高瀬隼子の小説に出てくる人たちは、ちょっとねじ曲がっていて、それが意地悪な感じとか投げやりな感じにも見えて、ときには「ひくわ〜」と思う時もあるけれど、それを含めても、この人の小説を読むのを止めることができない。
つい、気になってしまう。って感じなんだろうか?
会社という狭い世界の中で当然のように行われている慣例も。
姪っ子が喋る、好きでいることがすべてな恋愛も。
20歳以上、年の離れた男女の恋愛も。
一歩下がって俯瞰してみると「ちょっと、なんか変じゃない?」みたいな視点になってしまう。
その視点を無防備に誰彼なく向けていた時代が、ずっと前に私にもあったのかもしれない。
でも、それを掘り下げるように言語化しようと思わなかったし、言語化するにはちょっと「えげつない」感じで。
でも、それを読んでみるとおもしろくって・・・
というようなことの繰り返しながら、結局は高瀬隼子の小説を読んでいる。
花束の夜・・・会社の送別会で渡された花束を「これ、いらないから」と渡される。その渡された花束を持て余しながら歩く道すじの物語。
お返し・・・幼稚園の頃から渡されていたチョコレートをずっとずっと渡される物語。好きという気持ちの終点はどこなのか?
新しい恋愛・・・姉の娘である姪との「恋バナ」の話。彼女の恋愛、自分の「ロマンチックが嫌いな」恋愛。姪の父親の恋愛。いろんな恋愛がキラキラ光っている。
あしたの待ち合わせ・・・自分を好きでいてくれる男の子が少しストーカーぽくて、それでも好きでいてもらえること。昔の不倫がめぐりめぐってやってくる厄災。そのふたつが同時進行の高瀬隼子らしいえぐさが満載。
いくつも数える・・・年が離れた人と結婚する上司を、同僚の女性が「気持ち悪い」という。そもそも年がすごく離れた恋愛は「気持ち悪い」のか? つきあいながら「気持ち悪いと思われているのか」と思ってしまったり。会社という小さな社会では「多様性」で片付けられない「囁き」がたくさんあって。それがぐるぐるしてる。
自分と相手とをつなぐ「横軸の恋愛」。
世代がちがったり、シチュエーションがちがったりする「縦軸の恋愛」。
「性愛が一致している恋愛」のみが頭に溢れている年代ってのは、実はほんの一瞬で、それ以外の恋愛の方が案外、かたちがなくって、不思議な感情が交錯しておもしろいのかもしれない。
だって、みんなこんなに変でおもしろいんだもん!
そう、思わせてくれるような一冊、だと思いました。
