2018年06月28日

チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ




「文学界」7月号 「三つの短い話」より

ひさしぶりの村上春樹の短編。

「石のまくらに」にでてくる「エキセントリックな彼女」も「クリーム」の「ぼく」も、昔昔から村上春樹の小説に登場する人たちで、なんだかなつかしい気がした。
ただ、言葉がすごく冴えていた。
「石のまくらに」に出てくる短歌も、すべてキーンと冴えていた。
という言い方はむしろ失礼かもしれないですね。
いえ、それくらい丁寧で美しく、生も死も若い頃の答えの出ない混乱もきちんと描写されていたと思う。

さて。
みっつめの短編。「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」
ああ、なんて幸せな奇譚だ。
これ、大好き。わたしの中では二番目だと思った!

なんで二番目かというとわたしのなかでは「品川猿」が短編のベスト1で、これは不動だからです。

チャーリーパーカーがボサノヴァを演奏する。その曲名も解説もすべてが揃っている。
そこから、現実が歩きだしてゆく。
事実も時系列もねじまがって不思議なことが起こっていく。
そのすべてが幸せだ。

こういうふうにして創作が「幸せな出来事」を作り出すことができるのだと思うと、身体中がふるふる震えるような短編だった!
ああ、ほんとに読めてよかったと思いました。

あまり話してしまうとネタバレしてしまうので、感想はこのへんで。


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posted by noyuki at 21:55| 福岡 ☁| Comment(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月20日

「ミドリの森9」 ナコ

短く息を吸い、そして呼吸を止める。
空気の流れがなくなり真空が広がった。
磨きあげて、色のないわたしの爪。
そこに、あの日の淡いブルーの空の色を一気に塗った。

金曜日。
休暇を終えて仕事に出て、ひさしぶりに、ミドリさんとわたしが顔を合わせ、そして遅番のサトミが揃った。
平日だし、休憩時間を長く取っていいから、まず自分の爪をきれいにしなさい。ネイルサロンに来る人がみんなが息を飲むような、あなたらしい爪にしてちょうだい。
ミドリさんがそう言った。

バックルームに材料を持ち込み、わたしは自分の爪を描く。

薄いブルーにグラデーションで漆黒の闇を重ねていった。
爪先に向かって濃い黒を重ねる。あの日の空が夜に変わってゆく。
夜の闇のてっぺんには銀色の光。小さくちりばめた銀ラメは爪の先端に集まり、三日月をさかさにしたようなひとすじの銀の天空になった。

わたしの心がみんなそこに集まった。
別れも空虚も雑事も絶望からの解放も、どこにも行けなくて淀んでいたものが、みんなわたしの爪の色に変わった。
きちんとしたカタチになって、心の中から何かがふわりと出ていった。
自分が作るものだけが、本当に自分を映してくれる。
それが誰かを救うほどのものではないとしても、わたしだけは救ってくれるんだなと、そのとき心底思った。

バックルームを出てゆくと、ミドリさんが、ステキねと言ってくれた。
サトミはもっと大げさだった。
「ほんと、奈津子さんてすごい。叶わない。うまく言えなくって悔しいくらいだわ。なんていうか、空がほんとうに爪の一本一本にある感じ?
ああ、わたし、とてもこんなふうにはできないけれど、見てて、すうーっと心の中に広がるような感じで。見てるだけでもう、なんか、いろんなものが溢れてきそう」

夕方近くに来た常連の女性も、同じにしてくれないかと言った。
「明日のパーティーのドレスに似合いそう、ジェルネイルで同じデザインにして」と。
パーティーならばもう少しばかり華やかにしませんか? と爪先の銀に金色も織り混ぜた。
なくなった母親を見送った日の空の色よりも、あなたの明日がもっと明るい空になうようにと心の中で祈った。
「ほんと、こんなにステキにしてくれてありがとう! 」と常連の女性は喜んだ。「ああ、明日着るラベンダーのドレスが楽しみ」

小さい頃から、絵を描くことが好きだった。
留守番してる自分のさみしさを忘れるための小さななぐさめ。
それが今になっても、まだわたしが生きのびるために小さななにかを与え続けてくれている。
忙しく貧しい暮らしの中で母は、100均のペラペラの落書き帳だけは切らさないでくれた。クレヨンも色鉛筆も、みんな100均だったけれど、それはボロボロになった菓子箱の中に宝物のようにひしめいていた。

おかあさん。悪いことばかりじゃなかったよね。
あの頃わたし、おかあさんが帰ってくるのがとても待ち遠しかったよ。
きれいな絵ね、っておかあさんが言ってくれるのが、ほんとうに嬉しかったんだよ。

きっとそれが、わたしの1番最初だったんだよね。



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posted by noyuki at 15:07| 福岡 ☔| Comment(0) | ミドリの森 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

「彼女について知ることのすべて」と三浦誠己と笹峰愛

もともとテレビはふわっとかかってるだけのことが多い。
朝などは、少し賑やかな方が目覚めもいい。

日曜の朝に「ぼくらの時代」を見ていたら、三浦誠己さんという方が出てて、「どこかで見たことあるな、この人どこかで見たことあるな」とずっと考えていて「彼女について知ることのすべて」に出てた俳優さんじゃないか?と思い至った。

「彼女について知ることのすべて」。
佐藤正午せんせいの原作、井土紀州監督の映画である。
わたしは夜の最終上映を映画館でみた。
エロスノワールとのことで、まわりは全員男性で少し恥ずかしかったが、映画自体もとても佐藤正午テイストの強い作品で嬉しくなった。

まじめな主人公は、思いもよらぬことで道をふみはずす。
とくに「ああいう感じの女性」が相手となるとあぶない。
女のわたしから見たら「どうみたって、危険シグナルが点滅してるような女性」に、どうして男は惹かれてしまうのだろう? と長年不思議だったのだが、最近はなんとなくわかってきた。
後ろ手にナイフを隠している女でも、男には正面からしか見えてないのだ。
「だから男はかわいそう」とは思わない。そのファンタジーを大事にしたいのが男なのだと、最近は思っている。

そういうふうに映画のことを思い出しながらテレビを見ていたら、三浦誠己さんの奥様が笹峰愛さんだと知って心底驚いた。
そうか、メイはもう、後ろ手のナイフを捨てて、鵜川せんせいのもとに行くことができたんだね。
事実は映画よりももっと複雑。

いやはやいやはや。もう、びっくり仰天であります。

映画「彼女につて知ることのすべて」の感想はこちらです









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posted by noyuki at 15:57| 福岡 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする