2015年03月25日

九年前の祈り  小野正嗣



心にひっかかった本は記録しておこうとは思っているのだが、ズルズルと遅れてしまうこともある、困ったもんです。

芥川賞受賞作。大分出身の友人のすすめで読んでみた。
旅行して気に入っていた佐伯、蒲江町の風景がなつかしく、シングルマザーと金髪の子供が、その町でどういうふうに映るのか想像しながら楽しんでいた。

が、後半にさしかかり、なにかがちがう、ゾワゾワ感に襲われてしまった。
なんなんだ、これは?

漁村の女性の強く明るい会話の中に、彼女たちの、心の中の純粋さや切迫した静かな祈りが見え隠れする。

そしてなによりも、最後に「現実と物語」のズレのようなもの残ってしまう。
その「居心地の悪さ」のようなものが見事だと思った。

(以下ネタバレになります・ご注意ください)

子供の希敏(ケビン)が千切れたミミズになる時、シングルマザーであるさなえは、困り果て、それを沈めようとする。
そして公的機関の女性から「なにか困ったことがあったらご相談ください」と言われ、さなえは「虐待を疑われているのでは」と思う。
それは「なんんらかの発達障害のある子どもへの支援のための声掛け」だと思うのだが、さなえは、「自分の虐待が疑われてる」と思う。さなえの世界の「ズレ」の中では、千切れたミミズの話なのだ。それは「障害の受容」の話ではないのだ。
美しい描写と、力強い漁村の人々の感性の中で、いろんなものが変わり、受容されていくのだが、この「ズレ」は変わらない。

現実と物語はズレている。
気づこうと気づくまいと。
そして、作り上げられた世界の美しさゆえに、そのことに「はっ!」と気づいたときの居心地の悪さが見事に残る作品でした。
あ、この居心地の悪さというのはけして悪い意味ではないです。
物語は多幸感が残るものばかりであっても困るので。



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posted by noyuki at 21:25| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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