2016年11月29日

ミドリの森 7 ナコ3

久しぶりの実家はなんだかとても落ち着かなかった。

幼い頃に母と引っ越してきた古びたアパートの2階の1DK 。何年もここで布団を並べて寝ていたはずなのに。懐かしさも何も感じない。
絵を描いてたテーブルは今も健在だった。
ぺらぺらの落書き帳とクレヨンを広げていたテーブル。母の帰りを待つ時間に、わたしが熱中していた小さな宇宙。最後は書き込みすぎて、くしゃくしゃになるか、紙が破れてしまってたけれど、それでも大事に使っていた落書き帳。
今、そのテーブルの上には、酒瓶やペットボトルやお惣菜が入ってたプラスチックや茶渋で真っ黒になったコップが山のように積み上げられいる。

そして、その脇には柩があって、母は今そこで眠っていた。

家財道具の少なかったガランとした1DKは、いつのまにか見事なゴミ屋敷になってた。
近くのコンビニでゴミ袋を買ってきたけれど、手のつけようがない。
飲みかけのペットボトルや酒瓶を、シンクに捨ててまとめようにも、洗い物がいっぱいでどうにも動かしようがなかった。底辺が見えない。いや、少し見えているかも。そこには真黒いものが分厚くこびりついてていた。
コンビニのゴミ袋のままの食べかす。服。冬のこたつ布団。破った包み紙。ダンボールから半分顔を出している服。
母は神経質なくらいきれい好きじゃなかったのか?

あの日、携帯が25回鳴った。

仕事を終え、ロッカールームを出たばかりの時間だ。
同じ市内番号から始まるナンバーディスプレイには見覚えがなかった。だから出るのをずいぶん躊躇して、ショッピングモールの通用門でわたしは携帯を長いこと見つめていた。

「ああ、よかった、繋がって」女性の声で、わたしは民生委員をしているものだと言った。
「覚えてる? ほら、中学で一緒だった田中ミホコの母よ。あなたのお母さんちによく伺わせてもらってるんだけど、昨日も今日もドアを開けてくれないの。いままでそんなことなかったのに」
ミホコのことは覚えていた。わたしの絵をいつも褒めてくれてた子だ。あなたのようにうまくなりたいって言っていた彼女は、地元の美大に合格したと聞いた。
「不動産屋は、家族の了承があれば開けてくれるっていうし。何だかとても心配なの。なにごともなければいいんだけど。ミホコのツテであなたの番号を聞いてもらったの。これから、ここに来てくれない?」
「もう関係ありませんから」そう言いたくて、拳を握りしめて力を込めた。でも、勢いに負けて言えなかった。
母親の一大事に娘が断るなんて選択肢は、向こう岸にはこれっぽっちもなかったからだ。

電車とバスを乗り継ぎ自宅のある町に帰った。
不動産屋が鍵をあけるとそこには、遊園地のお化け屋敷みたいな真っ暗い闇が広がっていた。
そして吐瀉物の甘酸っぱい匂いの中で、母が真っ白い顔をして死んでいた。

警察が来て検死が終わり、今母は狭い部屋の中で柩に横たわっている。
火葬はあさって。それまでこのままだ。
正直いって気が滅入る。

民生委員の田中さんが、何をしていいかわからない私に代わって葬儀屋を呼んでくれた。
柩を用意してあとは火葬だけというプランがあったので、わたしは「それでお願いします」と言った。
「でも、ほんとにお葬式もしないの? 親戚とか、知らせるひとはいないの?」と田中さんは言う。
母の兄は昔から行方不明と聞いていた。会ったこともない。わたしは、別れた父も、別れた恋人も連絡先を知らない。
遅番で店にいるスタッフのミドリさん以外に、連絡するところなんてどこも思いつかないのだ。

お湯の出ない風呂場で化粧を落とし、浴槽にゴミを追いやって、毛羽立った畳に腰を下ろす。
乱雑なタンスの引き出しから、預金通帳と現金を見つけた。どうやら数ヶ月前まではなんとか仕事してたらしい。振り込み先は近所にあるスーパーの名前。給料日に全額引き出し、タンスに突っ込んでいたんだろう。
おかげで火葬くらいはできそうだ。あとはゴミ処理を頼んで部屋を解約しよう。わたしはもうここへは戻らない。

おかあさん。

少しずつ人間は死んでいくんだね。わたしがまだここにいた頃から、おかあさんはもう、死に向かっていたよね。
だから、ずいぶんゆっくりだったよね。
今はホッとしてる? わたしはホッとしてる。苦しいのにずっとこうしていたってどうしようもなかったでしょう?
ときにはわたしに向けた恨みごとの、何千倍もの恨みつらみが、病巣のように蝕んでいたのは知ってる。けれど、わたしにはどうにもできなかった。

田中さんは、少しわたしを責めたよ。
親子なのにって。
でも、親子だって別の人間だよ。
わたしはそれを分けあったり癒したりできない人間だった。

タオルケットをかぶって、横になったけれど、どれだけ洗濯してなかったの?
おかげでなかなか眠れずに、わたしは母の顔を覗き込む。
あんなに苦しそうに見えたのに、今は。
少しだけ、少しだけ、笑っているように見えるよ、おかあさん。

身体からも。病巣からも自由になった母の魂が、少しだけ軽くなって、部屋の中をふわふわ漂っていた。




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posted by noyuki at 13:31| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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