2024年12月08日

「新しい恋愛」 高瀬隼子





 高瀬隼子の小説に出てくる人たちは、ちょっとねじ曲がっていて、それが意地悪な感じとか投げやりな感じにも見えて、ときには「ひくわ〜」と思う時もあるけれど、それを含めても、この人の小説を読むのを止めることができない。

 つい、気になってしまう。って感じなんだろうか?

 会社という狭い世界の中で当然のように行われている慣例も。
 姪っ子が喋る、好きでいることがすべてな恋愛も。
 20歳以上、年の離れた男女の恋愛も。
 一歩下がって俯瞰してみると「ちょっと、なんか変じゃない?」みたいな視点になってしまう。
 その視点を無防備に誰彼なく向けていた時代が、ずっと前に私にもあったのかもしれない。
 でも、それを掘り下げるように言語化しようと思わなかったし、言語化するにはちょっと「えげつない」感じで。
 でも、それを読んでみるとおもしろくって・・・
 というようなことの繰り返しながら、結局は高瀬隼子の小説を読んでいる。

 花束の夜・・・会社の送別会で渡された花束を「これ、いらないから」と渡される。その渡された花束を持て余しながら歩く道すじの物語。

 お返し・・・幼稚園の頃から渡されていたチョコレートをずっとずっと渡される物語。好きという気持ちの終点はどこなのか?

 新しい恋愛・・・姉の娘である姪との「恋バナ」の話。彼女の恋愛、自分の「ロマンチックが嫌いな」恋愛。姪の父親の恋愛。いろんな恋愛がキラキラ光っている。

 あしたの待ち合わせ・・・自分を好きでいてくれる男の子が少しストーカーぽくて、それでも好きでいてもらえること。昔の不倫がめぐりめぐってやってくる厄災。そのふたつが同時進行の高瀬隼子らしいえぐさが満載。

 いくつも数える・・・年が離れた人と結婚する上司を、同僚の女性が「気持ち悪い」という。そもそも年がすごく離れた恋愛は「気持ち悪い」のか? つきあいながら「気持ち悪いと思われているのか」と思ってしまったり。会社という小さな社会では「多様性」で片付けられない「囁き」がたくさんあって。それがぐるぐるしてる。

 自分と相手とをつなぐ「横軸の恋愛」。
 世代がちがったり、シチュエーションがちがったりする「縦軸の恋愛」。
 「性愛が一致している恋愛」のみが頭に溢れている年代ってのは、実はほんの一瞬で、それ以外の恋愛の方が案外、かたちがなくって、不思議な感情が交錯しておもしろいのかもしれない。
 だって、みんなこんなに変でおもしろいんだもん!

 そう、思わせてくれるような一冊、だと思いました。




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2024年06月23日

「鼻下長紳士回顧録」上下巻 安野モヨコさんの作品を読んだ

鼻下長紳士回顧録 (上)(下)巻セット - 安野モヨコ
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 「X」でなぜか漫画が流れてくることがあって(しくみがよくわかってない),
「鼻下長紳士回顧録の下巻」を数ページ読むことができた。
 あれ? 上巻は読んでたのに下巻は読んでなかったと気づいて慌てて読んだけれど、アマゾンの購入履歴で見ると、なんと、上巻を読んでから9年もたってた!
 竜宮城からいきなり浜へ打ち上げられた気分でした。

 どうしても書評を書いておきたいと思ったのはこの言葉に引き込まれたから。

 「変態とは、目を閉じて花びんの形を両手で確かめるように、自分の欲望の輪郭をなぞり、その正確な形をつきとめた人達のことである……」

 娼館で働くコレットは、レオンの情婦。レオンが必要とするお金を稼ぐには普通の仕事では足りず、公認の娼婦となる。
 そこでくりひろげられる痴態を「ものがたりのように」コレットが描き綴る。
 コレットに「描いてみるように」ノートをくれたのは日本人小説家のサカエ。
 サカエは小説のネタにでもと思ってノートをくれたけれど、コレットはコレットの物語を描く。サカエはそれを否定する。
 レオンのこと、同僚のこと、痴態の内容について。
 「変態であること」の真摯さと貪欲さについて。
 そのうちにレオンは、高級娼婦ナナに溺れ、身を持ち崩し、サカエもまたナナにより身を持ち崩し。 
 レオンに捨てられることについてもコレットは書き綴り、迷っては止まり。
 そして、苦しんで描いた原稿は、娼館の客によって新聞小説として掲載される。

 安野モヨコさんが病気をしていて、「オチビサン」以外の連載を休載していたことは知っていたけれど、いつのまにか描きはじめられていたのは知らなかった。
 
*「鼻下長紳士回顧録」を描き始めた頃は、一本描いたら3ヵ月くらい休まないと次が描けませんでした。毎回そうやって休んでは描いていて 次はいつになるかわからない。
 連載、と言う形になるのかさえ怪しく まさか完結できると思っていませんでした
 (‬‪第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門 優秀賞受賞の際のコメントより)

 という状態だったらしいので、なるほど気づかなかったわけです。

 でも、それがこの作品の凄みだとも思う。

 「変態とは、目を閉じて花びんの形を両手で確かめるように、自分の欲望の輪郭をなぞり、その正確な形をつきとめた人達のことである……」
 この「変態」を「表現」という言葉に置き変えると、彼女がどういうふうに作品に向き合っているかがよくわかる。

 サカエは言う。

「才能とは…何か特別なことではなく
 ただ…ひたすら継続して書いて
 いくことだと
 
 自分を
 掘り下げ続けても
 絶望しない能力
 だと気付いたのだ 

 たとえそこに
 何もなかったと
 しても」

 (鼻下長紳士回顧録 下巻より)

 わたしはエロいものは大好きだし、安野モヨコさんの描くエロチック下着姿や、娼館での想像力豊かな変態行為もおおいに楽しみました。
 ほんとに美しくて、きれいでエロい!

 でも、それ以上に。
 この作品に込められた、作者自身のメッセージ。
 そのメッセージに、作者が作品の中で出会って、そこから作品が成立していくような醍醐味がすごすぎて。

 ほんとにいい作品に出会えたと思っています。
 「X」にも感謝です。



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2023年05月03日

村上春樹の「街とその不確かな壁」

街とその不確かな壁 - 村上春樹
街とその不確かな壁 - 村上春樹

誰かの感想を読んでしまう前に読みたいと思ったのだが、とちゅうで読み進めるのがもったいなくなってしまった。
ずっとこの世界に浸っていたい。
そう思ってスピードダウンしたのだけど、Kindle読書なものだから、「読み終えるまでにあと3時間15分」とか「あと1時間50分」とか、およその読了時間が表示される。
そして、ずっとずっと同じスピードで読んでいたつもりだったのだが、ある日、いきなり読了してしまった。
さみしかった。
いつか、また読み返したいと思う。

主人公に名前のない小説(だと思ってますが、どこかに名前が書いてあったらごめんなさい)。
ワタナベノボルとか、覚えやすい名前のない主人公は、その分存在感がうすい。

それは「なにかが欠けている」ということなのかもしれない。
おもだった主人公で名前があるのは子易さんくらい。
そして。みんなどこかがが欠けてて、どこか変だ。

高校生の頃、ガールフレンドがいなくなったのをきっかけに「ぼく」は高い壁に囲まれた街に行き、そこの図書館で働き、また現実の世界に戻っていく。
現実の世界で、ふつうに就職して生活していたものの、ある日仕事を辞め、「また図書館の仕事がしたい」と思い、福島の図書館に就職する。
そこで出会った、人々との、交流というにも不思議な交流。
図書館のオーナーの子易(こやす)氏、カフェの女性、毎日本を読みにくる「イエローサブマリンのTシャツを着た」少年。

すごく味気ない言い方をすれば「多様性を持った様々な人が、パラレルワールドに迷い込む話」とも言い切れるかもしれないし。
「高い壁に囲まれた街」というのは、なんの比喩なのかを言葉を尽くして語りたくなる衝動は、当然ながら抑えられない。
そう、抑えられなくなって語りたくなるのが、村上春樹の小説なのだ。

だけど、今それを多く語るのは、あまり上品でなことではないように思う。

「あなたの分身の存在を信じてください」、イエローサブマリンの少年はそう言った。
「それがぼくの命綱になる」
「そうです、彼があなたを受け止めてくれます。そのことを信じてください。あなたの分身を信じることが、そのままあなた自身を信じることになります」
(街とその不確かな壁 第3部より抜粋)

「高い壁に囲まれた街」は、ひとりひとりの心の中にあって。
そこに行かずに生きていける人と、そこにいた方が幸せな人がいるだけなのだと思う。
生でもなく死でもない「高い壁に囲まれた街」の存在を物語が語り示すことで、おそらく、ひとりひとりが「もうひとつの自分の居場所」を感じることができる。
それが「高い壁に囲まれた街」だ。

アア、ヤッパリ、カタリスギマシタorz

キャラクターとして好きなのは子易氏。
そしてカフェの女性も、イエローサブマリンの少年も魅力的だ。

この物語が10倍の長さだとしても、永遠に読んでいられると思う。

長編部門ではわたしの「村上春樹」の中で「1Q84」のアオマメと並んで好きな作品かもです!






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2023年04月09日

川上未映子「黄色い家」

黄色い家 - 川上未映子
黄色い家 - 川上未映子

初出は2021年の読売新聞の連載小説。



とても貧しい母子家庭で育った「花」が、その家にある日に寝ていた「黄美子さん」と出会い、一緒に暮らすようになる。

その後、黄美子さんと、3人の若い少女たちの生活が、どういうふうに流れ、どういうふうに転がってゆくかが描かれた長編小説。

「花」にとって黄美子さんが圧倒的な存在であったように、読者のわたしにとっても黄美子さんは圧倒的だった。

すべてを「見ないことにして」許してくれる。

そして「おなかが空いてないか?」を常に気遣ってくれ、小さい布巾で部屋のあちこちの埃を払ってゆく。

黄色は金運の色と、部屋に黄色いものを集めたコーナーを作る。

だけど。
それだけじゃ、人は生きていけないのだ。

運良く貸してくれる人が現れて「れもん」というスナックを二人でやるが、そこも火災で消失してしまう。

花は「またれもんをやりたい」とお金を稼ぐが、黄美子さんには「そのための方法」や「計画」は存在しない。

歓楽街で出会った蘭、仲の悪い両親の家に育った裕福だけど冴えない女子高生の桃子。そして、花、黄美子さんの4人が一緒に暮らす。

花は「生きていくために稼ぐことが必要」と思う。
黄美子さんは、これから続く生活のためのお金という「将来のための貯蓄」はわからない。
だけど、わたしの中では、なにもかもがよくわからない黄美子さんが圧倒的だったのだ。

>しばらく無言のままでわたしの作業をじっと見たあとで、(黄美子さんは)お腹はすいていないのかと訊いてきた。お腹なんてすいてないよ、とまだ苛立ったわたしが言い捨てると、黄美子さんは「わたしには、そういうことしかわからない」と言った。
〜中略〜
「花。花。わたしは、腹が減ってんのかなとか、泣いてるなとか、そういうのだよ、なにすればいいか、そんならわかる」(黄色い家、本文より引用)

どんなにやばい状況で「警察に相談しよう」と言っても「警察なんてのは、わたしにはない」と言う。

お腹が空いているか、泣いてないか、だけが問題で、その中で生きていく。
シンプルで強い黄美子さん。
カード詐欺まがいのヤバいことをやりながら「ほんとうにいろんなことがあって」その中で必死で生き延びようとする「花」がいて、そこに半分ぶらさがっている「蘭」と「桃子」がいて、あとは黄美子さんがいる。

誰が正解でもなく、いろんな人が消えていって、いろんな人が生き延びる。

その中の共通項をひとつあげるとすれば「誰も、国家というシステムにつながっていない」ということかもしれない。



偽造の身分証で手に入れる携帯電話。

そして銀行の口座すらもない。現金は箱の中に積み上げられていく。

カード詐欺。ヤク中。

怪我させられても警察に駆け込むこともない。病院に連れていかれることもない。


「国家や身分証」というものがない世界でも、生きられるし、ときに生きられないことだってある。

この物語はそういう世界の中にある。



「うまく言えないけど、すごかった」としか言いようがないけれど。

わたしの中では黄美子さんが、だんだんメッキが剥がれていく神様みたいで、とにかく圧倒的だった。


これからも生き延びていく「花」の最初の一歩は黄美子さん。
そこから「花」の感情やいつくしみや、怒りの感情やそういったものがすべてはじまって、そして「花」が生きていけたんだと思っている。







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2022年11月29日

山本文緒さんの「無人島のふたりー120日以上生きなくちゃ日記ー」


無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記― - 山本文緒
無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記― - 山本文緒


昨年膵臓癌で逝去した山本文緒さんの「余命4ヶ月」を診断されてからの日記。
ステージは4b。抗がん剤も、余命を少しばかり延ばすほどの効果もないとのこと。
おまけに抗がん剤が合わず、すぐに緩和ケアを選択することになったとのこと。

「コロナ禍で、とつぜん夫と無人島に流されてしまったよう」と作者は言う。

「こんな日記を書く意味があるんだろうか」とも。

むしろ「120日後に死ぬフミオ」というタイトルでツイッターやブログでリアルタイムで更新したりするほうがバズったのではないか、とも冗談まじりに言う。

しかし「それは望んでいることからずいぶん遠い」と。

それが「山本文緒という作家の矜恃」なのだと思った。



驚かれたり応援されたりをリアルタイムでやりたいわけではない。

無人島で夫と二人で。静かにお別れを言いながら、自分の気持ちを描き続ける。

そして(できれば)出版する。自分がそれを読むことはできないだろうけど。

彼女は最期の最期まで、わたしの知っている「山本文緒」でいてくれた。
これが正直な感想です。

向き合うことの怖ろしさも制御された文章で。

体調のいい日にお気に入りのカフェに行けたことを喜び。
「せめてもう一冊本を出したい」と彼女は思う。

「自転しながら公転する」のあとに短編集を出す予定だったが「短編集に入れる書き下ろしの1編」を書くことができない。

「書き下ろしの1編は書けないけれど、生きているうちに出版できないか」という希望のもとで生まれたのが「バニラさま」だ。

なんていうか、「バニラさま」を読んだときのわけのわからない凄みのわけがわかったような気がした。

訪問診療、訪問看護が介入し、介護保険の申請を行う。そして同時に人生の片付けを行う。

「でも、これはもうできない」と思うこともある。

わたしは終末期医療も担当するケアマネなので、こんな状況に遭遇することも少なくない。

これは貴重でみずみずしく、美しいほどに感情の制御された闘病の記録だと思う。


もちろん、ここに描かれていることだけではないのだろうけれど。

それでも「この感情のうわずみ」が記録されていて、本当によかったなと思った。


訪問看護のホットパックに気持ち癒されたとか。主治医にたくさん話して安心したとか、そういうくだりを読むと、そういう場所に「わたしも関われてよかった」という気持ちにもなれた。

もう、これ以上は継続できないかも、という部分で「一次会は締めとさせていただきます」とユーモラスに書かれているが。
このあたりの部分がわたしは一番好きだ。

思い出すことや。
書くことへの自分の気持ち。
そして、読者への感謝。
どれもが美しい人生への思いで溢れている。(もちろん、それだけではなかったことは、読者として十分すぎるほど知っているけれど)


わたしたちが彼女から受け取れた、彼女の才能とかがやきと、素敵な文章。
最後の最後まで。
ほんとに最後の最後まで、山本文緒は、山本文緒という作家だったんだな。

彼女の最後の作品をこうやって見届けられて幸せだった、と心底思いました。







追記:同じ膵臓癌の女性のクライアントとよく「本」についての話をしていました。

とっつきにくい彼女とわたしの共通の話題は本くらいで。
「自転しながら公転する」あたりで、山本文緒さんの話をすることが多くなりました。

そして、この本の時系列で、ふたりが同じ頃になくなったことがわかりました。
不思議です。
享年もいっしょでした。
物語があるかぎり、わたしたちは「物語と通して、誰かといっしょに」生きていくことができる。




 
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2022年08月21日

「おいしいごはんが食べられますように」高瀬隼子 



167回芥川賞受賞作品。
文芸春秋9月号で読んでみた。
理由は「タイトルがやわらかくて、読みやすいんじゃないか」と思ったから。
ところがところが。
毒と呪いだらけの内容だった。
うわあああああ。
おもしろくてたまりませんでした。

簡単に言ってしまうと、会社員小説。
上司がいて、転勤してきた二谷さんがいて、あまり仕事のできない芦川さんがいて、パートの原田さんがいて、私(押尾さん)がいる。

仕事だからきちんとやろうよ、忙しいときは残業だってしようよ、という人と。
「わたし、自分で責任持って何かをするのは苦手で」というオーラを出しまくって気分が悪くなって、やんわり早引きする人。
なのに早引きする人が、なぜだか守られてしまう。
こういう人たちが二極化しているわけではなく、会社っていうのは「いろんな価値観のまぜもの」なんだと思う。
まざってまざって、嫌いと好きもまざっている。その理不尽さがおもしろい。

その価値観の違いを「食べる」という行為を通して炙り出していくのが、もう、やわらかい文章の中のホラーに見えるし。
「おいしいごはんを食べられますように」なんていう言葉こそ、そもそも呪いの言葉なんじゃないかと思えてくる。

どこの会社だって、大なり小なり「芦川さん」がいるような気がする。
食べたくないタイミングで配られる食べ物は迷惑だし。
こっそり捨てたい気持ちに駆られることもないことはないけれど。

ああ、でも、気持ちはわかる。
この憎み方、わかりみが深い、と思う。

作者は「小説を書いている時、わたしは自分がなにを書きたいのかわからない。書き終えて読み返した時に、小説の方から教えられる。今回の小説もそうだった、わたしはこれからも書き続け、小説に、わたしにとってのうそやほんとうを教えてもらう」と語っている。 (*文藝春秋9月号受賞のことばより抜粋)

本当に文章を書くことを愛してる人なんだな。
自分の心にある小さいかけらをひとつひとつ書き写すことを愛してる人なんだなと思う。
愛されている文章がそれに呼応して、作者のカオスを浮かび上がらせる。

こわくて呪いにみちた、幸せな小説だと思う。



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2022年06月17日

「ミシンと金魚」永井みみを読んで、そしてちいさく祈った


ミシンと金魚 (集英社文芸単行本) - 永井みみ
ミシンと金魚 (集英社文芸単行本) - 永井みみ


認知症の老女カケイを描いた物語。

カケイはちょっとおしゃべりで、頭の中の記憶も少しばかり混乱している。
カケイはデイサービスの介護士のことを「みっちゃん」と呼ぶ。「おおきいみっちゃん」「ちいさい方のみっちゃん」
通院介助して、先生の出す抗躁剤に意義を申し立てる、強気な「みっちゃん」だっている。

カケイはあまり裕福でも幸福でもない若い時代を懸命に生きた。

このデイサービスには当時の泥臭い知り合いがいる。
少なくとも新興住宅街ではない、地元の人が長くいるような場所で、若い頃の怨恨や、家族のことを覚えている人だっている。悲しみも、苦しい時代もあったけれどミシンに熱中して仕事をこなし、それで失うものももちろんあった。そのことを知る人ももちろんいる。

だけども今のカケイは、少しばかり記憶もあいまいになり、少なくとも不幸ではないように見える。

なぜに、カケイが介護士たちのことを「みっちゃん」と呼ぶのか。
カケイの見えている世界に気づいたときに鳥肌たった。
そしてカケイの生き方をまるごと受け入れている筆者の世界観に鳥肌がたった。
すごい作品だとおもった!

カケイが大事にしているものを、筆者が同じくらい大事に思ってくれている。
「ここはなんて、しあわせな世界なんだろう」と思った。

わたしもケアマネのハシクレなので、人間は自然の道筋を逆行することはできないことももちろんわかっている。
そういう旅立ちの道の途中にいる人たちと一緒に立ち止まり、一緒に空を見上げることが、わたしたちの仕事のような気もする。
願うのは「この人の今がしあわせでありますように」
ただそれだけだ。

来し方を語るならいつまでも聴いていたい。
行末を思い煩うならば、その人の気持ちが穏やかになる日を待っていたい。
そしてなによりも。
今ここにいるこの人が、思い煩うことなく楽しく生きてくれればいい。

カケイの見えている世界を知っている人がいる。
筆者の見たカケイという世界が鮮やかに記録されている。

あるいはその全てが事実ではないかもしれないし。
そんなにいいことばかりではないのかもしれないけれど。

ちいさな祈りとともに。
カケイの世界はとても鮮やかに描かれていて、拍手喝采だった!




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2022年01月21日

「やれたかも委員会」でおなじみの吉田貴司さんに、「新刊発売記念!インタビュー」を敢行しました!

* ラストに「笹塚高校コスメ部」第1巻第1話を掲載しています!


「やれたかも委員会」が好きで、どうしてこんなに「思いの機微が溢れる作品を描けるんだろう」と、ネットで見つけては読んでいました。
ネットの中には「はきだめの友!」的な友人が数人おります。そういった友人が、この本を「めっちゃおもしろいよ!」と教えてくれたのです。
ネットは巨大な井戸端会議の社交場。人づて、口コミこそが信頼できる世界。
そこで、このような作品に出会えたことを、心底感謝しました。

今回、112日発売の「中高一貫笹塚高校コスメ部」、1月発売の「やれたかも委員会4巻」「やれたかも委員会5巻」そして私生活について、メールにて作者の吉田貴司さんにインタビューをさせていただきました。
どの質問にもとても丁寧に答えていただきました。

それでは行きます!


中高一貫笹塚高校コスメ部」について

今回まったくの先入観なしに、「笹塚高校コスメ部」を読ませていただきました。
正直言って最初は、吉田貴司さんと「コスメ」のイメージが一致しませんでした。そして読み進めながら、そこにある一貫した恋愛観に「なるほどなー」と思った次第です。


Q1:男女の恋愛の機微、勝負については「やれたかも」と一貫したものを感じるのですが、そもそもなぜに「コスメ」なんでしょうか?「服」でも「演技」でも「知識」でも「美容」でも良い中で「コスメ」というところにこだわった経緯を教えてください。

A1:→1問目からこの漫画のアキレス腱とも言える部分への質問です。ヒヤリとしました。
まず読切で「コスメ部」という漫画を17P描いていました。それが第1話の17Pまでで、本当、はそこで終わりの読切だったんです。第1話を読んでもらうと分かるのですが、17Pで終わると結構投げっぱなしです。そういう投げっぱなしのギャグが面白いなと思っていたのですが、それを編集者に見てもらったところ、「これで終わりですか?続き描いて連載にしませんか?」とのことで、残り数ページ描き加えたのが「コスメ部第1話」です。
なので2話目を描いた時点で「早くもコスメが関係なくなっちゃってる!」と思いました。
タイトルを変えた方がいいのでは?という話し合いもありましたが、「ファッション部」「美容部」「化粧部」全くしっくりきません。そこはやはり「コスメ」なのです。

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そもそも「コスメ」って何なんでしょうか。「イエベ」「ブルベ」とは何なんでしょうか。「クリスマスコフレ」とは一体何なんでしょうか。「儚げチーク」とは一体何なんでしょうか。
SNS
での交流が主になって、今ほど「見た目」が重視される世の中はないと思います。だからこそ「コスメ」という言葉も生まれたのでしょう。今の若い世代の人たちはそういう世の中で育っていきます。
でも見た目はあくまで見た目であり、人は実際生きていますので、匂いがあったり、毛が生えたり、体液が出てきたりします。例えば僕は汗っかきなので、よくニキビのようなものに悩まされます。もしかしてあのアイドルもそういう悩みがあるのかもしれないと考えます。
その「ヴァーチャル的な価値観」に振り回される「アナログ的な肉体」というのに人間の哀愁がある気がするので、その辺りに興味があります。

「ヴァーチャル的な価値観」に振り回される「アナログ的な肉体」、なるほどな〜と思いました。
アナログな肉体はなかなか言うことを聞いてくれません。だからおしゃれには「求道」が必要なのですね。
ちなみにわたしは「イエベ」で、クリスマスコフレは一生懸命探したわりには「ネット限定ちふれのコスメセット」でした。コスパのわりにはかなり優秀でした。コスメ部、読むだけで気分があがります!

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Q2: 1.2.3.コスメ!」の掛け声をかけながらのランニング。
コスメ部、まったく体育系ですよね。このコスメ部、笹塚高校の中ではどういう位置にあるのでしょうか? 部室にマシントレーニングまで見えるのはなぜ?人気の憧れの部? なかなか入れない審査の厳しい部活動なのでしょうか?


A2:
その辺りの設定はまだ一切秘密とされています。現在公開可能な情報としては「中高一貫校」である。ということです。それ以外のことは今後少しずつ明かされると思います。


Q: エチュード、ロクシタンやディオールグロスマキシマイザーなど「勝負時のアイテム」が秀逸ですが、とちゅうから「あれ? ニッチすぎてついて知らない」というものも出てきます。 もしかしてアイテム作ってます? そして鎖骨、肩甲骨、肌水分、もう、おしゃれのポイントがすごすぎます。この「リップグロスなどのアイテムに関するこだわり」「美しさのたいするこだわり」についての吉田貴司さんの「愛」を語っていただけますか?


A3:
最初は「ロクシタン」などと描いていたのですが、やはり編集部の方から商品名なので「ロク○タン」みたいに伏字にするよう、ご指摘を受けました。伏字にすると何か白けるなーと思って、伏字にしなくてもいいように色々工夫するようになりました。
僕はメイクする習慣がないので、アイテムに関するこだわりはないのですが、一応取材と称して、編集者と一緒に某大手化粧品会社の方と焼肉を食べに行きました。とても美しい女性の方でした。でもその時伺ったことを全然描いてないので、読んだら怒られるかもしれません。焼肉は美味しかったです。

アイシャドーの「モンマルトルのエクストラスイートシャドウSSRクロノワールブラウン」がかなりなツボでした。なぜかコメダ珈琲を思い出してしまいました。


Q4:個人的には烏丸さつこが好きですが、読者は「好きな考え方」「好きなキャラ」それぞれお持ちだと思います。現在5人(らしい)部活のメンバー。これから増えてゆくのでしょうか?

A4:顧問の先生がいることは明らかになっています。その他メンバーなどはまだ秘密とされています。
現在公開可能な情報はここまでです。

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Q5:それでは最後に「中高一貫笹塚高校」の概要について教えてください。偏差値、校風、部活動の条件など。あと、もちろんここ女子校ですよね?

A5: 偏差値は比較的高いです。昨年は68だったと思います。女子校ではなく共学校です。
現在公開可能な情報はここまでです。
少しずつ明らかになると思います。というわけで新作「中高一貫!!笹塚高校コスメ部」よろしくお願いします。


*まだまだ謎の部分が多い「笹塚高校コスメ部」ですね。偏差値68の共学校で、なにが起こるのか、今後が楽しみです。そして、こんなコスメフェチのみなさんを見ると「わたしも追い込みたいなあ」と思ってしまいます。
片付けをする前に「断捨離の本」を読むように。ガチコスメ勝負する前に読んだらとても「あがる」本だと思いました。

*ラストに「中高一貫笹塚高校コスメ部」第1話を掲載しています。
ご覧ください!


「やれたかも委員会」について


Q1:まず「やれたかも委員会」について。
いつも疑問に思っているのは「なぜこの3人なのか?」ということです。
ミュージシャン パラディソ
犠星塾塾長 能島明財団法人 
ミックステープ代表 月満子
もう少し、この3人について、詳しく説明していただけますか?

A1:この3人。いいと思うんですけど。どうですか。
なぜこの3人なのかは極めて難しい問題です。実は他の人を据えたこともあるんですよね。ネーム段階で。でもうまく行きませんでした。
やはりこの3人にしかない何かがあるのだろうと思います。

バランスいいですよね! あと犠星塾塾長 能島明氏の顔のインパクトが強すぎて夢に出てきそうで好きです。3人に共通するのは「年齢不詳」な感じだと思っています。


「やれたかも委員会」第4巻について

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Q1: 第4巻「童貞からの長い手紙」長い!そして、ひとりひとりがまったくタイプの違う人生を歩む時間を経た物語がせつなくもありました。
月満子の判定が秀逸です。
しかも、かなりの真剣勝負で、彼女は語っています。
こんなに完膚なきまで叩きのめすのはめずらしいように思いますが、やはり理由は「童貞賛歌が嫌い」だったからですか?

みちこ.jpg

A1: この判定については描いた当初は「いい感じだな」と思っていたのですが、今読み返すと、「そこまで言わなくても」という気もします。やはり話が長すぎたからではないかと思います。

一気に読むと、じわじわくるエピソードが多くて、かなりせつなくなります。「そこまで言わなくても」の領域に踏み込む月満子の爽快さ、真剣さには、胸を打たれるものがありました。


「やれたかも委員会」第5巻について

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やれたかも委員会第5巻


  Q1: 女性からの「やれたかも」がとても好きです。「TACTICS」大好きでした。女性からの「やれたかも」。もう「ええ!こんなことが!」みたいな赤裸々な告白がけっこうあるのですが、これってもしかして「そんなびっくりな投稿が多い」ってことですか?


 A1:
男性からの投稿も女性からの投稿もびっくりすることが多いです。やはり男女が2人きりでいるってだけで面白いことが起きやすいんでしょうね。
今描いてるやつは男性からの投稿ですが、それもとてもびっくりしましたし、いい話です。

 
事実は本当におもしろいんでしょうね。びっくりな投稿! ナマで読んでみたくなります。


やれたかもの意義について


Q1:吉田貴司さんが「やれたかも委員会の委員」だったとしたら、3人のうちの誰に近いでしょうか? それともまったく違うスタンスですか?
吉田貴司さんが4人めの委員としてメッセージを送るとすれば、どんな感じになりますか?


A1:
能島塾長に近いんじゃないでしょうか。普段はパラディソっぽく振る舞ってますけど、本質的には塾長だと思います。
4
人目の委員になったら。色々詳細を聞いちゃうかもしれないですね。その時どう思ったとか? 実際に投稿してくれた人にも色々聞いてしまいます。

羨ましい! 私もめっちゃ聞きたくなると思います。
「そのときどう思ったか」。不幸なときほど聞きたくなるかもしれません笑。


  今後の「やれたかも委員会」とその参加方法について。


Q1: 今後もかたちを変えながらも、やれたかも委員会は継続すると考えてよろしいですか? そして、これを読んでいて思い出す甘酸っぱい思い出がある方はまだまだ「投稿」は可能なのでしょうか?

A1: 投稿可能です。思い出したらいつでも送ってください。
宛先は yoshida.takashig@gmail.com まで。必ず返信いたします。
今金銭的事情から「コスメ部」の連載を始めてしまいましたが、やれたかもは10巻くらいまで描く予定です。あと3年以内に。
2025
年完成予定。よろしくお願いいたします。

はい! いつかは送ってみたい「やれたかも」です。


*     *


【私生活について】

(アシスタントさんやお金のことなど)ある程度はネットで、公開されている吉田貴司さんの私生活ですが、公開されてない(と思う)部分をお聞きしたいと思います。



さしつかえのない範囲での家族構成を教えてください。ペットとかいらっしゃったら、ペットの名前を教えてください。

妻と子供2人と義母の5人暮らしです。娘がうさぎを飼っています。ネザーランドと白うさぎのMIXで名前はムギです。いちごのヘタが好物です。


 ※ 朝、昼、夕ご飯の内容、そして、好きな食事の仕方について教えてください。

最近3食きちんと食べるのが一番体重管理によいことに気がつきました。なのできちんと食べて間食を全くしないようにしています。
一時期はキットカットとかカントリーマアムを作画中にぼりぼり食べてたんですが、あれがよくなかったことにようやく気がつきました。朝昼晩ともに自炊です。そばとうどんとチャーハンが多いです。


 ※ 1日の流れについて教えてください。

今はネーム期間なので、朝起きてご飯を食べたら、ブログを1本描いて、近くのシェアオフィスに行きます。
そこでネームして、昼は1階の富士そばで紅生姜天蕎麦を食べて、またシェアオフィスに戻ります。そのシェアオフィスが最高です。何が最高かというと、そこのWi-Fiを使うとエッチなサイトに繋がらないのです。とても集中できて助かっています。
夕方になったら帰ってご飯を作ります。ネームができなかったらそこから夕食後街を徘徊します。歩くとアイデアが出ることが多いです。
作画期間は朝起きて自室で夕方まで作画します。ご飯を作って食べて、ジョギングしたらまた作画です。12月ごろまで朝6時から散歩してたんですが1月は寒くて起きれなくなってしまいました。


 ※ 漫画以外に時間を費やしていることはどんなことでしょうか?

ジョギングをたまにしてます。3月のマラソン大会エントリーしたので、がんばります。コロナでなくならなければいいですが。


 ※ 今後の野望について教えてください。

おかげさまで今年は何だか仕事が増えそうな予感がします。仕事がある時ばかり仕事がきます。仕事がある時に言われても無理です。仕事がなくなった時こそみなさん僕に仕事をください!
仕事がない時でも仕事が来るような漫画家になりたいです。


【インタビューを終えて】


創作される方の私生活にとても興味がありました。
ストイックで健康的という印象でした。
紅生姜天蕎麦とか、エッチなサイトにつながらないシェアオフィスとか。
そういえば、うちの事務所のwifiはどうだろう?エッチサイトにつながるのかな?と思いましたが、誰か入ってきたらと思うとこわくて繋げませんでした。
かわりに机の2番目の引き出しを開けたら、カントリーマームはじめ、溢れるほどのお菓子が入っていました。
引き出しのお菓子を食べたあとは「補充しない」ところからはじめたいと思います。

これからも「そこんとこもっと聞きたい」と思うような、ぶっとんだ「やれたかも」や、そして「コスメのやる気」をひきだしてくれる「中高一貫笹塚高校コスメ部」を楽しみしています。

長いインタビューにていねいにおつきあいいただきありがとうございました!


ここから「笹塚高校コスメ部第1巻・第1話」「やれたかも委員会第4巻・第1話」「やれたかも委員会第5巻・第一話」の掲載です。 (special thanks! 吉田貴司様)


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続きはこちらからどうぞ!



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「やれたかも委員会」4・5巻はこちらからどうぞ。





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2021年10月29日

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」2 ブレイディみかこ




「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の第2巻にして完結篇!


イギリスっていろいろ問題があって大変だろうなあ、プレグジットとか移民とか人種問題とか格差社会とかほんとにいろいろ!

でも実はこれ、日本も同じような問題に直面していることも多いんですよね、たぶん。
問題は「直視するか」「オブラートにつつむか」くらいの違いのような気がします。

カトリックの名門小学校から、近くの「ちょっと昔は荒れていた」公立中学校に入学した日本人と英国人のハーフの息子の目でみたイギリス社会。

正直「え〜!大変そうだな」と思います。
実は、我がムスメは、上品な小学校から、学区の関係で「悪評高い公立の中学校」に入学するはめになり、カルチャーショックと危険な環境に対応できずに、早々と別の中学校に転校してしまいました。

荒れた中学で最後まで過ごした同級生の母親たちが「いい経験になった」「一生の友達にめぐまれた」なんて言ってる人たちを見て「けっ」なんて思うことも、そりゃ、もちろんありました。

でも、人間だもの。
学校くらい自分の好き嫌いで選んでいいと思うよ。

ロック好きの母ちゃんの息子は、本当にこの公立中学でいろんなことを学んできました。
自分自身がホワイトではないこと、そしてターバンをつけた黒人の転校生が音楽のコンサートでびっくりするような歌声を披露すること。

多様性の格差社会で起こっていることをまっすぐな目で見ていて、すごいなあと思ってしまう。
そして息子の視野はだんだん広くなり、公正なものになってゆく。
それが読んでいてとてもわくわくしました。

「君たちは社会を信じられるか」という章が好きです。

息子の視点は多様性と「社会を信じる力」に満ちています。

社会を信じるとは、どういうことか?
社会はもう少し複雑かもしれないけれど、彼が「社会を信じる」というテーマを掲げたときの視点の素晴らしさには本当に唸りました。
いい子に育ちました。

「再び、母ちゃんの国にて」の章。

ここでの「帰国のさいに日本の由布院温泉に、祖父母と犬と行く話」はやさしさと思いやりに満ちていました。

家族のやさしさ、その要となっている息子自身のやさしさ。

最期の空港での別れのシーンまで、本当に何度も何度も心を揺さぶらて大泣きしてしまいました。

「一生モノの課題図書」というキャッチコピーに偽りはないけれど、もっとラフな感じにいろんなことを語ってくれている本であります。
ふらっと読めて、そして「ああ、読んでよかったなあ」と思える一冊です。



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2021年04月25日

「クララとおひさま」カズオ・イシグロ





「クララとおひさま」。カズオ・イシグロの新作です。
とてもリズムよく読みやすい和訳でした(土屋 政雄氏:訳)
「わたしを離さないで」に通じる不穏な世界観もあり、謎も多いけれど、とても素敵な物語でした。
(以下ネタバレです)
*     *     *
 クララは旧式のAIロボット。
お店のショーウインドウで約束をかわした女の子ジョジーは、母親にお願いしてクララを家に迎え入れます。
ジョジーの姉は病気でなくなっており、父親は別居中。そしてジョジー自身も「向上処置」を施された少女で、とても病弱。
そのような状況だから、母親は「ヒステリックなほど神経のはりつめた状態」です。

一方、ジョジーの幼なじみのリックはとても賢いけれど「向上措置」を受けていない少年。同じシングルマザーの子供ではあるものの、圧倒的な経済格差が見え隠れします。
二人は、ジョジーの描いた絵にリックが台詞をつける、ふたりだけの遊びが大好き。その遊びの中で、二人の魂のつながりは「ゆるぎないもの」に見えました。

謎の不穏な出来事がいくつも起こります。
ジョジーの肖像画を母親が描いてもらっていること。それもただの肖像画ではないこと。
ジョジーの体調がだんだん悪くなっていくこと。
リックの進学(向上措置を受けていないのでとても困難らしい)に対する母親の行動。

クララは心を痛めます。
心を痛めるという表現が適切なのかはわかりません。

クララは悪い排気ガスを出すクーティング・マシンを壊したいと思い、おひさまが特別な力をジョジーに与えてくれるはずだと信じています。

優秀なAIロボット(AF)であるクララは、生活の中からいろいろなものを学ぶ。
それは理屈に合った判断であり、(少し)根拠があるものであったり、迷信じみていたりもします。

未来のロボットの情報処理は完璧でクール、だと勝手な先入観を持っているわたしにクララは「AIロボットと共にすごす未来」を具体的に見せてくれます。

もちろん未来にも「どうにもならないこと」は起こります。
「どうにかしたい」という思いは、情報や人知を超えた「祈り」となります。

カズオ・イシグロの描くこの近未来が全てではないかもしれないけれど。

心の中にある不穏や悲しみやどうにもならないことを、AI ロボットと分かち合い、ともに祈る未来があるのかもしれない、そんな未来が来たらいいな、と思える作品でした。


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2020年11月28日

「兄の終い」村井莉子さんを読みました




洗練された文章で淡々と軽やかに描かれているけれど、けっこう大変なお話でした。
なにしろ音信不通だった兄が、宮城県の多賀城という縁もゆかりもない町でなくなり、警察署から電話がかかってきたところから始まるのだから。

なくなった兄と暮らしていた息子の良一くんはまだ小学生。
なくなった父親のために救急車を呼び、担任の先生に連絡し、児童相談所にお世話になっているという。

作者は、前妻の加奈子ちゃんとともに、この兄の身体と居場所を片付けに行く。
兄の子である良一くんは、いろいろの手続きのすえ母親である加奈子ちゃんのもとに帰っていく。

大変な「終い」の備忘録的な部分も、文章の軽やかさが救ってくれるものの、大変なことだったに違いなく。その中で浮かび上がる「兄」の人柄と不器用さが、救いでもあり、せつなさでもありました。

そしてわたしの感想は。
小説の中で前妻の加奈子ちゃんが発した言葉とまったくいっしょでした。

「ああいう人は、たっくさんいます」

本当にそう思います。今の日本にこういう人がたっくさんいると思います。
一部の人には行政の手が届き、一部の人は誰にも知られないまま。
たっくさんのそういう人がいると思うのです。

根拠もないのに、なんでそう思うんだ? と言われるかもしれませんが。
「仕事柄感じている」としか言いようがありません。

真面目で勤労意欲もある、持病もあるが、がんばって働きたい。
そんな「兄」の書いた履歴書を読んだときに「ああ、これじゃ受からないよね」と思うし。
そういう兄が小学生の息子を扶養し、きちんと食事をさせることも「とんでもなく大変なことだよね」と思う。
子供がいたからこそ、気づいてもらえたことも、もし完全な独居だったら、そうはいかなかったかもしれない。
びっくりしながらも、きちんと動いてくれた妹と前妻に連絡がついたのも、運が良かったことなのかもしれない。

そういう人がたっくさんいると思いながら、私たちの目に触れるのは、偶然にも支援を受けられることになった一部の人、のような気がするのです(あくまで空気感)。

あと非正規で「コロナくび」になった人というのがまわりに複数いるのですが。
知っている人で数人いるんだから、こちらもけっこうな数字なのもかもしれないですよね(あくまで空気感)。

すぐれた小説でありながら、その小説のバックグラウンドにある現実をきっちりと見えすえている作品だと思いました。


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posted by noyuki at 11:09| 福岡 ☁| Comment(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月25日

読書日記「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書)」

〜リアルワールドに「渡る世間」しかなくても、ネットの中にはちゃんと私が私でいられる「社会」があるような気がするんだよ



読んだのは↑この本です。こちらの本↓ではありません、為念。



同じ名前の本があるんだ〜。あ、でも下のやつの方が早く出版だったみたいですね。

(で、上の同調圧力の感想です)
世間学の佐藤直樹さんと、もと劇団第三舞台の鴻上尚史さんの対談。
対談だけど、するすると読めました。おもしろかった!

「世間」というものは、この本をじっくりと読んでいただくとよくわかるように、「同じ空気を読んで、同じことを考える人々の集まるところ」。
私は鬼っ子だったから「まわりを見て、まわりと同じようにしなさい」って小さい頃から母親に口すっぱく言われ続けた。そのことに反発していなかったし「それも道理だ」と思い込んでいた。それがたぶん世間ってやつだったんだと思う。
だけども。結果としては「まわりと同じこと」ができなかったんです。なぜか。

大人になって、近所の植物画教室に通って、模写をやって。
たったハガキ一枚程度なのに、まったく見本とは違ったものが出来上がっている。
まわりはほんとうにきれいな模写をやっていると言うのに。
なぜに「同じことができないのだろう」とそのときもつぶやいた。
不幸中の幸いか、絵の世界は案外自由で「人と違うことはいいことだよ」と先生が言ってくれたからよかったけれど。

「人と同じことをやる、人と同じようにふるまう」というのはある意味「能力」だと思う。
無意識にこれをやる能力がないと、いろんなところで落ちこぼれてゆく。
いや、すでにかなりの高確率で落ちこぼれていってる。地域社会というやつの中で。
しかし、この本では「それが世間というやつで、そんなもの気にしなくていい、社会はまったく別ものなんだ」って言ってくれている(ような気がする)。
ブラボー!
とは言っても「コロナ」というシビアな時代の中で、同調圧力は増大し、世間の見えない縛りはとんでもないことになってしまっている。

では、どうすればいいのか?

敵の正体を知れ、自分を追い詰めるものの正体を知れ、そして、居心地のいい空間を作り上げているコミュニティの正体を知れ。
同じ世界で、同じ考えでいるから、「ニッポンすごい」になっちゃうんだよね。
そしてまた、同じ「世間」が繰り返される。
というような未だに同調圧力かけあっている社会に半分足をつっこんでいても、実は最近はそれほど息苦しくないことに気づいている。

わたしにはネットがある。
まあ、少々の軋轢はどこでもあるだろうけれど。少なくとも「けして世間ではない」社会がちゃんとあるような気がするんだよ。


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posted by noyuki at 10:26| 福岡 ☀| Comment(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月28日

「一人称単数」村上春樹 文藝春秋





文学界に不定期連載されていた短編に加えて書き下ろしが一遍。
どれもちょっと不思議で、じっくりと心の状態を表現する作品が多く楽しめた。
が。ひとつだけ印象の違ったこと、ありました。

書き下ろしで読んでいた文学界の表紙のポップさと、単行本の表紙の静かな劇画調のイメージが違いすぎて。
別の作品を読んでいるような気になってしまうのです。表紙の印象って大事なんだね。
でも、劇画調表紙をじっくり見つめたおかげで、草むらにレコードジャケットを一枚見つけた!これはビートルズ? 
あ、それから品川猿がレコードをかけてる絵もあった!なかなかの仕掛け。あと、カバーを外したときのチョコレート色の表紙も!こうしてじっくり見てみるといろいろ楽しめます。

1:「石のまくらに」 短歌をつくる女性との出会い。短歌は純粋に素敵なものばかりだった。

2:「クレーム」同級生の女の子からピアノの招待状を受け取る。そのあとに出会う老人からの不思議なメッセージ

3:「チャーリーパーカー・プレイズ・ボサノヴァ」チャーリーパーカーがボサノヴァのレコードを出したという偽の文章から始まる、夢のような時間との出会い。わくわく楽しい作品。

4:「ウィズ・ザ・ビートルズ」ビートルズのアルバムを抱えた女の子の話と、その子とは別のガールフレンドの話。言葉にならない高揚感を持つことと、それを持てないことの残酷さが胸につきささる。

5:「ヤクルトスワローズ詩集」ヤクルトスワローズ詩集なるものが存在することは以前から知っていた。その一部とそれにまつわるエッセイ。

6: 謝肉祭(carnaval)美しくない容貌とアンバランスなほどの繊細な知性を持った女性の話。読み応えあった。

7:品川猿の告白:短編「東京奇譚集」で活躍した、あの品川猿の告白。そうか、そういう理由があったのか。相変わらずでなんとも憎めない、少し年をとった品川猿の告白。

8:一人称単数 久しぶりにスーツを着て外出し、バーで読書をしていると、出会った女性に詰られる。いろんな解釈ができる話。「ハードボイルドワンダーランド」的な同時進行の世界なのか、夢物語なのか。よくわからないことへのとまどいが残る作品。

好きな短編もあるし、そこまで思い入れられない短編もある。
それでもテーブルの脇に置いて、ふっと思いついた短編をめくってみるというのをずっと繰り返している。
じわっと好き。

さてさて。どれが一番好きですか? と聞かれるとちょっと困ります。
「品川猿」と答えたいところだけど、もっと心にひっかかる表現もいくつか。

うん!ヤクルトスワローズ詩集が一番好きかも!
これを読むと「勝つことだけが人生ではない。敗れることも大事」と思えてしまうんだよね。



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posted by noyuki at 15:13| 福岡 ☀| Comment(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月07日

これ読んだところ「ライオンのおやつ」小川糸




「ライオンのおやつ」小川糸さんの作品です。

瀬戸内海のレモン島にあるホスピスにいくことになった雫さん。30代女性、独身。
そこでの生活が描かれています。
毎日のことや住人や友達、なついてくれた犬のこと、からだや気持ちの変化。そのからだを離れて魂となってしまうこと。
そんな雫さんのことが、落ちついた読みやすい文章で描かれています。

がんがん泣きながら読みました。
がんがんがんがん。気持ちの良い涙があふれてくる作品。
「おうち時間」のおかげで、ほんと誰にも知られずにがんがん泣きました。

「ライオンの家」なんて変な名前のホスピスです。
ライオンは百獣の王。何者かに存在を脅かされる心配のない場所。
いろんな人が自分らしく生きて魂となっていく場所。

そんな場所があるからといって、誰もが安らかな気持ちで何も無く最後を迎えることなんてできないことも百も承知です。
それでも、安全な「ライオン」となって自分と向かい合いながら生きていく人たちのことが愛しくてたまらなくなる作品でした。

それにしても、最初から最後までがんがんがんがん泣けるってのはやばいです。
悲しいとかじゃなくて、ずっと自分の内側にきれいな海風のシャワーが流れるみたいに。
ほんとにがんがんがんがん泣いた作品でした。


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posted by noyuki at 18:59| 福岡 ☀| Comment(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月09日

長谷川和夫先生、素敵な本をありがとうございます。




認知症の人と認知症の人の家族が幸せに生きるにはなにが足りないんだろうか?とたびたび考えるけれど答えは出なくて、そもそもそれは私だけの答えじゃなくて「社会が持っていて当然な答え」であれば最強なんじゃないかと思っているわけです。

長谷川和夫先生といえば「長谷川式スケール」で有名な先生。
その先生が認知症となった自分についての本を書かれています。
これは文章の軽やかさや長谷川先生の人となりの滲み出てる感じが何よりもいい感じ。
私もだんだん記憶力があやしくなってきて、自分自身も「わたしも将来は」と思うこともままありますが、読んでみれば「こわくないよ」と思ったのが直球の感想でした。

自分自身の時間が続いているという先生の言葉も好きだったけれど、記録しておきたいのは、認知症の自分自身の気持ちを発信し続けたクリスティーンブライデンさんの言葉です。

>ブライデンさんは、やがて感情さえ壊れ、自分はどこへ行くのだろうと不安でいっぱいだったのです。ところが2冊目を描くころにこの心配は消え、自分らしさだけの脳になって「私はもっとも私らしい私に戻るたびに出るのだ」と思い直した。「だから私を支えてください」といっているのです。私は、心のいちばん深くにある、もっともその人らしい、その人の存在そのものを支えることがスピリチュアル・ケアなのだと思いました。認知症と介護の分野に携わらなかったら、私はこの存在の重要差に気づかなかったと思います。(本書より引用)

あとあといろんないい言葉がいっぱいで、「べき」ではない「やわらかい世界」が自分の地続きにあるような気持ちになれました。

そして、もう一冊最近読んだのはコレ。





これも、またまたいい本だった。
日本の戦争ものとは国民性や感情の動きが違うのも新鮮だった。
新鮮だったけれど、どこの国にいても戦争はやはりとてもひどく悲惨なこと。
赤いマフラーの狙撃兵の話が好きでした。
あいかわらず脈絡のない読書記録w



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2020年01月17日

あの「品川猿」が語りはじめたってよ!






村上春樹の短編の中で好きなものをみっつあげるとすれば「午後の最後の芝生」「プールサイド」「品川猿」。

「いい小説」はタイトルも存在感もなくして、いつのまにか「自分のカラダの一部」になっているような気がします。
「品川猿」もそんな一編。
今回「文学界2月号」でその品川猿が告白をしているというので、読んでみました。

品川猿は品川にはおらず、古びた温泉にいました。
あの頃からだいぶん年をとっていました。生い立ちについても正確に語ってくれました。
幸せな生い立ちではあったものの、猿なりの葛藤があり、猿なりの「愛」についての手段や思いがあったようです。
品川猿が不思議な能力を持っていたのはご存知のとおり。
そしてなによりも憎めない。やはり私は品川猿のことが大好きだと思いました。

そして「東京奇譚集」の「品川猿」も読み返してみました。
2005年といえば15年前。意外な結末にもう一度愕然としました。
「知っていることの苦しさ」も「愛の苦しさ」もふりかえれば過去のものかもしれません。
それでも過去の「愛の記憶」はずっとずっと今につながり生きるための熱源となっている。
15年分年をとったのは品川猿も私も同じです。

年老いた今の品川猿のメッセージもまた、わたしの中に染み込んで、これから「わたしのカラダの一部」になっていくような気がしました。

文学界の村上春樹の短編のシリーズ、どれも好きです。本になるのを楽しみにしています。


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2019年12月01日

気分はダイバーシティ

ブレイディみかこの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」読みました。
kindleでサクサク読んだ。
でも表紙も本自体もKindleの中にしか存在しないから「これ、おもしろいから読んでみて」って人に見せたり渡したりの楽しみがなかったからさみしかったです。
まだまだKindleとの付き合い方、発展途上であります。



イギリス人の配偶者と日本人の自分のあいだに生まれた息子の中学時代の話。
カトリックの公立小学校を卒業した息子は、家の近くの「元底辺中学校」に入学する。そこからはじまるカルチャーショック。それを軽やかに自分の尺度で超えていく息子。いや、ほんとにおもしろい。

>正直、中学生の日常を書き綴ることが、こんなに面白くなるとは考えたこともなかった。
著者もそう言われています。いろんな人種がいることでレイシズムもあるし、格差社会だけど、そこを軽やかに無視したり妥協したり、とっても気持ちいい。個人的には「リアーナ」の話が好きでした。

日本もすごいレイシズムだし格差社会ですよね。でもわたしたちはその「居心地の悪さ」に慣れていない。そう「ダイバーシティ」自体も居心地悪いものだと思う。戸惑うし、びっくりするし、当たり前と思ってたことがどんどんぶっ壊されるし。

だけど、考え方の違う人を糾弾することが大流行の社会よりもずっとマシなんじゃないかと思う。そこらへんの着地点を「息子」は自然に模索していきます。すごいなあ、ほんとにすごいなあと思いました。


そして次に読み始めたのがなぜか「もちぎ」さんの「あたいと他の愛」でした。




個人的にはこれは「ドラマで見たいなあ」な作品で、これもすごくおもしろい。

「これだと主人公は誰かなあ」と考えるのも、また読後の楽しみであります。


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2019年07月28日

アマゾンに勧められるままに「これ、読んでるところ」あるいは「これ読んだところ」

アマゾンは過去に買ったもののデータから「あなた、この人の本、かならず買うよね? 予約しとく?」とか「ほら、続きが出たよ」とか「これ、興味あるんじゃない?」とかいろんなことを囁いておすすめしてくれる。

そしてだいたい「せっかくのおすすめだし」とか「忘れないように予約しておくか」とか思って、アマゾンの囁くままに何か買ってしまっている。

いえいえ、本だけの問題ではありません。

でも、買い物ってこういうものだよね、きっと。

わたしの好みを骨の髄まで知っていて「お客様の好きそうなお品でございます」とか、何かを差し出してくれる素敵なコンシェルジェ。そんなコンシェルジェがわたしにはいます。

そして最近思いつくままに読んだ短編の備忘録メモしておきます。




アイネクライネナハトムジーク いくえみ綾・伊坂幸太郎(上)




映画を見る前に一回読み返してみたいなあと思ってたら、「おすすめ」で出てきて思わず読んでみました。これは期待以上!

いくえみ綾好きと、伊坂幸太郎好きの両方の好みを凌駕している!と思わず叫んでしまいました。



ヤバい、公式サイトまでできてる。高まりもひとしお!




「大家さんとぼく」これから  矢部太郎




なんとなくほっこりしながらも、大家さんの行く末は気になっていました。

書きすぎず、削ぎすぎず、自分の伝えたい分量をきっちりと伝え、読者の胸の中にそれを広げてもらった感じ。


ヒストリエ 11巻 岩明均




忘れた頃に発売される。「前の分、覚えているだろうか?」と思っていたけれど、けっこうしっかり覚えていた。そして、一巻分でも十分読ませてくれる。

ほんとに。わたしの生きている間に完結編を読めるのかなあ?

「バガボンド」に対しても同じ思いです。



文学界 2019 年8月号 「With the Beatles」「ヤクルトスワローズ詩集」




「宝島」とか講談社の「In pocket」で村上春樹の短編を読んでその切れ味に心躍った頃の感じの短編(いつの時代の話だよ!)。

「With the Beatles」はなぜか「午後の最後の芝生」の雰囲気を思い出した。心の中の何かがあたたかくなる感覚と、そのあたたかさが諸刃の刃としての残酷さとなる感覚。

文章がうまいというのはこういうことなんだろうけれど、せつない甘い話しなのに「切りつけられた」ような気分になる作品。

「ヤクルトスワローズ詩集」うん、とってもいい詩だと思う。さあ、今日もしっかり負け続けよう。と思えるようなそんな詩集。





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2019年04月28日

「その女、ジルバ」有間しのぶ






ご紹介しようと思ったら、5/7日まではKindleで1巻が無料! 素晴らしいです。

手塚治虫漫画賞の受賞作品を見ていたら、「有間しのぶ」さんという名前に聞き覚えがある。
じっくり思い出した、10年以上前にとてもハマっていた「モンキーパトロール」という漫画の作者でした。

「モンキーパトロール5」を描いたブログです
「モンキーパトルール6」を描いたブログです

「その女ジルバ」は、ブラジル移民から帰国したジルバのお店に集う、高齢のホステスたちの物語。40歳にして会社で閑職に追いやられた「アララ」が副業にここのホステスになるところから話がはじまる。

2011年2月からの連載開始で隔月連載で7年間! 
気の長い話で、ゆったりと時間がすぎてゆくけれど、その分一人一人の時間を立体にじっくり描けている作品だと思う。
ブラジルから帰ってくる途中の船で家族をなくした「ジルバ」。
ブラジルでは「日本は戦争に勝った」というデマを信じる一派がおり、その一派に翻弄されていたという知らなかった真実。
戦後の「花売り娘」の壮絶な話。
そして、現代を生きる「アララ」も40すぎの独身で先が見えない。
アララの実家の福島の被災と再生の物語もそこにはある。

有間しのぶさんのお話に出てくる人々は「少しだけマイノリティ」の場所にいるような気がする。
「少しだけマイノリティ」という言葉は「まったくふつう」に対応しているようで、居心地悪いのだが、誰もが持っている「少しのマイノリティ性」に向き合って、やりくりして、自分なりの答えを出そうとしている人の物語のような気がする。

「モンキーパトロール」にもそういう部分があったと思う。

そして、こんなに「派手ではないけれど、じっくりと描かれた作品」が手塚治虫文化大賞に選ばれるということにもまた拍手を送りたいと思います。





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2018年12月28日

「本物の思考力」出口治明 小学館新書



某所で、偶然出口さんの短いスピーチを聞いて「この人はすごく信用できそうな人だ」と思った。
ものすごく下手な英語で、でも臆することなく堂々と二か国語スピーチしてたのもカッコよかった。
それで「忘れないうちに」と近くの本屋で、とりあえず一冊この人の本を買ってみたらすごくおもしろかったわけです。

現実世界ってすごいね!

ツイッターとか書評とかをパソコンの中の本棚に並べて「レビュー」という「小さな村の噂話」に耳を傾けながら本を選ぶのももちろん好きだけど。
リアルな人間のリアルな熱量にはガツンと来てしまう。
そうして「現実世界ではこんなふうに新しい人に出会うのだ」というのもすごく新鮮でした。
頭のいい人の、すごくクリアな「自分の考え方の基準」っていうのが心地いいし、新書でするっと読めるのがよかったです。

なんて語っているうちに今年が終わってしまいます。

すごく環境が変わって、仕事も変わって忙しい年だった。
大事な友達をなくした年だった。
そのことについて、何度も何度も繰り返し考えてしまいそうなのに「そんなことしなくていいよ」と言われているみたいに、環境の変化に追いつくのに精一杯の一年だった。

ねえ。次の世界っていうのがあるのかな?
来世ってことでも、天国ってことでもなくって。
どこか、今よりか、もう少し静かでクリアな世界。
現実世界かもしれないし、バーチャルかネットか、それとももっとスピリチュアルな意味かもしれないけれど、それは私にはわからない。

出口治明さんの話からずいぶん飛んでしまったけれど、なんとなく繋がっているのかもしれない。
わたしは、もっとクリアなわたしになってから、もう一度彼女と話してみたいなって思ってしまうんだよ。



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