2024年04月13日

短歌note

誘われて短歌の会に行くのも批評したりされたりも結局無理だったけれど、思いついてスマホの「ジャーナル」に短歌を書くという、ちょっとした楽しみだけは残りました。
自由に思いつきで書いた分。
そんなのが少し溜まってきたので、書いておきます。

以前アップしたり、見たことあるのが出てくるのは「本人がどれをアップしたか覚えてない」のと、「てにをは」をあとで変えたりしたからです。

では、いきます。


********


仕事終え夕餉を食べて風呂すましTikTokのホストクラブへ

迷ったら両方買うのと友が言うそうだね後悔よりも贅沢

けしけしの山の紅葉が赤く燃ゆあの人の骨はそこにあるのか

今生のあかしをスマホにおさめよとささやく桜と共に映ろう

ロゴスへと変わるパトスも見当たらぬおだやかすぎるわが胸の凪

天空を三日月の爪でひっかいて赤き血も流さぬ薄墨の空

水仙のラッパがファンファーレを鳴らし今この庭に春が来たかも

なごなしに逝かないかんて思うけんいつものとおりの日々を生きよう

ひとりにて豪奢なランチを食べる日は亡き母天より料理をのぞく

ネットではガチ勢日々の推し活を誰にも喋らず仕事にいそしむ

庭仕舞い今年こそはと見上げると斬られてなるかと木蓮の花咲く

あの山のハゲ散らかしてるところにはきっと桜の花があるはず

菜の花の蛍光色でいっぱいの彼岸の土手より友が手を振る

厳寒の夜に靴下履き眠り朝の布団に残骸さがす

帰社時間五感と真摯に向き合いて食べたいものを身体に尋ねる

へたれるとモノクロームになってゆく心の冬あけ世界が色づく

寝ながらに楽にテレビが見れるねと介護ベッドにはじめて寝る君



けっこういろいろ溜まってました。
きれいな空をインスタにアップするのと似ています。
また溜まったら、ここに書きます。



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2023年07月29日

サイゼリアのミラノ風ドリア

 人は、他の人と関係を持ちながら生きているので、死ぬと、自分の意志と関係なく理不尽にその関係性が終わってしまう。
 その、理不尽さや唐突さになんとか理由をつけて納得しようと思うのだが、理由をつけてもさみしいものはさみしい。
 そしてそのさみしさはだんだん小さくなっていくように見えて、ある日唐突に、嵐のようにやってきてしまうのだ。

 母が亡くなってしばらくして、ひとりでサイゼリヤに行った日に、恥ずかしいほどに泣いてしまった。
 外食が好きな母は「サイゼリヤのミラノ風ドリアを食べたい」「わたしはドリアが大好き」とよく言っていた。
 時間の余裕があれば連れていくし、面倒で他のお店を提案することもあった。
 サイゼリヤはショッピングモールの2階にあるので、駐車場からの移動など足の悪い母を連れていくには、けっこう神経使ったからだ。

 そもそも子供連れが多いショッピングモールがわたしは苦手だ。
 だが今日は、どうしても額装したいポスターがあってニトリの額縁を見に行きたかった。複数のポスター並べるために、色合いや大きさを見て、おおまかなレイアウトを決めた。
 もう一度家に帰ってポスターの配置を決めよう。
 そこまで決めて、ショッピングモールの用事は終わった。

 そしてランチ。せっかく来たんだからサイゼリヤに入ることにした。
 「あ、母も来たかっただろうな」
 そう思ったら、注文紙を手渡したあとに涙が出てしまった。
 「こんなに安いのにすごいね、おいしいね。せっかくだからデザートもいっぱい食べよう! のゆきは若いからデザートふたつ食べるといいよ」
 食べることに貪欲で、いつも目を輝かせていた母を思い出した。

 ドリアではなくてハンバーグとフォカッチャを注文したけれど。
 おかしいんじゃないんだろうか?
 悲しいとか、そういう感情もなくただただ、涙があふれてくるのだ。
 なぜだかわからない。
 食べながらも涙があふれてくる。
 足の悪い母にペースをあわせることに神経使っていたのに。
 もう、そうじゃなくて、ひとりで好きに歩いていいのだと思っても、なぜだか涙があふれてくる。
 当然だが、泣きながら食べても、おいしくはなかった。

 となりの席には小さな赤ん坊を連れた夫婦がいて、夫婦は8ヶ月くらいの小さな女の子を交代で抱っこしながら食事をしていた。
 ときに女の子はぐずり、ご主人が外に連れていってるあいだに奥さんが食べたり。大変そうだなあ、でも外食はしたい。その気持ちはなんとなくわかった。
 
 わたしはもともと外食はひとりが多いので、母以外の誰かとサイゼリアに行くことなんてないのかもしれない。
 
 そんなことを考えながら、家族連れの中の女の子を見たら、ふっと目があった。
 小さく笑いかけると、その女の子は、手をバタバタさせて笑いかえしてくれた。
 びっくり!
 「すごい! おりこうさんね!」
 隣から声をかけると、また、その言葉に反応して、手をバタバタさせて笑いかけた。
 抱っこしていたお父さんが「ああ、ありがとうございます」と言ってくれたので、調子に乗って何度も笑いかけると、女の子はなんども笑い返してくれた。
 「すごいね、感動してしまう!」
 この子は何を知って、何を伝えるために、こんなに笑い返してくれるんだろうか?

 お母さんは女の子の機嫌のいい時間ができてほっとしたように見えた。その時間に、少しゆったりした気分で外食を楽しめた様子だった。

 「ねえ。ドリアくらいなら、食べさせても大丈夫かな?」
 とお母さん。
 「柔らかいから大丈夫と思うよ」
 お父さんが答える。
 言葉の意味がわかるんだろうか?
 女の子が、テーブルの方に身を乗り出す。
 お母さんが、もう熱くないはずのドリアを、スプーン3分の1くらい女の子の口に入れてくれた。
 目を丸くして、また両手をバタバタした!
 よほどおいしかったんだろう。
 ふたくち目をねだって、ずっと両手をバタバタさせている。
 また口に入れてもらって、何度も何度もおねだりして。

 そうして女の子は、誇らしげにわたしの方に笑いかけた。

 世界がどんなふうに成り立って、どういう理由でこういうことが起こるのか、わたしにはわからない。わたしはミラノ風ドリアは注文しないし。輪廻も憑依も信じない。
 それでも、世界には物語が溢れている。

 わたしは、理由もわからずそれを書き記し、そして書き記すことで、このさみしさを、少しずつ忘れていけるんだろう。

 おかげで、ひとりでメソメソしていたわたしもすっかり泣き止んで。

 さて、と、デザートのティラミスのために、注文ボタンを押した。
 



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2023年06月18日

西の魔女との毎日

「西の魔女」が不自由な身体から脱出して、タマシイがわたしのまわりをふわふわしているのは知っていた。
「知っていた」というのも変だが、ペンやメモ帳など「いつも使い慣れているものがなくなってしったり、ポトリと落ちてしまうから。ああ、いたずらしてんだな」と思っていた。
「わたし、どこにも行ってないよ、ここにいるよ」
それが西の魔女のメッセージを受け止めていたし、怖いとか悲しいとかもなかった。そして、なによりも、後悔もなかった。
西の魔女は、今はわたしの近くにいてくれる、そう思うのは、ちょっとした安心感でもあったけれど、きっと誰も信じてくれないので、兄にも誰にも教えてあげなかった。

西の魔女の姉妹がいうには「魔女は、ここ数年は性格が変わったように楽しく生きていた」そうだ。
「悪い人じゃなかったけれど、ぴしっとしてたよね。でも。だんだんそうじゃなくなってきた。ここ2年くらいはすごく楽しそうだったよね」。
家の近くに「デイサービス」なるものができて、自費利用でそこに通っていた。
そこはギャルメイクの女の子や、髪をポニーテールにした男の子がスタッフで、運動をしたり、みんなでドライブに行ったり、友達を作ったりしてた。
「ぴしゃっとしていなくて心地よくって、いい具合のバラけてる世界」を西の魔女が愛していたんだなと思った。

その日の夜、わたしは「ふっと思いついて」 ムスメとふたりで夜に山道に蛍を見に行った。
何度か道に迷った。真っ暗な狭い山道をなんどかUターンした。そしてようやく蛍のいる公園。真っ暗な川の中洲の木々にたどり着いた。
木々には蛍が点滅してた。天然のクリスマスツリー。
ああ、きれいだなあ、そう言ったら、遠くで「ほんと、きれいよね」と聞こえたような気がした。

わたしは、毎日車をドライブしていろんなところに行った。
知らないお店で高いシュークリームを買ってみたり。
魔女とよく通ったカフェに「いつものメニュー」を食べに行ったり。
山沿いの雑貨ショップで無駄買いしてみたり。
家にいるのがもったいないみたいに、ほんとにいろんなところにドライブをした。
おいしいものを食べること、知らないところをドライブしてみること。
西の魔女が大好きだったことを「ねえ、もっとやろうよ」と袖をひっぱられるようにして、わたしは続けた。

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山奥のお寺まで紫陽花も見にいった。
以前に西の魔女と来たことがあるけれど、足の悪い魔女は傾斜を歩くことができず、そのときは駐車場から全景を眺めたのみだった。

不自由な身体から自由になった西の魔女は、山奥も蛍の里もどんどん自由に飛び回る。
そして喜ぶ。
わたしは改めて、身体以上に自由だった、西の魔女のタマシイを感じている。




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※ 6月8日。それまで元気だったハハが急逝しました。わたしはとくに後悔することもなく、今もまだハハの魂と遊んでいる気分です。
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2020年12月27日

わたしにはノワールがある


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仕事で定期的に話す人がいて、いつもわたしにこう言ってくれる。
「会うといつも笑顔くれるよね、人にあげすぎて、なくならない?」
仕事なんだから少々のことでなくならない、と思ってたけれど、ある日、ふっとこう思った。
元気とか笑顔とかソトヅラとか、意外となくならない。
「わたしにはノワールがあるから」。

振り返ると厨ニ病が長かった。
もう、今となれば説明するのもむつかしいんだけど、他人との距離感がわからないし、いろんなことに傷ついた。
自己肯定力むっちゃ低くて、そういう女友達4人とネットでつるんでいた。
こういう考え方は間違えているとか、こういう理屈で動くと人は嫌な方向に行くとか、こういう人のこういう考えによって自分は傷つくとかそういうことばかり話してた。毎晩のように。
そして、そういうことに傷つくグループには、もちろん共通点があった。
自分が認められないという経験をなんらかの形でしているということ。
腑に落ちないひどい人生経験があったり、本人にしかわからない疎外感やトラウマがあったり。もっと遡って小さい頃の孤独感が強かったり感情的な成長がいびつだったり遅かったり。

家庭環境もあっただろうし、環境だけでは説明のつかない「生まれついてのもの」もあったのかもしれない。
そのときに夜ごとに並べ立てた絶対的な孤独と不条理を、わたしたちは、いつのまにか乗り越えられた。
約4年間の毎夜の繰り言を経て、もう語らなくても、生きていけるような気持ちになった。
「もういつ死んでもいいと思ってたのに、わたしはもう大丈夫」と遅い結婚を決めた友人が書き込んだときは、ディスプレイに向かって号泣したくらいだ。

あのときの、ノワールをいつまでも大事にしている。
あのときの真っ黒いわたしたちを記憶しておきたくて、ちっとも進まないノワール小説をずっと描いている。
ちっとも進まないけれど、少しずつ、何年も連作短編で書いている。
書いていないときも、頭の中でプロットを少しだけ積み上げている。
わたしの中に時々現れる「真っ黒い感情とやりきれないもの」は、自動的に「頭の中のノワールの小箱」にどんどん放り込まれる。

小箱にあるのは「真っ黒い感情」だけではなくって。
エロとか、セックスやエロい感情が引き起こす、まちがったパワーバランスとか、過剰に被虐的なものとか露出とか羞恥シチュエーションとか。
あ、そのほかにも「加齢でなくしていったもの」とか「彼岸に渡った友人との答えのでないやりとり」とか、とりあえず黒いものがどんどん入っていく。

ある日気づいた。
ノワールの小箱があるから生きていける。
ここに、愛してるものがたくさん入っている。
誰から見ても、うっとおしくてヤバくて、日々の生活の中で口にだすこともないけれど。

心の中のノワールを大事にしていると、案外「なにごともないようにふつうに」生きていけるものだ。


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2020年04月30日

#メシモノガタリ


水彩色鉛筆。あいかわらず、ちょっと強めに描くところの加減がわかりません。




外食のことばかり考えている。
ずっとずっと外食をしていない。
自宅時間が長いので、家では時間をかけたものを食べることもできる。
今日はアヒージョを作った。でも、それとこれとは別。外食が恋しくてたまらない。いつも「そろそろおいしいものを食べたいなあ」という頃合いで「彼女」が電話やショートメッセージをくれたのだが。

なんで、彼女は最近誘ってくれないんだろう?

「彼女」は語学スクールの先生をしていて、第5週は授業が休みになった。
わたしは金曜日が定休日なので、第5週の金曜日がある月にわたしたちは集まるのだ。「5金(ゴキンの会)」と名付け、数人の友人を誘って、ゆったりしたレストランを彼女が選んだ。
坂と木に囲まれたイタリア料理だったり、隠れ家のような古いマンションの一室にのお店だったり、石窯のあるピザ店だったり。
どこからこんなおいしいお店見つけてくるんだろう?というような素敵な店を見つける才覚は、わたしたちのグループの中には彼女にしかなかった。

不要不急の外出はできないとはいえ「落ち着いたら○○にご一緒しませんか?」的なメールが来ればいいなとずっとずっと思っている。

4種類のチーズの上に蜂蜜をかけるピザ「クアトロフォルマッジ」がずっと頭から離れない。

その店は、駅から降りて10分ほど歩いたところにあった。
生ハムやオリーブの実やサラダやローストしたお肉、数種類のピザをさんざん食べつくす。
そして最後注文するのがクアトロフォルマッジだった。
焼き上がるとわたしたちは歓声をあげる。
本当に!夢のように素敵な味!とろけたチーズに甘いはちみつが絡まる。
石窯で焼いたばかりの生地はほかほかしてて、本当に幸せな気分にさせてくれた。
お互いの仕事の愚痴をほどよく吐きながら、政治的なスタンスをほどよく告白しながら、わたしたちの外食は、完璧に完璧で、まるで夢のようだった。
たくさん笑って、たくさんおいしいものを食べて。
人生の折り目折り目に、そういう時間はぜったいに必要なのだとわたしは信じていた。

なのに。Googlemapを探してみても、あのピザ店の名前が思い出せない。

少し複雑な路地だった。彼女が先導してくれて、わたしは場所もはっきり覚えてなくて。もう一度行こうと思っても、どうしても思い出せなくなってしまっていた。
彼女がピザのお店まであちらに持っていってしまったのだろうか?

彼女はもういない。
旅行中の不慮の事故でなくなった。妹さんがバタバタで手続きして、すべてが終わったあとに、最後にメールを交わした友人のところに連絡が入った。
私はつい、そのことを忘れてしまう。
あまりにも現実感のない話。
本当にあった話じゃなくて、何らかの事情で嘘をつかれてるんじゃないかとさえ思ってしまう。
それでも彼女はやはりもういないのだ。
ショートメッセージは二度と来ない。
いつまでも彼女が瀟洒なお店を教えてくれるわけじゃない。
楽しい時間を過ごしたければ、わたしが自分で探して、自分で計画しなければいけなくなってしまったのだ。

菜の花の黄色一色に染まった、河沿いの道を車で走りながら、向こう岸にいる彼女のことを思い出す。
彼女はいつも言ってってくれる。

「元気? いつかまた会えたら、おいしいものをごいっしょしましょう」


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2019年06月16日

LoveHotel


仕事でよく訪問する事務所がラブホテル街の中にある。ほぼ毎週のように車で向かう。
そして、ほぼ毎回、ホテルから出てくる車とすれちがう。

いろんなホテルがあるけれど、いろんな人が利用してるんだな。車で入れるモーテルタイプの中をのぞいてみると、車がたくさん停まっているではないか。
そして、車の運転が乱暴でも恥ずかしげでもなく、ふつうに人の出入りがあるということも小さな驚きだった。道路が片側工事中だったら、こちらが通りすぎるまで待っててくれるし。

平日の昼間のラブホは意外にも年齢の高いカップルが多い。50台前後? 
車の中に見えるカップルをチラ見して、そうか、そうなんだなと納得する。

わたしは、10年以上前のライブハウスの夜のことを思い出していた。

その夜、彼の住む町の小さな店で音楽ライブを聞いた。ギターとバイオリンのアンサンブル。スピーディな演奏に心が気持ちよく踊った。
隣の席にいたのは、わたしたちよりも10歳〜20歳は年上の中年の男女。とても頃合いよくこちらに話しかけてくれる。
「飲み物、注文した?」とか「あ、もうすぐ始まるよね」とか「すごいね、いい曲ね!」とか。小さな店内に似合うフラットな雰囲気が心地よく広がり、ライブの最中もわたしたちはお互いに演奏の心地よさを喜びあったり歓声をあげたりして一緒に過ごした。

ところが、この2人はアンコールに入るタイミングで時計を見てそそくさと店内を出ていった。
「またね」スマートにそう言いながらも時間を急ぐ。マダムというわけではないがこぎれいな「働く奥さん」的な女性と、やはり高級はないもののこぎれいなスーツの男性。終電にはまだずいぶん早い。

「これからラブホに行って、それからお互いの家に帰るんだな」なんとなくだけどわたしはそう思った。

ライブのアンコールまで聞いて、わたしと彼は遅い電車に乗った。かなりの雨が降った夜だった。雨粒の滴ったビニル傘が彼とわたしの膝がくっつくのを邪魔していた。

わたしたちはあと10年たっても、あの2人のように恋人でいられるだろうか? ライブのアンコールを省いて、時間を気にしながらもセックスに夢中になれるだろうか? 
そうなれればいい。この人とそういうふうになれたらいい。わたしは電車の中の振動で身体をくっつけながらそういうふうに思っていた。そのときわたしはそれくらいに彼のことが好きだったのだ。

10年後のわたしたちはそうはならなかった。

決定的な何かがあったわけでじゃないし、まったく連絡の取れない場所にいるわけではなく、ただただ疎遠になっていった。
いや、自分が意識的に疎遠にしていったという自覚はある。もう、話さなくていい、会わなくていい、電話で話す必要もない。

誰が悪いわけではない。わたしの中のいろんなものが抜け落ちていったのだ。

愛情だけではない。身体の中から湧き上がるものとか、受け入れるものとか、そういうものがすべてストンとなくなってしまったのだ。
「容れ物」それ自体がなくなってしまって、もうそこに「彼」の入る場所がなくなってしまった。

自分でも驚きだった。もう、愕然とするほど、自分のコンテンツがなくなってしまったことを「彼」によってわたしは知った。
時間がたつとはこういうことだ。年齢を重ねるということはそういうことだ。
わたしはこれからこういうふうに「容れ物のない自分」を生きていくのだ。そう実感した。

それは自分にとってはすごく衝撃的な出来事あったけれど、今になっては「それも悪いことじゃないな」とは思っている。「自分の容れ物がない」ということは「人を自分の中に入れなくてもいい」ということである。
それによって受け取る「甘美」もないが、受けとる「傷」もないのだ。

最近、わたしは「人を憎むことが少なくなってきた」ような気がしている。


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posted by noyuki at 11:40| 福岡 ☁| Comment(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月09日

彼岸のさくら

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「春がきらいな人って、死ぬのがこわい人なんだよねー」

彼女がそう言った。
「まるで占いのように、信ぴょう性のない言葉だ」とわたしは思う。
でもそんな彼女の言い方が嫌というわけではなく、いつもと同じようにふんわりしてて「ああ、なつかしいな」とも思った。

わたしは昔から春がきらいだった。

空気の悪そうな春霞も、つぎつぎに花粉を撒き散らす木々も、年度末や春休みや環境の変化で慌ただしくなる道路事情も、若い頃からずっと嫌いだった。
入学式に胸踊る子供ではなかったということもあるのかもしれない。
そしてもちろん小さい頃から「死ぬのがこわい」子供だった。
でも、そんなのは血液型占いと同じくらいの確率で誰に対してもあてはまる言葉だと思う。

「春の花って光って見えるんだよねー」彼女は続けた。
「桜もでしょ、菜の花もよ、それからつつじも藤もハナミズキも、みーんな、川の向こうから光ってみえるんだよ。のゆきさん。ほんとにこちらからみーんな見えてるの。春ってほんとにきれいだよー」

彼岸に旅立って数年たつのに、彼女のそんな話し方がなつかしくなって、時々さみしくなることがある。
彼女がそう言った気がして、わたしは花の下に立ち止まった。

そうか。見てくれてるんだね、みんな。
先に行って待っててくれる人たちがたくさんいるようになったから。
わたしは最近、そこまで怖がりじゃなくなった。

のいちゃんの見てる「ひかるさくら」をいつかいっしょに見ようとおもうよ。


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2017年06月28日

戦場のパーティ


夢の中で、わたしの家はいつもここだ。

大通りから横道に入り、大きな川の堤防へと向かう。アップダウンの激しい人家の少ない畦道だ。堤防にぶつかる。左方向に曲がる。今度は急な上り坂が続く。両側には背丈ほどの紫陽花。荒々しい坂道だ。
その坂の中腹に、わたしの住む2階建ての木造の家はあった。

わたしは27才。
父母はすでに存命していなかった。大きな木造の家にいるのはわたしひとりだ。
わたしには仕事があったのだと思う。わたしは毎日坂を歩いていたからだ。でも、どういう仕事だったのかは詳しくは思い出せない。
簡単な事務作業だったのだろう。大きな口ひげ男が「今日はこういう書類を作ってくれ」とか「これをまとめてくれ」とか指示して別の部屋に行く。わたしはそのあと一日中閉じこもってひとりでその仕事をしていた。
当時は戦時中で、どこか落ち着かなかった。
さみしいとか心細いという感情の行き場所がなかった。
わたしは、なすべきことをこなしてはいたけれど、ぼんやりと生きていた。

わたしはふわふわしていた。
感情というものを自分の中に育てることができない。
戦争のせいかもしれない。
あるいは、持って生まれたものだったのかもしれない。
さみしくもなかったけれど、楽しくもなかった。
生きていくというのは、夜が明けて朝がきて、食べるものがあって、それ以外になにがあるのか?
わたしは何も知らないままに死んでしまったような気がする。

そのあたりの記憶はあいまいだ。

ある日、家に帰ってくると、夕暮れに玄関を叩く人がいた。
若い男性だ。めずらしい、と思った。若い人はみんな戦争に行ったと思ってたのに、まだ、こんなところにいたんだ。

「数日中に家を出てください」目のくりんとした坊主頭の少年は言った。白い開襟シャツを着ていた。
「空襲が激しくなっています。ここは飛行機工場の裏手になるから爆撃を受けたらいっぺんに燃え移ってしまう。そうなる前に退去してください。どこか身を寄せる場所はありますか?」
「はい。親戚に疎開します」とわたしは言った。
嘘だ。田舎なんてないし、身を寄せる家なんてない。正直にそう言って、そのあとのやり取りをするのが面倒だった。

「残念ですが、この家は壊すことになると思います。延焼を防ぐためにです」
「そうなんですね」
「景色のいい家ですね。坂のとちゅうの紫陽花がここからは広くに点在してみえる」
「そう、縁側から見るとね、海の中に白い波が見えるみたいに、明るい色の紫陽花がそこらじゅうに見えるんです。まるで、船上でパーティしてるみたいに」
「戦場のパーティ?」

わたしは言葉の意味が上手に伝わらなかったことを後悔した。
わたしは喋らなさすぎたり、喋りすぎたりしてしまう。
そして、だいたい正確には伝わらない。

「外来語をむやみに使うと叱られます。でも。自分はそのパーティというものをいつか楽しんでみたい。どうか、安全に避難してください」
坊主頭の少年はそう言った。

「いつか」?
「楽しんでみたい」?

いつか、先のことなんて考えたことあっただろうか? そしてそれが「楽しんでみたいこと」だったことなんてあっただろうか?
そういう未来があるのか? 
そう思いながら、少年の目を見た。漆黒のビー玉のような目だった。

その目を見たときに、今まで感じたこともないなにかを感じたことを覚えている。
ぽっと。ろうそくの火が灯るような感覚だった。
何も変わりはしなかった。ただ、ろうそくの炎の分だけ、世界が明るくなったような感じがして。
そして、炎はすぐ消えた。

わたしという月は急速に欠けていって、それから先のことはおぼろげに覚えているが、痛みもなにもそこにはなかった。
勧告にも従わず、行く場所もなかったわたしは、炎に包まれて、この家の中で朽ち果てた。
悔しさも後悔もなかった。
わたしは死ぬ前にずっと欠け続けて、新月になってしまっていたのだ。
わたしはふわふわのまま死んでいった。

******


27歳をすぎてはじめて、いつも夢に出てくる家が、わたしの昔の家だったことに気づいた。
前の世界のわたしは27でなくなったのだ。わたしはその後の人生を生きてみようと思った。

わたしはあいかわらずふわふわしていた。

それでも恋もしたし28歳で結婚した。少し強引なところのある人で、わたしを孤独な世界から外へと連れ出してくれた。
ふつうの結婚、そして夫の帰りを待つこと。夫はわたしの作る食事はどれもおいしい、と言ってよく笑ってくれた。
そんなことが自分にあるなんて思いもしなかったので、とても驚いた。
なのに結婚生活は長くは続かなかった。
夫は職場に好きな人ができて、ある日、わたしにあやまる長いメールを送って、そのまま帰ってこなくなってしまった。
メールも携帯電話もその日をさかいに通じなくなった。

どうして、腕の肉が削ぎ落とされるように痛いんだろう?
どうして、内蔵をひとつ掴みにされたみたいにカラダが苦しいんだろう?
どこか身体の一部分を持っていかれたようだった。
またわたしは欠けていきつつあった。生きていく感覚は急速になくなっていった。

そういう時間を長く長くやりすごして、それでもなぜかわたしは生き続けた。

わたしはまだ2回しか生きてないから、いろんな感情をうまく処理できないのだろうか?
とすれば、まわりの人は、もう何度も生まれ変わった人ばかりなのだろうか?
苦しいことから順番に覚えていった。
苦しいときは、こんなに身を削がれるってことから覚えていった。
だけど、不思議なもので、苦しいことがあれば、相対的に楽しいことがわかってくるってことにも気づいた。

そんなわたしのことを心配して一緒に夕飯を食べてくれる女友達ができたり。
給料日には男女いっしょのグループで居酒屋に行って大騒ぎをしたり。
そして。酔っ払った男が私の家に泊まったり。
それでもつきあうことはなかったけれど。
ささいなことがどんなに楽しいのかわたしには少しずつわかってきて。
「でもさ、生きていると楽しいこともあるよね」
そんなことをやっと言えるようになってきた。

働いている福祉施設のデイサービスで、わたしは昼休みに外に出ようとする男性の見守りをする。
玄関の椅子に座って、井本さんは杖を自分の脇に置き、入道雲の様子を見ながら、今日の天気の予想をしたりした。
「出たらどこに行くかわからないから、出ないように気をつけて」と言われるけれど、井本さんは外には出ない。
この椅子から外を見ながら、いろんな話をしてくれるだけだ。
そして、その話を聞くのが、わたしはとても好きだった。

「ほんとは飛行機乗りになるつもりだったんだよ」
ある日井本さんは言った。
「飛行機に乗るための試験を受けに行ったんだけど、そのとき蓄膿症がひどくてね、不合格になってしまったんだ。まわりがみんな行ってしまって、自分が乗れないのはつらかった。けど、それでも自分はこの年まで生きているね」
井本さんは少しばかり記憶があやふやだけど、昔のことはよく覚えている。
「坂の下町のあたりにいたんだよ」
「ここから10キロほどのところですね」
「ああ。もう工場が空襲でやられるだろうってことで、まわりの人を疎開させるためにずっと説得して歩いてたんだよ。坂のとちゅうの家に住んでたお嬢さん。どうなったんだろうかって時々思うんだ。わたしが訪問した日の夜に空襲があって、あのあたりは焼け野原になったからね。疎開するって言ってたんだけど、ちゃんとすぐに出られなかっただろうなあとか。いまだに心配になるんだよ」

それはわたしだ。
生まれ変わる前のわたしだ。
わたしは逃げなかった。
そして、新月のように真っ暗なわたしになって、記憶をなくして、消えていったのだ。

「井本さん。そのひとはきっと今も生きてますよ。わたしにはわかります」
「そうかなあ、そうだといいなあ。そうだ、お嬢さん、あなたにちょっと似た感じの人だったよね」
「きっと幸せに生きてますよ」

そうだね。この年まで生きたんだもの。幸せでいてほしいよね。
井本さんはそう言いながら、入道雲の空を見上げた。

面影のある顔。ビー玉のような丸い眼球。
そうだ。あのとき、わたしはろうそくの火がぽっと灯るような気持ちになったのだった。

あの気持ちをなんと言うのか、今のわたしにはよくわかる。
よくわかるようになるまで今度は生きられて、ほんとうによかった。





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2017年04月30日

月尾島(ゲツビトウ)のさくら




ソメイヨシノはまだ。



「さくらはやっぱり月尾島(ゲツビトウ)よ。島のぐるりにさくらが植えてあってとてもきれいなのよ」
ベッドの上で麻子さんが言った。

「そこは仁川(ジンセン)から近いのですか?」
わたしは尋ねる。
わたしにとっては仁川は(インチョン)なんだけど、麻子さんは日本語風に(ジンセン)という。

「近いね。島だけど、歩いて渡っていける。その島のぐるりに桜を植えてあって、すごくきれいよ。みんなでそこに行って花見をするのよ」
「日本人も韓国人も?」
「そう。うちにいた韓国人もみんな。韓国人のお菓子とか持ってきてた」
「トックとか? 」
「名前はわからないけど、どれもおいしかったよ」

麻子さんの家は商売をやっていて、いろんな人が働いていた。
主人である麻子さんの父親に褒められるよう、雨が降ると小学校まで迎えにきてくれた。
チョンシギとかカクチョギとかそういう名前だったと思う。
ひとりは傘を持ち、もうひとりがおんぶしてくれた。
麻子さんは満鉄の駅の名前を順番に言える。
仁川、京城、とそらで。

わたしはスマホでウィキペディアを見る。

軍の基地があったようですね。そしてロシアもいて領土争いもあった。
もしかして桜は、日本であることを主張していたのかもしれないですね。

そうかもしれないけれど。それでも花見は楽しかったよ。

わたしは慰安婦問題まで持ち出す。そんなことはないよ、と麻子さんはきっぱりと言う。
どこかではあったのかもしれないけれど。

終戦になり、麻子さん近所の人の船で慌しく帰国する。
そのあたりで話はだんだん、もうあいまいになる。

大正生まれの麻子さんの記憶は、どこまでもクリアというわけではない。
だけど、わたしは、麻子さんから聞く韓国の話が好きだ。

仁川にあった柳の木や、可愛がられた記憶。
時代を見てきた人の話が好きだ。
資料や主張の中にある事実と違うかもしれないけれど。
幸せな記憶を麻子さんが何度も繰り返す、その話がとても好きだ。


ちなみに現在の月尾島(ウォルミド)のようすはこちらです(soulnaviより)



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2015年05月21日

西へむかう帰路

今日みたいに黄砂か多い日は舌がしびれるんですよ、びりびり。


タカダが死んだと聞いて、そのことがずっとアタマの片隅にひっかかったままだ。

毎年タカダ夫妻からは年賀状が届く。
だけどその年は違った。
12月のはじめの頃に、印刷した欠礼はがきが奥さんのユウコの名前で届いたのだ。

5月にタカダが急逝した、と印刷の文字が無機質に伝えていた。

タカダとユウコが結婚して、別の土地に住むまでは、わたしたちのグループはいつも一緒だった。木田くんや美香もいた。他にも何人もわたしたちのシェアハウスに出入りしてた。
びみょうと言えばびみょうだったのは、最初、タカダとわたしがつきあいはじめたのに、いつのまにかユウコと結婚することになったことだ。

それはすごく悲しいことだったし、詳しく書きたくもない。ただ、幸運にもわたしたちは友だちでいつづけられた。
タカダとユウコの結婚式のあとに、タカダはわたしの手を取って泣いた。
オレが言うことじゃないけど、ナオミにはぜったい幸せになってほしい、本気でそう祈ってる、わたしたちは手を握りあって泣いた。
そして、今、思い出した。
二次会のパーティで、タカダの先輩とわたしがいい感じになったとき、タカダは、「先輩、結婚してるのにナオミに手を出さないでください」ってマジに怒ったのだった。
今考えても失笑ものだ。
以前から憧れてたタカダの先輩に言い寄られて、悪い気はしてなかったのに。
そう。
タカダはそんな純粋なヤツだから、憎んだり恨んだりできなかったのだ。

なのにユウコは半年以上もタカダの死をわたしに伝えなかった。
電話をしてみようと思ったけれど、それもできなかった。
一時期シェアハウスで同居してたくらいだもの、ユウコの性格はよくわかっている。言いたくないことはぜったいに言わないのだ。自分の弱みも悩みも、なにひとつ言わない。
彼女がはじめて告白するのはいつも、自分の中ですべてを片付けたあとだ。
わたしは、ユウコの中でいろんなことが片付くのを待った。

そしてわたしはよくないことばかりを考えた。
タカダがなんで死んだかってことだ。
賭け事好きのタカダは莫大な借金を作って自殺したんじゃないか?
あるいは誰かの保証人になって、あるいはよくない所から借金して。

ストリーはいつも違うけれど、だいたい、そんな結末ばかりだった。

タカダの死についても夫に伝えた。遅れてきたハガキ1枚で、葬儀にも出れなかったことも。そして、夫の意見もわたしと同様だった。
「なんらかの事情があったのだろう、触れてほしくない事に触れないほうがいい」

その後はユウコとの年賀状のやりとりも途絶えたままになった。
ひとりで車を運転してるとき、それが夕暮れだったりすると、わたしはタカダのことを考えた。
彼はどんな人生だったんだろう?
ユウコとの結婚生活はどうだったんだろう?
そうしてなぜ、自殺しなければいけなかったんだろう?
落日はいつも死とつながっていた。
その時刻はいつも、タカダのことを思い出すための時間だった。

三年がたち、以前ユウコと一緒に勤めていた会社のパーティで、私はユウコに再会することになる。

彼女は相応に年を取っていたけれど、ラインのきれいな革の茶色いブーツに黒のワンピースを着ていた。大きなターコイズの短めの首飾り、相変わらずの華やかさだった。
わたしは自分から「その話題」を出すことはできなかった。

そして同僚数人のグループで近況を話していたとき、ユウコは言った。
「夫は三年前になくなったの。雪の日の車の中で、彼は死んでいたの」と。

ひとりで故郷の家に帰っていたらしい、帰路に吹雪に巻き込まれ、車を停め、そこでなくなっているのが発見されたらしかった。
「ナオミにも話してなかったっけ?」ってユウコは、取り繕うように軽く笑った。
けっして弱い部分を見せない彼女の性格を思い出し、ああ、そんなふうにしか言えなかったんだなとわたしは思った。
自分の中で収拾のつかなくなったことを言葉にするのはむつかしい。
それでも、彼女が話してくれたことでわたしは少しほっとした。
「今はあたらしいボーイフレンドもできて」という言葉には少なからず苛ついたけれど、タカダのことを喋るためには「あたらしいボーイフレンド」も必要だったのかもしれないと言い聞かせた。

仕事場から家に向かう道はまっすぐに西にのびている。
落ちてゆく夕日を追いかけながらタカダのことを思い出す回数は、少しずつ減っていった。
借金のすえに自殺をした筋書きも消えてしまったが、吹雪の車中でタカダはどんなだったのだろうと考えることはあった。
彼は実家で好物のビールを飲んだのだ、そして、車が動かなくなったタイミングで酔いを覚まそうとしたのだ。彼は、ほろよいの夢うつつの中で消えてしまったのだ。
死に方に幸せも不幸せもない。だけど、わたしの想像は少しずつ軽くなっていった。

そうしてもう二年がたった。
タカダのことを思い出すことはぐんと減った。
わたしの「記憶のタカダ」もだんだん小さくなっていき、そして、ときおりそのことに抵抗するように、タカダという名前がふっと頭に浮かんだりもした。

逢魔が時の薄暗がりは、ときおりちがうものを見せてくれる。
その日、わたしはまたタカダのことを思い出していた。

あのとき、タカダがユウコと結婚してなくて、わたしと結婚してたらどうだろう?
そうしたら、タカダはまだ生きているんじゃないか?
タカダと結婚したかったわけじゃない。
でも、そうしたら、何かが違ってたんじゃないか?

「ユウコ、あんたなんかと結婚したから、タカダは死んだんだよ!」
赤信号で待ってるとき、わたしの口からとつぜんドロドロが言葉が飛び出した。
びっくりした!
なんなの? そんなこと思ったこともなかったのに。
ふつうに考えてもそれは違うのに。
交差点での風景は、広がっていく言葉に覆われて真っ黒になって、わたしは、夕闇に浮かび上がる赤信号をたよりにやっと家路についた。

家で降りたら外は漆黒の闇に変わっていた。

ちいさなちいさな恨みや後悔を、手に取ることは無駄だと言い聞かせてきた。
そのことに鬱屈すら感じたことはなかった。
だけどもある瞬間に、ザラザラとした砂が波にさらわれないままに残っていることに気づくのだ。

車のドアをあけると、いちだんと冷えた夜の空気にアタマがクリアになってくる。

ユウコの中にも、同じ海の砂が、同じように残っていたのかもしれない。
わたしがその存在に気づく前に、ユウコはその砂を、悲しみの中で掌に握りしめていたのかもしれない。

そう思ったとき、ユウコに対する無意識の不満が、スルスルと消えていくのがわかった。

ねえ、ユウコ。

わだかまりと思わないくらいのわだかまりも、この世界の中にはずっと流れているのかもしれないね。
誰も気づかなくても、そんなものがわたしたちの知らない浜辺にじっと溜まり続けていくんだろうね。


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posted by noyuki at 22:57| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月07日

書いてみた

テーマ「わたしが大人になったとき」
* (某所でのエッセイのテーマです。ぜんぜん関係ないけれど、書いてみました)

「取り立て屋を使ってみたらどう?」
不動産屋の女性がそう言った。
「うちに名刺を置いていったところがあるの。礼儀正しいしちゃんとしてた。うちはまだ使ったことないんだけど、料金もきちんと書いてあるし、悪い感じじゃなかったよ」
義父母の遺した四階だてのワンルームマンションが、健康なニワトリが毎朝卵を産むようにきちんと収益をあげたのは10年ほどだった。
老朽化もだが、家賃の滞納が悩みの種。
景気も悪いし、世の中も変わったんだろう、何度催促しても約束しても何ヶ月も滞納する人が増えた。
同年代の気心のしれた不動産屋の女性と、マンションの売却を画策していたのだが、春先に景気が上向きになり、とんとん拍子に買い手がついた。
それで、一番悪質な入居者だけは退出してもらうことを決めたのだった。

「取り立て屋」は家賃の取り立ても、追い出しも一定の手数料を払えばやってくれるのだという。
意を決して名刺の番号に電話すると、ガタイのいいダークスーツの男性が、上等な会社案内のパンフレットを持ってやってきた。
「私共は違法なことや悪質なことはけしていたしません」と、物腰柔らかに説明する。
だけども、その柔らかな言葉の裏に硬質なものが見え隠れして緊張した。
わたしは契約書にサインした。手数料を差し引けばたいした収入ではない。
だけども、これから先にマイナスを増やしていくよりかはいいと思った。

「いつもお世話になってます。入居している平田です。実はさきほどあなたの代理人と名乗る男から電話があったのですが」
入居者から電話があった。さっそくアクションがあったのだろう。
「私はこれは詐欺ではないかと思いまして。その人の言うことがどうしても信じられないものですから、大家さんと直接お話ししたいと思いまして」
いつになく丁寧な口調でだった。
「ええ、そうです、すべて任せました。これからは、お金のことはすべて彼と話してください」
空白がおとずれる。かなり長めの空白だった。
「これまで、困っているときも、とてもよくしていただきましたのに…」
今まで家賃を待ってもらったことにはとても感謝している、自分は本当に行くところがない、お金はなんとかして用立てるから、どうかそのままおいてもらえないだろうか? というようなことを本当に平身低頭の口調で彼は訴えた。
狭い町の中で入居者がどういう生活をしてきたかなんてすぐにわかる。
タクシー会社の配車係としてきちんと働いてきた頃は、共用階段の掃除などもみずからやってくれていた。
だがそこを辞め、いくつかのタクシー会社を渡り歩くうちに彼は変わってしまった。ギャンブルに手をだしているという噂も聞いた。家賃は何ヶ月も滞納するようになった。
そのあと「取り立て屋」からも電話がはいった。
「お金は払うが退出はかんべんしてくれと言われますがどうしましょうか?」
「だめです。退出させてください」
その後のふたりのやりとりをわたしは知らない。
仕事はほどなく完了し、手数料を支払った。
一度も入居者に会わずに、すべては終わった。

わたしはいつオトナになれたのかと思うとき、この一連のやりとりを思い出すのだ。
自分の生活のために、人の人生を踏みにじることだってわたしはできたのだ。
このときかぎりではない。
わたしはその後も、やむをえず他人の大切なものを奪った。
一度経験してしまえば、二度目もあるのだ。
大人として金や情報を使って、手段を手に入れるのは、プロメテウスの火を手に入れることに少し似ていると思った。
一度手に入れたからには、もっと謙虚に用心深く生きなければならない。



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2014年02月26日

セカイは言葉でできていない



歩きながらイルミネーション撮ったらこうなった





逆説的な言い回しに聞こえるけれど セカイはやっぱり言葉でできてはいないのだ
だからときどき 扉のずれた部屋にいたり
ゆらゆらゆれる海の底にいるみたいな気分になってしまうのだ

私だけの勝手な言葉をつなぎあわせて じぶんのちいさな橋をつくるのだ

ほんとうかもしれないし 嘘かもしれないけど
ちいさな毛糸をつなぎ合わせて そうしてそれを つなぐのだ

出会うたびに 出会う人ごとに
やっぱり扉はずれたままで
だからそのたびに ひとつひとつに言葉をつなげていく

あなたのことを放り出さなくてすんだ

ズレている場所を埋めていくのは けっこう楽しい
今は わたしはそう思ってる

そういうふうにすることが きらいじゃないってわかったから

だから もう それで いいのだ

わたしはどんなにズレた場所にいても
セカイのことが好きだし
あなたのことだって大好きだ


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2010年11月30日

言葉が散乱していって戻ってこない


元気ですか?
こちらはひとつの言葉が浮かんでは、「あ、これ」と思い、思っているうちにいつのまにか消えてしまうような毎日です。
そのときはたしかだと思うのに、案外そうではないようにも思えてくるのです。
つまりは元気でもあるし、元気ではないのかもしれない。
どちらがほんとうかわからないから、どちらもありなのでしょうが。
色とりどりの紙吹雪のように掌から風に飛んでいってしまうような感じでもあります。

この時期になると家の窓から見えていた白い山茶花の木がなくなりました。
かわりに新しい大きな建物の工事がはじまっています。

それから小菊がたくさん玄関に咲きました。
何年も咲いてなかったけれど、菊は辛抱強くそこにあったらしいのです。
まるで遠くの世界から誰かがいたずらをしてるような気分です。

そうそう。
最初に書こうと思ったタイトルはそういえば「世界は暗示に満ちている」でした。

少しずつなにかが変わっていく空気は、そういえば「世界は暗示に満ちている」という感じでもありました。
ところが何の暗示かもわからないうちに違う言葉がやってきました。

つぎの言葉は「奥歯をくいしばれ」でした。
サザンオールスターズの歌の名前です。別れた彼女に「嫌われ女になるからよせよ」っていう歌です。
作者は彼女と別れて悔しくて奥歯をくいしばっているのです。
悲しいと悔しいは、少し似ているけれど違います。後悔も似ているけれど違います。
そうこう思っているうちにその言葉も風に吹かれて飛んでいってしまいました。

人を傷つけた感触と、人とつながった感触はどちらが深く心にのこるのでしょうか?
度合いにも状況にもよるので、どちらとも言えないから愚問だと思います。
この問いもしばらく心に残っていたのだけれど、そして愚問という言葉に片付けられ、今はなくなってしまいました。

さきほども車を運転しながら、なにかの言葉がやってきて、激しくわたしを包んだのだけど、その言葉に至ってはどういう言葉なのかさえも思い出せません。

そういうわけで、今日も言葉をつかみ損ねました。
つかみ損ねたままに毎日が過ぎていきます。

言葉にならない怒りや喜びは、それでも世界中でやりとりされているような気がします。
遠い世界の戦争の話も、今すれちがった小さな子どものほほえみも。
明確な意志を持たずにそれは、大気の中を流れています。
それに感化されるのがわたしたちで、意志はすべてが意志というわけではないのかもしれません。

とりとめもなくなってしまいました。
何度もつかみそこねたすえに、いいわけじみた言葉を並べ立ててしまいました。

いつかまた、会える日があるとしたら。
その日までわたしは「つながる言葉」を探し続けていたいと思っています。
今度は言葉をつかみそこねないように。しっかりと。


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posted by noyuki at 15:25| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月25日

モモ・クロニクル

君のことを忘れないようにちゃんと書き留めておきたいと思うのに、思い出すのがつらくて先へ先へと延ばしてしまうよ。
だけども、あまり伸ばしすぎるわけにもいかない。わたしの記憶力にはかぎりがあって、大切なことやかけがえのないまでもどんどん色あせてしまうからだ。
たくさんのことを、君はわたしたちにくれたはずなのに。



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posted by noyuki at 17:02| 福岡 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月31日

「オレンジ」



 膝をついた格好で直立している。
 膝と膝の間には男の胸板がほどよく収まっており、その身体をもっと足元の方まで辿ってゆくと、身体と身体が直角に近いカタチで繋がっている。
 だけど、あたしの視界からはそういうふうには見えない。
 目をつむっている男の顔が、あたしのゆるやかな振動を受けて、ピントのぼやけた画面のようにブレている感じ。
 もっとも視力はすでに集中力を失っていて、意識は下腹部の奥の方の、小さな波が寄せては返すもどかしさ、もっと大きな波がまもなくやってくるであろう確信に満ちた予感の方に集まっている。
 そうして予想通りの大波がやってきて、のみ込まれる。
 きゅん、きゅん、きゅーんとした身体の震えに、意識が一箇所に集まって、力が抜ける。 
 あたしの外側は何ひとつなくなってしまう。
 男の身体も、腰骨を支えている男の両腕も、ベッドのきしみも。
 浮かびあがる球体が大きく膨らんで、それが粉々に分散して、波が引いていくのを待つだけの時間。
 その一瞬、あたしの外側は何ひとつなくなってしまう。

 つぎに気づいたときのあたしは、男の胸板に重なるように倒れ込んでいる。
 息がまだ荒いあたしを、男の両腕が支えていてくれていた。

*     *     *

「もう、こういうことはしない方がいいと思っているんだ」
 うん。しないにこしたことはないと思う。
 でも、正確に言うとあたしにはその逡巡はわからない。

 それなら最初から会わなければいいんだ。あたしに誘われるままにお酒を飲みすぎたりしてはいけないし、ホテルに誘われてもそのまま帰らなければいけない。
 ジーンズのベルトにあたしの手がかかろうと、けっして反応しないくらいの強い意志がれば、あたしだってそんなことはしない。

 男は、あたしの強い欲望を待っている。
 言い訳したり、自信がなかったり、覚悟がなかったりしながら、あたしがその場所へ連れていってくれるのを待っている。
 
 あたしは連れていかないよ。
 さっさとそう言ってしまいたいところだが、男の心の中にある、待ちの余白をあたしは見逃すことができない。
 
 見逃すことのできないあたしの暴力的な欲望に、男もあたしもしがみついているのだ。

*     *     *

 あたしたちが気の合う友達のままでいたら、何度も長電話したりいっしょにごはんを食べたり、もっと屈託なくできたに違いない。
 気の合う友達という位置はいつだって最適だ。
 そこにいるかぎり、けっして暴風雨が吹き荒れる日もこないし。
 わけのわからないものに翻弄されることもない。

 だから、最初にそう決めておくべきだったのだ。

 結局あたしたちはコイビトになることはできなかった。
 長い時間つきあってみて、それがわかった。
 コイビトという言葉の持つゆらぎとか、引き受けるべきものは重すぎて、とっくに放り投げてしまっていたし、放り投げることによってある程度傷つけあうこともあたしたちは十分に味わっていた。

 だけども、それで関係を断ってしまうほどの強さも持ち合わせていなかった。

 おそらくそういうカップルは世界中に、掃いて捨てる場所がないくらいに、たくさんいるような気がする。
 
 関係というのは、紙に書かれて定義されるような契約書のようにクリアじゃなくって、すごーくあいまいなものなのだと思う。

*     *     *

「ナオちゃんとはセックスしたんだよね?」

 あたしは、男の上に重なったまま、話のついでのふりをして尋ねる。
 
「やってないよ」 男は目をつむる。「家も近いし、共通の友達も多いからね。飲みに行ったりカラオケに行ったりすることはあるから、チャンスがないわけでもないではないけれど。でもね、やってないんだ」
 ウソかもしれない。ほんとかもしれない。
 あたしは、注意深く、接合した部分に意識を集中する。男が動揺していれば、屹立したものはそこにはなくなっていくはずだ。

 あたしのそういう集中を見透かした男は、やはり下半身に意識を集中する。
 だから、結局はそれを見極められない。

 あたしはことばを信じることにする。
 本当でもウソでもいい。ことばというカタチを持つものは、男の気持ちだから。気持ちの部分だけでも信じることができればいいからだ。

*     *     *

 朝まで飲んでいたという男が電話をしてきた。
 もう、大丈夫、お酒は抜けたから。
 お昼すぎにそうやって電話してきたのに、男は少し酔っている。

 なんでわかるかっていうと。
 彼は今、酔ってなければけしてできないような話をあたしにしているからだ。

「あのとき、ナオちゃんとやったかってどうして聞いたの? たしかにやったよ。でも、誰もそのことを知らないんだ。どうしてそう思ったんだ?」
 直感みたいなものだ。
 直感としか言いようがない。
 その直感を導き出した細部ももちろんあるのだけど、それについては言わない。
 その細部は何度もあたしに、わけのわからない感情をつきつけてきたのだから。

「ユウコと知り合う前の話だよ。ほんとに何度も何度もやったのは。今はもうしないんだ」

 かつてコイビトを目指していたあたしたちは、それをうまくやり通すことができずに一時期疎遠になっていた。
 ナオちゃんと飲みに行くようになったのはたぶんその頃だから、あたしと知り合う前というのは記憶ちがい、もしくはウソだ。
 あたしたちには共通の友人も多いし、どのグループで飲みに行くことが多いのかなんて情報を、あたしは意外と間違わない。

「ほんとに。知り合いの誰も知らないことなんだ。なんでユウコにわかったのか。正直びっくりしたよ」
 あたしと別れたからつきあったなんて都合のいいことは思わない。
 男はほんとになおちゃんが好きなのだと思う。
 だから、秘密にしておけなかったのだ。
 誰かに言いたくてたまらなかったのだ。
 そして同時に。
 あたしに秘密にしておけなかったのだ。

 何もかもあらいざらいにぶちまけてしまいたい衝動。
 そんな波はなにかの機会に、音もなくやってくるものだ。

 よくわかる。
 あたしはよくその衝動を感じていた。
 このまま、夫に洗いざらいぶちまけて、泣きながら許しを乞いたい衝動。

*     *     *

 それからあたしは夢を見る。
 
 男となおちゃんが腕を組んで歩いている夢。
 何度も何度も同じ夢を見る。

*     *     *

 本気で誰かを所有したい人間は恋愛なんてしちゃいけない。
 
 だから、そういう人間になるまい、男の前ではそういう人間ではいまい、と思いながらも、あたしは、自分のそういう部分に目を閉じることができない。

 バカだなあと思う。
 あたしはあと何度か、あの嫌な夢を見るのだろう。
 なおちゃんは、長い髪をなびかせて、それじゃあねって、あたしに言って、それから男と腕を組んで帰ってゆく。
 そんな感じの夢だ。

「ごはんだよ」
 子供の声が電話口の向こうで男にそう告げていた。
 そうして男は電話を切る。

 ほら。

 あたしたちはたくさんの現実を持っているじゃないか。
 いつまでも、モラトリアムの大学生じゃないんだから。

 あたしも夕飯を作ろう。
 窓の外には大きなオレンジ色の夕日の球体。

 落ちるまぎわの夕日がエクスタシーの瞬間の色に見えた。
 カーテンを閉めよう。
 夕飯はなににしよう。

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posted by noyuki at 16:28| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月23日

ベランダの恋人

 ベランダの恋人との逢瀬はいつもベランダだ。
 携帯電話の着信音が聞こえる、わたしはそれを持ってベランダの戸を開ける。
「今、いい?」とベランダの恋人が尋ねる。「いいよぉ」わたしはそう答え、ベランダに置いた椅子に座る。

 南西を向いた広いベランダからは、公園に隣接したテニスコートが見える。制服を着た女子高生がスカートを翻しながらラケットを振っている。その向こうにはマンションが林立している。そのマンションの隙間を、箒に乗った魔女のように風が通り抜ける。

 わたしたち夫婦は、カナミが幼稚園の年中の頃にこの中古マンションを買った。
 13階建てのマンションの7階。そろそろ小学校を視野に入れて家を探したのだが、ベランダの広さに一目惚れした。
「ここに椅子とテーブルを置いてビールを飲むといいね」と夫が言って、ベランダ用の白い椅子と小さなテーブルを購入した。
 夏の夕暮れなど、そこでビールを飲む日ももちろんあるのだが、それ以外の日はわたしの専用のようなものだ。

 夕方、子供が帰ってくる前くらいの時間に、ベランダの恋人と電話で話したりする。
 今日の天気のこととか、地下鉄で読んだ本の話とか、たわいものない話をしながら、わたしは洗濯物を取り込んでテーブルの上に放ってゆく。
 冬の日の太陽がマンションのすきまに沈んでゆく。少しずつ軌道をずらしながらも、同じように沈んでゆく。
 退屈で昨日と今日の区別もつかないような一日も、言葉にすることで、ある種特別な一日になることを知った。
 言葉に変えることは、わたしたちのあいだで実体を持つことなのだ。ひとつひとつの出来事が言葉に変わってゆくのは楽しい。

 ベランダの恋人は遠いところに住んでいるのでめったには会えない。
 半年に一度とか一年に一度会えないことはないのだが、会っているときは楽しくて、そのあとは会えないのがさみしくなる。
 
 ベランダの恋人にはセックスが不似合いだ。
 めくるめく瞬間と、日常とのギャップで、わたしは帰るべき場所を失う。名前を持たないセックスは暴力的に日常を壊してしまった。ひとたび壊してしまったあとで、それがわたしたちの望みではないことにようやく気づいた。それからわたしたちは、もっともっと、穏やかに長らえることを選んだ。
 選べるまでに、とてつもなく長いぎくしゃくとした時間が流れた。それでもわたしたちがそれを選んだのは、けして間違いではなかったと思っている。

 ある日、わたしはその男のことを「ベランダの恋人」と名前をつけた。ベランダの恋人はその日から、夕暮れの空を通して繋がれるようになった。少しだけわかった。すべての関係には名前と適切な距離が必要なのだ。

 ここのところ一ヶ月ほど、ベランダの恋人からの音沙汰がない。
 メールを打っても返信さえもない。わたしは毎日、夕方ごとに携帯電話を持ってベランダに出た。携帯の電源は切れているようにも思えた。
 最後に話したのはどういう内容だったのか? 
 職場の検診でひっかかって、再検査に行かなければいけない、何事もないといいんだけどね。たぶん何もないよ。すごく元気そうな声だもの。でも、安心するために再検査するのは悪いことじゃないよ、そういうやりとりだったと思う。

 あれから何がどうなったのか? ベランダの恋人は病気だったのか? それともなにか別のトラブルを抱えたのか? それとも、もう、こんな関係はやめようとある朝ふっと思い立ち、わたしの携帯を着信拒否にしたのか?
 不自由な想像力は、悪い方向に走りだそうとするばかりだった。
 そうだ。いつもそうだ。
 わたしは悪いことばかりを想像する臆病な人間だったのだ。
 そうじゃないのは、ベランダの恋人がオプティミストだったからだ。
 わたしは、毎日家族の夕飯を作り、夫とビールを飲んだ。なのに、たったひとつの不安で、すべての景色が色褪せてしまっていた。夜になってベランダに鍵をかけてカーテンを閉めてしまう。するとそれだけでベランダの恋人の記憶をすべてを置き去りにしてしまうような気がした。    わたしのまったく知らないところで、ベランダの恋人は別の日常を生きている。それがどんなことであろうとも私は知らないままでいるしかない。今、もし、ベランダの恋人が遠い町で死に絶えていたとしても、わたしはそれすらも確認できないのだ。そう思うと、心の中に小さな黒い毛糸玉のようなモヤモヤがいくつも転がっていった。

 クリスマス休暇に入った。
 よけいにベランダの恋人は遠くなった。なにがあったとしても家族がベランダの恋人を支えてくれるだろうし、あるいは彼が家族を支えていることだってあるのだろう。
 そうしてわたしもまた、わたしの家族にそうすることが必要だった。

「今日はみんなでアイスクリームを食べに行こうか」と、その日夫が言って、わたしたち家族は流行のアイスクリームショップに並んだ。
「食べ終わったら、みんなのクリスマスプレゼントを選ぼう」
 日常ではないイベントにカナミが喜んだ。
 アイスクリームショップは長蛇の列だった、いろんな種類のアイスクリームの色鮮やかなメニューを見つめながらカナミも辛抱強く並んだ。
 そしてわたしたちの番がやってくる。
「今日はおまたせしてすみません。クリスマスだから、うたをうたいながら作りましょうね」
 小さなカナミにそう言って、ショップスタッフがみんなで声を上げてうたいながらアイスクリームをアレンジしていった。
I wish you a merry ice-cream! I wish you a merry ice-cream!

 カナミがぎゅっとわたしの手を握った。驚きと喜びの鼓動がその手がら伝わってきた。夫がその様子を笑いながら見ていた。
 クリスマスの魔法の粉を振りかけたアイスクリームにカナミが目を丸くして喜んだ。

 あたたかい歌声だった。
 そうだ、こんなふうに祈ればいいのだ。
 祈るのだ。悪いことを考える前に、いいことに変わるように祈るのだ。
 祈ればいい。
 悪いことを想像する前に、いいことに変わるようにと祈ればいいのだ。
 それだけで、世界の景色は、こんなにも簡単に変わってゆくのに。

 下を向いて、甘いアイスクリームをつつきながら、少しだけ泣いた。
 涙でアイスが塩味にとけるのを悟られないように、静かに、わたしは自分の中のペシミストのわたしを溶かしていった。

 夫にはトミーヒルフィガーのマフラーを選ぼう、カナミはなにが欲しいのだろうか、なんでも欲しがりだから時間がかかるかもしれない。彼女ができるまで、ゆっくりと時間をかけて選んでゆけばいい。
 それから、家に帰ったら、ちょっとの時間をかけてベランダでメールを打とう。

 届いても届かなくてもいい。
 届かない気持ちのやりとりで、世界がくるくるとその風景を変えてゆくなら。
 わたしは、ベランダの恋人のための、わたしたちの世界の風景を作っていけばいい。

 I wish you a merry Christmas!

 わたしたちの家族がその瞬間を楽しんでいるのと同じように。
 ベランダの恋人にもその気持が届きますように。



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2008年08月30日

Four dishes story

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「1.カレーライスクロニクル」

 カレーを煮込むのに半日かかったらしく、ショウタからの電話が入ったのは夕方の4時すぎだった。
「ケーキでも買って行こうか」と言ったが断られた。
「駅までバイクで迎えに行くから、ケーキをぶらさげて後ろに乗るのは無理だよ。あ、バイク、平気?」
「はじめてだけど、楽しみにしてる!」
 ユミはふわふわのスカートをあわててジーンズに替えた。
 はじめて行ったショウタの家で、手作りのカレーを食べた。スパイシーで手の込んだカレーだった。
「カイエンペッパーを入れすぎた、ごめんね、辛すぎるね」
「平気、辛いの大好きだから」
 結局二人はそのあとで、炎のようにぴりぴりしたお互いの唇をからめあうことになる。
 それが長い時間の始まりだった。

 子供のリョウが生まれてからは、ユミが甘いカレーを作った。
 ホットガラムマサラをバリバリかけながら食べる。辛口の二人にはもちろん物足りなかった。だが別の鍋にもうひと種類カレーを作る余裕もなく、リョウをお風呂に入れたりするのに手一杯だった。

 カレーが中辛になる頃には、三人揃って食べることが少なくなった。
 中学に入ったリョウは部活で遅かったし、本社勤務になったショウタは終電ぎりぎりに帰ることが多くなった。
 そんなとき、鍋の中にはとりあえずのカレーがあった。各自があたためて各自で食べる。
 カレーはバラバラの家族をつなげる基地のようなものだった。

 大学が決まってリョウが家を出た。
「はやく家を出たい」とも「まだ独立なんかしたくない」とも言わず、当たり前のように入学式に合わせて引っ越した。ショウタは軽トラをレンタルして引っ越しを手伝った。
「ほっとした」とも「さみしくなるな」とも誰も言わない。男たちは概して無口だ。
 子供が大きくなるのなんてあっというまよ。いろんな人にそう言われていたのに、実際の子育ての時間は無限のように長かった。ほっとできない、うっすらとした緊張感がずっとあった。
 それがいきなりすとん、と消えた。

 このまえ暇を持てあました日曜日に、二人でグリーンカレーを作った。
 ショウタがタマネギを飴色にした。ユミがチキンの大きさを整え、ココナッツミルクの缶を開けて丹念に濃さを調整した。
 香辛料を入れすぎた。あの日のショウタのカレーみたいにグリーンカレーは辛かった。
「やっぱり辛いカレーはおいしいね」
 ふうふう汗をかきながら、ショウタが言った。
「カレーじゃなくても辛いものはなんでも好きだね。私、寒いのが嫌いだから老後は物価の安い暑い国にでも住みたいな」
「おれはイヤだ。辛いものは好きだけど、暑いのは嫌いだ。エアコンがないと生きていけない。どうせおれの方が先に死ぬんだから、そのあとにユミは暑い国に行きなよ」
「わかんないよ。いきなり病気にかかって、わたしの方が先に死んだりして」
「それはないよ。死ぬのはぜったいおれが先だ」

 結婚した時、これでずっと一緒にいられると思ったけれど、それが幻想であるとすぐに気づいた。 死という別れが来ることが、ずっとユミの頭から離れなかった。
 だけどもずっと一緒にいたおかげなのか、今は、薄いベールのようなおたがいの死の影を、少し受け入れられた気がしている。
 独りで暑い国に住処を探すユミと、このキッチンで変わらずにカレーを作るショウタ。その両方を想像してみる。避けられないこととはいえ、どちらもさみしいに違いない。

 でもこればっかりはどうなるかわからないんだから。
 いろいろ考えないでのんきにカレーでも食べているのがいいのかも。
 結局は二人でそんなことを話して、 冷たい水をぐぐぐと飲み干した。


********************************************


「2.メモリーズ オブ パエリア」




「ヨシオって弟がいてさ、一回ユミを会わせたいんだ」
 ある日ショウタがそう言った。

 ヨシオ君は自閉症で、グループホームという所に住んでいて、昼間は軽作業の仕事をしているのだそうだ。
 ショウタがヨシオ君を家に連れてきた。
「ユミさん、はじめまして、よろしくお願いします」
 短く髪を切りそろえた痩せて色白のヨシオ君は、中学生のように幼くみえた。
 ユミはパエリアを用意した。その鍋をテーブルに置いたもののヨシオ君は全く手をつけない。ショウタが気づいて、それを皿につぎわけた。
「てきとーに分けるってことが、ヨシオにはむつかしいんだ。けれど、生活にはそれほど困らない」
 ヨシオ君は封筒に冊子を入れる仕事のことや、自分でやれる家事のことを話してくれた。話をしているうちに、ユミはヨシオ君のことが好きになった。ひとつひとつの言葉を自分の引き出しから取り出すように喋る姿が、とてもおだやかだったからだ。

「その印象のとおりだよ」ヨシオ君を送り届けてからショウタは言った。「感じるよりか、自分の引き出しのパターンを使って会話するのがヨシオなんだ。だけど、小さい頃は友達とのやりとりができなくて小学校をドロップアウトした。 今でもヨシオは曖昧な指示や考え方を求められると困ってしまうんだ。 だけど職場の人はヨシオの特性を理解して、できる仕事をたくさん任せてくれる。自分の居場所を与えられて生き生きしてるヨシオが今は僕の誇りなんだ」とショウタは言った。

 その年の冬にヨシオ君は肺炎をこじらせてあっけなくこの世を去った。22歳だった。
 ショウタは気づけなかった自分を責めた。両親の落胆も並大抵ではなかった。
 春に控えていた結婚式を辞めようとしたが、両親はヨシオ君が楽しみにしていたからと言って列席してくれた。

 二年生になった子供のリョウが、食卓のテーブルで宿題をしている。
「新しい」という漢字を三回続けて書いていた。しばらくして「漢字は覚えたかな?」とショウタが尋ね、リョウは当たり前のように「新しい」と鉛筆で書いた。ショウタはちらりと複雑な顔をした。
「漢字を覚えられなかったんだ、おれ。ノートに1ページ書いても覚えられない。集中してないんだって親に怒られたけれど、集中しても覚えられなかった。算数も理科も得意だったのに、漢字だけがどうしてもダメだったんだ」ショウタは言った。「でもきっと、そんなふうに、本当は誰だってバランスが悪いんだよ。それを少しずつ修正しながら社会というサークルの中に入っていけただけなんだ。不幸にもヨシオはたまたまバランスがもう少し悪くて、それでよけいな苦労をしたんだろうな」
 遺伝子のことを考えていたんだとショウタは言った。自閉症は遺伝子に関係があるのだそうだ。リョウがヨシオのようだったらと悩んでいたのだという。ヨシオのことを誇りに思っているのに、それでもリョウはどうなんだろう心配してしまう自分がとてもイヤなんだとショウタは告白した。

 休日の夜、リョウが寝たあとに二人でビールを飲んでいる時、ショウタはよくヨシオ君の話をする。
 忘れたくない記憶をたぐるような些細な話ばかりだ。幼い頃、苛立って冷たくしたことや、苛められるとかばっていたこと、オトナになってからの成長の記憶。小さなエピソードをショウタは光る石のように拾い上げる。 
 ユミはパエリアの日しか知らなかったのに、どんどん記憶が増えていった。
 ヨシオ君をまんなかにしてビールを飲む夜は、ヨシオ君も一緒に笑っているみたいだ。
 今ここにいなくても、ヨシオ君はだんだん近しい家族になってきた。



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「3.デパチカ・カニクリームコロッケ」



 休日の北天神のカフェでひさしぶりにナツコと会った。ナツコのストレートの猫っ毛は昔とちっとも変わらない。それから身体のラインのわかる黒のニットのワンピース。これは自分にはとても無理だとユミは思う。
 会社の同僚だったナツコは今も独身で、あの頃よりもずっと責任のある仕事をしている。

 最近はふたりで会話の小道を歩いていて、うっかり地雷を踏んでしまうことが多くなった。それが何なのか踏んでしまうまでわからない。だから用心のしようもない。
 
 その日ユミは、小学校や地域のボランティア活動のことを喋っていた。ボランティアというのは名ばかりの強制で、バザーや校内の夏休みの清掃に行かされる。おまけに同じ母親なのに言ってることの理屈がまるでわからない。そんなことを延々を話してしまったけれど、それはナツコにしてみれば海の向こうの小さな紛争のようなものだったのだろう。
「それでもユミみたいな扶養家族は税金とか控除がいっぱいあるのよね。税制は独身女にはもっと冷たいものなのよ。国は、あなたたちのことをタダで使える自分の奥さんくらいに思ってるんじゃないの?」とナツコは言った。
 それが税制に対する不満なのか、仕事をしないユミのふがいなさへの不満なのか、自分の立場への不満なのかわからなかったけど、紛争の当事者には少々的外れで残酷な手触りのものだったのはたしかだった。
 
 そういえば同期のヒロシがこの前突然メールをくれた。ナツコと三人で毎週末遊び回っていた仲間だった。
「ユミもなかなか外に出れない? ときにはみんなで飲みに行こう」という内容だった。
 思い出してヒロシの近況を尋ねてみた。
「二人めがもうすぐ生まれるらしいよ。 奥さんは今、子供を連れて実家に里帰りだって。今はさえないおじさんよ」
 これまたばっさりやられてしまった。

 ずっと友達でずっと同じ場所にいると思ってるのに、本当はすごく離れた場所にいるんだなあとユミは思う。だからわたしたちは、会うとすごくちぐはぐなのだ。わたしもヒロシもいつだって、その場所に戻れるように錯覚してるのに。

 家族という仕事は夜になっても終わらない。家族は仕事じゃないけれど、終わらない残業しているような気分になるときだってある。食べたくないのに夕飯を作らなきゃいけない日もあるし、子供は表計算みたいに入力すれば結果が出るってわけにはいかない。自分で産んだ子供なんだから、って言われればそれまでだけど、 そんな言葉でさえも、わたしたちをあっさり檻の中に隔離してしまうのだ。

 ねえ、想像力があればわかるなんて嘘だよね。 おたがい立場が違うだけでわからないことだっていっぱいある。想像してわかることがあるとすれば、自分の世界の外側には想像してもわからないことがたくさんあるってことだけだよね。
 そんなことを心でつぶやきながらユミは、今朝テレビで見た戦争の中継画像を思い出した。
  
 話が盛り上がらないままにナツコは「まだ買い物があるから」と言って、唐突に席を立つ。
 ああ、とか思うけれど、また時間がたって一緒にお茶でも飲めればいいなとユミは思う。

 そろそろショウタもリョウもおなかをすかせている頃だろう。デパチカでカニクリームを買って帰ろうか。
 何度か作ってみたコロッケはどれもパサパサの失敗作だった。どれだけ愛情注いでも手間とか時間をかけても、うまくいかない時もある。
 二人はデパチカのコロッケこそがごちそうだと思っている。
 主婦だからコロッケくらいは手作りで、とずっと思っていたけれど、作れなくったってそんなに困らないか。


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「4.ラーメンランチ 」



 こういうのは、やはり引きこもりって言うんだろうか? とユミは思う。
 高校に入ってからリョウはまったく外出しなくなった。いや、高校だけは毎日通っている。だが帰宅すると一歩も外に出ない。コンビニにも立ち寄らず、家の二軒隣の自販機までも行かないのだ。長い夏休みでさえもきっぱりと家の中にいる。ユミにジュースや雑誌を頼む日もあったが、部屋に閉じこもるばかりで会話もめっきり減ってしまった。
 確実と言われていた志望高校に落ちた。滑り止めの高校には同じ中学のみっちゃんがいたけれど、質実剛健の男子校に馴染めなかった彼は早々に中退してしまった。
 思春期だもの、気のすむまで悩めばいいんだよ、とショウタに言われ、見守ろうとは思うものの、家の空気がリョウの分だけ重かった。

 日曜のお昼にショウタと二人でラーメンを食べに行く。リョウにはコンビニの弁当を買って与えた。とにかく外食がしたかった。

 混んでいる店内で、ショウタが背の高い店員に注文をした。
「えっと。ラーメン大盛りと並みがひとつずつに、ご飯がひとつ、ホルモンひとつですね」
 金髪にピアスをした眉毛のない店員がたどたどしく 繰り返す。
「おい。もしかして、みっちゃんじゃないか」
 ショウタがそう囁いたので見上げると、みっちゃんが照れくさそうに笑っていた。

 はじめてのバイトなんだろう。ずっと手持ちぶさたで立っている。それからテーブルの片づけに呼ばれ、どんぶりを片付け、ていねいに台ふきで拭きあげた。きっとまだ、できることが少ないのだろう。

「お待たせしました」
 店主らしき別の男性とみっちゃんがふたりでラーメンを運んできた。
「えっと、大盛りはどちら?」 とか言いながらどんぶりを置いて、それから店主が伝票を確認する。ご飯とホルモンがまだなのに気づいた。
「おい、ご飯とホルモン、持ってきてないよ、これを先に持ってくるんだよ、お客さんすいませんね」
 それから別の店員がご飯とホルモンを持ってきた。

 みっちゃんはわたしたちの前で怒られたから恥ずかしかっただろうか?
 恥ずかしくても傷ついてはいないと思う。 みっちゃんが傷つくのは悪意のある言葉だけで、そんなものにたくさん傷ついてきたけど、真面目な忠告はまっすぐに受け止められる子だったからだ。そうだ。中学生活がうなくいかなかったみっちゃんは、いつもウチに寄っては、他愛もない話をしながらリョウとゲームをしていた。

 それからもみっちゃんは背筋をピンと伸ばして、自分のできる仕事が見つかるのを、じっと立ったまま待っていた。 少し緊張した顔がまぶしかった。
「すいませんね、ごはんとホルモン、遅くなっちゃって」
支払いのときに店主が言った。
「あ、ぜんぜんかまわないです」
と答える。
 ホルモンが遅くったってぜんぜん構わないです。その代わり、みっちゃんのことをお願いします。みっちゃんのご両親とかまわりの大人とかが、教えられなかったことをいっぱい教えてやってください。ほんと眉毛ないけど真面目な子なんです、ただ傷つきやすくて回り道が多かっただけだから。 彼が自分を誇れるように。どうかよろしくお願いします。
 ユミは心の中で深々と店主に頭をさげた。

 リョウもいつか......とユミは思う。巣箱の中で守られる時間はそんなに長くはないだろう。リョウもいつか、家族以外の誰かを頼れる日が来ますように。誰かのあたたかい言葉、誰かの親身な言葉に出会えて、いつか、わたしたちの外側に広がる限りない世界と繋がっていけますように。




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2008年05月23日

プロット

IMG_2092.JPG


 人を好きになるとすごくあたたかい気持ちになるのに。
 誰かを手にいれたいと思う気持ちはすごく暴力的だ。

 いっかい人格を壊してみる。
 きっとそこから始まれる。

 人を好きになるとすごくあたたかい気持ちになるのに。
 誰かを手にいれたいと思う気持ちはすごく暴力的だ。

 それはすごく矛盾している。

 この矛盾を言葉にしたくて、何度も何度も書いては消すのに。
 それでもそれを言葉にできない。

 君と話しているといつも、その世界だけがすべてだと思うのに。
 手に入れたいと思うとき、その世界すらも壊してしまいそうになるのだ。
 まるで意志とは関係なく、降りしきる、暴風雨みたいだ。

 きっといくつもある人格だもの。
 ここにある世界だって、わたしのココロの中の小さな部屋にすぎないのだし。
 わたしはここから出て、またふつうの日常にだって戻れるのだから。
 君の前にいるわたしのひとつくらい、人格が壊れてたってどうってことないって。

 わたしは、とっさに自分に、そう言い聞かせるのだ。


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2007年12月22日

幸福日和 β-1

 ずっと昔、テレビのワイドショーで見たニュースおぼろげながら覚えている。
 好きだった歌手が離婚して若い芸能人と再婚したニュースだった。無名の頃からそのロックシンガーを支えてきた妻は「糟糠の妻」という古い言葉で表現され、ちょっとセクシーなアイドルだった若い妻が略奪したような扱いだったと思う。
 そのときわたしは「糟糠の妻」に不思議な共感を感じた。いつかわたしはこんなふうに捨てられ、夫は若い女とどこか遠くに行ってしまうのではないだろうか。そのときわたしはこの「糟糠の妻」と同じようなことを感じるのではないだろうか。ただ漠然とそんな予感がしたのだ。

 当時の夫は出版社に入社して数年目で何の役職もなく忙しいばかりで、人はいいけれどモテるタイプではなかった。だから、その妄想はただの不安感に違いないと片づけた。
 わたしは結婚を期に仕事を辞めて妊娠したばかりだったし、いわゆるマタニティブルーのせいで、わけのわからない不安がときどき波のように襲ってきていたからだ。

 結果として夫は別の女と再婚することはなかった。
 夫は末期癌のすえに亡くなり、最期を看取ったのはわたしだったからだ。

 現役のサラリーマンから休職、そして入退院を繰り返し、薬の副作用に苦しみ、やせ細る夫を見るのは並大抵のつらさではなかった。最期はホスピスに入ったもののモルヒネだけですべてが収まるわけではない。もういい、こんなに苦しむなら楽にしてあげたい、そう思うことも幾度となくあった。
 だけども今になって思う。
 あの入院期間のあいだにわたしは、夫のゆるやかな死を少しずつ受け入れてきたのだと。
 もし、これが突然の死だったらもっと取り乱していただろう。だけども、少なくとも長い時間をかけてわたしは夫の死を受け入れてこられた。永遠に続くとも思えた長い闘病にも寄り添ってあげられた。
 娘の果菜がミュージカルをやっていたので、かけもちが大変な時期もあったが、それでもわたしは、夫というパートナーの死をただひとり全身で受け止めてあげられたと思っている。
 
 喪失感は今もなくならない。
 大切な人を失った生活は今もモノクロの世界にわたしをとどまらせている。
 
 それでもわたしには、最期まで夫に寄り添ってあげられたという自負だけがあった。
 それがこんなカタチで崩れるなんて思いもしなかった。
 
********************************

「お子様が生まれたのはご主人がなくなる二日前でした。そのお子様の認知と遺産の分与をご主人が望まれています」

 何を言っているのだろうか、この弁護士は。
 誰かがわたしを騙そうと悪意で連れてきた偽者ではないのか? こんな唐突な話を信じられるわけがない。
 なのにその弁護士が携えてきたのは、紛れもなく夫の筆跡の長い手紙だった。

 手紙は詫び状と言っていいような内容だった。わたし以外にもう一人愛する女性がいて、彼女が子供を産むことになった。その子供を認知したいこと、ある程度の金銭を渡したいこと。そうして、生前に何度も言おうとして言えなかったこと、とても傷つけてすまないということ、それからわたしと果菜を変わりなく愛していることが綴られていた。

 亡くなる二日前に子供が生まれたってどういうことなんだろう。
 受胎の時期は、夫は入退院を繰り返していた頃だ。体調だってよくなかった。わたしは果菜に付き添う日を除いてはほとんど夫と一緒だったのだし、そういうタイミングがいつあったのだろうか?
 わたしのいない日を見計らったっていうこと? そうしてその日に...一体どこで...?
 いや、それ以前に、夫の子供だっていう証拠がどこにあるのだろうか?

 弁護士が帰ったあとも放心したままで涙すら出なかった。
 そもそも、癌で先のない人間を彼女はどうして愛そうと思ったのだろうか。なんの打算? なんの独占欲? あるいは同情心?
 夫の遺言書が法的効力があることを述べて、弁護士はすべてのことをとどこおりなくやってのけた。
 わたしがどれだけショックを受けようが泣きわめこうが、そういうことは自分の仕事にはまったく関係がないとでもいうように。
 
 そういうふうにして、身体がすでに消えてしまった夫の心を、わたしはもう一度失ってしまった。

**********************

 覚悟はしていたけれど、夫のいない日は毎日がどんよりとした曇り空だった。
 誰かに声をかけられるのもイヤで外出もしなかった。早すぎる死を悼んでくれるのはわかるが、わたしの友人たちの夫はほぼ健在だ。そのことが否応なく押し寄せてくる瞬間がつらかった。
 果菜もミュージカルのレッスンを辞めてしまった。申し訳ないけれどそれもありがたかった。どんな慰めの言葉も届かなかったし、わたしはわたしの中の「夫とその女」との関係を自問するのにいっぱいいっぱいだったからだ。

 そのうち果菜は近所の女友だちを家に招くようになった。
 離婚していて父親がいないらしい。詳しい内容はわからないが「あんなひどい言い合いする親をみないで済んだ分は、果菜ちゃんの方がいいかも」と、言ってるのが部屋のドア越しに聞こえた。
 どんなケンカをしても、死んでいなくなるよりもマシではないかとわたしは思うのだが、父親のいないさみしさを抱えているのが自分だけではないと思えただけでも果菜にとってはよかったようだ。
 どちらかというと口数の少ないおとなしい友だちと、果菜は部屋でふたりで話す日々が増えた。
 金曜日は夕食に招きたいと言いだして、それから毎週金曜日にウチで食事をするようになった。
 母親は恐縮して電話を入れてくれた。こちらも娘がふさぎ込んでいたのでありがたいと言ったら、「実はウチもそうだったんです」と言われた。
 悲しみは、誰かと分け合うことで、少しずつ薄められてゆく。少なくとも果菜は、そういう相手を見つけられた。
 
 わたしは。
 見つけられない。
 夫の死よりも受け入れがたい事実を、わたしは誰にも告白することができない。誰にも言えない分、わだかまりだけが真っ黒い毛糸のように胸の中で大きくなってゆくばかりだった。
 
********************

 どこにも行かない毎日に夫の遺品の整理ばかりをして過ごした。
 会社の方が持ってきてくれた夫の私物。それから、コートや手帳。そういうものをひとつひとつ眺めてはしまっていった。
 夫は病で倒れるまではかなり忙しい毎日だったのだろう。会議や人と会う時間が小刻みに手帳には記されていた。だけどもその女と会った日はどこにも証拠が残されていなかった。
 手帳には書けない関係だと自分でもわかっていたのだろうか。

 それから大事なものを忘れていたことに気づいた。夫の携帯電話だ。ずっと病室に持っていたので、退院の荷物の中に入っていたはずなのにすっかり失念していた。
 慌てて充電して画面が現れると、その待ち受け画面の中で果菜とわたしが笑っていた。
 仕事が不規則な夫が電話をかけてくることは少なかったし、わたしからかけることもなかったけれど、用事があるときはいつでも読めるようにメールに入れておくことが多かった。

 いつも電話口に出られないとしても、夫は必ずメールは読んでくれていた。その感覚は今でも変わらない。
 天国にでさえも、メールを送ればいつかは読んでくれるのではないだろうか?
 携帯ならばどこにいたっていつかは連絡がつく。わたしはそう思っているのに、夫は携帯の届かない場所に行ってしまった。
 携帯の届かない場所。
 今時そんな場所なんてあるのだろうか。

 そうだ。ここにならあるだろうか。その女との履歴が。
 夫の携帯を盗み見るなんて考えたこともなかったし、今だって罪悪感は変わらない。だけども、わたしはそれを知らなければどこへも行けない。
 そう思って着信発信履歴を見てみたがどれが誰なのかよくわからない。会社、取引先、サカモト、ああ、これは一度お見舞いに来てくださった方だ。会社の女性が一緒だった。
 彼女、なのだろうか?

 メールの送信リストもひとつひとつ眺めてみた。
 ( ^ ^ )
 このマークだけのメールが並んでいた。
 果菜が心配しないで学校に行けるように、そしてわたしが安心して朝目覚められるように。長いメールは無理だけど、これを毎朝送ります、と言って、夫は毎朝このメールを送ってくれていたのだった。
 
 しかし。それは我が家にだけではなかった。

 園田という宛先に、毎朝我が家と同時にこのメールが送られていた。
 園田。きっとそれが彼女の名前なのだろう。彼女にも安否を知らせるメールは届いていたのだ。
 わたしたちだけが夫に気遣われていたと思っていたのに。彼女にも......

 やはり裏切られたような悲しい気持。選ばれていたと思っていた自分が選ばれてなかったという気持。わたしよりも愛されていた人がいたのだという気持がこみあげた。
 長く夫婦をやっていると愛情は薄れるものなのだろうか。わたしは果菜の稽古事にかまけすぎて夫をおろそかにしている所があったのかもしれない。だけども、いつ帰ってくるとも知れない不規則な夫を二人で待つことなんてできない。夫は夫の、わたしたちはわたしたちのやるべきことをしていて、それでもわたしたちは夫婦だったはずだ。

 全部で200通の送信が記録されていて、わたしはそのひとつひとつを読んでいった。
 最初の頃には会社への業務の連絡や休業の手続きの依頼などもあった。取引相手へのエクスキューズもあった。園田という女性へ近況を知らせるメールもあった。そして。だんだんと( ^ ^ )だけになってゆく。

 その数をひとつひとつ数えてゆく。
 洗濯物や欲しい本のことなどわたしに書いたメールが全部で87通。園田さんへも87通だった。
 87勝87敗。引き分け。
 
 なんてフェアな人なんだ。
 どちらが大切かなんて絶対に決めさせない。完璧なフェアプレイ。これが夫だ。
 ずるい、ずるすぎる。両天秤の答えを天国まで持っていってしまうなんて。
 するすぎるフェアプレイだ。

*******************

「分骨の件、承知していただいたと解釈してよろしいんですね」
 夫の雇った弁護士は、同情も何も覗かせないクールなところが苦手だったが、よく考えてみたら、こういう案件だからこそ、そういう対応が一番いいのだろう。
 実際に覚悟を決めて弁護士事務所を訪れたわたしには、その事務的な物言いに少しばかりの安堵すら覚えた。

「奥様が了解してくださるのなら、園田花織さんに白石さんの遺骨を分けてほしいという内容でしたね。こちらでお預かりするというカタチでよろしいでしょうか? 」
 
 弁護士は上着を脱いで白地にペンシルストライプのシャツだけだ。彼に委託するのが本来のやり方なのだろうか。だけど、わたしはそのときは心を決めていた。
「いえ。大事なものなので、できれば直接園田さんにお渡しするつもりです」

 弁護士はしばらく考えた。片肘をついて、手を耳にあてて何かを考えている。しばらく考えてから、彼は言った。
「それではそういうことでお願いします。遺言書にはそのことに関する詳しい希望もなかったし。ただ......」
「ただ?」
「園田さんは、当初、遺産の分与をのぞんでおられませんでした。自分で決めたことで白石さんの家族に迷惑かけたくないということでした。認知も、戸籍に記載されることを心配されていました。なんていうか.......奥様にも忸怩としたものがあるのはご理解できますが......」
「わたしが、園田さんを責めるのではないかと心配されてるのですね」
「白石さんはそれを望んでおられません」
「わたしもそれは同じです。彼女を責めても、もう、絶対にわからないことを置いて彼は逝ってしまったんです。責めてどうなるわけでもない。正直そのことは、今でもわたしを苦しめています。でも、もう一生わからないことなんです。夫にとって園田さんは大切な人だったのでしょう。そういう意味では一度お会いしてみたいとは思っています。だけども彼は家族も同様に愛していたと信じたい。そのことを素直に認めて謝った白石の意志を尊重したいだけです」

「わかりました。それではこの件は奥様にお任せします。まだ、おさみしいことも多いと思いますが。ご健闘をお祈りします」

 弁護士に頭を下げて事務所を出た。
 さわやかでも憂鬱でもなかった。
 わたしが言った言葉は嘘だらけだった。だけども、ほんとうの気持ちもほんとうの言葉も、わたしにはわからなかった。

***************************

 園田花織は外出中だった。しばらく考えたすえに管理人さんに待たせてもらうことにした。「ご健闘をお祈りします」という弁護士の言葉が今更ながらに身にしみた。認めたくない人に会うのはなんと勇気のいることだろう。

 そういう意味では園田花織にとってのわたしも認めたくない人だったのかもしれない。
 なぜだかもっと目鼻立ちのはきりした大柄な女性を想像していたのに、彼女はもっと平凡で恐縮のあまりに縮こまってしまいそうな顔をしていた。とても迷惑をかけたことを詫び、家の中が散らかっていることを詫び、赤ん坊がむずかって泣くたびに席を立つことを恐縮した。
 彼女はわたしのイメージの中の園田花織とはかけ離れていた。もっと押しの強く意志のはっきりした女性を想像していた。なのに誠実すぎて迷惑をかけた自分を責めるようなところさえ見せる。
 だから。だから夫が惹かれたのかもしれないし。だから夫に惹かれたのかもしれない。
「ほんとうに奥様にはご迷惑をかけてしまって」と下を向く、わたしよりもずっと若く肌のつややかな女性。なのに、愛する人を失った悲しさのせいか、その肌はあふれるような若さを消し去って何も主張しなくなっていた。
 
 そうか。
 白石を失った悲しみを彼女も抱えているんだ。
 わたしと同じ悲しみ。
 自分と同じように愛されていた人がもうひとり目の前にいるという、複雑な空虚さ。
 わたしが、誰とも分かち合えないと思っていた悲しみ。 

 赤ん坊が泣いていた。
 寝むずがっている子供を前に、園田花織は恐縮した。手足が意に反して動いてなかなか眠れないのだろう。そういうものなのよ、と言って手を握ると、子供はすやすやと寝息をたてはじめた。
 夫の血を引いた子供だが、夫に似ているようには思えない。園田花織の方によく似ているような気がした。だけども成長していくうちに子供の顔はどんどん変わってゆく。もう少し大きくなったら、この子は夫と同じような笑い方をするようになるのだろうか?
 それでもこの子は.......わたしの子供ではないのだ。

 彼女は、わたしが果菜に夫のおもかげを求めるように、この子を忘れ形見として育てていくのだろう。
 わたしには関われない場所で。わたしと同じ人を失った悲しみを抱えながら。
 「もう、どうでもよくなりました」
 そういうのが精一杯でわたしは涙があふれそうになって、それからこの場所を一刻も早く去ろうと席を立った。

 園田花織と手を取り合って、大切な人を失った悲しみに抱き合って号泣したい衝動に駆られていた。
 ふたりで白石を思いながら、わたしたちにしかわからない喪失感にふたりで泣きわめきたかった。
 だけど、そうしてどうなる。
 それと引き換えにわたしは、その悲しみが自分だけのものではないことに、このあと何年も苦しむにちがいないのだ。

 それだけでいい。誰にもわからないと思っていた悲しみを、わたしは園田花織とふたりで抱えていることを知り得た。
 それだけでいい。あとは、何も考えてはいけない。
 それだけでいい。園田花織親子は、そのままわたしの知らない場所で生きるべきだ。
 わたしはそれ以上のことに関わってはいけないのだ。
 
 そう決めたのがわたしなのか、それとも、死後もずっと息づいている夫の意志なのかわたしにはわからない。わたしはそれ以上のことを何も求めてはいけないと強く感じて、彼女のマンションから走り去った。

*************

 歩道を歩きながら、どんどんどんどん涙がとめどなく溢れていた。
 夫は誠実な人だった。
 だけど生きているかぎり、誰かを好きになる日もあるのだろう。
 その理由なんて、今となってはなにもわからないし。これから先、どんなに考えてもわからないにちがいない。

 もう、本当にどうでもいい。
 わからないことはわからない。
 わかることはひとつだけ、園田花織の中に、わたしが誰とも分かち合えなかった同質のものがあったということ、ただ、それだけだ。
 一生わからないことを抱えて、わたしは生きていくだけだ。
 一生わからないことを抱えていたって、きっと、生きていけるはずだ。

 もう一生会わないだろうけど、狭い東京の空の下で、わたしと園田花織はいつか出会うのかもしれない。
 そのとき、あの男の子の成長した姿を見て、もう一度手を握ってみたいけれど、そんな日もいつかはあるんだろうか。

 遠い未来のその日のことを想像してみた。
 見上げると涙にかすんだ狭い東京の空が、どこまでも高く青く澄んでいるように見えた。





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posted by noyuki at 22:08| 福岡 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月21日

彼女の地雷 わたしの地雷

IMG_0825.JPG


 北天神のカフェの二人がけの椅子に座ってアイスティーを飲みながら、ひさしぶりに長い時間をかけて話をした。
 彼女のストレートの猫っ毛は自然な感じの栗色で、昔とちっとも変わらない。
 それからわたしはときどき彼女の地雷を踏んでしまう。これも相変わらずのパターンだ。
 それが何なのかは、踏んでしまうまでわからないものだから、わたしには用心しようがない。
 
 一緒の職場にしばらくいてから、わたしは結婚して仕事を離れ、彼女はステップアップして別の会社でもっと責任のある仕事をしている。
 たとえば、何気なく噂した昔の同僚が彼女と今絶好状態にあることを知らなかったり。聞かれるままに自分の子供の成長を喋っているうちに、彼女自身がなんとなく不安な気持ちになってしまっていたりして。
 それで地雷を踏んでしまったことにわたしが気づくのだ。

 彼女は無意識に地雷を踏んでしまったわたしを責めないけれど、どんどん話のトーンが落ちてゆくのがわかる。そうして弱々しく笑って「まだ買い物があるから」とか言って席を立つ。
 わたしは何度かそういう場面に遭遇しては、ああ、とか思うけれど、それ以上心配することも最近はなくなって、また時間がたって一緒にお茶でも飲めればいいなと思って、しばらくそのまま椅子に座っている。
 
 休日が終わりに近づいた薄闇の中で彼女はどんなことを考えるのだろうか、と思う。
 
 それでもそんな彼女がわたしは好きなのだ。
 いつまでたってもハガネのように無神経になれない彼女が好きなのだ。
 きっと何年たってもそのことを彼女は説明しないだろうし、説明されたってわかりっこないだろう。
 地雷は不幸にもたまたま、わたしが歩いた場所にあっただけ。だから、恨みはしないって思ってくれてるような気がして。それでまた、いつかの日曜日に会いたいなと思ってしまうのだ。

 ねえ。

 わたしたちはたぶん、かつて同じ人を好きだったんだよね。
 時期は違うかもしれないけれど、わたしたちはある時期、同じ人を好きだったんだよね。
 それは、のちのわたしの結婚相手とも違うし、彼女が結婚しようと思っていてぎりぎりに破談にしてしまって大騒ぎになった相手とも違う。
 お互いに、すごく微妙な時期にわたしたちは彼に惹かれていたのかもしれない。あるいはそれは「好き」というよりももっと微妙な惹かれ方だったのかもしれない。
 彼女はそれを尋ねることが、わたしの地雷だと思って用心深くそのことを避けてるのかもしれない。
 あるいは、それもまた、彼女自身の地雷かもしれない。
 だから、わたしたちは、けっしてそのことを口にしない。
 たぶん、一生、わたしたちは、そのことを話さないにちがいない。

 だけど。
 その人に惹かれたことを含めて、わたしは彼女のことが好きなのだろうと思っている。

 アイスティーの氷が溶けてしまって、グラスが汗をかきはじめた。
 そろそろわたしも席を立って、自分の家に帰ることにしよう。

 推測は永遠に推測のまま。
 謎は永遠に謎のまま。

 

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posted by noyuki at 22:05| 福岡 | Comment(5) | TrackBack(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする