読んだのは↑この本です。こちらの本↓ではありません、為念。
同じ名前の本があるんだ〜。あ、でも下のやつの方が早く出版だったみたいですね。
(で、上の同調圧力の感想です)
世間学の佐藤直樹さんと、もと劇団第三舞台の鴻上尚史さんの対談。
対談だけど、するすると読めました。おもしろかった!
「世間」というものは、この本をじっくりと読んでいただくとよくわかるように、「同じ空気を読んで、同じことを考える人々の集まるところ」。
私は鬼っ子だったから「まわりを見て、まわりと同じようにしなさい」って小さい頃から母親に口すっぱく言われ続けた。そのことに反発していなかったし「それも道理だ」と思い込んでいた。それがたぶん世間ってやつだったんだと思う。
だけども。結果としては「まわりと同じこと」ができなかったんです。なぜか。
大人になって、近所の植物画教室に通って、模写をやって。
たったハガキ一枚程度なのに、まったく見本とは違ったものが出来上がっている。
まわりはほんとうにきれいな模写をやっていると言うのに。
なぜに「同じことができないのだろう」とそのときもつぶやいた。
不幸中の幸いか、絵の世界は案外自由で「人と違うことはいいことだよ」と先生が言ってくれたからよかったけれど。
「人と同じことをやる、人と同じようにふるまう」というのはある意味「能力」だと思う。
無意識にこれをやる能力がないと、いろんなところで落ちこぼれてゆく。
いや、すでにかなりの高確率で落ちこぼれていってる。地域社会というやつの中で。
しかし、この本では「それが世間というやつで、そんなもの気にしなくていい、社会はまったく別ものなんだ」って言ってくれている(ような気がする)。
ブラボー!
とは言っても「コロナ」というシビアな時代の中で、同調圧力は増大し、世間の見えない縛りはとんでもないことになってしまっている。
では、どうすればいいのか?
敵の正体を知れ、自分を追い詰めるものの正体を知れ、そして、居心地のいい空間を作り上げているコミュニティの正体を知れ。
同じ世界で、同じ考えでいるから、「ニッポンすごい」になっちゃうんだよね。
そしてまた、同じ「世間」が繰り返される。
というような未だに同調圧力かけあっている社会に半分足をつっこんでいても、実は最近はそれほど息苦しくないことに気づいている。
わたしにはネットがある。
まあ、少々の軋轢はどこでもあるだろうけれど。少なくとも「けして世間ではない」社会がちゃんとあるような気がするんだよ。
