに満ち溢れたものだ。
学生運動盛んだった時代。高校に入学した守田青年は新宿に反戦フォークを聞きに行く。
そして同世代の新聞部の仲間と高校の改革を目指す。討論会、生徒総会、ハンスト。
ひとりひとりが違うものを考えている中でひとつの考えを貫くことはむつかしい。人を説得するのはむつかしい。
かつてそういう時代があった、と、過去の回想をしているわけではない。
何かを変えたい思いを持つ人は今もここにいる。
原発反対のデモに参加している人々の中に、高校生のままの守田青年がいるような気分にさえなる。
これは回顧ではない、現代の物語だ。
高校時代からの同志である写真家真生子のその後に、守田は浅く深く関わり続ける。同時に年老いた親たちの問題。
真生子の健康の問題。他の仲間たちのその後。
そういったものに忙殺されながらも、若い頃のあの気持はそのまま自分の一生を貫いている。
現在の真生子との章になると、緊張感とある種の冷静さに、思わず読むスピードが止まった。
溢れすぎる感情がそぎ落としてもそぎ落としても行間からあふれるような文章に、ラストはもう茫然自失だった。
回顧ではない、そこから人生は続いてゆく。
「いつの日も泉は湧いている」
その言葉は、死の淵に立った瞬間に見える風景なのだろうか?
エピローグでのその描写がとてもステキなので、ぜひ本書で味わっていただきたいものです。
