2017年08月09日

8月9日の空を見上げる

8月9日の空を見上げる


もう何年も前から変わりなく、長崎出身の友人げんたのさんは8/6日と8/9日の空を見上げ、その日の空の風景を写真でアップしてくれてた。

わたしはすぐに忘れてしまう。
空はいつでもわたしの上にあって、見上げようと思えばいつでも見上げられるものなのに。

わたしは「平和」も同じようなものだと思ってしまってるのかもしれない。
あることさえも当たり前のもの。

当たり前のものが当たり前にあることの幸せを忘れないように。
今年も空を見上げます。

大きな雨粒が降ってきました。


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2017年07月29日

「佐藤正午氏の(月の満ち欠け)直木賞を待ちながら」


ブログも更新せず、気がついたら一ヶ月もたってたからびっくりした次第。
いったい何をしていたんだろう?
と考えていたら、佐藤正午せんせいの「月の満ち欠け」が直木賞候補になって、受賞してという一ヶ月だった。

{直木賞の結果を待つなんてことは、めったにない経験なので、時系列で記録しておきます}

2017年6月20日:直木賞候補者の一覧が配信される。候補者5名。なかには「読もうと思って買っていた本」と「買いたいなと思ってた本」の作者もいらっしゃる。ここは願掛けにて「読まない」を選択。

2017年同日:候補になったからとできることはあまりない。とりあえずスマホの待受を「佐藤正午氏の近影」に変更する。

2017年6月22日:直木賞「大衆選考会」のページを、ファンの友人に教えられる。「選考には関係ないかも」と思いながらもはやる気持ちを抑えられず書き込む。あとで聞くところによると、この大衆選考会で1位2位の作者が直木賞を受賞することが多いとのこと。

ちなみに、こういう情報が自然にずるずる入ってきたわけではない。
Twitterはじめ、いろんな記事、下馬評の検索にかなりの時間を費やしてしまっている。
なにもできないので、こういうことをやってしまうのだ。

2019年7月:ニコニコ動画で生中継があることを知る。当日の仕事のスケジュールを確認。

2019年7月19日:夕方6時すぎから、ニコニコ生放送を見る。解説の方の話を聞きながら選考結果を待つ。
19時くらいに発表予定とのことだったが、なかなか結果を入って来ない。時間がかかっているのかとヤキモキ。

2019年7月19日:19時20分。会場にカメラが切り替わる。女性がひとり入ってきて、壁に紙を貼る。
まずは芥川賞。そして、直木賞。間違いなく「佐藤正午 月の満ち欠け」と書いてある。
生放送を見れなかった友人に電話する約束をしていたので、すぐに電話して喜び合う(ここで感極まって泣きました)。

それからあっという間に「人多すぎ」になって、プレミアム会員でないので視聴できなくなる。
LINEで友人とあれこれ探して、記者会見が見れるネットを探してやっと視聴。

それから、ネットに書きこんだり、自分のことではないのにお祝いのメールが来たり、と、お祭りのような喜びの日々を過ごした。やり残したことはあるものの、とりあえず今は放心。
生きているとほんと、予想もしないことがたくさんあるなあ、と改めて思いました。
佐藤正午さん「月の満ち欠け」直木賞 おめでとうございます!

月の満ち欠けの書評はこちら

「月の満ち欠け」からの二次創作「戦場のパーティ」

「月の満ち欠け」を読んで、「意図せずに生まれ変わる人もいるとしたら、自分も、もしかしたら生まれ変わりを信じられるかもしれない」と言った友人に向けて書きました。


そして、電話による受賞会見のもよう




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2017年02月02日

あけましておめでとうございます

ジャンポールエヴァン


旧暦、というわけでじはないんですが(笑)。

毎年、1月をなんとか持ちこたえて、2月になるとセロトニン切れのような気がする。
太陽の光が足りない。
あたたかさがたりない。
下手したら、1日、こたつから動かなかったり。
シゴトのある日以外はそんなふうに過ごしている。

でも、そんな時間が嫌いじゃない。
時間泥棒が1日分まるごと時間を持っていって、冷蔵庫のペリエになったみたいにして。
そういう自分のダメダメなところを思いっきり出して、約1ヶ月も過ごすこともできるんだな、と。
毎年今の季節に確認しているわけです。

今年は2月に村上春樹さんの新刊。
4月に佐藤正午さんの新刊。

未読の本を調整しながら、春を待ちます。
というわけで、ほんとに更新のないブログですが、よろしくおつきあいください。


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2016年11月29日

ミドリの森 7 ナコ3

久しぶりの実家はなんだかとても落ち着かなかった。

幼い頃に母と引っ越してきた古びたアパートの2階の1DK 。何年もここで布団を並べて寝ていたはずなのに。懐かしさも何も感じない。
絵を描いてたテーブルは今も健在だった。
ぺらぺらの落書き帳とクレヨンを広げていたテーブル。母の帰りを待つ時間に、わたしが熱中していた小さな宇宙。最後は書き込みすぎて、くしゃくしゃになるか、紙が破れてしまってたけれど、それでも大事に使っていた落書き帳。
今、そのテーブルの上には、酒瓶やペットボトルやお惣菜が入ってたプラスチックや茶渋で真っ黒になったコップが山のように積み上げられいる。

そして、その脇には柩があって、母は今そこで眠っていた。

家財道具の少なかったガランとした1DKは、いつのまにか見事なゴミ屋敷になってた。
近くのコンビニでゴミ袋を買ってきたけれど、手のつけようがない。
飲みかけのペットボトルや酒瓶を、シンクに捨ててまとめようにも、洗い物がいっぱいでどうにも動かしようがなかった。底辺が見えない。いや、少し見えているかも。そこには真黒いものが分厚くこびりついてていた。
コンビニのゴミ袋のままの食べかす。服。冬のこたつ布団。破った包み紙。ダンボールから半分顔を出している服。
母は神経質なくらいきれい好きじゃなかったのか?

あの日、携帯が25回鳴った。

仕事を終え、ロッカールームを出たばかりの時間だ。
同じ市内番号から始まるナンバーディスプレイには見覚えがなかった。だから出るのをずいぶん躊躇して、ショッピングモールの通用門でわたしは携帯を長いこと見つめていた。

「ああ、よかった、繋がって」女性の声で、わたしは民生委員をしているものだと言った。
「覚えてる? ほら、中学で一緒だった田中ミホコの母よ。あなたのお母さんちによく伺わせてもらってるんだけど、昨日も今日もドアを開けてくれないの。いままでそんなことなかったのに」
ミホコのことは覚えていた。わたしの絵をいつも褒めてくれてた子だ。あなたのようにうまくなりたいって言っていた彼女は、地元の美大に合格したと聞いた。
「不動産屋は、家族の了承があれば開けてくれるっていうし。何だかとても心配なの。なにごともなければいいんだけど。ミホコのツテであなたの番号を聞いてもらったの。これから、ここに来てくれない?」
「もう関係ありませんから」そう言いたくて、拳を握りしめて力を込めた。でも、勢いに負けて言えなかった。
母親の一大事に娘が断るなんて選択肢は、向こう岸にはこれっぽっちもなかったからだ。

電車とバスを乗り継ぎ自宅のある町に帰った。
不動産屋が鍵をあけるとそこには、遊園地のお化け屋敷みたいな真っ暗い闇が広がっていた。
そして吐瀉物の甘酸っぱい匂いの中で、母が真っ白い顔をして死んでいた。

警察が来て検死が終わり、今母は狭い部屋の中で柩に横たわっている。
火葬はあさって。それまでこのままだ。
正直いって気が滅入る。

民生委員の田中さんが、何をしていいかわからない私に代わって葬儀屋を呼んでくれた。
柩を用意してあとは火葬だけというプランがあったので、わたしは「それでお願いします」と言った。
「でも、ほんとにお葬式もしないの? 親戚とか、知らせるひとはいないの?」と田中さんは言う。
母の兄は昔から行方不明と聞いていた。会ったこともない。わたしは、別れた父も、別れた恋人も連絡先を知らない。
遅番で店にいるスタッフのミドリさん以外に、連絡するところなんてどこも思いつかないのだ。

お湯の出ない風呂場で化粧を落とし、浴槽にゴミを追いやって、毛羽立った畳に腰を下ろす。
乱雑なタンスの引き出しから、預金通帳と現金を見つけた。どうやら数ヶ月前まではなんとか仕事してたらしい。振り込み先は近所にあるスーパーの名前。給料日に全額引き出し、タンスに突っ込んでいたんだろう。
おかげで火葬くらいはできそうだ。あとはゴミ処理を頼んで部屋を解約しよう。わたしはもうここへは戻らない。

おかあさん。

少しずつ人間は死んでいくんだね。わたしがまだここにいた頃から、おかあさんはもう、死に向かっていたよね。
だから、ずいぶんゆっくりだったよね。
今はホッとしてる? わたしはホッとしてる。苦しいのにずっとこうしていたってどうしようもなかったでしょう?
ときにはわたしに向けた恨みごとの、何千倍もの恨みつらみが、病巣のように蝕んでいたのは知ってる。けれど、わたしにはどうにもできなかった。

田中さんは、少しわたしを責めたよ。
親子なのにって。
でも、親子だって別の人間だよ。
わたしはそれを分けあったり癒したりできない人間だった。

タオルケットをかぶって、横になったけれど、どれだけ洗濯してなかったの?
おかげでなかなか眠れずに、わたしは母の顔を覗き込む。
あんなに苦しそうに見えたのに、今は。
少しだけ、少しだけ、笑っているように見えるよ、おかあさん。

身体からも。病巣からも自由になった母の魂が、少しだけ軽くなって、部屋の中をふわふわ漂っていた。




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2016年10月29日

福岡天神RerhinkBooksのイベント(10/24 月曜日)に行ってきました




岡野雄一氏、盛田隆二氏の介護対談に行った。
慣れ親しんだ天神の明治通りの一角、水鏡天満宮のお向かいあたりで、こんなイベントにふらりと行けるなんて、想像もしてなかった。
すごくフラットに書店の一角でテーブルを囲んで、ビールを飲みながら対談、なんて豪華!

介護の本もいろいろあるけれど、小説やエッセイの中では少しだけ現実とは違った世界が広がってゆく。
そこに至るまでの、経過や葛藤、笑い、いろんなトークを楽しませていただいた。

ペコロスのいつか母ちゃんにありがとう: 介護げなげな話 -
ペコロスのいつか母ちゃんにありがとう: 介護げなげな話 -

父よ、ロング・グッドバイ 男の介護日誌 -
父よ、ロング・グッドバイ 男の介護日誌 -

本にはお二人からサインをしていただきました。

「情報なんていくらでも手に入る」って思いながらも、目の前にいる人の言葉のリアルさに熱くなった。
来てる人、ひとりひとりの言葉が生き生きとテーブルを行き交って、ああ、ネットとはちがう、現実ってすごいんだなあと逆にびっくりしてしまう自分がいた。

Rethink Bookにまた行きたい。
陽が短くなったら、本を読みながらここで待ち合わせて、天神に繰り出したいです。


(Rethink book ホームページはこちら)


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2016年10月05日

嵐の日には好きな人の話でもしよう (佐藤正午 「永遠の1/2」小学館文庫)


以前の職場の先輩とひさしぶりに電話で話したことがあった。
「引っ越したときに気づいたんだけど、のゆきちゃんから借りっぱなしの本があったんだよね」
聞いてみると、佐藤正午氏のデビュー作「永遠の1/2」のハードカバーだった。
すっかり忘れていて、どういう経緯で貸したのかも思い出せなかった。
「じゃあ、今度会うときに忘れないように持っていくね」と先輩は言ってくれたが、その後疎遠になってしまい、結局、その本はわたしの手元にはない。

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2016年10月6日発売 「永遠の1/2」小学館文庫

今回、文庫化された新刊をもう一度読むことになる。
このデビュー作を読んで、今のわたしはどんなふうに感じるのだろうか?

それから現在執筆中という新作はいつ完成するのだろうか?
そういうことを想像するだけでワクワクしてしまう。

そんなわたしに「ファンクラブ会報誌」のごとく著者近況を教えてくれるのは、小学館「きらら」の「ロングインタビュー(小説の作り方)」だ。
ポケモンGOがレベル22だったりカビゴン追っかけたり、父親の葬儀の最中に競輪場にいてしまったり、そんな話に笑いながらも「ロングインタビュー」は10月号で51回めを迎えた。

煙に巻かれながらも、ときどき胸の奥が熱くなる。
「きらら」を閉じて、ため息をついて、なんだかとても嬉しくなってしまう。

わたしの生きている世界も、著者の生きている世界もけして混じり合いはしないけれど。
世界は多重構造だ。
多重構造の中のひとつの世界で。
わたしたちは、同じ物語の中にいられる。


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2016年08月09日

8/9の空を見上げる





8/9 の空を見上げる#Pray for peace



8/9日 今日は空を見上げて祈る。
友人の習慣に倣ったものだ。

そのたびに思う。
戦争は「見たこともないことなのだ」と。

戦争はテレビや伝聞でしか知らない
なのにこわくて悲惨なものだと知っている。
そういうことを伝えている「人の言葉の力」を、信じてみたい今日の空。


*   *   *


「見たこともないものを」どれくらい信じればいいのだろう?

わたしの幼少の記憶では、お盆には、死んだおじいちゃんが裏木戸から入ってきて「ただいま」と言った。
病気の日には、まるでわたしが死んでしまったかのように、障子の向こうにたくさんの人影が集まった。

こないだ、朝起きたら、自分の「中の人」が変わったような気がした。
友人に話したら「8/2日にそういうことが起こりやすいのだそうだ」と言われ心底びっくりした。
そうか。立春の半年後なんだ、
わたしは毎回立春のあたりに「中の人」がそわそわする。
そしてまたそれを別の知り合いに言ったら、「立春よりか、新月、満月の関係じゃないか?」」と言われた。

ときどき雲を眺めていたら「地震雲」だと思うことがあって、これは信じない人が多いけれど、やはりタイミングよく地震が起こってしまう。
「雲」は関係なしに地震がわかる人がいて、それはたぶん磁場とかで感じるんだろう。



*   *   *



言葉で説明できるものをすべて信じられるわけでもないし。
言葉で説明できないものはよけい怪しげだ。

だけでも有形無形の物事が世界には起こり続けている。

「自分にとって嘘にならないもの」を少しだけ信じておこうと思う。
そして誰に対しても、それが真実だと声高に叫ばずに、しずかに「自分の信じるもの」として取っておこう。


*   *   *


そして。

8/6と8/9に空を見上げるという友人の習慣は。
それはやっぱり倣っていこうと思っている。





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2016年07月13日

インディゴの記憶

トートバッグにこんな子が!


インディゴの記憶

今よりもずっと、生きるのがつまらない頃があって、「あの頃の感覚をすべて忘れてしまうのはちょっと切ないなあ」と思って、ときどき思い出してみようとしている。
断片は出てくるけれど、クリアではない。
わたしはもう孤独の中にはいないし、同じ感覚を思い出すことはできないのだ。

あの頃、わたしのまわりにいる人はみな、悪意の塊だった。
わたしがやろうとすることを、止める、邪魔する、非難する、そういう悪意だ。

わたしの小さなあぜ道がまっすぐにのびていた。
その脇には大きな木がそよぎ、それはおだやかなものではない、むしろ荒涼の風景だった。
さみしくはなかった。
誰もがこんな一本道にいると思っていた。
野原はけして居心地よくはなかったが、それでもそこは自分の場所だった。

困ったのは、その道をわけのわからないものが横切り、行く手を阻むことだった。
それが、わたしの言う悪意だった。

実は他の人には、わたしの道が見えてないと気づいたのはずっとあとだった。
そのことにわたしは長い間気づいてなかった。
それは自分の理屈をすべて完備した道ではあるけれど、(当たり前だけど)誰にも見えないし、誰が評価しようもなかったのだ。

一方で、オトナになってから、人の物語を聞くのが好きになった。
本を読むように「人」という物語を聞いた。
不躾なこともいっぱい聞いた。
そして「見えている風景」のちがいみたいなものにようやく気づいた次第だ。

幸せになれたのは、なにかを自分で作れたことだった。
小さな文章のひとつを自分で書くこと。
意外にも、これが1番自分を孤独から遠ざけた。

そのことが誰にとっても無意味であっても、自分にとっては意味があった。

なによりもこの道を誰かが遮って邪魔することがなかった。
わたしは人に同意を求めずに、自分の大事なものを隠し持つことを覚えた。

だんだん、そういうことが当たり前になってくる。
当たり前になってくる一方で、当たり前すぎて忘れてしまうときもある。

そうして不穏なものがいくつも道を遮る夜になるとわたしは、あの頃の呪文をつぶやくのだ。
「書くことだけが自分を助けてくれるんだ」と。
「ゼロから作り出せる文章だけが、誰を救わずとも、自分の拠り所になれるのだ」と。


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2016年04月13日

夢をみた


できた!#origami



夢をみた。
こんな夢だった。

わたしはどこかの椅子にひとり腰掛けて短編小説を読んでいた。
コンクリート壁にはりついた木製のベンチだ。背もたれはない。

その短編小説は「ジェットコースターのようなめくるめくストリー」ではなかったが、かなり夢中になれる出来だった。
特に着想に感心した。
「そうか、こういう書き方をすればいいんだ。この方法だと、わたしの伝えたいことが十分に伝わるにちがいない」

それから、わたしはもうひとつのことに気づいた。

わたしは今、自分の夢の中でこの本を読んでいるのだ。
ということは、他の誰もこの本を読んではいない。
わたしが「着想」をちょうだいして、自分の文章で書いたとしても、バレることなどないのだ。

これはけして盗作ではない。
そう言い聞かせながら、わたしは夢の中で「この本のあらすじや構成」を頭にまとめた。
簡単なものだった。
あとは、起きてこれを再現するだけ。

そういう夢だったはずなのに。
目覚めてみるとその「本の内容」だけがどうしても思い出せないでいるのだ。

脳も記憶も、すべて自分の中にあるものなのに、いつもせつないくらいに、わたしを裏切るなあ。
最近だんだんそう思うようになってきた。


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2016年03月31日

ことしのさくら



わたしの1番好きな、お花見公園。
「ああ、わたしがあちらの場所に行ったあとに(現世)で思い出すのは、きっとこの場所なんだろうな」と毎年思う。

でも、リトルオーブンのモンブランを食べてるときは「ああ、きっと、思い出すのはこのケーキなんだろうな」って思うし。
自分の部屋で眠りにつくまでのあいだ本を読んでいるときは「ああ、きっと、この時間を思うんだろうな」って思う。

嫌もムカつくもなじめないも、あいかわらずたくさんあるけれど。
こういう「好き」を少しずつ増やしていけるようになりました。


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2015年11月27日

見た夢を覚えている時期と、覚えていない時期がある、そして今は毎朝覚えている時期

見た夢を覚えている時期と、覚えていない時期がある。
覚えている時期はすごく覚えているので、できるだけ書いておくことにしている。

今朝の夢はこんな夢だった。

ネットで、「大喜利的なもの」をしていた。
あまりそういう遊びはしないのだが、「佐藤正午の小説にでてくる朝ごはんをあげよう!」というお題だったので、つい、参加してしまった。
誰かが、「りんごをスライスしたトースト」と言った。
わたしも、なにかしら答えた。
どんな答えか思い出せない、でも、なにかしらをTwitterに書いた。
そしたら、それがなぜかエネッチケーの「朝イチ」でリアルタイムで読まれてしまい、とてもうれしくてうれしくて、みんなに知らせようと思った夢だった。

どうしてこんな夢を見たのか、よくわかる。

そうだ、今日は佐藤正午せんせいの「山田風太郎賞」の授賞式なのだ。
昨夜から、熱心なファン同士のLINEの会話がはずんだ。

何年も連絡しなくても平気なのに、このときばかりはと連絡してくる仲間がいて、ほんとにすごいなあと思う。
「好き」のおかげで、こんなステキな人たちと知り合えた。
「好き」は妬まない、ほんとにすごいなあと思える。

そういうわけで、こんなブログの片隅で、本日の授賞式をお祝いさせていただきます。
佐藤正午せんせい、山田風太郎賞受賞、おめでとうございます。

角川書店 山田風太郎賞のサイトはこちら


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2015年08月06日

8/6の空を見上げる

8/6日の空を見上げる

長崎出身の友人が毎年やっていること。
原爆の日に空を見上げ、平和を祈ること。
簡単なことなので、これならできると、いつのまにか、自分でもできるようになりました。

耳納連山が遠くにかすんで見えています。
これからも、この静かな空が、ゆるぎなくわたしの頭の上にあり続けられますように。

8/6の空をみあげる。#hiroshima



世の中にはいろんな立場の人がいて、いろんな考え方の人がいるから。
「ひとつのきまりごと」を作っても、それで良い人と良くない人はもちろんいると思う。

良くない人は良くないと、自分の思っていることを言えばいい。

問題は、自分とちがう考え方の人を誹謗中傷する人がいること。
それと、最初からの「意見」が誹謗中傷である人がいることだ。

あなたは、あなたの中で間違っていないことを言えばいい。
それによって誰かに訂正されたり貶められたり、誹謗中傷されることはない、はずだ。
時がたてば、きっとほんとうのことが残る。

話を戻そう。

空を見上げよう。
この空に、嘘や悪口や貶め傷つける言葉や行為が、なにひとつ混じらないように。


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2015年04月11日

ゆめを見た

休日なのに早朝に目覚めてしまいがっかりした。
だんだん夜明けが早くなって、もう外には小鳥の声が聞こえていた。

しかたないので、ベッドでアイパッドを繰る。
スクロールしながら、記事や読み物で覚醒していくのが最近の習慣だ。

ああ、それにしても眠りが浅いなあ。せっかくの休みだからもっとぐっすり眠りたかったなあ。
そう思っていると、友人が枕元にやってきていた。
姉のように慕っている年上の友人だ。

「そういうときはこれを食べるといいわよ」
小さなお皿に、茹でた青菜のようなものがちょこんと載っていた。
その上に檸檬をたっぷりたらしてくれた。
おおぶりで、あまりすっぱくない、わたしの好きな檸檬だ。

わたしはそれを食べた。
檸檬のすっぱさ以外の食感はなかった。
それくらい青菜はやわらかく茹でてあるんだと思った。
味のくせのない、ふわっとした青菜。

次に気がついたときは、近くの工場の8時のサイレンが鳴っていた。
ああ、ちょっと目を瞑っただけだと思ってたのに、すごくぐっすり眠ってしまってたのだ。

あの青菜檸檬のおかげだろうか?

それにしても味がなかった。
夢の中で食べるものはだいたい味がない。
だけど、匂いやふわっとした食感はある。

そしてわたしは夢の中でそれを、なぜか「おいしい」と思って食べている。

冬の公園。夕日がきれい。



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2015年01月28日

夢をみた

夢をみた。
こんな夢だった。

わたしは占い師の前に座っている。
お金を払って、占ってもらったわけではない。
たまたま、高名な占い師という人と話す機会があって、そこで「手相をみましょう」という話になったのだ。

そもそも、運命を定められるのはきらいだ。
限定されたり、避けるべきものを教えられるのは、にがてなのだ。

でも、その人はなんだかいい感じで、ああ、この人のはなしだったら聞いてみたいって思っていた。

「うん、健康だし、これからも、いい感じですよ」
ふさふさしたショートボブにベールをかぶった、目の大きな占い師は言った。
「いい人に出会っていくでしょう」
「いい手相です。これからも、大きな苦労もないでしょう」

手相をみていた占い師はそれから顔をあげて言った。

「あとひとつ、アドバイスがあります。デイサービスには言った方がいいですよ」

デイサービス?

わたしはわけがわからなかった。

わたしはデイサービスに行くような年齢ではないのに。
ないのに....

そう思いながら、夢の中でわたしは気づいた。

わたしはいつのまにか、おばあちゃんになっていたのだ。
年月がたって、おばあちゃんになっていたのに、自分はそのことに気づかないで、いつまでも若い気持でいただけだったのだ。

わたしは。
いま、いくつで。
これまで、どんな人生をすごしてきたのだろう?

それをずっとずっと考えた。

考えていたら、目がさめた。

ああ、びっくりした。


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2014年08月06日

8月6日の空を見上げる

Pray for peace looking on a sky .6th August for Hiroshima #Hiroshima


8月6日朝の空はこんな感じです。
昨日までは大雨、今日は曇空で、南の海上には台風もあります。

友人のげんたのさんが毎年「原爆の日の空」を撮ってアップしてくれてたので、いつしか、サイレンの鳴る時間に空を見上げる習慣ができました。

小さな一瞬ですが、忘れないようにしたいと思います。

核兵器が人の命を奪うために使われませんように。
世界のどこかで、殺しあうほどの憎しみが起こりませんように。
正義という言葉の中に、小さな嘘がまじりませんように。


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2014年08月03日

幸せは薄手のTシャツ

2014051517530001.jpg


朝起きて、早めの朝日を浴びて、今日のTシャツを選べるような日が幸せ。
もくもくの入道雲を映し込めるような薄手のペラペラのTシャツだったらなおさらだ。

好きな服を着ればいい。

自分の選ぶことに自信がなくなったときは、そうつぶやくようにしている。

自分の着たい服は、他の人が着たい服とも違うし。
似合っているとも限らない。
わたしらしくないと誰かが思っているかもしれない。
でも、違っているように思えたら、また着替えればいいだけのこと。

今日のTシャツを選ぶように、自分の気分にフィットすることを選べばいいだけのことなのだ。

いや、オトナなのでときどき世間のドレスコードに合わせることもある。
けれど、それでもわたしは変わらず選び続ける。
選び続けないと、迷子になってしまう気がして。

ときどき、それが気に食わなくて、自分の着る服を押し付けようとする人もいて。
それが続くと、沈黙したり野良犬になったりするけれど。
基本、わたしはずっと選び続ける。
空の眩しさで迷子にならないように。

あなたが何を着ていようと、何を脱ぎ捨てようとわたしはかまわない。
みんな着たい服を着ればいい。

夏のうすっぺらい服が大好きだ。
さて、今日はどのTシャツにしようか。



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2014年07月25日

そういえばこないだうどん屋で 備忘録

市内のはずれの県境に近いところに小さなうどん屋があって、休みの日とかときどき食べに行く。
おろしうどんがおいしい。大根おろしがすごく辛くてピリっとしてる。
初夏の夕暮れのおろしうどん、ほんとうに幸せだ。

そして、うどん屋には手垢のついた少し前の週刊誌があって、6/15日号でなんとかポストだったと思うんだけど、それをパラパラとめくってて、ひとつ気になる読み物があって、ちらっと読んだらかなりおもしろくて、結局うどんが来るまでのあいだ夢中で読んだ。

佐世保で以前小学校の同級生に殺された女児の兄へのインタビュー記事だった。
筆者は新聞局の支所に住んでた被害者の父親の部下。ときおり二階の自宅で食事に呼ばれていたという。
事件当初、支局にはたくさんの記者が詰めかけ、若かった彼にはなすすべもなかった。
そして年月がたち、彼は被害女児の兄をインタビューすることになる。
聞いていいものかという怖れもあったが、兄は誰も聞いてくれなかったといい、彼に自分の思いを語る。

自分はふつうに生きたい。だから加害者に対しても、と、彼は言う。
それは宗教的な赦しともちがうし、もっとフラットでシンプルな感覚なのかもしれないと思った。
「気持ちの奥底にあるほんとうの感覚」に出会うのはむつかしい。心の中をきちんと見据えた、とてもすごい文章に触れた気がした。

その日は回転の早いうどん屋をあとにして、その記事のことがずっと頭にあって、ネットでググったら、一冊の本として発売されてることを知った。

もう一度、全部をゆっくり味わって読みたいと思いました。

謝るなら、いつでもおいで -
謝るなら、いつでもおいで -


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2014年07月06日

ひとり浜辺に打ち上げられて


ラブya!


書くことがなかったり、感じることが平坦だったり、何も溢れてこなかったり、そういうことがすごく怖くなったりもする。
それが今のあたしだ。

たとえば、切ないって言葉を咀嚼しすぎると、切なさは味を失うんだろうか?
たぶん、そういうことじゃないんだと思う。

胸の奥のマグマに触れることができないんだ。
何も溢れてこなくって。
そこに静かにあるだけで。

そこはもう、誰にも触れない場所になってしまっている。
自分なのに触れられないもどかしさ。

「気がついたら、ひとりで知らない浜辺に佇んでいたような気分なんだよ」
おんな友達がそう言った。
たぶん似た感じなんだろうと思う。

いろんな人と繋がっていろんなセカイに影響を受けながら生きているから。
他者なしの自分はあり得ない。
ここ数年は、そういうことばかり考えていた。

だけど、そればかりじゃ生きられないことにもそろそろ気づいている。

胸の奥にあるマグマに届かないんだ。
そこを何度もこの手で触っては持て余していたし。
誰かに触られると、奇跡にように溶岩が流れ出た。

でも、そうだったのは、もう遠い昔のことみたいだよね。

恋とか、憎しみとか、喜びとか、怒りとか、みんな自然に泉のように溢れていて、蓋をするすべさえわからなかった。
そんなふうに当たり前のように触れていたものに、いつのまにか触れなくなったしまったんだよ。
胸の奥底にまだあるのは知っているのに。
遠すぎて、誰にも届かず、届かない分だけ、ひとりぼっちになっていった。

もう自然な放熱をしなくなったわたしたちは、おのおのひとりで佇んでいる。

「のゆきちゃんはわたしより若いし。これからもっとそういうのを感じていくんだと思うよ」
前述のおんな友達がそう言った。

そうかもしれないね。
これから、もっと何も流れ出さない、別の人生が待ってるんだろう。

だけど、流れだそうと、胸の奥にただじっととどまっていようと。
それはいつだってやっかいなものだ。
やっかいさの質が変わってゆくだけで。
わたしはまだ、繋がることで解消されない、自分にも届かない自分を静かに愛している。

そして、それと同時に、誰かわたしをこじ開けてと、もうひとりの私は都合よくも待ち続けてるんだ。

わたしを開けて!


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posted by noyuki at 19:32| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月04日

ゆいちゃん論

いつまでも、ユイちゃんのことばかり気になるので書いておく。
どうでもいいかもしれないけれど、なぜかずっとユイちゃんにシンパシーを感じていたかについて少し。

ユイちゃんちゃんはあきちゃんとは違う。
ユイちゃんはあんなにきれいで才能あるのに、あきちゃんが持っててユイちゃんが持ってないものがある。それをずっと感じていた。

それはとっても抽象的だけど「どこかにつながってる感覚」のようなものだと思う。

うん、とても説明がむつかしい。
母親とのつながりとか、家族とのつながり、とかで説明しちゃうと母性の話になっちゃうし。
それを言ってしまうと、春子さんだって、いつまでも繋がれなかった母親だし。
そう。春子さんだってずっと「つながれてなかった」人だったのだ。

思うに、生まれつきつながってたり何かのきっかけで世界と繋がれる人と、そうでない人っていると思うのだ。
けして家族とか環境だけの話ではない、本人の資質みたいなものもあるんだと思う。

自分自身もまた、どこにもつながれなかった人だったように思う。
思い出すのが嫌なくらいに、つながるべき場所がわからなかった。

愛し方のわからないことと、愛される自信のなさは表裏だ。ユイちゃんの場合それが「アイドルになりたいきれいな私」になってたのかもしれない。

端からみたら「イタイ」だけだが、本人はそれなりにつらい。世界のどこかに根っこをおろせないと、ふわふわしてて不安なのだ。大人になれば解消されるわけではない。
事実、大人になっても、どこまでも繋がれない人はいる。
技術や手法で乗り切れても、ほんとのところが解消されない。そのまま家族を持って、つながれないままという人だっている。
わたしのことだ。

春子さんのような大きなターニングポイントがあったわけではないが、本やネットで学びながら、なんとかわたしは生き延びたように思う。

時空を超えて紅白で歌えたことで、ユイちゃんは何かとつながれたのかな?
そうであればいいと心底思う。
だけど、人の心はそんなにシンプルではない。

10年後のユイちゃんに会えたら、そんなことを聞いてみたい。
「そうね、あれがきっかけだったのかもしれない」って言ってくれるかもしれないし、「あれからもいろんなことがあったよ、まだまだだよ」って目を伏せるかもしれない。

生き延びろ。

期限なんてないんだから。

最初っから持ってない人間がそうやってオトナになってきたのは私だけじゃないし、あなただけでもないんだから。
小さなことや大きなことの繰り返しで、どこかにつながれるように。
わたしは、この世界にいるたくさんのユイちゃんのことをずっと陰ながら応援していきたい。



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posted by noyuki at 21:46| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月30日

気持ちの備忘録

きれいな和三盆


むかしコミュニケーションの授業でアサーションってヤツを習って。
ああ、これで、他人とちがう意見を言うときに、憎しみとか逆ギレとかしなくて済むんだって思ったんだよ。
アサーションっていうのは、なんていうか、「悪意なく、他人に反対してもまったく問題ない」みたいな話で。

でも、そう思いはじめてしばらくしたら、なんだかすごく感情が平坦になってしまったようで、すごくさみしくなってしまった。

今でも、仕事で人と違う意見を言うことももちろんあって、いや、ほんとは仕事とかそういう話じゃなくて、違和感をきちんと表さないと自分が気持ちわるくって。
それで、こちらがふつうに言っても、人はいやだなあと思ったり、自分自身の状況がそれによって浮き上がってしまったりする「空気」がわかるんです。

でも、自分が主体だから自分が言おうと思うことは言っていいや、っていうのと同時に。
なんていうか、そのウエットな感じとか、少しの後悔も含めてすごく好きなんだと思う。
それは、ずっと小さいときに植え付けられた、すごく保守的な感情で、今では自分の中でオールリセットできたと思ってるんだけど、それでも愛してるっていうことなんだと思う。

あと、人を想うときに、他人だからどうにもならないこともあるんだけど、その、「どうにもならない感情」とかも。
ずっと若い頃にすごく愛していた感情なんだと思う。
ずっと引きずってはいない。
でも、そういうマイナス感情をなくしてしまったと思っていても。
なんていうか、ときどき顔を出して見える、甘くせつなく気持ちがなつかしくなってしまうんだ。

もう、昔の自分とは違うけれど、昔の行き場のわからなかった自分のことも、最近はけっこう愛してるんだなって、今はそういうふうに思うことにしています。



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posted by noyuki at 22:00| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする