2011年12月30日

私的読書ベストテン 2011

大変な一年だった。しばらく本が読めなかった(気持ちの問題で)。
そして、たしかにいい作品だったのに一年を通して振り返ると、それほど心に残っていない本もあった(これも気持ちの問題です)。
人間は現実が大変なときは本も読めなくなるのかもしれない。
物語の世界に戻るまでとても時間がかかった。
新しい作家の方との出会いが少なかった。
同じ本を2度も3度も繰り返し読むことがなぜか多かった。
そんな2011年だったけれど、それでも振り返ってみると、こんなにたくさんの出会いがありました。

10 「くちびるに歌を」中田永一
五島列島の合唱部の話。どす黒いところがなくて、こまやかな部分も見られて楽しかったです。

9 「仏果を得ず」文庫 三浦しをん
三浦しをんさんをたくさん読んだ一年だったが、文楽を描いたこの作品には新しい出会いがありました。求道のヨロコビというものが溢れている作品だと思います。

8「スローハイツの神様」辻村深月
辻村深月さんにはじめて出会う。セリフがキレがよく心地よかった。また何か読んでみようと思っているがまだ叶っていません。

7 「焼け跡のハイヒール」盛田隆二
いや、「きみがつらいのは、まだあきらめてないから」を入れるべきだろうと思ったけれど、とてもこの作品が好きだったので、ムック本(大人婚)に掲載の分だけど、あえてこちらを。主人公の強い生き方が物語全体をひっぱっていて、とても嬉しくなった物語。そして泣きました。本になるのを楽しみにしています。

6 「困っている人」大野更紗
友人の中で大ブームになった本。闘病ものであるけれど、楽しく、そして、人を想う気持ちの強さが物語をひっぱって行く様子に感動しました。彼女の人生に幸多かれと祈ります。

5 「偉大なるしゅららぼん」万城目学
相変わらずの壮大なほら話。そして、情景のひとつひとつが目にうかぶ細やかな描写が楽しかったです。まったくテンションが落ちてないのがすごいと思います。

4「事の次第」文庫版 佐藤正午
単行本「バニシングポイント」でかなり前に読んでいる。しかし、昨今の佐藤正午さんの作品に通じるものがあって、今回読み返してみて、その手法のすごさに改めて感心させられた。クールな文章がほんっっとカッコイイ作品でした。

3 「モダンタイムス」文庫版 伊坂幸太郎
今回上下巻の文庫。しかも、文庫化にあたって、こんなに結末が変わっていたのが驚きだった。現代には現代にそぐう作品がある。そういうものを完成させるためにこれだけの加筆修正は賞賛したい。ハードカバーのストリーも文庫のストリーも、選べないほどどちらも好きでした。

2 「身も心も」 盛田隆二
高齢者の恋愛にドキドキさせられた。純粋な美しい気持ちが浮かび上がり、好きな人のために生き延びたいという欲求に、生きることの意味を考えさせられた。とてもいい作品です。梶芽衣子さんで映画化、というのがほんとに実現したらいいなと思っています。

1 「舟を編む」 三浦しをん 光文社
この本に出会えて(幸せだった感)が一番だった作品。辞書を作る、という目標のために集う人の人生が長いスパンで描かれている。どの人も、実現させたいもののためにキラキラしている。「職業もの」というわけでもなく、その職業に関わる人の「深さと真摯さ」がすごく克明かつ楽しく描かれていた。
読んで幸せになれる本、という点で2011年に出会えた最高の本でした。



おまけ。「3月のライオン」「テルマエ・ロマエ」「ヒストリエ」など、コミックの新刊に楽しい作品の多い年でした。小説では「きらら」に連載中の佐藤正午さんの「鳩の撃退法」がどうなるかわくわくどきどき。
これらは未完の作品ですが、今年読んだ中で幸せだった本としてぜひ、名前をあげておきたいと思いました。

今年1年出会えた本に感謝をこめて。そして来年出会える本を心待ちにして。
今年1年を締めくくります。
来年もまたよろしくお願いします。

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2011年10月18日

「舟を編む」 光文社 三浦しをん



最近の三浦しをんさんの本はほんとに楽しい。
おもしろいとか、このあとどうなるか続きが気になるってのもあるけれど、なによりも楽しい。気分があたたかくなって、ああ、この楽しみをずっとずっと味わっていたいって思っていられる。

「舟を編む」は大渡海(だいとかい)という辞書を編纂する物語だ。
出版社の事情やら、その辞書の規模の大きさから、大渡海(だいとかい)は完成するまでに15年の歳月を要する。
これはその15年にわたる物語だ。

主人公の馬締(まじめ)光也が、風変わりではあるけれど魅力的だ。二宮くんや錦戸くんあたりが演じてもきっといい味を出すのではないかと思う。そういうのを想像するのもまた楽しい。
そう。しをんさんの書く男性は、外見や性格に難があったとしても。とにかく「魅力的」なのだ。
髪の毛の毛穴からフェロモンがにじみでる雰囲気まで描き出せる稀代の筆力と、声を大にして言いたい。

そして、脇をかためる西岡や、新しくメンバーに加わる岸辺も、その魅力と探究心に惹かれるように辞書に夢中になっていく。おまけに学者や、印刷関係の方までも、辞書に対する熱意がすごい。

人の熱意は美しい。
わたしたちの使う「言葉」という道具は、複雑で膨大ではあるけれど、それもまた美しい。
それを存分に味わえる。とてもとても幸せな本だと思う。

「大渡海」が出版される際には、わたしは迷わずアマゾンで予約したい。


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2011年05月06日

「偉大なるしゅららぼん」 集英社 万城目学






先日「ぼくらの時代」の対談で、有川浩さん、湊かなえさん、万城目学さんの三人が揃ったのを拝見した。
三人とも関西に縁の深い方ということで、作風がちがうながらも会話がとても楽しくて、その中で万城目学さんは「マキメさんの、ホラが好きなんですよ、また作品で大ボラ吹いてください」と言われていた。
それに対して、いやはやと言った感じの万城目学さんはとても物静かな印象だった。

その万城目学さんの最新作「偉大なるしゅららぼん」。
今度の舞台は琵琶湖に昔から住む一族と、その一族の能力の話。
あまり細かい事言うとすべてネタバレになってしまうのだけど、とにかくおもしろかった。
おもしろかった、としか書けないのももどかしいが、いや、これはやはり読んで味わっていただきたいものだと思う。

ただ、少しばかり周辺部の話をさせていただくなら、後半にさしかかっとき、この先の展開がぜんぜん読めなくて、マジに手に汗握ってしまった。
そして、その展開の意外さに、あぜんと口をあけてしまった。
その部分から先はドキドキの連続。

その背景の心理描写もいいし、心のウチも風景も映画のようにていねいに緻密に描かれているとおもった。

昨今は、ハードカバーが発売された時点よりも、映画化されてから本が脚光をあびることが多いように思う。
どういう売れ方でもいいと思う。
わたしは、いい本がどんなかたちであれ人に読まれるのが嬉しい。

「プリンセストヨトミ」が映画になって、案外こちらの方がこれから読まれる機会が多いのかもしれないけれど。
「偉大なる、しゅららぼん」も読んでいただきたいなあ、ぜったいおもしろいから、とおすすめしたくなりました。


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2010年03月06日

「勝間さん、努力で幸せになれますか」朝日新聞出版

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話題になっているので、勝間和代と香山リカの対談を読んでみた。
ふたりとも時代のマイノリティを代弁しているだけであって、その主張は反目するものではない。
なんとなく、その側面をいろいろ考えてみた。

香山リカについて。 努力することが求められる世の中で彼女は、努力できない人を弁護している。カタチから「勝間和代のような生き方」を目指すことの危険さも彼女は知っている。
学校に馴染めない子どもたち、仕事社会でうつ病になる人々。彼女はそんな人々の代弁者である。
ところが、対談においては「かみついている印象」を持たれる分、不利だなあと思った。
勝間和代が雄弁な分、そういうふうに見える。
彼女はひとりで書くことの方が、もっと素晴らしいものを生み出せるような気がするのが残念。

勝間和代について。  それでも「単純にどちらに賛同するか」とまわりに尋ねると、香山リカと答える人の方が多い。
努力して何かを獲得するのは、カッコいいことだとは思われないのは風潮である。そこに「努力して何が悪い?」って言い切るのも、マイノリティだと思う。
大卒女子の中には成功者も多いが、実はいろんな意味で脱落している人も多いことも知っている。
有能であることへの妬みは大きい。それを「恨まない、敵をつくらない」という処世を身につけてやりすごしてきた人だと思う。
たくさんの処世を身につけてビジネスの世界を生きていく。それは当然のことであるけれど、実は妬みにもなっている。

二人の対談を読んでいると、努力をして有能になることも恨まれ、ドロップアウトすることでも蔑まれるという、構図が見えてきた。
そうして、ふたりの女性が言葉をつくして弁護している。

誰に代弁してもらわなくても、いろんな人がふつうに自分でいられればいいのに。
そんな、ぜんぜん関係のないことを考えた。

どちらも、「自分を貫く、善き人」である。


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アンケートも貼りつけてみました。

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2009年08月16日

投票を作ってみました。

当ブログの書評記事を読んでくださっている方、いつもありがとうございます。
前々から思っていた、投票ツールを、お盆休みなので作ってみました。
好きな作家さんの名前があった方、また、書評を気に入ってくださった方など、気軽に投票をよろしくお願いします。



コメント欄にはとくに好きな作品なども書いていただけると嬉しいです。
「その他」を選ばれた方もどうぞ、あなたのおすすめを教えてください。




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2009年06月10日

「1Q84」とイリアス・オデッセイア

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読み終えたあとに思わず「イリアスとオデッセイア」とつぶやいてみた。
ホメロスの壮大な叙事詩となにが共通するのかわからないし、トロイ戦争についても何も知らないのだけど、歌曲や叙事詩を思わせる作品だと思った。

現代社会は戦争や争いのない社会でもないし、不条理な性的虐待のない社会でもない。
憎むべき対象がカタチを変えて見えづらいだけで、必ず「それ」はあるのだ。
そうして、武器を持っていれば敵に対抗できるわけでもないし、一致団結した良心で「それ」を排除することができるわけでもない。
そういう複雑な「それ」に対抗するための軌跡が、壮大な叙事詩のように描かれているように思えた。

初期の頃の村上春樹の世界では、カップルは汗のにおいひとつしない心地よいセックスをしていた。気分のいいバーでジャズを聴きながら、自分のまわりに起こる悲しい出来事に静かに胸を痛めていた。

作風が変わったとも、メッセージが変わったとも思わない。
描いている世界が壮大なのだと思う。

あらすじを書くのは避けるが、それでも、読後の印象をいくつか覚え書きしておきたいと思う。(ネタバレと呼ばれるたぐいのモノなので、望まない方は読まないでください)

* ある種のテロを含む新興宗教や性的虐待を作者は憎んでいる。憎んでいるからこそ、それがきっちりと描かれている。「それ」を描かないことには、物語が成り立たないからだ。

* 健康的な性欲に関しては、憎んでもいないし否定もしていない。しかし、それも「もっと原始的で自然な愛」に対比するものであることには変わりない。

* それでは「原始的な欲求からあふれる愛」はすべてに対抗できる存在であるのか? そうではないかもしれないけれど、少なくとも、この物語の中では対抗するものであるような気がする。

* 今後の展開にもよるが、青豆と天吾は別の世界で出会うような気がする。

* 青豆には出会うべき人がいる。だから青豆は死んでいない。もっと強い引力が今後きっと起こる。

* タマルは魅力的な人物だ。今後もこの物語に深く関わってくるだろう。だけども彼にはどこか死の影がつきまとっているように思う。

村上春樹の作品は難解で、難解ゆえに謎解きをしたい欲求に駆られる。そうして、多くの未完の作品がそうであるように、今後の展開を予想したくなるのも否めない。

しかしもちろんそれがすべてではない。物語を読んでいるあいだ中、夢中でその世界に浸っていられる幸せをずっと感じていた。
そんな素晴らしい作品にリアルタイムで出会えた事に、やはり言いようのない至福を感じた作品だった。


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2009年02月10日

海の深さを知らない者は

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「 母親を殺したのはわたし? 拉致されてる?」

 琶子から恋人への一通のメールから事件がはじまる。
 自分自身の記憶もあやふやで、口も聞けなくなってしまい、別の犯罪に荷担していく琶子。
 
 若くてエキセントリックで激しい性格の彼女は「海の深さを知らず浅瀬でばちゃばちゃと自惚れている者」と言われるが、そこからまっすぐにいろんなものを感じて成長するというわけではない。
 人間はそんなふうには出来てないし、彼女自身のバックグラウンドもそんなにシンプルではない。
 
 ひとつのものを受け入れるために苦しむ。過去のトラウマと向き合う。そうして突き破る。
 だけどもスポイルされた母親との関係やそれにまつわる事故の記憶から、それは大変なことなんじゃないかと思う。 
(個人的にはこの、母親のキャラクターがすごく好きです。愛してる、とかじゃなくて、気持のゆがめ方がよく描けてるっていう意味で)
 それでも、内なる自分との対話、まわりの人のあたたかさで、だんだん琶子の海はだんだん深くなるように見える。

 だけど。
 息をもつかず最後まで読み続けるうちに、不思議な感覚に包まれてしまった。

「海の深さを知らない者」とは琶子のことを指しているんじゃないのではないか?
 いくつもの意外な結末へ向かって、彼女自身の深さを感じていく反面、読者が本当の海の深さというものに引き込まれてゆく感覚。
 
 作者自身が足も届かない深い海の底へ向かっていくのを感じながらも、それよりももっと深い「生」の深さ、そこに繋がる「生の反対の世界の深さ」に放り出されるような感覚のラスト。
 
 クライムノベルとしてのストーリーのおもしろさと同時に、とんでもない「海の深さ」をつきつけられるような作品。






「海の深さを知らない者は」は「のゆき書店」でお求めいただけます。

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2008年10月07日

伊坂幸太郎の備忘録 その4

そろそろ未読のものが少なくなってきた。こうなったらとりあえず全部読みたいと思う。こういうのを中毒っていうんだろうか? とりあえずは発刊された分はこれで全部(だと思う)。
そのあとは新刊が出るのを心待ちにする日々。それはそれで楽しいにちがいない。



グラスホッパー

グラス



著者お気に入りの作品とのこと。蝉、鯨、槿(あさがお)という闇の世界で生きる人物たちが登場する。ナイフ使い、自殺屋、押し屋など、人を殺すのを生業とする人物たちの描写が素晴らしい、ノワールな感じである。だましあい、展開、そして劇団などの登場で話がくるくると転がってゆく。
宮部みゆきはミステリーを描いても人物のまっとうさに救われる。
石田衣良の人物たちも芯の通った良心で作品が彩られる。
そして、伊坂幸太郎の主人公には「かろやかな正義」が見えない糸のように通っている。
ミステリーやハードボイルドに必要なのは「心の在る場所」なのかもしれない。
ラストのシーンで、その強さがホテルのバイキングの食のシーンとなって描かれる。
何度か読み返してみたい作品。そのたびに多面体のもうひとつの面が見えてくるのではないか。





陽気なギャングの日常と襲撃

ギャング



「陽気なギャング」シリーズの面々の日常が描かれ、それがだんだんと事件に絡まってゆく。強盗現場で行われた「誘拐」から事件が広がってゆく。グラスホッパーに登場する「劇団」なども登場。
偶然が物語の中の必然にどんどんと変わってゆく痛快さ。
それが「陽気なギャング」シリーズにある楽しみだ。多重奏の音楽。




終末のフール

終末



あと三年で世界が終わるという想定で描かれた短編集。 
世界の終わりを宣言されたパニック、強奪、殺人、自殺、いろんなものがおさまったあとの世界で生きる人々のこと。
たとえば、商品がままならなくともスーパーマーケットを営む人もいて、それが無駄だと思っていてもボクシングのトレーニングをする人もいる。

「期間限定の生なんて何をやっても無駄なんじゃないか」と思う人もいるだろうが「もともと生きるってこと自体が期間限定なんじゃないか?」
そう思わせながらも、それが「無駄ではない」ことを強く感じさせる作品。

自分でよくわかる。こういう物語は、そのときは忘れてしまっても、のちの自分の人生にあとあと深く根付いているものなのだ。




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2008年05月07日

八日目の蝉 角田光代 中央公論新書

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七日間しか生きられないせみの中で、たった一匹だけ八日だけ生きるせみがいるとしたら・・・

出生後に誘拐されて数奇の運命を生きてきた主人公とともに、この問いかけに、ひとつの答えが出される、そんな小説だ。

浮気相手の子供を誘拐した希和子は、あやしげな宗教団体、ラブホテルの住み込み、小豆島の小さな店を転々をしながらも、子供が四歳になるまでおだやかな生活を続ける。
だが、新聞に載ったスナップ写真が原因でふたりは引き離される。
第二章では成長した子供、恵理菜の口からその後の人生が語られる。家族との関係をはじめとして、彼女の人生はけして順風ではない。そうして、まわりも、もちろん生傷のけして癒えない生活を続けている。

誰も背負っていない過去を背負っているという意味で恵理菜は八日目の蝉だ。
知らなくていい、余計なことを抱えている人生。
そのことはもちろん恵理菜に重くのしかかっている。

八日目の蝉であることはどういうことか?
ふとしたことから知り合った千種の口から語られた言葉にその答えがある。
その答えに号泣してしまった。

人間はどこかしら八日目の蝉の部分を持っていて、それを持てあましたり呪ったり、誰をなぞることもできない自分だけの人生にたたずむことがあるのかもしれない。
それを受け入れる何気ないひとことを待っていたのは恵理菜だけではないはずだ。

この作品にはそういう人間の業を受け入れるものがある。
受け入れられることによって、わたしたちはその先の人生を思うことができる。

そういう本に出会うことで、わたしもまた、ひとつの答えの先を思い描けた。


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2008年04月08日

「タイマ」嶽本のばら 小学館

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自粛なんてしたらダメだ。
作家は描くことでしか、その場所から逃れられない。

嶽本のばらが大麻所持で逮捕されてからの第一作め。
反省でもエクスキューズでもない、現実を内包した純粋な小説として発表された、その名も「タイマ」。
自分が「異物」であることが事件を通して、少しばかりユーモラスに描かれている。
そうして、同時進行するラブストリーが現実にまじりあってくる。塀の外の恋人は、ゴスロリでロッカーでストリッパー。かっこよすぎる!

自分が異物であることを認められるのは自分の作品以外にない。
そうして、くそったれな世の中につばを吐くことはできても、それを抱きしめることは作品を通してしかできない。
犯罪を犯したことの罪もフィクションの中でクリアになり、ラストの恋人の言葉には「とりかえしのつかないもの」と「それでも続く人生」の深さに涙してしまいそうになる。

そういう作家の作品に出会えると本当に生きててよかったなと思う。
自分の作家人生はおしまいだと思う小説家に、次の作品を期待して弁護士をたてる出版社と、その気持ちに打たれて、至上のフィクションを描く作家に出会えて。ほんとによかったなと思う。

というような事前情報をすべて取り除いても、純粋に楽しんで欲しい作品であります。

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2007年08月03日

天上の白い笑み 光文社 桐生典子

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恋愛というのは、はたして(芸術)なのか(日常)なのかと考えてみたくなる小説。

幼なじみの羊子と瑠璃は、男のシュミも指向性も考え方も違うのに、つきあいの長い女ともだち。
これはその対照的な恋愛についての物語。

羊子の恋愛は(ある種の芸術)のように見える。
最初に恋に墜ちるときの感情、それを昇華させる洗練された会話、行動、純粋な感情の結果としての終わり方、終わったあとの感情のくすぶり。
すべてが自分の中にわき上がるものを具現化する極上の芸術作品のようで、とてもきれい。

反して、瑠璃の恋愛は(日常の中にある)恋愛。
自分の美貌を武器にして、生活力のある男と結婚し、しっかりと生活の根ざそうとする恋愛。

価値観の違う彼女たちはお互いを認めてない。鋭い指摘をしたり反感を抱いたりもする。年齢を経て立場が違ってくるにつれと、その幅も大きくなる。
大人になってつきあっている女ともだちってそういうところがすごくあると思う。そのリアルさがとてもいいなと思う。

そうしてこの本を読むと、自分は羊子だろうか瑠璃だろうかと考えてしまう。
自分の目指す恋愛は。羊子? 瑠璃?
そうして、自分の中にその両方が住み着いていることに気づく。
羊子のように純粋に求めている反面、瑠璃のような打算をやまほど繰り返し、そのバランスは人によって違うだろうけれど、そういう相反するものが自分の心の中にあって、それを無意識に使い分けて生きている自分に気づいてしまう。

だから羊子と瑠璃は親友でいられるのだろう。

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2007年05月24日

「アキハバラ@DEEP」石田衣良

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コンピューターの人工頭脳を扱う物語なのに、人のカタチの良さが際だっている小説。
石田衣良さんのそんなところが好きです。

若者はみんなカッコわるいのに軽やか。
吃音やフリーズなど、できないことをたくさん持っているのに、自分の才能の中を自由に泳いでいる。
その才能で巨額の富を築くことだってできるのに、それ以前の「素晴らしいものを創る」ことにこだわっている。

そういう新しい若者の価値観を描いているようにして、そこに作者の芸術への真摯な姿勢が見え隠れしているし、何よりも、弱さを持った人々が新しい自分の枠を創ってゆくことを認めてくれている。

アキハバラ@DEEPを読むと、人間が好きになれる。
中途半端だけど、それでもなにかを創りたいと思う自分を好きになれる。

軽やかなのは、軽いことではない。
軽やかでいたいと思う強い意志がなければ、軽やかではいられない。

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2006年12月02日

「失われた町」三崎亜紀

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三崎亜紀さんの文章のしんとした感じがとても好きで、この作品に関しては、「おもしろい・おもしろくない」よりか「好きな文章を読み続ける」と言った感じだった。
町の消滅、それに関連する「愛する人の喪失」がテーマ。
だけども、どこか登場人物がまっすぐに「喪失感」をぶつけていないような気がしてならない。
まっすぐに「言葉にして」喪失感を言い表すと、消滅した町に取り込まれてしまう、汚染されてしまう、という状況そのままに。

だけど、それはもしかしたら、今のわたしたちの状況そのものではないだろうか。
「まっすぐな喪失感」を、この騒がしい世界でじっと持っていることをわたしたちは忘れてしまっているのかもしれない。
この世界では「喪失感」は、どれだけだって薄められるものなのだ。
忙しさに自分を忘れたり、何か他のものに転換したり、そういうふうにして、喪失感はいくらでも薄めることができる。だけども、けっしてなくならないものなのだ。
そうして、何年も何年も、それを抱えて生きていく人がこの物語の中にいる。そのことが、じわじわと心の中に広がってゆく。

ムラカミハルキの描くのとは違う喪失感が、時がたつにつれて、じわっと心の中に広がっていくような作品だ。
もしかしてら、ずっと、時間をかけて読み継がれていくようになる作品なのかもしれないとふっと思った。

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2006年10月01日

イメージのうた

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日曜日の朝、目が覚めたら雨が降っていた。
ベッドのわきのカーテンを少し開けて、静かな雨の音を聞いていた。
だいじょうぶ。
まだ誰も死んでいない。
みんなちゃんと、この世界にいる。

それからわたしは、とてもとても小さな、わたしの世界にいる人たちのことを思った。
コビトの靴屋がトカトントンするみたいに、小さいけれど大切な自分の仕事に集中し。仕事明けの朝を迎えたり、飲み過ぎた朝を迎えたり、さみしさに負けそうな毛布を抱きしめて、そのままベッドにまどろんでいたりする人たちのことを。
世界全体のかたまりのように俯瞰して眺めてみた。

もちろんこんな朝ばかりじゃなくて。
誰かを失う朝もあって、新しい命を迎える朝もあるけれど。
そういう朝は失った命を思い出し。
生まれてくる命を喜べばいい。

ただ、それだけのこと。

だいじょうぶ。

小さな「イヤなもの」の塊をわたしは持っているけれど。
今日はその塊は、胸の中で静かにしているだけ。

だいじょうぶ。
小さくて静かな世界の人々は。
今日は会えなくても、ずっとここにいる。

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2006年07月10日

「船泊まりまで」片山恭一 小学館

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美術館で絵を見て、わけもなく不安な気持ちになってしまい、金縛りのようにその絵の前から動けなくなってしまったことがあった。わざと微妙にデッサンや構図を崩すことによって、不思議な感覚を見る者に感じさせるのだという。
この小説にはそのような不安感があった。

一組の夫婦のおだやかな日常が描かれていた。
だけども。なんか変じゃないか?
生殖機能のなさを理由に前妻に離縁された男と、毎夜その男のとなりの部屋で泣き続けていた女。
そんなふたりの日常がこんなにもおだやかで淡々としているなんて・・・
女の方は子供を身ごもっていて、それは妹夫婦の子の代理母としてである。たとえ違法であったとしても、困っている妹に手をさしのべるのは自然なことであるかのようにそれを選択し、そこには何の葛藤もない。
夫婦は煙草の自動販売機が家の前にあるのを活用していくばくかのお金を稼いでいる。それが自然な経済活動であるのと同じように、代理母となることもそれと同じくらい自然であると彼等は考えているように思えてならない。
自然ではない。
それに誰も選択していないことを決断することは重責でもある。
そのことに彼等は気づいていない。あるいは想像できていない。あるいは目をつむっている。
そうして、だんだん内側からの崩壊が始まる。

それでも読後に不安定な世界にため息をつきながら、もしかして誰もがそうなんじゃないかと思った。
あまりにも簡単に選択できる世界で、わたしたちは無意識に「より合理的なもの」を選択しているじゃないか。
人間は好き嫌いで何かを選択できる生き物だ。
なのに経済効率を優先させる社会の中で、もっと簡単な公式に当てはめていろんなものを選択しているだけじゃないか。


それではカラダが内包しているほんとうの感情はどうなんだ?
というような不安をつきつけられたような作品だと思った。

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2006年03月29日

「ガール」奥田英朗さん 講談社

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30すぎOLガールの話なんて軽すぎるんじゃないかと思ってた。
誰が書いても同じこと、内容だって想像できる。
そう思っていたのに、表題作「ガール」で気絶した。
たぶん、わたしの友人の半分くらいは、自分の一番認めたくない部分を見たような気がして気絶するんじゃないかと思う。
気絶して、もう立ち上がれない状態のときに、奥田英朗さんに冷たい水を一杯いただいた感じ。
救ってくれてありがとう、そう思える作品。


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2006年01月07日

よしもとばなな「なんくるない」新潮社

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 ともだちのモモコちゃんは何年か前に離婚して、そのあと突然に沖縄のどこか遠くの島に引っ越してしまった。
 どうして沖縄? と思ったけれど、モモコちゃんにはモモコちゃんの思うところがあったのだろうし、何よりも離婚に関してはいろいろとイヤな事があって大変だったと人づてに聞いていたんで、わざわざ連絡もしなかった。
 心配はしてたけれど、心配してたのと話を聞きたいのとは違う。モモコちゃんはすごく頭のいい子で、こういう事は自分の中できっちりケリをつけるまでは話したくないだろうと思ったからだ。

 そんなモモコちゃんから、久しぶりにそっちに行くから会わない?という連絡がきた。
 わたしはモモコちゃんが用事で泊まったホテルまで会いに行って、わたしの車で遠出して、城跡の公園を散歩しながらいろんな話をした。
 沖縄で仕事を見つけて5年になるとモモコちゃんは言った。あんまり給料も高くないんだ、でも物価も安いし、野菜とか青空市場で買って自炊してるから生活していけるの。お昼だってね、いっかいウチに帰ってから食べるんだよ。
 さみしいともすごく楽しいとも言わなかったけれど、モモコちゃんはけっこう大丈夫なんじゃないかと思った。
 だから、ねえ、あんなに仲良かったのにどうして別れてしまったの? とわたしは尋ねた。
 モモコちゃんはそのことについて話してくれた。その人のことを嫌いだったわけじゃなかった。だけど、その人は別の人と愛し合うようになって、それで別れてしまったんだと言った。相手の女の人も知り合いだったの、だから、すごくショックだったんだよって。
 ほんとに大変だったんだなあ、でも、沖縄のずっと南の方の島でひとりで生活してるモモコちゃんは、わたしから見たらすごくしっかりした感じに見えて、月日がたって本当によかったなあって思った。

 島に帰ったモモコちゃんから数日してお礼のメールが届いた。こんなことが書いてあった。
 つきあってくれてありがとう、あの日、のゆきちゃんが帰ったあとホテルの下のお店で大好きなブーブクリコを飲んで寝ました。それでね、次の朝、わたし泣きながら目が覚めてしまったの。びっくりした。あの人と別れてから何度もそんなふうに泣きながら目が覚めたことがあったけど、最近はそういうことなかったから。久しぶりに話したからかもしれないね、もう大丈夫だと思ってたのにね、わたし、まだダメだったんだよね。でも、会えてよかったよ。

 ごめんね、ごめんね、モモコちゃん。
 そんなに長い年月がたっても忘れられないくらいに悲しいことだって気づけなくって。わたしだって誰かと別れて悲しい思いしたことはあったけど、いつも半年くらいで忘れられてたから、モモコちゃんもそうなんだって勝手に思ってた。ほんとに気づけなくってごめんね。
 
 ねえ、モモコちゃん。最近よしもとばななさんの「なんくるない」って短編集を読んだの。
 その中のタイトルにもなってる「なんくるない」って話がすごく好きで、何度読んでも泣いてしまうの。「なんくるない」ってたぶん沖縄の言葉なんだよね、これ、離婚した女の人が沖縄に旅行する話なんだ。
 そんな話なんて読みたくないよね、だって、わたしはこれ読むたびにモモコちゃんを思い出してしまうくらいだから、細かいところは抜きにしてもすごく似た話だろうなって思うの。きっとわたしの何倍も泣いて、何度も泣きながら目を覚ましてしまうよね。
 だから「今すぐ読んでみて!」なんてぜったいに言えないけど、もし、いつか読めるようだったら読んでみて。
 このお話の女の人はすごく悲しい思いをして離婚してしまうけど、でも読んでいるとモモコちゃんの悲しみのもとの部分がわかるような気がするの。けっして憎みあうんじゃなくて、それでも人間の成り立ちとか好きな環境とか、もともとの考え方が違うだけで一緒にいられない人って、たしかにいるんだよね。それは、憎みあうよりかずっと悲しいことかもしれないけど、それでも、そのことがわかるだけでよかったって思えるような気がするの。何っていうか、わからなかった部分がほどけていくみたいな気持ちになれるんだ。
 よしもとばななさんって、ときどき巫女みたいな言葉を持った人だって思えるの。
 その言葉は痛くてつらくって仕方ないくらいのものかもしれないけど、でも今のモモコちゃんに必要な言葉なんだってわたし思ってるの。
 ほんとに。今すぐじゃなくてもいいから、いつかぜったい読んでみて。

 そうそう、大事なこと、忘れてた。
 このお話の主人公も「桃子さん」って言う人なんだよ。

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posted by noyuki at 22:30| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月28日

「私という運命について」白石一文・角川書店

 白石一文さん、どれを読んでもけっこうおもしろい。結果、文庫で買う作家さんだったのがハードカバーで読む作家さんに昇格していった。
 この「わたしという運命について」はたぶん最新版。
 最初の恋人と別れたのちに、恋人の母親の「あなたへと繋がる運命の糸が見えていましたのに」という手紙の存在を知った主人公の亜紀。その亜紀のその後の運命についての物語だ。

 恋人とつきあうとき、どの人も運命のように思えてしまうのはわたしだけだろうか?
 他方で、運命の糸が繋がっているという他者の表現はオカルトじみたもののようにも思っているのも否定できない。
 だけども、物語の中では複雑にいろんな運命が絡み合っている。亜紀を慕う明日香はその要のような少女で、彼女をきっかけにまわりの人間の運命がいろいろと変わってゆく。そうして亜紀自身も、「煙草」をキーワードにしてまた元の運命の恋人に戻っていくことになる。
 それは、「これが運命だ」という一本の明確な筋というものではなく、複雑に絡み合って、悪い結果と考えていたものが好転したり好転したはずのものが暗転したりで。そういう絡み合った長い物語を読んで、「やはり運命というものに司られたわたし」というものを感じずにはいられなくなる。
 その淡い感触を、しっかりと胸の中に置いていってくれる作品だと思った。

***

 さて。それでもケチつけてみようのコーナーです。
 本書のすばらしさにも関わらず少々長くなりますが、ご容赦ください。

 リアリズムについて考えてみました。「半島を出よ」はリアリズムが生きている小説です。あれは固有名詞なしではおもしろさも半減することでしょう。
 だけど本書の中では、早稲田、慶応、NTT、東京電力、そういう冠を登場人物につけることによって限定されるものもあるのではないかと、ちらっと考えてしまったのです。歴史的なニュースと絡みながら物語は進んでいきます。若き頃の田中角栄さんのエピソードもでてきます。そうすることで、自分の年代と物語を重ね合わせることだってできます。

 とちゅうで、登場人物たちは久留米にラーメンを食べに行きました。
 ここで、おや、という違和感が。

> 白竜軒は久留米市街から十分ほど大牟田方面に走ったところにあった。近くには九州最大の一級河川である筑後川が流れ、店は大きな橋のたもとにたっている。(本文より引用)

 久留米から大牟田方面に走って十分で筑後川は? 福岡方面から来ると、久留米の十分手前で筑後川を渡り、そこから久留米市内に入るのです。

> (その筑後川の土手の描写で)、中略・・・太い川筋が、遠く阿蘇の山々の連なりまで大きくうねりながら伸びていくのが見えた。

 久留米市内の川から山々の連なりが見えても、それは、みのう連山で、阿蘇の山々とは別のものではなかと思われます。もし、阿蘇の山々が見えるとすれば、そこはもう大分県ではないでしょうか?


 昔、リアリズムについてこういう話を聞いたことがあります。
「たとえば、村上春樹がフォルクスワーゲンの運転席について描写したとする。その計器の位置が実際のものと違っている。それを指摘する人もいるのかもしれない。だけども、そのことが小説の質を損なうだろうか? 村上春樹の物語というフィクションの中では、フォルクスワーゲンの計器はそのように並んでいるのだから、それを指摘するのは愚かなことなのだ」と。

 その説にはいまだもって異論はありません。小説はフィクションなのだから、筑後川が久留米と反対方向に流れてたって、小説の質を損なうことはもちろんありません。むしろ、久留米という旧知の町がここに登場したことは嬉しくもあります。

 しかし、リアリズムから、ひとつの世界を描こうとした作者の意図は。
 少々損なわれたのではないかと思わないではいられません。
 そのことに関しては非常に残念だと思っています。

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posted by noyuki at 12:16| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月04日

映画「電車男」初日に見てしまった

 待ち遠しくて初日に駆けつけたというほどではない、本が気に入っていつか見たいと思っていたら、たまたま今日行けた、というくらいだった。

 はからずも泣いてしまった。隣の女の人なんか後半ほとんど泣きっぱなしだった。反対の隣の人も泣いてた。電気がついて出てきた二人連れも「なんか、泣いちゃったね〜」と言っていた。
 泣ける映画だったのだ。

 あまりにも有名な話なんで、ストーリーを書く必要もないけれど。
 オタクの感じがいい、すごくいい。2チャンネルの書き込みも最初は数人なんだけど、ひとりひとりの人生が垣間見える。

 前に本を貸したとき、「で、この話のどこが泣けるっていうの?」って聞かれた。
「最初のね。(めし、どこかたのむ)んとこでウッとなって、告白したときなんかAAの嵐でしょ? あれでまた感動するのよ」
 と言ったら、不思議そうな顔された。

 この世界に生きている人にはわかりやすく、そうでない人にはわかりづらい世界なのかもしれない。
 だけど、たとえネットになじみのない人でも、この映画で感動してくれると嬉しい。現実では会ったこともない人と繋がりあいたいというのは、幻想とか現実逃避も含んでいるかもしれないが、それでも魂の繋がりなのだ。
 ネット界の人々は、往々にして現実に弱い。
 (電車)もまたそういう男だし、現実をうまくクリアできない。
 応援するネット友も現実をクリアできない者ばかりだ。
 だけど、(電車)が現実をクリアすることを真摯に誰もが望んでいる。まるで運動会の声援のようにまっすぐに「ガンバレ」の言葉が届く。
 そうして、ガンバレが(電車)に届いたとき、その声援のあたたかさが、すべての人に還ってくる。
 おとぎ話のようなシンプルな話だ。

 ネット依存症のひとりとして、自分の居場所のにおいが伝わってくるのも嬉しい。
 この映画を見た人には、ネットもオタクも、ぜんぜん悪いばかりのものには見えないと思う。
 犯罪という側面で見られがちだったものが、ガラリと変わる1作。
 今日はひさびさに2ちゃんねるを見てみたくなった。

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posted by noyuki at 22:36| 福岡 ☁| Comment(8) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月28日

ひとりでお風呂で号泣した

有間しのぶさんの「モンキーパトロール」6巻をついに本屋で見つけて購入。
ゆっくりとお風呂で半身浴しながら読む。そういう夜は幸せだ。お給料も貰った日よりも念願の美容液を買った日よりも、ずっと幸せな自分のための時間。

長い時間をかけて、湯船で読み続けながら号泣してしまった。

壮田くんと香ちゃんが、やっとのことで結ばれた。
ふたりが柔らかく用心深くかみしめるように抱き合って、壮田くんが香ちゃんの肩越しにこらえきれずに涙を流した。
その涙を見て、本を抱きしめて号泣してしまった。

4コママンガの中のとてつもなく長い時間の中で、6巻めにして、やっとだ。
セックスでもなんでもない、ただのハグに心揺さぶられた。

はじめて通じ合える、きっかけのその日のことは、いつまでも忘れられない。
遠い昔に別れてしまった男にしろ、もう二度と会えなくて記憶から消してしまいたい男にしろ。最初の瞬間はいつも、何度も反芻したくなるほどに輝いていた。
その瞬間に立ち会えた喜びに、うち震えた。

誰にも邪魔されない、ひとりのお風呂でよかった。
思う存分号泣できるほど嬉しい気持ちになれて。ほんとうによかった。
よかったよかった。

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posted by noyuki at 22:32| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする