2022年08月21日

「おいしいごはんが食べられますように」高瀬隼子 



167回芥川賞受賞作品。
文芸春秋9月号で読んでみた。
理由は「タイトルがやわらかくて、読みやすいんじゃないか」と思ったから。
ところがところが。
毒と呪いだらけの内容だった。
うわあああああ。
おもしろくてたまりませんでした。

簡単に言ってしまうと、会社員小説。
上司がいて、転勤してきた二谷さんがいて、あまり仕事のできない芦川さんがいて、パートの原田さんがいて、私(押尾さん)がいる。

仕事だからきちんとやろうよ、忙しいときは残業だってしようよ、という人と。
「わたし、自分で責任持って何かをするのは苦手で」というオーラを出しまくって気分が悪くなって、やんわり早引きする人。
なのに早引きする人が、なぜだか守られてしまう。
こういう人たちが二極化しているわけではなく、会社っていうのは「いろんな価値観のまぜもの」なんだと思う。
まざってまざって、嫌いと好きもまざっている。その理不尽さがおもしろい。

その価値観の違いを「食べる」という行為を通して炙り出していくのが、もう、やわらかい文章の中のホラーに見えるし。
「おいしいごはんを食べられますように」なんていう言葉こそ、そもそも呪いの言葉なんじゃないかと思えてくる。

どこの会社だって、大なり小なり「芦川さん」がいるような気がする。
食べたくないタイミングで配られる食べ物は迷惑だし。
こっそり捨てたい気持ちに駆られることもないことはないけれど。

ああ、でも、気持ちはわかる。
この憎み方、わかりみが深い、と思う。

作者は「小説を書いている時、わたしは自分がなにを書きたいのかわからない。書き終えて読み返した時に、小説の方から教えられる。今回の小説もそうだった、わたしはこれからも書き続け、小説に、わたしにとってのうそやほんとうを教えてもらう」と語っている。 (*文藝春秋9月号受賞のことばより抜粋)

本当に文章を書くことを愛してる人なんだな。
自分の心にある小さいかけらをひとつひとつ書き写すことを愛してる人なんだなと思う。
愛されている文章がそれに呼応して、作者のカオスを浮かび上がらせる。

こわくて呪いにみちた、幸せな小説だと思う。



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posted by noyuki at 17:22| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月05日

「両手にトカレフ」・ブレイディみかこ

両手にトカレフ - ブレイディみかこ, オザワミカ
両手にトカレフ - ブレイディみかこ, オザワミカ


「両手にトカレフ」は「ぼくは「イエローでホワイトでちょっとブルー」でおなじみの、ブレイディみかこさんの小説です。



イギリスの貧困家庭に育つミアが、図書館でホームレス風の男に「君のような女の子が読んだらおもしろい本だと思うよ」と「金子文子」の本を勧められる。
金子文子は日本のアナーキスト、らしい(私は知りませんでした)。
そして「金子文子」に対してなんの先入観もないミアは、彼女の自伝に心惹かれてゆく。

ミアとチャーリーの母親はアルコール中毒。
二人はゾーイのカフェで提供される食事を食べて生活する。
スマホは持っていない。ショッピングモールにいくお金もない。
だからミアは図書館で時間をつぶす。
ソーシャルワーカーのことを「ソーシャル」と言って毛嫌いする。
ソーシャルは、自分があきらめているものを「変えよう」として、とんでもないことになってしまうから。
ミアは強くてアナーキストで絶望していて、そして「両手にトカレフ」を持っていて生きている。
「ミアのラップがクールだから、リリックを作って」というウィルにもミアは振り向かない。
彼女がシンパシーを感じるのは、本の中で生きている「フミコ」だけ。

たとえば、ミアは日本にもいるでしょう。
経済もズタズタで貧困層が確実に存在して、どこかで陰惨な事件が起きていて。
そして「貧困の中から抜け出す方法が模索できない」国。
これはイギリスだけの問題ではないだろうけれど、どこか「よその国の物語」で。
それはもしかしたら、「日本でない国の物語として描きたいブレイディみかこ」の気持ちなのかもしれないとも思いました。

ラストまで読んでも物語としての大きなカタルシスがない。

というと、それはよくない表現に聞こえるかもしれないけれど。
いい意味で、希望が湧き上がったとしても「どこかで成功エンディング」に落とし込むようなところがない作品だと思います。


*   *   *


暇にまかせて本を読みながら、わたしは若くてやり場のない世界を生きてきました。
強く、手を握りあうようなシンパシーでじゃなくて。
自分でも意識しないくらいに、ゆっくりと心の中に染み込んで、それがいつのまにか自分自身になっているような、そんなシンパシー。
本にはそういう「けして激しくはなく、ゆっくりだけど確実に心に染み込む力」がありました。

若さや、やり場のなさを語るには、わたしは年を取りすぎたかもしれないけれど。
それでも、あのときのあの感触はよく覚えています。

そうして。それが今の自分を形作っているのも、ものすごーくよくわかっていて。
その激しい気持ちを思い出させてくれるような作品でした。




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posted by noyuki at 10:19| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする