2018年08月10日

「ののはな通信」 三浦しをん 角川書店





女子校の同級生であった「のの」と「はな」の往復書簡小説。
思いのほかの読み終えるのに時間がかかってしまった。

つまらなかったわけではない。
むしろその逆で、二人の起こす事件や感情に共感してはなんども立ち止まって楽しんだ。そしてとちゅうで二人と共に年をとっていくのが怖くなった。ラストに向かうにつれ、その思いは強くなり、結末を延ばし延ばしにしてしまった。(そして思いのほか長編でした。)

感受性豊かな女子高生の「のの」と「はな」は聖フランチェスカの同級生。
貧しい暮らしの中でも優秀な成績で親に期待される「のの」と、外交官の娘ながら、なかなかその感性が成績には反映されない天真爛漫な「はな」。
最初は漫画の話や女子校特有の性的な噂話が多かった書簡だが、ふたりは「魂の交流」を知り、深い愛情を持つようになる。
彼女たちの感情は、すべて「自分自身の中」から生まれてくる。
誰のあしあともついてない野原をふたりで歩くように、(からだを含めて)愛をたしかめあうこと、懐疑的になること、嫉妬することが、泉のように湧きあがっていく。
そんな高校時代を過ごした二人は、その感性のままに大学生になり、おとなになってゆく。「のの」は大学院に進み、「はな」は外交官の夫と結婚。ときには誰かを愛し、ときには誰かを利用し、そして、書簡は途絶えたり、復活したりしながら二人は大人として別々の生活を生きてゆく。

大人の二人には、理不尽なこともつらいことも起こるし、「きちんと説明することのできない」選択も往往にして起こる。
「ずるい」と思う感情は、あの日わたしが感じたもの。「理不尽なおとなの理屈」や「抗うことのできないもの」は、あの日わたしが胸の中にとどめたもの。そして二人が「生き延びるために利用してきたもの」もまた、わたしが武装していたもののような気分になってしまう。
それを往復書簡の中でふたりはていねいに言葉にし、告白していく。そのひとつひとつが魂の美しさになって輝いていた。

怖くて怖くてしかたなかったラストは思いのほかあっけなった。
そして、あっけなかった分「のの」の言葉の重さがあとからあとから広がってきた。

最後に「はな」の書簡の中でいちばん好きだった言葉を引用したい。

>ダイヤモンドのような記憶を抱えて生きられるひとは、たぶん少ない。私たちは幸運と互いの努力によって、それを手にすることができました。
> ひびを入れたくも曇らせたくもないから、臆病だと言われても、大切にしまっておくのが正解ではないかと思うのです。

この言葉が、わたしに「わたしのダイヤモンドのような記憶」を鮮やかに蘇らせてくれました。
わたしの今年上半期の「ベスト1」小説であります。


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posted by noyuki at 17:15| 福岡 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする