大事な本だけを本棚に入れていた。
1年に1〜2冊ずつ。
死ぬ前に一度読み返したくなるであろう本だけを厳選していた。
残りの本は階段に積んでいた。これは「階段本」と呼ばれていて、友人たちが遊びに来たら、好きに持ち帰っていった。
コミックはほとんどが「階段本」となっていって「のだめカンタービレ」も「3月のライオン」も友人の家の本棚にもらわれていった。
あと「おもしろかった本」も「でも読み返さないだろうな」という本は階段本になってどこかへもらわれていった。
わたしの本棚には、片岡義男と佐藤正午と村上春樹がだいたい1メートルずつくらいあって。伊坂幸太郎は母親が好きで分けてあげたので、少し少なめだ。
あとは、アゴタ・クリストフとかカート・ヴォネガットとか、そうそうピートハミルや川上弘美も大事にしていた。講談社の「インポケット」や昔の「宝島」もある。
ときどき定期的に本の埃を払っていて、ある日気づいた。
わたしは、死ぬ間際にこの埃っぽい本を取り出すことはないだろう。
埃っぽいし、昔の小さな活字を持ち運ぶことはもうないだろう。
「断捨離のやましたひでこさん」の顔が浮かんだ。
「本の断捨離」なんでできないと思っていたけれど、かなり減らして、いちおうそれでも「本棚はここまで」とした。
これからも本は読む。だけど、家のあちこちに本を積む生活はやめる。
わたしは視力もだんだん衰えていたし、バックライトのKindleの方が圧倒的に読みやすくなっていた。
今のわたしの本棚はこれである。
今のところアマゾンだけだけど、本はどこで買ってもいいと思っている。
町の本屋で本を手に取ってみて「ダウンロードでお願いします」なんて言えたらいいだろうな。
昔は旅行に行くにも、本をたくさん持っていってたけれど、今はKindleのみ。
軽くていい。
あと「買いすぎ」を躊躇しなくなった。
以前は無駄な本を買うと「置き場所が」と思っていたけれど、無駄に買ってもスペースの無駄にならないし、整理整頓も大変ではない。
願わくば願わくば。わたしのACP(Advance Care Planning)を覚えておいてほしい。
家で死ねなくてもいい。
オットに心配かけたり、オットが悲しむのを見るのはきっと悲しい。
さいごのさいごは「病院か施設」に行きたい。
そして、そこはwifiの強いところがいい。
わたしはもう、本の活字を追い求める気力はないかもしれないけれど、このたくさんの本の表紙を、さいごのさいごまで大事に抱えていたいと思っている。
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