2004年08月30日

勝ち犬の立場から「負け犬の遠吠え」を読んでみる

「共感したよー」「もはやバイブルとなってるよ」
 と、負け犬さんたち(便宜上こういう風に呼ばせていただきます、ごめんなさい)の間で話題になっている本だという。
 やはり、読んでみるしかない、と思った。
 読んだら3日くらい脱力した。

 酒井順子さんはすごく文章のうまい方だと思う。語彙が豊富だし、文章も理論的でわかりやすい。自虐的だがヒクツでもなく、ほんとに生きる力を与える力のある方だと思う。
 だが、たまたまであるが、わたしは勝ち犬界に生息している人間だ。
 だからそれは、やはり異界のバイブルでしかなった。

 自分の立場を正当化するという作業において、他者との比較は避けられない。その他者を蔑まぬよう、傷つけぬよう、細心の注意を払って書かれているのがよくわかる。仕事ができる女、プロの仕事と言っていい作品だと思う。
 だけど、それでも、比較される他者であるわたしにとってそれは居心地のいいものではない。
 まあそれを言えば、「負け犬の人たち」というのは、わたしたちとは比較にならぬほど、比べられ、批評されてきたのだ。実際自分自身もそうしてきたかもしれないし、他人がそういう無神経な発言をするのも幾度となく聞いてきた。
 そういう意味では「自己の正当化」を非常に淡々と、明るく楽しくやってくれる良書であると言えよう。

 ずっと昔、断れないしがらみから、見合いをした。
 見合いはおうおうにして、断れないしがらみから持ち込まれるものだ。
 それを断りそびれたわけではなく、気にいってその男と結婚するに至ったのだが、はっきり言ってその道のりは平坦そのものであった。
 OKしたとたんにすべての道が用意されていた。こんなに簡単でいいものかと思ったほどだ。
 平坦でなかったのは、その後の道のりだった。
 それまでわたしは「世間の目」というものを知らなかった。勝ち犬界に築かれている確固としたヒエラルキーも知らなかった。
 それはいまだに、わたしの中の矛盾として存在しているのだが、まあ、それは別の話。
 何が言いたいかというと、勝ち犬界もまた多種多様なので、おおまかな比較対象には当てはまらないということだ。
 
 負け犬界もまたしかり、であろう。
 世の中にはさまざまな負け犬さんたちがいる。
 家庭を作り子供を産むことが国家繁栄の第一歩とされる国において、その道のりが平坦であるはずがない。
 彼女たちは自己確立において、わたしたち以上のエネルギーを使っている。だから彼女たちは自分で勝ち取ったものを持っている。その作業を行って自分自身を昇華させた女性は、内面からにじみ出る美しさを持っている。

 だからこそ、敢えて言いたい。
「負け犬の遠吠え」はバイブルとなるべき良書である。
 だが、それは負け犬のひとりひとりが、自分だけの自己を確率するための、ひとつの通過点でしかない。
 
 この本をゴールにすることなく、負け犬のみなさんには、新しくはっきりとした自分を築きあげることに精進してほしいもんです。
 
 あ、これは勝ち犬とておなじですね。
posted by noyuki at 22:45| 福岡 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月22日

「空中ブランコ」奥田英朗氏を読んだ

 奥田英朗さんの文章に最初に出会ったのは文庫のあとがきだった。
 佐藤正午氏の「カップルズ」という文庫だった。虚構と事実を混じり合わせて人を惹きつける手法に唖然とさせられ、それから奥田さんの本を本屋で見つけるたびに買うようになった。

 「空中ブランコ」と同じシリーズの「イン・ザ・プール」は中でもお気に入りだった。軽いタッチで「変な精神科医」を描いてゆく。だけど個人的には好きだけど大ヒットするような作品ではないなという気がした。伊良部という医師は愛すべき変人であったけれど、変人ぶりが弱いような気がしていた。
 「空中ブランコ」になってから、その変人ぶりがどんどん育っていって、その良さもその中からどんどん滲みでているように思えた。
 作者がゼロから作り上げた人物が、小説の中で育ち、ひとり歩きしていくさまを見るようであった。
 
 「義父のヅラ」がおもしろい。声を出して笑える箇所が随所にある。ネタバレするとつまんないんで、ここでは書きませんが・・・
 
 それと読みながら「マユミちゃんをもっと出せー」とずっと心で叫んでいた。表題作の「空中ブランコ」で一気にマユミちゃんのファンになってしまったのだ。
 ラストの「女流作家」でマユミちゃんは少し多めに登場する。
 そして、大事なことをサラリと言ってくれる。わたしはその言葉の重さに感動して泣いてしまった。

 看護婦のマユミちゃんは、いまだに謎に包まれている。
 だが、伊良部医師と同様、非常にエキセントリックなキャラだ。
 今度はぜひ、マユミちゃんを主人公にして1本書いていただきたいものです。 
posted by noyuki at 22:33| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月18日

石原慎太郎選考委員は、はたしてモブ・ノリオ氏を完読したのか?

 仕事先で、本好きのお客さんと立ち話。最近読んだ本をいろいろ述べながら、最後にたどり着いた話題がこれだった。

[ 石原慎太郎選考委員は、はたしてモブ・ノリオ氏を完読したのか?]

 モブ・ノリオ氏の文章はラップなのだという。ああ、そう言えばラップだ。
 わたしはけっしてラップが嫌いではない。カラオケでオレンジレンジの「ロコローション」を歌うくらいだから、若者ほど身体に染みついてはいないとしても嫌いな部類じゃないと思う。
 だけども、文章で読むのはつらかった。一生懸命読んだけど完読できなかった。文章の相性が悪かったのだろう。

「でも、選考委員って、やっぱりすごい仕事なんですよね。相性の悪い文章だってあるのに、全部読んでるなんて、すごいと思うな」
「今回は、石原慎太郎さんの選評がいちばんマトモに見えたよね。いつもはそう思えないんだけど、うーん、その通りだなーって思いましたよ」
 毎回賞の発表ごとに文藝春秋読んでる方ならご存じの石原慎太郎氏の酷評! きっと志が高いのだろう。どんなに感銘を受ける文章でも氏にかかれば、子供の戯言。実はそれがおもしろくて必ず読むのだけど・・・
「でも、全部読まないと、あんなにはっきりと酷評できないですよね。やっぱり完読してんだ、すごいなー、と思いましたよ」
「うーん・・・どうかなー。わたしは読んでないって思う」
「え?」
「読んでなくても、書けるような気がしない?」
 そこでタイムアウトで詳しく聞けなかった。残念である。

 読めない文章って、わたしにはけっこうある。
 逆に自分好みの文章だったらいつまでも読んでいたい、筋なんかなくってもいい、終わらなくてもいい、とにかくずっと読んでいたい。
 きっと、わたしのようなのは文章フェチというのだろう。

 それにしても。
 石原慎太郎選考委員は、ほんとうにモブ・ノリオ氏を完読したのか?

 万一読んでないとして、あれだけ書けたらそれはそれですごいとも思う。
 今日の謎は、けっして解けることのない謎だなーと思った。
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2004年08月17日

「High and dry はつ恋」吉本ばなな、いいね。

 号泣するような小説(最近なら、せかちゅーですね)もいいけど、自分に重ね合わせて、じんわりとまぶたが熱くなるような小説もいいなと思う。
 次はどうなるんだろうと止まらなく読んでしまう小説もいいけれど、何度も立ち止まってため息をつき、まだ読み終わりたくないなと思う小説もいいなと思う。
 吉本ばななの初恋はそんな小説だ。

 ばななさんは、人の見えないものが見える人なのだと思う。
 それは、おおげさな言い方をすれば、自然や世界や空や植物そして人間の持っている魂の動きのようなものだ。
 それが一貫してあるのに、うまくそれが物語になるときと、ならないときがある。
 だから、一回読んで「ばななさん、もうダメだな」なんて思わない方がいい。
 起伏はあるかもしれないが、それがすごい力を発揮する小説になるときがある。ああ、この人と出会えてよかったなと、本気で思える。

 前回は「からだはみんな知っている」だった。
 そして、この「High and dry はつ恋」。
 
 はつ恋でなくとも、恋はいつもお互いにしか見えないものによって結ばれている。
 だけども、現実ではそれはなかなか完璧な結ばれ方をしてくれない。
 それは、その魂以外のいろんなものを望んでしまうからだ。約束であったり、安心であったり、妥協であったり。そんなものが、いつも純粋なシンクロの喜びを妨げてしまう。

 まだほんとうの初恋を知らぬ少女たちにぜひ読んでほしい。
 はつ恋は、ここに書いてあるほどの完璧な関係ではないかもしれないが。それでも、そんな気持ちになれる瞬間が誰にでもある。
 
 そうして、その完璧な関係を杞憂などによって汚してしまうわたしも。
 自戒をこめて、もう一度読み直してみたい。
posted by noyuki at 22:51| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月08日

「久留米競輪 中野カップ」で児玉広志選手を見る

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「自分の息子に言うように、声かけてるんだよ」
 同行の友人Sが、そう解説した。
「こらー、○○、ちゃんと走らんかあ!」(いや、レースですから、一生懸命走ってるって・・・)
「はよ、先頭出ろー、出るの遅いぞー!」(だから、出ようとしてるって・・・)
 そして、レース終了。
「よーがんばった、がんばったぞー」と、惜しみのない拍手。
 その純粋な応援にまず面食らった。

 最終コーナーの金網にはりついているわたしたちに、隣のおじさんが親しげに声かける。
「次のレースはこれが出るね、こいつとこいつは同郷だし、地元やから・・・」
 わたしは、あわてて出走表を見る。隣の友人は競輪に詳しいんで、おじさんに相づちを打つ。
「あ、この選手、お兄ちゃんの方は知り合いです」
「おお、そうね、おれは、こいつの父ちゃんと同じ会社や。母ちゃんも知っとる。今はあんまりよくないけど・・・こっちの方が来るね」
 なるほど。家族、もしくは町内会。ちょっとした繋がりでも、まるで身内のように暖かい目で見る。
 オヤヂという人種のやることはよくわからないと思っていた。だが、まっすぐな人ばかりではないか。

 目当ては、10レースの児玉広志選手。
 熱心なファンサイトのページを見て、選手の人柄を見るうちに、いつか応援してみたいと思うようになった。
 競輪を見るのも、車券を買うのも今日がはじめてである。
 児玉選手をいくつか買い、同行の友人の知り合いであるという久留米の選手も何枚か買ってみた。
 スタート地点の前に陣取り、金網に張り付く。
「児玉!」「児玉! 」と、声が上がった。それに押されて、わたしも声を上げる。
「児玉選手、がんばれ!」
 息子に対するように、というわけにはいかないので、片思いの人の背中をぽんと叩くように声をかけた。
 
 児玉選手はピンクの8番。
 小柄ではあるが、太腿が異様に大きい。
 表情まではわからないが、ゆっくりと伸びをする姿が印象的であった。

 レースのかけひきというのはよくはわからなかったし。
 あと1周あるのではないか、と思っているうちに終わっていた。結果は芳しくなかった。
「ああ、いつ終わったか、わからんやったー」
 と言ったら、隣の男性が頷いた。
 初心者まるだしの女性に同情したのかもしれないし、自分も同じような気持ちだったのかもしれない。
 だが、見知らぬ人とこんなに近しくなれる場所は悪くないなと思った。

 毎日生きていて、自分のことばかりを考えている。
 もちろん家族のことも考えるし、友人のことも考えるけれど。
 多くの場合、それは、自分が満たされるための過程としてだ。

 競輪選手というのはハードな稼業だろうが。幸せな人かもしれないと思った。
 まるで自分の血の繋がった息子のように、遠慮のないまっすぐな応援をしてくれる。走る姿やそのレース運びを、褒めるだけでなく、叱咤し激励してくれる。

 そして、自分の友人のように、また自分の恋人のように、その勇姿を追いかける人々もまた、全国のいたるところにいるのだろう。
posted by noyuki at 22:52| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月07日

モンキーパトロール 5 (有馬しのぶ)

 モンパトを読むと、必ず真理を感じる言葉にぶち当たり、神聖な気持ちになってしまう。
 ただ、恋をしたり別れたりしてるだけなんだけどなあ・・・

 わたし自身の性格はヤイチそのもの。剛毛じゃないけど、オヤジ入ってるし。
 友人のすぎさんは香(コウ)ちゃんそっくり。独身で堅実で・・・男の趣味は・・・どうだろ?
 すずと同じキャラの友人はいない。あんなフェロモン女なのに、片づけ下手で。一緒にいたら迷惑だろうな・・・

 忙しくて大好きな男の誘いを断っってしまった香ちゃんは、それがたいしたことではないと知ってこう言う。
「忙しくって、男の誘い断ったって、天罰はくだらないんだ・・・」
 人生を感じさせる言葉ではないか。
 恋をしている女にとって、忙しいことを理由に誘いを断るのはこれほどのことなのだ。
「忙しい」を水戸黄門の印籠のように使う男どもに、心して読んで欲しい。
 いや、これは、永遠の課題なんで、どっちが正しいとはいちがいに言えないんだけど。とにかく、そんな女は確実にいるってことです。

 そういうわけで、わたしのモンパトチェックはまだまだ続きます。
 あ、Sさん、そういうことなんで、今度借りにきてね > 私信。
posted by noyuki at 22:41| 福岡 ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月30日

今日も読書 石田衣良 「娼年」

 たとえば朝30分時間があって、読みかけの本が30ページ残っていたとする。
 その30分で最後まで読んでしまおうと思う本と、帰ってきて眠る前までとっておこうと思う本と、わたしの場合二通りである。
 石田衣良の場合は前者だ。続きが気になって、このテンションのまま読んでいきたいと思う作家だ。

 前回の「池袋ウェストゲートパーク」に続いて「娼年」を読んだ。
 題名で損してるなと思った。男娼の話だと一見してわかるからだ。あ、でも、男娼の話が読みたい人なら買うだろう。わたしの場合はちょっと迷ったけど。

 まあ予想どおりのテーマではあった。男娼がでてきて、いろんな指向性のある客に出会う。だけどどの人物にも人生があって、ああ、こんな考え方でこういう風になるのかと納得させられる。ほんと、すごく引き込まれるなあ・・
 同じ男娼のアズマや、ここのクラブのオーナーなどもすごくいいし、性描写もリアルだった。
 ラストに向けて、ストリーもどんどん展開してゆく。
 だから最後の30ページを取っておくことができないのだ。
 
 友達が少ないわたしは、少しでもいい友達が欲しい。
「作家」という心の通わせられる心の友をいつも探している。
 石田衣良は、心の友にもなれる人かもしれない。
 だけど、わたしにとってというよりか、100人のうちの90人くらいは友だちにしてしまうパワーのある人なのだと思う。
 ほんとは100人のうち5人くらいが友達になれるような作家も好きなのだけれど。

 とてもよくて、読後の満足感も大きい、エンタティメントの王道をがんがん見せてくれる。
「スターウォーズ」を見た後の満足感に似ているな、と思った。

 話は違うけど、映画ってのは、100人のうちに何人を友達にできるかどうかってのが大きな尺度になっているような気がする。
 全米興行収入第1位、なんてね。
 あ、でも、そうじゃない映画も、もちろんあるか。

 この次は、100人のうち10人くらいが友達になりたいような作家さんを読んでみたいな。
posted by noyuki at 22:13| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月27日

「反自殺クラブ」池袋ウェストゲートパークV 石田衣良 オール読物8月号

 ハードカバーで読みたい作家と、雑誌で読みたい作家がいる。
 石田衣良は圧倒的に雑誌で読みたい作家だ。
 読み捨てていきたいという意味ではない、その時流の勢いと軽さが雑誌向きで、「オール読み物」ぱらぱらしながら読むという感じがいい。

 8号に掲載されていた「反自殺クラブ」マジでおもしろかった。
 「自殺に反対するクラブ」というと、もう内容的にこれは読まないな、と思う方もいるかもしれない。だけど説教臭さがなくて、物語の中に一気に引き込まれてしまう。
 果物屋の店番をするトラブルシューターが事件に巻き込まれ、そして解決してゆく。そういう定石を踏まえながら、自殺VS反自殺という重いテーマを、両方のサイドから描いていく筆力には感動してしまった。

 わたしは「雑誌で読む作家」と言ったけれど、慌てなくてもあとでちゃんと出版されると思いますが。これを見て読んでみたい方は、即書店にGO!です。
 「オール読み物」8月号。

 と、褒めるばかりではいけないんで、何か批判を・・・
 と思ったが・・・言っていいかなあ・・・
 石田衣良にももちろん嫌いなところはある。
 これは文学批評上禁じ手かもしれないが、おもいきって言ってみよう!

・・・わたしは石田衣良の髪型が個人的には嫌いです。
posted by noyuki at 21:56| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月12日

映画「ジャンプ」を見る

「ジャンプ」 原作 佐藤正午  監督  竹下 昌男

注 * 色々ネタバレがありますので、これから映画を見たい方は、ご了承の上ご覧ください。

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2004年06月30日

思いわずらうことなく愉しく生きよ > 江國香織

 短編の多い江國香織の小説の中で、とてもめずらしい(?)長編小説。

 ちゃんとストーリーもあるのだが、どっちかというとホームドラマのような連続もので、じょじょに話は進んでいくうちに、いつのまにか最終回になってしまったという印象。

 というと、けなしているようですね。いえ、けっしてそういうつもりではありません。

 江國香織というのは、雰囲気を味わうための作家だと思う。
 表現の美しさや、生き方に関わるほどの含蓄を含む軽やかな台詞。そういうものを楽しんで、心地よい気持ちになり、ああ、読んでよかったなあと思う作家。
 だから、ストーリーはあるのだけれど、どうでもいいと言えばいいのだ。
 むしろ、家族や娘たちの考え方というものがよくわかって、それだけでいいというか・・・

 昔、角川文庫で量産されていた「片岡義男」の小説を読みふけった方なら、その感じがわかるのではないだろうか。
 
 得るものが違うだけで、それによって何かが損なわれているわけではないけれど。
 人によっては、こんなの許せない、と思う方もいるのかも知れない。だけど、考え方や思いを文章にするのは、奇想天外なストーリーを作るよりも、ある意味、愉しい確信に満ちた作業
と言えるかもしれない。

 「思いわずらうことなく愉しく生きよ」というタイトルは気に入ってます。
 こんなタイトルの本が本棚にあるだけで、ちょっといい気持ちになれます。

 
posted by noyuki at 21:50| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月27日

泣きながら一気に読みました > 一瞬の光

 夜の12時すぎまで読んでそのまま寝て、朝7時に目覚めてまた続きを読み、そのまま午前中に読了。
 その間、何度も何度も泣いてしまった。

 どうもわたしは、「嫌われているわけではないのに、ただならぬ状況の中で違う女の方が選ばれることになって、そのまま捨てられてしまう女」というのに弱いようである。当然ミスチルの桜井くんの前の奥さんにはかなり共感を抱いた方。

 もちろん、捨てられた女はあくまで脇役で、もっといろんな話が織りまざっているのだけれど。
 別れの際に発する台詞というのは、別れる方も捨てられる方も究極のきわみまでいっていて、そういうのに感じいってしまうのかも・・・あるいはトラウマ?

 白石一文さん。恋愛小説の名手ということだったけれど。
 もっと人間の深いところをさりげなくたくさん描いているような気がした。

 
posted by noyuki at 21:29| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする