2020年03月29日

佐藤正午さん「ファンならではのネタ」をわたしに語らせてください(その2)「日宇町の高校生さん」

第二弾です。
昔の佐藤正午HPのことを書いているうちに思い出したことをつれづれと書きます。

日宇町の高校生さん(たぶん女の子)が、HPに書き込みしていたのはいつの頃だっただろう? 
もしかしたら前世紀かもしれないし、あるいは今世紀に入っていたのかもしれない。それくらい昔のことでした。

「日宇町の高校生」さんは「はじめまして!」の書き込みをして、HPのみんさんに暖かく迎えられました。
佐藤正午先生の作品が好きで、全部読んでいるとのこと。すごいねえ〜。地元で佐藤正午本が充実しているとはいえ全部読む情熱はかなりのものです。

とりわけ「日宇町の高校生」さんをあたたかく迎えてくれたのは、他ならぬshogoせんせいでした。
「全部の作品を読んでくれて本当に嬉しい、表彰状を贈りたい」とのことで、その表彰状の文面もHPで見たような記憶があります。
あれは、結局郵送で送られたのでしょうか? 真偽はわからないけれど。きっとあたたかいメッセージとともに届いたのではないかと想像しています。

佐藤正午さんがデビュー前に、「諫早菖蒲日記」の野呂邦暢(くにのぶ)さんに感想を送った話は、ファンの間では有名です。
「君の豊穣(ほうじょう)な未来に期待する」という返信が書かれていたとのこと。
のちのち「日宇町の高校生さん」のエピソードを、わたしはこの話とセットで思い出すようになりました。

本名も知らない「日宇町の高校生さん」の今をときどき想像してみます。
彼女は文筆に関わる仕事をしている。たぶん、まちがいなく。いろんな選択肢がある時代だもの、小説家ではないかもしれないけれど。脚本家、エッセイスト、コピーライター、翻訳家、あるいは企業の広報部で文章を書いているかもしれません。
彼女の書く文章は、夏のここちよい風がさっと吹くように鮮やかです。いったん立ち止まって、その風を味わって、心地よさを記憶しながら元の現実にするりと戻れるような、そんな鮮やかさ。
今もそんなふうに彼女は生きているような気がします。あるいは、実は高名な小説家になっていたりして。

昔々の楽しい記憶が今もわたしの心に続いているように。
彼女の胸の中にも「意識していないけれど続いているもの」があるような気がするのです。
ごめんなさい、あくまで私の願望ですが。

どんどん思い出して、まだまだ続きます。


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posted by noyuki at 20:17| 福岡 ☁| Comment(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐藤正午さん「ファンならではのネタ」をわたしに語らせてください(その1)

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佐藤正午さんのロングインタビュー。筆がノッていらっしゃるのか、誰かにツッコんで欲しいのか、みたいなネタが最近多くて、ひとこと言わずにいられないんです。こんな世界の片隅で叫んでみても届かないよ、でもここは自分の描きたいことを描く場所なんだからかまやしない。昔のこと、掲示板のこと、サイン会のこと、いろんな「ファンならではのネタ」を私に語らせてください。

きっかけは毎月「きらら」連載中のロングインタビュー。最近は「昔の掲示板の」みたいな話がちらりちらりと出てきて。ああ、なつかしいなあ、わたしも「昔の掲示板」のことを書きたいなあと思いはじめました。

ずっと書いてはいけないと思ってた。それは「昔がよかった、なつかしい、あの頃はすごかった」という言葉とセットになっていたので。
そういう言葉が大嫌いな私は、掲示板のことは縛って放置していました。

もともと佐藤正午ファンページは「shogoさんの誕生日のお祝いに札幌の友人(rainさん)がプレゼントしてくれたもの」と聞いています。
掲示板にはshogoさんがいました。管理人というより、みんなのコメントを茶化したり、なんだかそんな感じだったような。
「夜に掲示板を見ると誰かがすごいおもしろいことを書いてて、それにレスしようと昼間ずっと考えているんですよ。それで夜になってまた掲示板を開くと、自分の想像の斜め上をいくコメントがあって、ああ、すごいなあって思うばかりで、コメントできないままだったことも多かった」(sさん談)

たとえば新刊の発売前。「今度(君は5階に住んでいる)という短編集が発行されます」とshogo先生が言われました。
時間がたつにつれて本当のタイトルは「君は誤解している」だったということがわかって......
ちょっとふざけたり、斜めから見たり、冗談を言ったり、たったそれだけのこと。
なのにそれだけで、毎日が楽しくて仕方なかった時代でした。

寡作な作家の新刊と新刊の間の時間は、掲示板は静かにすぎていくようになりました。
同じテンションのお祭り騒ぎを毎日続けることなんてできません。
rain さんからGTAさんに管理人は変わって。GTAさんが自宅でなくなって一年ちょっと掲示板は「生き続け」、そしてネットから消えていきました。「ぼくが生きているかぎり、この掲示板はぼくが守ります」。
その言葉通りの人生でした。

さて。ここからは、わたしの個人的な話です。
わたしは伊坂幸太郎のファンサイトの「無重力ピエロ」が大好きでした。
新刊情報、メディア情報がもれなく掲載され、ファンがふらりと訪れて新しい情報をすぐに手に入れられる場所。スタイリッシュでデザインも好きでした。残念ながら今はないようです。
佐藤正午さんにもそういう場所があればと思い、でも、自分のイメージをうまく表現できないままに「佐藤正午派」というファンページを作りました。
その後「バチスカーフさん」から「フェイスブックでも佐藤正午ファンの場所をとっておいてよ」と軽く頼まれて、それでできたのがフェイスブックの「佐藤正午ファンページ」でした。
思ったほどスタイリッシュなものにはなりませんでいしたが、直木賞効果もあり、たくさんの方が訪れるサイトになりました。

わたしは意地っ張りなので、昔がよかったなんてけして言いません。
でも。ロングインタビュー読んで少し気持ちがゆるくなりました。
そろそろ、昔の掲示板を知るものとして、少しばかり語ってもいいのかな、と。

まだまだ「まぼろしのサイン会」とか「ほんもののサイン会と坂本さんのちゃんぽん」とか、「日宇町の高校生の話」とか描きたいことがたくさん出てきました。自分でもびっくりするほど溢れすぎています。長くなってしまいそうです。
また続きを書きたいと思っています。


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posted by noyuki at 20:10| 福岡 ☀| Comment(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする