病院のなんとか室に呼ばれた。
「退院したあとに見てくれる先生がいるから。その人と会ってください」
若くてきれいだけど声がでかいソーシャルさんにそう言われた。
「もう、おれは大丈夫だよ。治ったから。病院なんていかないよ」
「まあまあ、そう言わずに。いい先生だし、なにかのときに頼りになりますよ」
なんとか室には、メガネをかけてる星野源みたいな男がいて、書類を呼んでいた。
こっちを見て、少し笑う。笑い方が下手だ。
「はじめまして。藤屋といいます」
「フジヤ? ケーキ屋か?」
「お名前をお願いします」
えっと。なんだっけ? そうそう、みんな俺のことをイケヤって呼んでたな。
「イケヤ」
フジヤはしばらく書類を見てじっとしていて、それからぼそっとこう言った。
「北欧家具か...」
「なんだよ、それ!」
フジヤはメガネのつるに手を当ててから言った。
「失礼。カルテの名前と違う名前を言われたものですから。イケヤさん? 本名をお願いします」
ソーシャルさんが先生に小さい声で何事か耳打ちした。
「あなたの名前は、池谷惣一郎さん、ではないですか?」
イケタニ? イケタニソウイチロウ? そういえば、そんな名前だった気もする。イケヤとかソウちゃんとか、みんなそういうふうに勝手に呼んでたけど。そうだ、おれの名前は、イケタニソウイチロウだ。
「そうです、たしかにそういう名前でした」
おれがそう言ったら、フジヤはプッと吹き出した。
「ところで。イケタニさんは、自分の病気についてどう思っています?」
「どうって?」
「このまま治る、とか。いや、けっこう大変な病気かも、とか」
「おれはな、どっちでもいいんだよ。でも、病院では治療治療って言われるからさ。治療はいやだよな」
「じゃあ、治療しないで家に帰って、病気が悪くなったら?」
「それは仕方ないよな。病気なんだから。人間はいつか死ぬんだろ。まだ動けるのに、ベッドでじっとしとくのがいやなんだよ」
「で、帰ったらパチンコするんですね」
う・・・ここまで話は伝わってるんだ。
「パチンコは強いんですか?」
「パチンコは強くても負けるし、運がよければ勝つんだよ。勝ったら嬉しいよな」
「スロットもやるんです?」
「気が向いたらな。スロットもやる。でも、おれは基本はパチンコだ」
「広田町のパチンコ店のお向かいのスーパーのお寿司っておいしいんです?」
「せんせい、スーパーのにぎり寿司は、できたてならどこでもおいしいんだよ。だから、かっとなって時間かけすぎないように、ちょっと早めに休憩するのにちょうどいいんだ。今粘ると寿司がまずくなる、とか、そうやって気持ち落ち着けるのさ。これがおれの勝負の仕方だ」
「・・・しりませんでした」
フジヤは少しうつむいて言った。
「わたしは、仕事が遅くなると、スーパーで割引になった寿司を買って帰ってました。にぎり寿司はパサパサしてた。あれがスーパーの寿司の味で、わたしの残業した日の味、そう思ってて申し訳なかった。これからは、お昼にできたての寿司を買うことにします」
フジヤ。おまえ、素直だな。悪いやつじゃないんだな。
「それで池谷さん、自分にどれくらいの時間が残されていると思いますか?」
「うーん。誰もそんなこと言わないし、考えたこともなかったな。でも、フジヤ先生は知ってるんだろ? 知ってるんなら、教えてくれよ」
「半年くらいだと思ってます。その前に悪くなるかもしれないし。もっと長く生きられるかもしれない。でも、半年と思って好きなことをしてください。パチンコでも。寿司でも。旅行でも。会いたい人に会うでも、なんでもかんでも」
「教えてくれてありがとうな。今が6月だから、今年いっぱいかもな。うん。なんか教えてもらえてすっきりした。そういうこと誰も言ってくれないもんな。でも、なんかいろんなことがわかって、それでいいのかなって思えたよ」
それからイケヤはフジヤ先生とふたつ約束をした。
退院したら、その日に藤屋医院に行ってフジヤの診察を受けること。
そのときは家族と一緒に行くこと。
このふたつだ。
「ひとり暮らしと聞いてますが、一緒にきてくれる家族は近くにいますか?」
「アキがいる」
「アキさんとは?」
「おれのにいちゃんの子供だ。子供ったって、ひとりでアパート借りて隣町で仕事してる。おれのかあちゃんは年でヨボヨボだし、にいちゃんは死んでる。アキは頼めばきてくれる。仕事あるからしょっちゅうは休めないけど。一回くらいなら、頼めばきてくれる、はずだ」
じゃあ、ぜひお願いします。とフジヤが言った。
この約束もブッチしてもよかったんだけど。フジヤ、なんかちょっといいやつだし。ほんとに何かのときに頼りになるやつかもしれない。
ソーシャルさんに紙を一枚もらって「退院したらフジヤに行く」とおれはメモ書きして、ベッドの横に置いた。

