2025年01月10日

正午派2025

正午派2025 (小学館文庫) - 佐藤正午
正午派2025 (小学館文庫) - 佐藤正午

「正午派」である。
 わたしは「佐藤正午派」として生きている。
 そんなわたしのバイブル本が2025年早々に出版された。

 2009年に出版された「正午派」の増強版である。
 予約して「バイブルなので紙の本で」と思って買った。
 ところが、到着してパラパラめくっているうちに頭がバグってしまい「紙の本だけでいいはずがない。電子もダウンロードすべきだ」と思いなおし、その場でダウンロードしてしまった。
 理由はごくシンプルで、なおかつゲスい。
 文庫の中に挟まれている、本人の後ろ姿やキープしたボトルの写真や冷蔵庫の中身のスナップ写真を「もっと拡大してしっかりと見てみたい」という衝動からであった。
 電子版はしっかりと拡大できるため、目論見どおりで満足だった。

 小説家の本には「小説」「短編小説」「インタビュー集」などがある。
 ところが、小説家が書くものはもちろんそれだけではない。
 新聞の連載記事。地元タウン誌に載せた自著の解説。人生相談や、文芸本に掲載された写真日記的なものもある。
 福岡の西日本新聞に掲載される短編があれば、ネットで読めないものを写メして友人と回し読みし、札幌の新聞のインタビューがあれば、友人からのLINEでそれを読み耽る。
 そういうふうにしてトレジャーハンティングのように「けしてその場でしか味わえない文章」をずっと追いかけていた。
 自分の知らない作品があるのも我慢ならないし、流れる水のようにその場でしか味わえないものもすべて味わいつくしたいと思っていた。

 そんな「正午派」はわたしだけではないと思う。

 そして、そんなファンのために「正午派」という書籍を出版してくださる小学館にも感謝しかない。だが、同時に「それは佐藤正午の著書を出版する出版社の当然の使命ですよね」とも思ってしまっている。
 すばらしい「正午派」の完全保存版を作ってくださってありがとうございます。
 全作品の年譜や、新聞に掲載されていた幻の名作「佐世保駅7番ホーム」とか。
 ああ、本になって再会できて本当によかった。

 「正午派」はわたしの生き方だ。
 大好きな作家がいて、新しい著書を待つことを指標に、毎日の雑多な仕事や生活をおこなうことができる。新しい作品に出会える日を待って、毎日を生きている。

 あなたが「ハルキスト」であれ「snowman ハコ推し」であれ「King Gnu好き」であれ、どこか少し似ているのかもしれない。
 
 「正午派」は「正午派の世界」と「正午派のコネクション」の中で生きている。
 そのことをもっと熱く語りたかったが、もう十分うざ熱いと思われるので、このあたりで、やめます。

 追記。新刊の「熟柿」は2025年春の発売予定!との情報が「正午派」には掲載されていました!!!

 追記その2。240ページにある「水曜日の愛人」という短編は、わたしの一番好きな短編です。人と関わるときにかくありたいと、うっすらと自分のベースになっています。



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posted by noyuki at 17:40| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月22日

今年の自分ニュースまとめ

 一年が終わりそうです。
 無事に終わりそうでよかった。
 それでは。無事に終わりそうな証に、今年の自分ニュースをまとめてみます。

* オットが腰の手術で入院した・・・入院して手術したけれど、無事に痛みがなくなった。わたしは3週間ほど毎日病院で夕ご飯食べた。病院の中にあるファミマがどれもおいしくてファミマのファンになった。

* 資格試験を受けて合格した・・・業界的な資格の試験。年頭に「今年受験すること」が決まり、春からZoom講義を受けたりした。5−6月に書類を準備して提出。けっこう煩雑で大変だった。9月に書類審査オッケーで、11月に上京して口頭試験。12月の中旬すぎに合格発表。ちょうど一年がかりだった。でも、上京したときはたくさん友人と遊べて楽しかった。
 資格がもらえたら、ちょっと強くなれた気がした。

* Duolingoで韓国語を始めた・・・昨年末からはじめたDuolingo。最初は英語をやっていて、ガチでDiamondリーグでがんばってた。けれど「朝晩こんなに英語の勉強がしたかったわけではない」とある日突然嫌になって、それからまったくの初心者の韓国語を始めた。読めないハングルの発音を真似するところから開始。最近は「彼女の職業は看護師です。看護師は普段とても忙しいです」くらいのレベルの並び替え問題ができるようになる。
 自分で気づいたことがある。
 ひとつのことを繰り返しやるのは、あまり向いていない。しかし、まったく未知の知識をイチから頭に入れていくのは案外向いている。新しい知識を入れるのは精神衛生上とても良い。
 そういうアプローチが自分にとって精神の健康の秘訣だと気づき、毎朝Duolingoを短時間やっている。

* 安野モヨコさんにXで「イイね!」をいただいた・・・ 「鼻下長紳士回顧録」の感想をXでシェアして、偶然にも安野モヨコさんがそれを読んでくださった。読んでくださっただけでも畏れ多いのに、「イイね」をくださった! 
 畏れ多すぎる一生の思い出になりました。
 ちなみに、その感想文はこちら。
 鼻下長紳士回顧録←ここをおして


* 気に入った短編小説が書けた・・・ 佐藤正午さんの「冬に子供が生まれる」を発売から3回連続で読んで、「この続きを書かずにおられない」という気持ちで2次創作。「天神山にのぼろう」という短編を書きました。
 天神山にのぼろう←ここをおして

 最近は「キーワードや泉の場所はわかるけど、それがなんなのか自分でもわからない」と言った感じで書くということが多くなりました。
 昔はそれは「神様がおりてくるもの」と思っていた。
 けれど今はそうではないと思っている。
 ナラティブの泉というものが自分の中にあって、そこに「言葉になる前の感覚や感情」がたくさん溢れている。
 その「自分のナラティブの泉にじっと両手を入れてみる」感覚。
 そうしてじっくりと掌があたたまるように、それが文字になり、言葉をつくり、感情や感覚を獲得していく。
 書いてみると「こんなふうに思ってたんだ!」と驚かずにはいられない。
 そういう書き方のコツが掴めたように思う。
 それは、エネルギーは使うけれど、とても楽しい。



 
 もちろん、一年を通せば嫌なこともあっただろうし、振り返ると疲弊する場面もたくさんあったように思う。
 でも、そちら側ではなく、「今年はこれができたよね」という場面ばかりを思い出すことができる一年だったのは、とても幸せだったのだと思う。

 来年もいい年でありますように!


  
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posted by noyuki at 17:17| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月15日

「40歳になって考えた父親が40歳だったときのこと」吉田貴司




 2024年7月発売のコミックスです。
 ツイッター漫画だったものを「小説幻冬」での連載となり、そして単行本化。
 noteなどで断片を読んだりはしていましたが、実際に通して読んでみると、ふっと立ち止まって考えさせられるページがいくつもあり、そのつど手を止める作品でした。

 主人公は現在40歳の男性。当時40歳だった父親と同じ年代になり、同じくらいの年の子供もいます。

 父親はタクシーの運転手をしており、バブル以降はなかなか売り上げが伸びず、家に帰っては母親を殴る日ばかり。
 母親は父親が帰る深夜から新聞配達などをしてお金を稼いでいる。
 昔の日本がそうであったように、この家庭もまた貧乏でお金もなく、借金の取り立ても当然のようにありました。

 その「貧乏」の描写が秀逸です。

 >当時ドラマや今度で「貧乏」が表現される時 
 >子沢山の家で母親一人が内職をしているような描写がとても多かった
 >晩ご飯はめざしとたくあんだけどか

 >でも本当の「貧乏」ってそういうことではないのだ
 >うちの電気は24時間つけっぱなしだった
 >風呂はいつもなみなみとお湯が張ってあったし
 >八方美人な母は読まない新聞を3紙くらいとっていた

 >やりくりする術を持たない人を貧乏というのだろう

 これにはガツンときました。
 それと同時に、貧乏で父親も母親のこともきらいという自分を、作者がその年齢になって振り返る、俯瞰した距離感がなんとも絶妙です。

 父親は結局連載中になくなってしまう。
 
 そこにまつわる感情も「嘘が混じらぬように精密に」自分の気持ちが描かれています。
 なくなったことに対する自分の感情。思ったこと、不満だったこと。
 そこから辿り着いてゆく自分なりの死生感。

 吉田貴司さんの作品は「心理状態の描写が細やかな漫画」が多いです。
 「やれたかも委員会」もまた、その心理状態に「こういう気持ちに至るものなのか!」という驚きがたくさん隠されています。

 そして「40歳になって考えた父親が40歳だったときのこと」も、また然り。
 わたしも若い頃の母親の短気でキレやすいところを受け継ぎ、DNAを引き継いだり、否定しながら、自分という毎日を生きています。
 わたしの子供もまた同じように思うのかもしれません。

 親子という血のつながりは最初からあるけれど、わたしたちは繋がりながらも断ち切ったり、否定したり、たまに肯定しながら生きている。
 世代というのは、繋がっているようで繋がっていない。繋がっていないようでどこか繋がっている。

 それが淡々とゆったりと描かれた、いろんなことが感じられる作品だと思いました。



(おまけ)以前noteのご縁で吉田貴司さんのインタビューをしたことがあります。
メールのやりとりでのインタビューでしたが、とても楽しいやりとりでした。
こちらもご一読ください。

 「やれたかも委員会」でおなじみの吉田貴司さんに、「新刊発売記念!インタビュー」を敢行しました! ここを押して



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posted by noyuki at 17:41| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月29日

2020年の話をしよう(コロナのこと)

 最近2020年の自分の日記を読み返している。
 もともと日記は「日々の感情を言語化して、気持ちを落ち着けること」が目的なので、読み返すことはほとんどない。
 いまだに2011年の日記を読み返す自信はない。
 それほどまでに厄災というものは、心を折ってしまう。
 神様に見放されたような感情は、案外いつまでも処理できない。

 2020年の記憶は、「感情の刺々しさ」だけが残っており、なんでそうだったのか、細かいことまでは忘れてしまっている。
 日記を読み返す。
 あの頃わたしたちは生死をかけて病を恐れ、疑心暗鬼になって、閉塞感だらけになってしまっていていた。
 思い出さなくてもいいのだけど、なぜにそうだったのか、少し思い出してみたいと思った。

緊急事態宣言
 
 緊急事態宣言のなんたるかもすでに忘れてしまったけれど、不用不急の外出をしないってことだったのだと思う。
 年老いた母の家に行くことも控えた。わたしが行かないとさみしそうだったので、電話だけはしていた。それでも、さみしそうだった。
 県をまたいだ移動もしないようにと。県外ナンバーは嫌な目で見られた。我が家は近隣の川を挟むとお隣の県。通勤も含めての県外ナンバーが多かった。
 旅行も外食もできなかった。こわくて本当に外食ができなかった。そうやって罹患して、そこから人に移すことがとてもこわかったのだ。

マスク不足

 とんでもないマスク不足で、布マスクを洗って使うこともあった。
 あべのマスク! あれはひどかった。ガーゼの色が変色しているのがたくさんあって、わたしたちは介護職なので事務所で仕分けしてきれいなものだけを配った。
 なのにLINEで「あべのマスクを使わない方は介護施設に寄付してください」みたいなのが流れてきて、胸ぐらつかみたかった。
 あと、手作りの布マスクも見知らぬところから送ってきた。障害者の福祉作業所からだと思う。
 「みんなのモチベーションになるように、マスクをつけた写真を送ってください」
 という手紙がつけられてて頭抱えた。
 知らない人が作った「手作り」なんて、口につけられないよ!!!
 ちなみに花の消費が減ったため「花束」を「パチンコ屋の開店」くらいの量でいただいた。スタンドでみっつもよっつも! デイサービスの入り口がパチンコ店の開店状態になってたけれど、あれはちょっと微笑ましかった。あとでみんなで花を分けた。
 
ホテル療養
 
 友人がコロナになってホテル療養した。思い返すと、コロナでホテル暮らしなんて豪勢!とも思ったが、そんなものではなかったらしい。1日部屋で過ごす。そして1日に3回ロビーに無言で弁当を取りに行くのだという。家族と分かれてひとりでの療養。
 「療養時にはネトフリ」という時代の幕開けだったように思う。
 ちなみに自宅療養のときは「お弁当の配達」もあった。
 けっこう市内の有名店が請け負ってたので、あれもおいしかったらしい。
 わたしが自宅療養したときは終了していた。

テイクアウト弁当

 食堂関係はコロナの給付金もあったらしいけれど、重宝したのはいろんなお店のテイクアウト弁当だった。
 いつもは前を通っても入ったこともない焼肉店に「焼肉弁当テイクアウト」と書いてあった。思い切って、入って注文して、その場で豪華な焼肉弁当を焼いて渡してくれた。
 あのありがたさは忘れない。
 「いつか、テイクアウトじゃなくて、ここで食べたい。どういうコースがあっておいくらくらいなのですか?」
 と聞いていろいろ親切に教えてもらった。
 コロナが終わったらきっと食べようと心に誓ったのに、まだ実現していない。

 その後、外食したいときはひとりで、という時期が長かった。
 ひとりでこっそり食べたのは「コナズカフェのパンケーキ」。
 あの味もまた「ささやかだけど、とても贅沢な味」だった。

 謎アプリ

「コロナの人と接触しました」というのがわかる謎アプリがありましたね。
 あれはいったい何だったのでしょう?

病床不足

 医療が充実している町で、救急車で行き場所がないことはほとんどなかったのだが、コロナ禍で入院できない人が続出した。
 大腿骨骨折で手術が必要な人が入院できない。
 主治医が大病院に電話かけまくって、確保してくれた。
 「救急車に乗せたタイミングで救急処置室に電話をかけて。そして、今、乗りました、受け入れお願いしますと言って!」
 そのとおりにしたのだが、日程がたたず手術は叶わなかった。郊外の病院に転院になって、時間がかかっての手術となった。

罹患してなくなった人たち

 芸能人でなくなって報道された方(志村けんは衝撃だった!)もいたけれど、実際にわたしのクライアントでコロナが原因で亡くなった方もいる。

 ひとりは入院中の病院で罹患した。
 病院や施設で移るなんて、と思われるだろうが。食事やお風呂の介助をするのだからリスクは何倍もあると思う。
 なくなったあとの処置もコロナだとお金が格段にかかったと聞いた。

 もうひとりは、家族がコロナになって、要介護者のその人だけが悪化した。
 病院で療養したが、もう、家に帰りたいと看取り目的で帰ってこられた。 
 寝たきりだったけれど、嬉しそうだった。「焼酎飲みたい」と言ったら、ヘルパーさんがスポンジブラシで飲ませてくれた。
 それから数日でなくなった。

 コロナが軽症化しても、基礎疾患のある人にとってはそれが命取りになる。
 だから「病院ではマスク」やはりしてほしいです。


疑心暗鬼

 「かかってないよね?」「咳が出るけど?」からはじまる疑心暗鬼。
 系列に老人施設もあったので、クラスターのたびに「ヘルプに行く人とは一緒の部屋にいたくない」とか、露骨な差別も発生した。
 マスクをはずして電話をすると注意された。
 食事は「黙食」。
 学生だった人たちもかなりつらい時期をすごしたに違いない。

 それでは今はぜんぜんオッケーかというとそうでもない。
 わたしたちはあの頃の「疑う気持ち」を、心の中に記憶している。
 「自分たちが会って、おばあちゃんに移るといけないから」と祖母と会うのを子供たちは躊躇していたが、もうすでに母も亡くなり、「あのとき、もっと自由に会ったり食事をしたりできればよかった」と思うこともある。
 わたしたちは「できなかったことを我慢し、制限されていた時代のこと」を記憶している。

 そういう時代からはや数年。
 いろんな制限はゆるやかになってきたものの。
 記憶したものをゼロにはできない。
 
 小さなディテールもすでに忘れているのに。
 あの頃の「誰かを疑ってしまうような気持ち、疑心暗鬼な気持ち」だけが、まだ心の中にくすぶり続けている。

 忘れることはできないけれど。
 災厄がそんなふうに心に残ることを記憶して。
 そして、この次は(ないといいけれど)、もう少しいろんなことにソフトランディングできるようになりたいと今は思っている。
 
 

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posted by noyuki at 18:12| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月28日

舌下免疫療法日記:さよなら抗アレルギー剤

舌下免疫療法でダニアレルギーの薬を飲み始めたのが2020年の7月。
 わたしは、これがどれくらいの効果があるかも想像しておらず「少しでもこのひどいアレルギーが軽くなれば」と治療を開始しました。
 そして今年になってやっと終了、これがその記録です。
 なおこれは、多くの人に「ぜったいやった方がいいよ」と勧めるものではありません。
 あくまで身体の変化の記録であります。



*     *     *



 舌下免疫療法、最初に始めた頃の記録を読み返してみると、とちゅうで薬を中断したり、喘息の治療エアゾールを毎日服用したりと、けっこういろんなことがあった。
 でも、その当時のわたしは「いつもアレルギーに悩まされて、すぐに喘息を起こすのは普通だった」ので、「薬を飲んでるから」ではなく、ただ、いつもの日常を過ごしているだけのことだったように思う。

 結局わたしは4年間、舌下免疫療法で「ミティキュア」を飲み続けたことになる。
 3年半がたった2023年の12月くらいから抗アレルギー剤を減らしていった。
 「ピラノア」を最初は3日に2回にしたり、2日に1回にしたり。
 けっこう長い時期をかけて減薬した。
 一番長かったのが4日に1回の期間である。
 4日目になると、なんか体がむず痒くなったりして、それで我慢できずに薬を飲む。
 そういう時期が長かった。

 ピラノアからレポセチリジンに変更した。
「痒くなるんだよね? じゃあ、かゆみに効いて即効性のあるものにしよう」と先生。
 それでも4日に1回が1週間に1回になっただけで、完全に薬をやめることはできなかった。

 当たり前だと思う。
 わたしは子供の頃はアトピーで、それから20代で喘息を発症して、その後「花粉症」という名前が市民権を得たあたりにはもう、欠かさず抗アレルギー剤を飲んでいたのだ。
 アレグラは身体の一部、ピラノアも耳たぶのピアスと同じくらい自分に近しい場所にあった。
 「これをなくすのは無理! せめて、飲まなくてよいオフシーズンがほしい」
 と思っているくらいに、一年中飲んでいたのです。

 「呼気NO検査の数値」が改善したことも大きかった。
 息をふーっと吹くことで一酸化窒素の値を見る検査である。
 症状が軽減してから20ppb以下のことが多くなり、16~18ppbだと看護師さんが「おーっ」と驚いて喜んでくれた。先生ももちろん喜んだ。
 「先生、最初ってこれ、どのくらいでしたっけ?」とカルテを遡ってもらったら、98とかあった。立派な喘息である。
 「もう、トクシツ外れるから」
 と先生。
 「喘息の特定疾患療養管理料というものがあり、もう喘息の療養管理の必要がないので、管理料がなくなる」ということらしい。
 でも、そういう状態でも、エアゾールのメプチンはいつも枕元にあった。
 病気も薬も「わたしの成り立ちを構成する大事なもの」だと思っていた。
 喘息の発作は息が苦しいから怖い。メプチンは命綱だった。

 そういったものを先生は「もうやめていいよ。起こりそうな気がするのは、気のせいだから」と毎回も言った。
 口の悪い先生で「気のせい、思い込み」と毎回言われるので、ちょっと気分悪かったが、だんだん「そうかもしれない」と思うようになった。
 先生は顔面麻痺があり、笑うと口がゆがむ。大病院の救急にいたときにストレスでそうなったらしい。あと、酔っ払って頭から地面に突っ込んだような生傷もあって、この傷はいつまでたっても治らなかったし。
 だんだんと無駄口を叩く関係にはなったものの「すべてを信じて受け入れる」にはだいぶん時間がかかった。

 「もういいでしょう。2ヶ月分ミティキュア出しておくから。これ終わって、まだ不安なら来て。薬が必要なときも来て。でも、なにもなかったらそのまま止めてしまって」
 2024年4月にそう言われた。
 6月のはじめに薬は切れたけれど、その頃は依存することもなく「薬の量が減って嬉しい!」と思うようになれていた。

 7月も終わりに近づいた。
 あれ以来、ミティキュアも辞めたままだし。
 抗アレルギー剤もまったく飲んでいない。

 不思議なものだ。
 あれだけわたしの身体の構成要因だと思ってたのに。
 抗アレルギー剤なしに生きていけるわたしになってしまった。

 「あなたはわたしの傑作作品。すごい成功例」と先生は言ってくれたけれど。
 そういうわけで2ヶ月たってそのまま辞めたので、お礼にも言っていない。

 この場をお借りして、A先生には改めてお礼を申し上げたいし。
 「服薬しながらも長いこと信じていなくてごめんなさい」
 とも申し上げたいです。

 
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posted by noyuki at 14:47| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月02日

天神山にのぼろう

佐藤正午作「冬に子供が生まれる」の二次創作小説を書きました。
いろいろ「その後」を考えていたら描きたくてたまらなくなって。
では、いきます。




*     *      *

  天神山にのぼろう

 「理科の理と書いてオサムと呼びます」
 佐渡くんは自分の名前をそう説明する。
 あまり覚えてくれる人はいない。苗字だけで事足りるくらいの存在なのだと自分では思っている。

 佐渡くんは、息子の創理(ソウスケ)が18になるのを待って妻の美典(ミノリ)と離婚した。
 妻は結局タバコを辞めることができなかった佐渡くんのことを心底軽蔑していたし、自分の説得が届かないことにたいして憎しみすら感じていた。
 「しばらくは辞めてたのに、なぜに緩慢に自殺していくの。わたしを未亡人にしたいの?」
 と責め立てた。
 でも、タバコはただのきっかけなんだと思う。妻はそれ以外にも、佐渡くんがこだわっているもの、大切に思っているものが嫌いだったのだと思う。憎しみすら感じていたかもしれない。うまく言えないけれど(自分がけして関わらないガラクタ)が佐渡くんの心の中には詰まっていて、それを排除できない佐渡くんのことを(軽蔑すべきつまらない人間)だと思うようになってしまっていたのだ。佐渡くんはもうとっくに妻に理解されることをあきらめていたのだけれど。

 「せめて創理が高校を卒業するまでは」と妻は言ったが、それは形式とかお金の問題で、気持ちではもう5年以上は離婚しているようだと佐渡くんは思う。
 未練はない。そもそも、なぜあのときに美典を一生をともにしたいと思ったのかさえ、今は思い出せない。

 県内の国立大学に進学することになった息子は、通学時間を考え大学の近くのアパートを借りた。
 妻はそのまま市内のマンションに残った。
 佐渡くんは、会社まで歩いて15分ほどの坂の上のマンションを借りた。ワンルームにキッチンがついているだけだが、7階からの眺めはとても気持ちいい。
 こんもりとした森の向こうに、通っていた高校のグラウンドも見える。
 
 そう。
 あのグラウンドで野球をしていたのがマルユウだった。

 湊先生は、マルセイの後を追うように、翌年になくなった。
 2度目の脳梗塞は、たまった新聞に気づいた近所の人が勝手口から入って発見されたのだという。
 机の上には、推敲途中の原稿用紙と、万年筆が置かれ、そこにうつ伏せたまま、湊先生はなくなっていた。

 自分はそんなに友達が多いわけじゃないし、話したいと思った相手もいなかったと、
 佐渡くんは思う。
 でも、公園などで中学の恩師である湊先生を見かけると声をかけないではいられなかった。
 湊先生は、妻の言うところの(心の中のガラクタ)と繋がっていて、それは佐渡くん自身が静かに大事にしているものだった。

 一方で佐渡くんにはいつも「自分は愛されなかったのだ」という気持ちがつきまとっている。
 誰に?
 自分は、誰に愛されなかったのだ?
 それを考えようとはするのだが、佐渡くんはその気持ちが(妻)に対するものではないこと以外何もわからない。

 そこの部分だけ。
 空気にもやがかかっているようになっていて、どうしても記憶がないのだ。

 
 *    *    *

 「不思議ね。同じような話を以前父から聞いたことがあるの」と本田は言った。
 「結局は愛されなかったのだって。事故で即死だった父が死際にそんなことを言うわけないのに。なぜかわたしの記憶では、父が死際にそう言ったことになってるの。でもそれは記憶の間違いだと思う。どこか別の機会に言ったのだと思う。そのときわたしは悲しかったわ。自分が愛されなかったって何? 父のことはずっと好きだったのに、その言い様は何? そして、わたし自身もまた、結局は父に愛されてなかったと思うようになってしまった。それがどういうことかわからないけれど。愛している人に愛されていない空虚さみたいなものだけがなぜか、父がなくなってからずっとあるのよ」
 本当はそんなことはなかった。父とわたしは仲の良い親子で、わたしはたしかに愛されていたはずなのに、と本田は付け加えた。

 本田の著書「ワッキー伝説」はベストセラーとまでは行かないまでも、ロッカー脇島田ファンのあいだでは話題となり、それなりの売り上げをあげた。
 高校時代にバンドをやろうと言いだし、そののちに脱退した初代メンバーについては深く触れられなかった。友人のおもしろおかしい証言にはページを割いていたが、初代メンバーであるマルセイの名前やその後については語られなかった。死者からの証言は得られない。周りの話だけで彼を語ることは適切ではないと本田は判断した。

 佐渡くんは本田の決断を好ましく思った。

 佐渡くんは、自分の代理店での仕事のひとつを本田にお願いしたいと思い連絡をとったことがある。それはうまく行きそうで、結局は疫病の蔓延から頓挫してしまったが、その後も本田との交流は続いた。
 自分は彼女の取材や文章の作り方について知っている。
 そして、彼女が適役だと思う仕事はいくつもあった。
 仕事のやりとりがZoomでできるようになると、それほどの障害もなくなった。

 その後いくつかの仕事を本田にお願いしたし、仕事のやりとり以外でも、なんともなく二人でZoomで話すことも増えた。
 本田の言う「愛されなかった」という形のない感覚。
 佐渡くんも感じてしまうその感覚が結局何なのかはわからないのだが、それでも、二人の中には何かしら似たものがあるのだと、双方が感じていた。
 そしてそれは(マルユウ、マルセイに関するもの)だとうっすらとは思っていたが、それを言葉にするのはむつかしかった。
 むしろ、それは(余分な記憶)であって、どこかに捨ててしまってもいい、そういう気持ちすら、ふたりの中にはあったのだが、それすらもあえて言葉にすることはなかった。

*    *    *

 マルユウと真秀(まほ)の子供の名前は「流星(リュウセイ)」と言う。

 子供が生まれたとき真秀の母である杉本先生は「マルユウそっくりの男の子じゃないの!」と言って号泣した。
 その様子を見てマルユウの父は、はにかむように笑った。
 「この夫婦が何も言わぬなら何も聞かないでおこう」
  その子供の顔を見たときに、二人は同時にそう決心した。

 氷のように押し黙っていた真秀もマルユウも、「流星」の顔を見たとたんに安心のあまりに氷が溶けたような感覚に陥った。
 「遊星という名前を、ふたりで考えたんだ」とマルユウが言ったときに、マルユウの父も真秀の母もぷっと吹き出した。
 「マルユウとマルセイで遊星? 悪くはないけれど、いかにもすぎるな」
 「そうそう、それじゃあ、いつまでもいつまでもマルセイを思い出してしまうじゃない。遊星じゃなくて流星なんてどうかしら?」

 そんな簡単な会話のすえに子供の名前はあっというまに流星となった。
 誰も反対しなかった。
 流星がすべてを結びつけた。
 流星は名前のとおり流れ星のごとくやってきて、誰もが流星に心奪われた。
 流星はすごい、と、マルユウ夫婦は思わないではいられなかった。

*    *     *

 「今日は、マルユウ夫妻が来るんだよ」
 佐渡くんは本田とzoomで話している。
 「噂の、聞きしにまさるのまさるくん!実はまだお会いしたことがないのよ」
 「え? そうだっけ?」
 「ふたりの子供、流星を連れてきてくれるんだ。早いもんだよね、もう小学3年らしいよ」
  佐渡くんが転校してマルユウに会ったくらいの年だ、早いものだ。
 「本田に紹介するよ。何年会ってなくても僕の数少ない友達だよ」
 「いつもZoomごしだけどね。紹介してほしいわ」

 その会話の最中にチャイムが鳴った。
 予定していたマルユウ一家と思いきや、佐渡くんの息子の創理が立っていた。

 「あれ、なんで?」
 「大学入って免許とって、車買ったって言っただろ? 親父にも見せようと思ってドライブしてきたんだよ」
 「アパートから? ずいぶんな距離だな」
 「ずっと自分の車が欲しかったから。ぜんぜん苦じゃないよ。実を言うとおかあさんがお金出してくれたんだけどね。それって結局親父が払ったお金だろ? だから親父に見せなきゃって思ってさ」
 本田がZoomごしのそのやりとりを聞いていたら、創理がちょこんと挨拶したからびっくりした。
 「親父、ごめん、お話し中だったんだね」
 「いや、ただ話していただけだから」と佐渡くんは言う。
 「実は、離婚したあとの親父のことが心配だったんだよ。どうやって生活するんだろうって。友達もろくにいないのに。時間を持て余してやしないかって。でも、ちょっと安心しました」
 本田は、本を作るときに取材したことや、仕事で世話になっていることを簡潔に説明した。
 佐渡くんは少し顔が赤いように見えた。
 本田はいつもクールな佐渡くんの狼狽した様子がとてもおかしかった。
 
 ほどなくしてもう一度チャイムが鳴り、マルユウ夫婦がやってきた。
 実はマルユウに会うのも流星が生まれたとき以来だ。
 流星は(小学生の頃、転校してきて出会ったばかりのマルユウ)にそっくりだった。水筒をぶら下げている? 水筒? いまどき水筒をぶらさげている子供なんているのか? でもこれがないと落ち着かないのだという。
 妻の真秀が言った。
 「なにからなにまで、自分の思ったようにする子よ。そしてわたしたちの子供にしてはちょっと活動的すぎる」
 「当たり前だよ。おれ、お父さんとお母さんの子供じゃないもん、宇宙からやってきたんだもん!」
 「もう!自分からお父さんとお母さんの子供じゃないなんていう子供がいますか!おじいちゃんもおばあちゃんも、そんなこと言ったら本気で悲しむわよ」
 「悲しむかなあ?」
 「悲しむわよ! 大事な孫がそんなこと言うなら」
 「じゃあ、この話は秘密にしとく!」

 もういっぱしのキッズギャングだ。マルユウはその様子を静かに笑いながら眺めている。
 マルユウは病院の事務長になったという。理学療法士の資格は取らなかったが、社会福祉士の資格をとったらしい。
「できれば持っていた方がいいって言われたしね」
 と、マルユウは言う。
 それでもマルユウは変わらない。いつもどおりのマルユウだ。
 真秀は中学校の先生を続けている。
 そして流星は野球をやっているんだと話す。
「じいちゃんが前に監督やってたんだって!」と自慢する。両親の帰りはそう早くもないため、同居するマルユウの父と野球の練習から一緒に帰り、夕食を食べてすごすのだと言う。

 「ねえ、流星くん。お兄さんの車でドライブしない?」
 マシンガントークが止まらない流星に創理が言った。
 「うん!行きたい!あ、でも、お母さんが知らない人についていったらダメって言うよ」
 「流星。創理くんは佐渡くんの子供だし、知らない人じゃないわ。行ってきなさい」
 「やった〜。ねえ。創理にいちゃん、天神山って登ったことある? おれ、天神山に行きたいんだ。友達から教えてもらってさ。すごい眺めがよくてかっこいいんだって!!」
 「天神山かあ」
 創理はつぶやいた。
 「いいよ、おれも流星くらいのときに天神山に行きたくてたまらなかった。行って宇宙船を見てみたかった」
 「大人のくせに何言ってんだよ〜。宇宙船なんているわけないじゃない?まあ、でも創理にいちゃんが見てみたいんだったら、一緒に待ってやってもいいけど?」

 真秀がぷっと吹き出す。
 「もう、いいからいいから。ふたりで、行ってきなさい。すみません、創理さん、お願いします。とちゅうでハンバーガーを買っていくといいわ」
 真秀がそう言って財布を出すものだから、流星は喜んでお金を受け取り、創理の手を引いて出ていった。

*    *     *

 「不思議だな。昔はマルユウにいろんなことを聞いてみたかったんだよ。でも、そう思っているときは会わなかったし、いざ、こうして会ってみると、何を聞きたかったか忘れてしまった」
 マルユウはふふっと笑った。
 「びっくりしたよ。うちの病院の待合席に佐渡くんがいたから。知ってたの?僕が勤めてるって」
 「いや、風邪を引いて偶然駆け込んだだけ。熱はなかったけれど、最近はみんな神経質だから、病院にも行かないっていうと責められそうでさ」

 Zoomだとどうしても会話に加われなくなってしまうのだが、本田は画面越しに3人の旧友をじっと見つめていた。

 言葉が少ない。
 まるで、いるだけで通じあっているように。
 言葉少なく。なんとなくコーヒーを飲んだり、窓際の多肉植物を眺めたりしている。
 それは「おたがいに愛されている」と感じるに足りる光景だった。
 
 ときに自分が見放されたように感じる瞬間があったとしても。
 それでも世界は続いている。

 本田は、取材を通していろんな悲惨な出来事を目の当たりにしてきた。
 茫然とするほどの大災害や、世界全体が疑心暗鬼になってしまう疫病。そう言ったものを実際に見てしまうと、頭を抱えて絶望することも幾度となくあった。
 そして、戦争もなくならない。
 偶然に亡くなってしまう人や、家をなくす人、病に苦しむ人。
 なぜにこの星にはこんなに災害が多いのだろう?
 自然はなぜに人間の営みを愛さずにこんな試練を与えるのだろう?
 そう、「愛されていない感覚」はここに通じる何かなのかもしれないとも思う。
 絶望の中で「神よどこに行きたもう」と叫んでも、手を差し伸べるのは神ではない。
 取材という場面の中で、手を差し伸べるのは、気持ちを支えてくれるのは、いつも近くにいる誰か、離れたところから駆けつけてくれる誰かだ。

 その人は、マルユウのような、真秀のような、そして佐渡くんのような、いつも当たり前のような顔をして、何もなかったように静かに過ごしている人。
 案外そんな人たちではないのか?
 本田は、そんなことを考えながら、3人のことを画面ごしに眺めていた。

*    *     *

「そういえば、お母さんの方の杉森先生は元気?」

 佐渡くんの問いに、真秀がコーヒーを飲みながら答える。
「元気よ。あいかわらずのひとり暮らし。ぜったいにあの家を離れないの。お父さんの思い出が詰まっているからって。そして、わたしやマルユウが同居の話をしてもぜったいに許さない。あの人にはあの人の理屈があって。とても頑固なのよ」

 うつ病を発症したり、軽快したりを繰り返していた杉森先生は、少しばかり認知機能の衰えも出てきた。
 薬さえ飲み忘れなければおだやかに過ごせるが。飲み忘れるととたんに後悔の波が襲ってくる。襲ってくるともうダメで。その日は全く動けなくなってしまう。
 今は介護サービスを使って、薬を飲んだか確認してもらったり、通いのデイサービスのようなところでお風呂に入ったりしているという。
 「有料老人ホームの併設の小規模多機能っていうサービスなの。いつか、家で暮らせなくなったら、そこの老人ホームに入ればいいと思って、もう3年くらい利用しているの。母は最初は嫌がったけれど、利用してよかった。だってこの3年間、まったく症状が悪化しないのよ」。

 真秀はそれから思い出し笑いをした。

 「そうそう、母がね、いつも送ってくれる介護士さんのことを、マルセイって呼ぶのよ」
 え?
 「杉森先生、ありがとうございました、またお会いしましょうって彼が言うの。おそらく先生って言った方がいいだろうと思ってなんだろうけど。マルセイよりもずっと華奢でひょろひょろしてるし、似ても似つかない人。話し方もぜんぜん似てない。天然パーマの髪を染めてて若くて、役職もない介護士さん。でも、母はその人だけをマルセイって呼ぶの」
 (先生、他の人を送ってたから帰り着くまで長くかかちゃいましたね、腰が痛くならなかったですか)
  そう言いながら、自分の手を手刀のようにして、腰のあたりをトントンって叩いてくれるのよ。
 (ああ、マルセイ、気持ちいい。いつも気がけてくれてありがとう。あなたがこんなに優しい子だったって、もっと前に気づいてあげれればよかった。ごめんね。気づいてあげられなくて)
 (でも、今はすごく褒めてもらってるから僕は嬉しいですよ。先生、また明日!)

 真秀は言った。
 
 正直、わたしは母が認知症って診断されたときにちょっとほっとしたの。
 母の中には忘れられない後悔が山ほど、動かせないゴミ屋敷のゴミのように積まれていたから。
 これを少しずつ忘れていけたら、母はどんなに楽だろうと思っていたの。
 もちろん、わたしも頑固だったのは認める。
 でも、母が後悔ばかりを胸に抱いたまま亡くなってしまうことを想像するだけと気が狂いそうだった。
 だから。ああ。お願い、もっともっと忘れてくれますように。もっとおだやかにいろんなことを忘れてくれますように、ってそればっかりわたしは考えるようになった。
 認知症はわたしには「神様が母のために用意してくれた贈り物」のように見えたの。
 不謹慎かしらw

 最初は「年を取った人ばかりのところはいや」と言ってた母は、先生と呼ばれるうちに自分のアイデンティティを取り戻していくように見えた。
 とくにあの若い介護士は、母と同時期に入ったらしくて、さながら転校生のように目をかけたっていつか話してくれた。
 あの母がよ!
 わたしに「転校生のようでねえ」「気になってねえ」って話してくれるの。
 わたしが高校生の頃を思い出した。
 学校での同級生の話をたくさん母としていた頃を。ほんとうに、母は少しだけどあの頃の母に戻ったように見えるの。
 いいときの思い出だけを見続けていられて、そして、今のおだやかな毎日を少しでも長く続けてほしいとわたしは思っている。

 「いいね」
 佐渡くんが言った。
 「いいと思うよ」
 それから佐渡くんが続けた。
 「ねえ、僕たちも天神山に行かない? ひさしぶりに行ってみたいんだ。マルユウ、車で僕を連れてってよ」
 「わたしも連れてって!」
 画面の中からそう叫んだのは本田だった。
 「スマホでわたしを天神山にのぼらせて! 父の思い出の道をわたしもみてみたいの!」
 本田の父は天神山の山道で亡くなっている。大丈夫なのか?
 「大丈夫?大丈夫なら、僕のスマホで、天神山を見せてあげるよ、ドライブのあいだ」
 「ええ! 父の愛した風景よ。すごいわ。スマホでついていけるなんて、思いもしなかった!すごい幸せ!」

 「いいわね!」
 真秀が言った。
 「みんなで天神山にのぼりましょう!本田さんも一緒に、みんな一緒に」
 
 マルユウはみんなの会話を聞きながら、車のキーをポケットから出し、一足先にエンジンをかけに下に降りた。

 佐渡くんはZoomをいったん消して、本田をスマホで外に連れ出した。

 今になってようやくそう思う。

 みんなが誰かに愛されている。

  

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2024年03月22日

舌下免疫療法日記(ダニアレルギー治療日記)9


2020年、わたしはあまりのアレルギー疾患のひどさに、主治医に勧められるままにダニアレルギー治療をはじめた。
春の花粉症が落ち着いてからの開始することになり、2020年7月10日開始。
最初の頃はきちんと日記に書いていたけれど、最近は特に書くこともなかった。

今読み返してみると、最初の頃はいろんなトラブルに見舞われていたようである。
喉元過ぎれば…今は服薬してもなんともないので、そのトラブルさえも忘れていた。
書いて記録しててよかった。
こんなに大変だったんだ。

最初の頃の経緯はここにまとめています



3年間飲んで変わったこと

3年間飲んでて変わったことをひとことで言うなら「すべてのトラブルが自制内になった」という一言につきる。
まったく何のアレルギーもないわけではない。
黄砂やpm2.5の日は目が痛いし、スギシーズンもやっぱりそれなりだった。
でも「外出もできない。すべての杉の木に恨みつらみを木彫りしたくなる」ほどではない。
わたしは半端なくアレルギーがひどかったので「わたしも鼻水でるよ」とか「わたしも花粉症よ」と軽く言う友人の言葉すら嫌いだった。
今ならわかる。
「彼女たちは我慢できる範囲で、わたしは我慢できる範囲外だった」のだ。
今ならわかる。
「そうか。我慢できる花粉症ってのがあって、それくらいなら季節の風物詩で薬飲んでちょっとやる過ごせるんだ」と。
あくまで主観の問題なので、わたしも我慢できてないよという人は、ごめんなさい。

特定疾患(喘息)ではなくなった

「もうトクシツはずします」と主治医に言われて意味がわからなかったのが、喘息の特定疾患管理料が診療明細から外れた。
ちょっとなんですけどね。
呼気NO検査(一酸化窒素検査)というものを毎回やって、呼気に含まれる一酸化窒素の濃度を測定していた。去年の秋くらいから、9とか16という数字になっていて、先生も看護師も「お〜!」「正常値正常値!」と喜んだ。
「ちなみに最初はわたし、どれくらいだったんですかね?」って聞いたら「96 でしたよ」ええ、立派な喘息でした。
そういえば、治療の最初の頃は、毎回エアゾールと使っていて、いつのまにか、メプチンエアーのみになった。
朝方とか、寝る前とかちょっと不安になって「メプチン、シューっ」してしまってたのだが、一年前くらいから「しなくても大丈夫なはず」と主治医に言われるようになった。
「喘息が起こったらどうしようと思ってやってるだけ、起こらないから!」
と言われ続け、それでやらないように意識したら本当に大丈夫だった。

抗ヒスタミン剤は一生毎日飲むのだろうと思ってたら、そうじゃなかった

人気のビラノアを毎日飲んでいて、これはODも発売されたし、おいしいし、なんなら一生飲むものだと思っていた。

それが去年の暮れあたりから、2日に1回、3日に1回となり、今はビラノア休止。でも少し痒みが出るときがあるので、そのときだけ即効性のある抗ヒスタミンを使うようにしている。
抗ヒスタミンゼロではないが、それでも、思い出したときだけでいいというのは大きい。
春なのに。薬代の節約もできている!

わたしは花粉症じゃなかった、ひどいダニアレルギーからのものだった、だから今はマスクをせずに戸外を歩いている

この季節なのに。
サングラスはするけれど、マスクをしなくて外を歩ける。
だって室内でも仕事のときはマスクをしてから会話してるんだもん。外くらいマスクなしでのびのびしたい。
思えばコロナの前からマスクの必要な人生だった。それがマスクなしで外を歩けるなんて、4年前のわたしに教えてあげたい。

まとめ:一生つきあうと思っていた病気と、つきあわなくてよくなることについて

持病はアレルギーだけではなくて、耳の判別も悪いし、脳のくせもいろいろひどい。そういうものの中に、今後もっと悪化するものもあるだろうし、加齢とともに発症する病気もあるのかもしれない。

病とは、いきなり訪れるものではない。
いつもそばにいて、ときどきわたしを苦しめ、ときどきうまくつきあっていける、そういうものになってきたように思う(おそらく加齢のため)。
ちなみに1月はとても精神状態が悪かった。そのときも「悪いような気がする」と思っていたのだが、振り返ってみても悪かった。やっと戻りつつあるところで、全快とは言い難い部分もある。

それでも、わたしの中にかなり大きい割合で巣食っていた(アレルギー)なるものが、弱体化して、わたしは本当に今は「苦しめられずに」生活している。

理屈を聞いて「治るつもり」で治療をした。
先生も「ちゃんと続けられたし、すごい成功例だと思っている」と言ってくれた。

でも、それだけでは説明しがたいくらいの驚きを自分のカラダに感じている。
本当に、カラダが変わっていくのってすごい(と言っても、目に見えないわけなので、こうして記録しながら気づいていくわけですが)。

もう少しで卒業だけど、本当にやってよかった。
あ、ちなみに飲み忘れがないようにSLITサポートというアプリを使ってました。

そして治療法にに関する説明はこちら。

舌下免疫療法とは|舌の下(したのした)で行う鳥居薬品の舌下免疫療法専門サイト

こちらは、鳥居薬品がお届けする舌の下(したのした)で行う舌下免疫療法の専門サイト『舌下免疫療法とは』のページです。

それにしても、やっと卒業のめどがたちました。



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2024年01月14日

佐藤正午さんの「冬に子供が生まれる」2024年1月30日に発売



待ち切れない気持ちが長すぎて「自分のなかでの情報解禁は2週間前」と決めていました。

7年ぶりの新作?
「月の満ち欠け」から7年?
自分の中では5年くらいの感覚だったのですが、月日のたつのは早いものです。

同学年の友人の「マルセイ」と「マルユウ」の物語。
同級生の思い出話にびみょうな食い違いがあり、読者の記憶も混同される。「UFOのこどもたち」だった2人が巻き込まれた事件のこと。それに関わった人々の違和感。そういうものが語られるうちに、わたしたちは「気づかされて」ゆく...

もともとは書き下ろしの予定だったのですが、作者が推敲、改稿するにあたり「webきらら」での連載という形になったので、幸運にも連載で読むことができました。
一冊の本となったものでゆっくりと味わいたいものです。

それにしても。
7年。

そのあいだに「月の満ち欠け」の編集者であった坂本政謙さんは岩波書店に社長になられました。
今確認のためにぐぐってみたら、八戸市の特派大使もされているそうです。すごいです!
「月の満ち欠け」の発売記念サイン会で一緒に映った写真を大切にしたいと思います。

また執筆中の難聴?耳鳴りに悩まされた作者佐藤正午さんに関してもずいぶん心配しました。小説を描くことは「身を削ること」なのかもしれません。

そして、その一方で「月の満ち欠け」の映画化。
「めめおし」という言葉が出た、書くインタビューの記事は、心の広いsnowmanファンの方たちに拡散され「神回」となり。旧ツイッターで200以上のリツイートを目の当たりにしたのもいい思い出です。



「新作は2024年1月発売予定」と、心で唱え、楽しみをかみしめるように、日々の生きる糧としてきました。

あと少しです。

興味のある方の手に渡って、同じ気持ちの感動をわかちあえますように。







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posted by noyuki at 20:08| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月12日

喪中葉書を作った

 「わたしの母がなくなったことと、わたしが友人に新年のご挨拶をすることはまったく関係のないことだと思う」
 「でも、人はそういうふうには思わないよ。なんで喪中なのに年賀状を出すんだろうって思うよ」
 というやりとりを数日前にオットと行った。

 オットが「今年は年賀状ではなく喪中葉書だから早く用意しないと」と言ったのだ。
 「あなたの友人やあなたの仕事関係の人には、よけいに奥さんのお母さんのことなんて関係ないと思うのに?」
 「そんなことはないよ。義理のお母さんがなくなったので年賀状は欠礼という葉書は毎年けっこう多いよ。自分は年賀状出すつもりだったの?」
 「うん。そうだよ。だって、年に一回のやりとりを楽しみにしてる人だっているのに。味気ない欠礼葉書なんて送ったら、楽しみも何もないじゃん」
 半分は嘘である。実は年賀状でさえもおっくうでいつかは辞めようと思っている。
 ただ、昔からのネットの友人の数名に実名の年賀状を送っており、これはたしかに「特別感」があるのだ。
 ハンドルネームでネット上のやりとりをしている関係なのに、年に1日だけ、本名で紙の年賀状である。自分の描いた絵や写真を小さくアップしたりcanvaでデザインしたり、それは間違いなく「ささやかだけど特別なこと」なのだ。
 それを味気ない欠礼葉書に変えるのはなんだかとてもやるせなかった。

 オットとわたしの母は特別に仲がよかったわけではない。
 お正月にわたしは母のところに行くけれど、オットは顔を出さなかった。
 翌日仕事に出るので夜遅くまで外出していたくないことと、わたしの兄弟の集まりに気後してしまうことが原因だった。
 ただ、オットの通勤路と母の散歩道は重なっていたので、しょっちゅう町なかで出会って会話はしていた様子である。
 それで十分じゃないか。
 母の散歩のとちゅうに買い物の荷物の重さを気遣ってくれたり、好意的に会話してくれる関係だけで、わたしには十分だったのだ。

 「だから、年賀状ださないほどに悲しむ必要はないと思うのに」
 わたしはいまだに休日に遊びに行く実家をなくしてさみしい思いをしているけれど、オットにはそれもまた関係のないことである。
 「でも、世間の人がちゃんとやっていることをやらないとおかしいと思うよ」。

 ああ。またそれか。
 メンドクサイ。
 オットはこんなことをスキップするほど好きには生きてないのだ。
 それはそれでいいことだと思う。
 
 でも、オットが欠礼葉書で、わたしが年賀状ってよけいおかしいよなあ。

 と思いながら。
 仕方なく妥協した。

 今日、喪中葉書を印刷した。
 オットの文面とわたしの文面にわけて。

 他人を一緒に住むことは妥協の繰り返しである。

 まあ、妥協だけじゃなくて、助かっていることもあるから、あんまり文句ばかりでもいけないと思うのだが。

 そういうわけで今年は喪中葉書です。

IMG_1117.JPG




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posted by noyuki at 16:13| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月06日

「やっぱり耳鼻科に行かないと」と思っていたら、APD(聴覚情報処理障害)という症状らしいことに気づいた話。



レジで言われた通りのお金を払うことができない。

「200円」と言われているのに「ひゃくえん」だと思って100円玉一枚出したり。
「3円」くらいの端数がついているのに、そこを聴きそびれて3円足りなかったり。

ドライブスルーのマイクなんて絶対判別できないから、注文だけ言ってスマホで払うしかない。

もともと耳からの情報が入りづらい性質だと思っていたけれど、最近は「加齢による難聴だったらどうしよう」と思うようになってきた。

もちろんマスクごしに会話しているという件もあるかもしれないが。


先日、役所のマイナンバーコーナーに行って盛大にうろたえてしまった。

わたしは委任状を預かって、電子申請の期限がきれたマイナンバーの申請代行をしていた(仕事上必要だった)。
書類もすべて揃っていた。
なのに「係の人が尋ねたり確認したりしている内容」がまったくわからなかったのだ。
ビニルのパーティション、マスク、そしてわたしの椅子の上の天井にはスピーカー、終始呼び出しのアナウンスが流れてくる。

なにひとつ、なにひとつわからない。
「すみません、声が全然聞こえないんです。マイクもうるさいし」と言ったら、係の人が、わたしの隣に座ってくれて説明してくれた。
それでなんとか確認を行って手続きは行えたが。

おかしいではないか?

1日に何人もの人が訪れてここで手続きをするはずだ。
さすがにみんながみんな聞こえないならば、なんらかの対策をするだろう。
それがないということは、他の人は聞こえているということなのか?

家族からも「耳が遠くて聞こえていない。病院に行った方がいい」と以前から忠告されていた。

聴力情報が人よりも苦手とは思っていたが。

もしかしたら、補聴器とかあると、もう少し聞こえるようになるのではないか?

まずは耳鼻科に行ってみよう。

だが、定期健康診断の聴力診断で指摘されたことはない。

どういうふうに説明したらいいのか?
と思ってネットで症状と病名を調べてみたら。
こういうのが出てきました。


聞こえているけど聞き取れない「聴覚情報処理障害」


ええ。これですこれです!!!


思えば中学生くらいまで「よく外ばかり見ている」と言われていた。

授業を耳から聞いて頭に入れることができなかったのだ。
教科書を読めばだいたいのことはわかるのでそこまで苦労はしなかったけど。

今でも仕事で講演会などに行くのがかなり面倒くさい。なぜに読めばわかるようなことをわざわざ話さなければならないのだろうと思ってしまう(失礼!)

あと「朗読劇」をやっていた友人を一度見に行ったら、あまりの苦痛にその後2度とチケットを買わなくなった。彼女にも悪いことをしてしまった。

というような昔のことが走馬灯のように頭に蘇り、そして「病名がついたからほっとした」という人の気持ちがやっとわかった。

そうなのだ。「自分だけがおかしい」と思うのは苦しい。
「こういう症状が世の中にはあるのだ」ということがわかると、人に説明もできる。
なによりも「自分で対策ができる」というのが大きいと思う。

まずは来週主治医に相談しようと思う。

それで意見を聞いて、大病院に行くか、行かずに補聴器の相談をするか決めようと思っている。
ノイズキャンセリングだったらわかりやすくなるらしい、けれど、集音器も補聴器もまったく知識がない。
対策はゆっくりと考えていけばいい。
まずは、今までの「どうしてこうなのかわからなかった自分」にお疲れ様と言ってあげたいです。






なるだけ短めの物語

以前、自分の聴力について書いた小説がありました。短編の中の3番目「ノイズ」というやつです。


 
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posted by noyuki at 20:37| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月27日

海のシンバル〜久々原仁介


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友人から回ってきた、書籍化クラウドファンディングのお誘い。

「小説のサイトで最初から読めるから、読んでみて!」と言われ。

読んでいったら、続きが気になって仕方なくて、その足でクラウドファンディングしました。
そして書籍が到着して、やっと続きが読めた!

こういう出会いをした本が、紆余曲折して自分のもとにやってくるのは、本当に感慨深いものであります。
そして、ラストまで読めてよかった!
とても忘れられない作品でした。

*     *     *

山陰の梶栗郷のファッションホテル「ピシナム」で働く「受付さん」が、webライターの秋山の取材に答えるという形で、「当時」のことを語る。

311の被災者を各地の公団住宅が受けて入れていた時代(わたしの町もそうでした)。移住者であるらしい「R」は毎週違う男と一緒にこのホテルにやってきて、そして、男が先に帰ったあとに、部屋で泣く。

気送管カプセル(現金を受付までシューッと送るカプセル)を通じて、やがてRと「受付さん」の交流が始まる。

人の顔を見て話すことができない「受付さん」と、311によって心に傷を負った「高校生R」。
ふたりは気送管カプセルを通じて、短い文通のようにやりとりをする。

踏み込んだり、踏みとどまったり。

「なくすことの意味」は、「なくす場面にいなかった者」には伝わらない。

カプセルでの文章のやりとりという、ひどく時間のかかるやりとりの中で、お互いの魂を削りあって。
それがひとつひとつ胸に刺さっていく。

そうか。
わたしにとっては遠くて、悲しい出来事だったことが。
身近にあった人がそこにいて。
気持ちを寄せてみても、伝わらない、けっして伝わらない悲しみを抱いていて。
伝わらないこともまた絶望であったことすら、気づかないまま、いつのまにか10年以上の月日がたってしまっていたんだね。

ひとりひとりの性格が違うように。
ひとりひとりの背負うものが違うけれど。
それを描いてくれる人がいて、その世界に触れられてよかったと心底思った。

描いてくれなければ、わたしは、この世界にたくさんいるはずの「R」のことをなにひとつ知らままだった。
Rを知ること。
Rをなくすこと。
どちらも同じようにこの世界にある。

「Rをしらないまま生きてきたこれまで」とは、ちがう世界がわたしの中に広がっていくような。
とても素敵な作品でした。




追記:記事をアップしたつもりでアップしてなかったので、情報が古くなってしまってしまいました。
現在クラウドファンディングは終了しています。

こちらからも読めます
あとは書籍化を待つ!



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posted by noyuki at 20:33| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月31日

わたしのことしの三大ニュース

コロナで活動量は減ったけれど、それなりに楽しい年でした。
ていうか「無事に年末」ってだけでおめでたいって思ってしまう昨今。

自分の3大ニュース を考えてみました。

1・「やれたかも委員会」の漫画家の吉田貴司さんのインタビュー記事を書いたこと。

インタビューはこちらから読めます

去年の12月末、インタビューする人募集ってのを読んで、なにも考えずに応募したら、すぐにオッケーですって返信。
忙しくも充実した1ヶ月でした。
新作読み込んだり、インタビュー原稿書いたり、何よりも、ボリュームのある漫画をアップできるようにブログも改造して。
アプロードとか原稿のやりとりとかめっちゃ大変だったけれど、好きな漫画家さんにインタビューできるなんて経験できて本当によかったです!

2・コロナにかかったこと。
声がかすれただけだったけれど、10日の出勤停止は大変でした。
ある程度在宅でできたけれど、それでも大変でした。
病院にも行かずネットで申請して、孤独だった。
あと1ヶ月くらいは、なんか味覚が変だったりいろいろだった。
とりあえずは、復帰できてよかったと思いました。

3・産業ケアマネ に合格したこと。
介護休暇とか労働基準法とかいろいろ勉強して、役にたつかわからないけれど、名刺の肩書きになりました。
若い年代が介護離職するのは「ほんとにもったいない」と思うので。
ひきつづき勉強中。

閉塞感やネガティブなものばかり印象に残ってしまう昨今だけど、こうして書き出してみると、いろんなことがあったんだなと思います。
来年もよろしくお願いします。


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posted by noyuki at 12:43| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月11日

泣き散らかしたおまえがなにを言う〜「月の満ち欠け」〜映画の感想




* この文章には激しくネタバレがあります。映画を観る前の方はご注意ください

小説の映画化されたものを見るときに、自分に言い聞かせていることがあります。
自分は小説の文章を自分の頭の中で組み立てている。人も同じように頭の中で組み立ててゆく。
だから、けして自分のイメージどおりの映画化というのはありえない。
映像化というのは妄想を具現化するものだから、ちがうのは当たり前。
だから「違うというのを理由に」その映画をに違和感を抱いたりするのは、まったくオカド違いの感想なのだと。

そして、万一、その違和感を消化できなかったとしても、それに対して同意を求めるべきではない。
それでも、その違和感をどこかで喋りたいのであれば、それは「自分のページで喋る」しかない。
自分のページで…
喋るしかないものをこれから書きます。
前置きが長くなってしまいました。





映画が低評価であるということではありません。
その証拠に、というか、もう、こらえきれずに何度も泣きました。
隣のおねえさんも激泣きしていました。
知らないもの同士が同じシーンに涙あふれ、同時に鼻をすする。
これが映画館という空間の醍醐味なのだと感じました。

ストリーは、複雑な原作を整理したとはいえ、まったく原作のテイストで、とてもわかりやすく、そして「ああ! こうなのね!」と思う部分も多くありました。

子役の瑠璃がよかったです。
押さえ具合と、押さえた中で言うセリフが。
お父さんである小山内堅に「お父さんとお母さんの子供でよかった」というところは本当に泣きました。
小山内さんがまだ、生まれ変わったこの子が自分の子供だとは信じていないにもかかわらずです。

三角哲彦役の目黒蓮さんは本当にぴったりで、演技がとても素敵でした。瑠璃との逢瀬も、瑠璃の元夫正木の狂気も。
どれも、やりすぎず、抑えた映像で、少しずつ、全体が明らかになってくる感じがすごくよかったです。
そして緑坂ゆい役の伊藤沙莉が素敵でした。
高校時代の瑠璃とも同級で、生まれ変わった瑠璃の母親でもある緑坂ゆい。
彼女は一貫して親友の言う「生まれ変わり」の話を「あり得ないけれど信じて」いてくれてます。
「あり得ないものを信じる」
物語の真骨頂としてのその部分を伊藤沙莉が担っているなと思いました。

とにかく、いろんな気持ちが胸に迫って泣きました。
いい映画だと思いました。
本当に見てよかったと思いました。

ラスト間近の瑠璃と三角の再会シーンを見るまでは…….

この部分に関してだけ言わせてください。

何度も生まれ変わった小学生の瑠璃と中年になった三角哲彦の再会のシーンです。

この部分は原作でも「ようやく再会できた」というあたりしか描かれていません。
このふたりのシーンは異形です。
小学生と中年、いくらなんでも不自然すぎる。
だけども、この異形をなんとか描いてほしかったのです。
迷子の子供と父親に見えてもいい。父親に見える三角哲彦が泣きながら瑠璃を頬ずりしてもいい。

いや、どうしてもそういう形を描かないと決めているのなら、それも仕方ないことだと思います。

だけど、1代目正木瑠璃(有村架純)と若い頃の三角哲彦(目黒蓮)の抱擁シーンでここを代用するのは、どうよ?!と思います。
いくらなんでもそれは、かなりお花畑すぎると思います。





という部分だけ、どうしても納得できなかったけれど。
それでも、とてもとても泣きました。
ひとりひとりの丁寧な演技で「信じてほしい生まれ変わり」と「どうしても信じられない人」の通じたり通じなかったりの部分がとても胸に迫りました。

最後の「もうひとりの生まれ変わり」のシーンもとてもよかったです。

というわけで、「泣き散らかしたお前がなにを言う」という不満もありましたが、この映画は、見れて本当によかったと思いました。

あと、蛇足ですが、あまりにも気持ちが高まりすぎて「目黒蓮が若い頃の佐藤正午さんに見えた」というのは、もうほんと自分でも馬鹿げていると思います。
背格好には似てるとは思いますが。



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posted by noyuki at 11:57| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月06日

今日から「めめ推し」、今日から「snowman箱推し」! 早く見たいよ「月の満ち欠け」




佐藤正午の「ロングインタビュー 小説のつくり方」は、小学館の「きらら」での連載。

往復書簡の体裁でのインタビューで、きらりの創刊時から欠かさず読んでいます。

とちゅうで冊子からweb連載になったけれど、そのままずっと読んでいます。

書簡集は5巻が発売になったところです。
ファン垂涎のネタが多くて…というのもあるけれど、「好きな作家の生存確認を毎月行なっている」というのが正直なところです。
ええ、お若く見えてもやっぱり健康は気になります。
長編の進み具合はどうなのか、根を詰めすぎて体調が悪くなっていないか、少々不機嫌そうな文章だけど、小説に行き詰まっていないかとか、いろいろ思いながらの「生存確認」。
そして小説の「進捗状況の確認」のための「ロングインタビュー」ではありますが。
今月のロングインタビューは激震が走りました!

佐藤正午「ロングインタビュー 小説のつくり方」第124回|WEBきらら、ここをクリックして読んでくださいね

作者が、映画「月の満ち欠け」の三角哲彦役の目黒蓮さんをベタ褒めしています。

目黒蓮さんのコメント「人柄が自分と重なる部分があり、自分がやるべきだと少し運命を感じました」がすごく素敵で。

すぐに本を読んでくれたこと。三角くんと自分が似ていると感じてくれたこと。そして、だから自分がやるべきだと運命を感じてくれたこと。
その言葉に詰まった熱意が作者を動かします。作者の分身のような三角くんに「自分が似ている」という。この男は自分の分身のように三角哲彦の「思い」を演じてくれるにちがいない。
そして作者は言います。「めめ推し」としてこの映画を自分は楽しみにしている、と!

ああ、なんという! 作品に対する熱意のやりとりなんでしょう!

もう、これを聞いた瞬間、わたしもめめ推しになりました。
あれだけ憧れていた佐藤正午さんと重なる部分を演じてくださるのは、いったいどういう具合になるのだろうかと!!!!!!!!
そして、何よりも何よりも。
snowmanのファンの方がこのコメントに対して「好意的」であることを嬉しく思っています。

今月の「ロングインタビュー」は、わたしが確認した時点で4000以上のイイネ、2000リツイートととなっています。

一歩間違えれば、好意的にとっていただけなければ、「暴言で炎上」することだってあっただろうに。

snowmanファンのみなさん、いい方ばかりですね。

わたしもsnowman箱推しになりました。

そしてわたしもめめ推しのひとりとしてこの映画を楽しみたいと思っています。



映画「月の満ち欠け」は2022.12.2の公開です!




原作の「月の満ち欠け」はこちらです。


#映画 
 #Snowman  #目黒蓮  #月の満ち欠け 
#佐藤正午 


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2022年10月02日

「駅弁大学のヰタ・セクスアリス」 性対象になるよりかずっと楽しそうな、性の主体の彼女たち



https://novel18.syosetu.com/n2641hr/
⬆️「駅弁大学のヰタ・セクスアリス」(注:18歳未満は入れません)


「駅弁大学のヰタ・セクスアリス」が完結しました。

毎日寝る前に更新を読んでいたので、さみしいものです。

古くは夏目漱石の「こころ」から、新しいものでは「ぬこー様ちゃんの絵日記」まで。
連載をリアルタイムで追いかけるのはとても楽しいことだと思います。

1日のゴールに「新しい物語」が用意されているなんて、なんて贅沢!

完結したからには、次は一気読みを楽しむしかありません。

リンク先のタイトル、どれも見るだけでも楽しくなります。

駅弁大学の「ゲームサークルに集う男女の人間模様」を描いた物語。

大学入学までは全くのお嬢様だったのに、かどわかされ、youtube「ヤリスチャンネル」に出演するようになり、性的な快楽に「溺れることの快感」に目覚めた中嶋弥生。

アロマンティックアセクシャルで、セックスにも恋愛にも関心がないはずなのに、ゲームの最終ステージで、レイプされることの快感に目覚めた天津原涼子ファインモーション

駅弁大学の若い先生でありながら、二輪の自動車講習が縁で田中逸郎とつきあうことになった横尾すみれ


ジェラシーや百合的展開、そして、大学時代ならではの甘酸っぱい友情や心配事が縦横無尽に描かれていて、どこから読んでも楽しい!
(どこも使える!という感想があったそうだが、「使える」の意味に関してはわたしはあまりにも無頓着でしたw)

なによりもエロいシーンがてんこもりで、しかも彼女たちは「性の主体」として、この状況における自分の身体の声と心の声を発し続けます。

それに加えて、スーパー頭脳のすみれやファインモーションのあっと驚く解決行動!

スーパーではないにしろ、誠実と、裏目にでる誠実を同居させながら、彼女たちに翻弄される田中逸郎。

男性の小説の中には男性が主体のエロ小説がもちろん多いです。それに関して、どうこう思うことはありません。

ただ、この小説は女性が自分の身体の欲望と向き合って、自分の欲する快感と向き合っているのがありありと伝わって。
だから、よけいにエロく感じるのです。

作者である深海くじら氏の呟きでこういうのを見たことがあります。
「爪が伸びていると、今日の自分はおにゃのこの身体を触れない。そう思いながら爪を切る」のだそうです。

伸びた爪で不用意に傷つけられないこと。
時間がやまほどある大学時代にしか味わえない空気の中にいること。
自分の性欲に徹底的に向き合い、自分の性的欲求がどこにあるかを探究することができること。
そして、打算もなく、好きな人と好きなように存分にセックスできること。

リアルワールドで100パーセントそういう世界にいることが叶えられないのは百も承知。
だから、この幸せでエッチな小説を繰り返し読むのはとても楽しいものなのです。



おまけ:もともとこの小説は「カクヨム」での連載でしたが、人気が出るにつれ過激なシーンが問題になり、警告のすえ「カクヨム」での連載が中止になりました。

そこから「小説家になろう」の「ノクターンノベルズ(男性向け)」に移籍となったわけですが、佳境に入ってのいったん中止は本当につらかったです

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2022年09月23日

おバカすぎて痛快! ブレットトレインを見てきました



大好きな伊坂幸太郎の「マリアビートル」が原作ということで見てみましたが、ぜんぜん違っていました!


なにしろ、原作と一致するのは、ブラピの扮する「運の悪い殺し屋」と「タンジェリンとレモン」のふたりくらい。
「王子」が女の子になってたり、ああ、原作と比べては話になりません。

でも、だんだん見ていくうちに、ほんとおバカすぎて、「いや、ありえんやろ!」みたいなことが次々起こって、「これが痛快って言うんだろうなあ。外国じゃ映画館で歓声あげたりワンピースの映画で興奮してポプコーン投げたりするらしいけれど。この映画はそんなふうにして見るんだろうなあ」と。

相貌失認ぎみで外国人の顔もわからないし、そもそも映像の処理能力が弱いので、「なんか、はじめて?」的なおもしろさを味わえて、すごく得した気分でした。

運の悪い殺し屋「レディバグ」はアタッシュケースを回収し、次の駅まで運ぶという簡単な仕事を依頼される。
新幹線「ゆかり」に乗って、東京から品川まで。
ところが、この列車にはいろんな殺し屋が乗っており、主人公は「品川」で降りることができず、「新横浜」でも失敗。数人の死体と複数の殺し屋を乗せながら、新幹線は京都まで死闘を繰り広げながら走ります。

もう、だんだんおバカすぎて、なんか脳内から変なものが出てきました。
どこの国でもない。世界のどこかの物語。
日本でもなんでもない。

でも、なによりもこの映画で嬉しかったのは、「どんなにはっちゃけようと、これはまごうことなき伊坂ワールドだ」と思えたことでした。

ここでそれを書くとネタバレになっちゃいますが。
軽やかさと機転が次々に繋がって物語が転がっていく感じ。
その中をつらぬく「まっとうさ」と、「人を信じる力」が、見えないものに立ち向かわせてくれる感じ。

気持ちよかった!

なにがいいとか悪いとか言うのももったいないくらい。
爽快感でいっぱいになった映画でした。

コロナの療養あけの第一発めの外出でした! ああ、ウィルスもこれで死滅したはず。


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2022年08月05日

「両手にトカレフ」・ブレイディみかこ

両手にトカレフ - ブレイディみかこ, オザワミカ
両手にトカレフ - ブレイディみかこ, オザワミカ


「両手にトカレフ」は「ぼくは「イエローでホワイトでちょっとブルー」でおなじみの、ブレイディみかこさんの小説です。



イギリスの貧困家庭に育つミアが、図書館でホームレス風の男に「君のような女の子が読んだらおもしろい本だと思うよ」と「金子文子」の本を勧められる。
金子文子は日本のアナーキスト、らしい(私は知りませんでした)。
そして「金子文子」に対してなんの先入観もないミアは、彼女の自伝に心惹かれてゆく。

ミアとチャーリーの母親はアルコール中毒。
二人はゾーイのカフェで提供される食事を食べて生活する。
スマホは持っていない。ショッピングモールにいくお金もない。
だからミアは図書館で時間をつぶす。
ソーシャルワーカーのことを「ソーシャル」と言って毛嫌いする。
ソーシャルは、自分があきらめているものを「変えよう」として、とんでもないことになってしまうから。
ミアは強くてアナーキストで絶望していて、そして「両手にトカレフ」を持っていて生きている。
「ミアのラップがクールだから、リリックを作って」というウィルにもミアは振り向かない。
彼女がシンパシーを感じるのは、本の中で生きている「フミコ」だけ。

たとえば、ミアは日本にもいるでしょう。
経済もズタズタで貧困層が確実に存在して、どこかで陰惨な事件が起きていて。
そして「貧困の中から抜け出す方法が模索できない」国。
これはイギリスだけの問題ではないだろうけれど、どこか「よその国の物語」で。
それはもしかしたら、「日本でない国の物語として描きたいブレイディみかこ」の気持ちなのかもしれないとも思いました。

ラストまで読んでも物語としての大きなカタルシスがない。

というと、それはよくない表現に聞こえるかもしれないけれど。
いい意味で、希望が湧き上がったとしても「どこかで成功エンディング」に落とし込むようなところがない作品だと思います。


*   *   *


暇にまかせて本を読みながら、わたしは若くてやり場のない世界を生きてきました。
強く、手を握りあうようなシンパシーでじゃなくて。
自分でも意識しないくらいに、ゆっくりと心の中に染み込んで、それがいつのまにか自分自身になっているような、そんなシンパシー。
本にはそういう「けして激しくはなく、ゆっくりだけど確実に心に染み込む力」がありました。

若さや、やり場のなさを語るには、わたしは年を取りすぎたかもしれないけれど。
それでも、あのときのあの感触はよく覚えています。

そうして。それが今の自分を形作っているのも、ものすごーくよくわかっていて。
その激しい気持ちを思い出させてくれるような作品でした。




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2022年06月29日

「何この日本!?」的な「マリアビートル」映画化に頭がついていけない。ブラッドピットってまじですか?



伊坂幸太郎の「マリアビートル」が映画化されるという。

主演はブラッドピット!
いやはや、この予告編だけで頭がくらくらしました。
どういう作品になっているのか、まったく想像できません。

マリアビートル (角川文庫) - 伊坂 幸太郎
マリアビートル (角川文庫) - 伊坂 幸太郎


かなり好きな作品であったことは記憶にあるのけれど、詳細までは覚えていない。そこは「伊坂幸太郎の備忘録」の出番でした。
わたしは伊坂幸太郎の読んだ作品はすべてこのブログに「伊坂幸太郎の備忘録」として記録しているので
調べてみたらあっさりと出てきました。

これは2010年読了後に書いた感想です。

「マリアビートル」

東北新幹線を題材にしたクライムノベル。登場する殺し屋たちは「グラスホッパー」の登場人物と重複。

「トランク」はどんどん移動し、新幹線の中ではどんどん人が死に、そういう意味ではスピード感のある小説なのだけれど、むしろ腰を据えて楽しみたい作品。

蜜柑と檸檬のコンビの殺し屋も「きかんしゃトーマス」の話題などをふりまき秀逸だが、個人的に好きなのは運の悪い殺し屋の七尾である。「ほんとうに運の悪い人間」というのが世の中にはいるのだが、そういった「運の悪い人間のタフさ」や、タフであるための考え方みたいなものが非常に共感できる。そして、その七尾と対照的なのが「王子」。彼はどうなるのだろうか?好きなキャラではないけれど、今後またどこかの伊坂小説に登場するような気もする。

運がいいとか悪いとは関係のない「まっとうさ」。そういうものが貫かれているからこそ、犯罪小説が面白いのだと思う。

まったくの蛇足であるが、なにかのインタビューで「子どもを連れて列車を観に行く」と伊坂幸太郎さんが語られていたのを思い出した。記憶ちがいだったらごめんなさい。


* ちなみに「マリアビートル」は現在「英推理作家協会賞最終候補の5作品に選ばれているとのこと。もう、なにがなんだかびっくりです!

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2022年06月17日

マイクロスパイ・アンサンブル (伊坂幸太郎の備忘録)


幻冬舎の特設サイトより猪苗代湖で2015年から開催されている音楽フェス「オハラ☆ブレイク」のために、伊坂幸太郎さんが毎年書き続けた短編「猪苗代湖の話」。会場でしか手に入らなかった7年分の連作短編が満を持して書籍化!

https://www.gentosha.co.jp/s/microspyensemble/(マイクロスパイ・アンサンブル 幻冬舎特設サイト)



ということで7年分の、ミクロワールドと会社員のワールドを読みました。
読んだ感想は「とてもしあわせだった」です。

コンサート会場って、特別な思いがあふれているような気がします。
「そこに行けば普通のことがすごいことにみえる」みたいな世界。
ワクワク感。
ここに来るために、これまでがんばってきたぜ感。
そして、ああ、幸せだった感。
この思いを胸に抱けばもうしばらくは生きていけるね感。
そんな空気感をまとった猪苗代湖のフェスが舞台です。

その場所でエージェントハルトに拾われた少年の活躍。
失言を後悔しているサラリーマン。
それが1年ごとに描かれている。
裏切ったり裏切られたり、思ってもないひどいことを言ったり、後悔しながらも祈ったり。
そんな日常が軽やかな音楽のフレーズとともに綴られている。
7年プラスアルファの月日が経っている。
「成長した」という言葉だけでは語りきれないものがあります。

7年という期間を切り取ってみて。

わたしはそのあいだにどんな成長をしたのだろう?
書くことは相変わらず好きだし、ずっとずっと何かしらを書き綴っているけれど。
月日はすぎても成長はできない。でも、なにかが少しずつ変わってる。
「少しうまくいって」「少し幸せになる」感じ。

そういうもんじゃないのかな?

7年という月日も。
特別な場所に集う人たちも。

ほら、うまく感想もまとめられないけれど、とにかく「幸せな物語」でした。

引用フレーズも知らない歌ばかり。
と思ったら。特設サイトにプレイリスト見つけました。


https://lnk.to/microspyensemble  

⬆️伊坂幸太郎『マイクロスパイ・アンサンブル』- from オハラ☆ブレイク- プレイリスト


ピーズ、聞いてみたかったんだ!

ほら、やっぱり幸せ!





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2022年03月31日

本をめぐる、わたしのAdvance Care Planning

大事な本だけを本棚に入れていた。
1年に1〜2冊ずつ。
死ぬ前に一度読み返したくなるであろう本だけを厳選していた。

残りの本は階段に積んでいた。これは「階段本」と呼ばれていて、友人たちが遊びに来たら、好きに持ち帰っていった。
コミックはほとんどが「階段本」となっていって「のだめカンタービレ」も「3月のライオン」も友人の家の本棚にもらわれていった。
あと「おもしろかった本」も「でも読み返さないだろうな」という本は階段本になってどこかへもらわれていった。

わたしの本棚には、片岡義男と佐藤正午と村上春樹がだいたい1メートルずつくらいあって。伊坂幸太郎は母親が好きで分けてあげたので、少し少なめだ。
あとは、アゴタ・クリストフとかカート・ヴォネガットとか、そうそうピートハミルや川上弘美も大事にしていた。講談社の「インポケット」や昔の「宝島」もある。

ときどき定期的に本の埃を払っていて、ある日気づいた。
わたしは、死ぬ間際にこの埃っぽい本を取り出すことはないだろう。
埃っぽいし、昔の小さな活字を持ち運ぶことはもうないだろう。

「断捨離のやましたひでこさん」の顔が浮かんだ。
「本の断捨離」なんでできないと思っていたけれど、かなり減らして、いちおうそれでも「本棚はここまで」とした。
これからも本は読む。だけど、家のあちこちに本を積む生活はやめる。
わたしは視力もだんだん衰えていたし、バックライトのKindleの方が圧倒的に読みやすくなっていた。


今のわたしの本棚はこれである。


今のところアマゾンだけだけど、本はどこで買ってもいいと思っている。
町の本屋で本を手に取ってみて「ダウンロードでお願いします」なんて言えたらいいだろうな。

昔は旅行に行くにも、本をたくさん持っていってたけれど、今はKindleのみ。
軽くていい。

あと「買いすぎ」を躊躇しなくなった。
以前は無駄な本を買うと「置き場所が」と思っていたけれど、無駄に買ってもスペースの無駄にならないし、整理整頓も大変ではない。

願わくば願わくば。わたしのACPAdvance Care Planning)を覚えておいてほしい。

家で死ねなくてもいい。
オットに心配かけたり、オットが悲しむのを見るのはきっと悲しい。
さいごのさいごは「病院か施設」に行きたい。

そして、そこはwifiの強いところがいい。

わたしはもう、本の活字を追い求める気力はないかもしれないけれど、このたくさんの本の表紙を、さいごのさいごまで大事に抱えていたいと思っている。



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