2010年07月12日

それはたぶんたいしたことじゃない 9

「 タミー」 4

 
「たとえその男の人が、君が僕を思っている以上にきっと僕の方が君を好きだって言ったって、ぜったいわたしの方が間違いなくたくさん好きだって思う」

 何かの雑誌で読んだ、ある女性歌手のインタビューだ。
 タミーはそれ以来、その歌手に共感を感じるようになった。

 あの男がそう言ったのだ。
 つきあいはじめた頃のある日のバーで、男はそういうふうにタミーに言ったのだった。
「わからないだろうけれど、たぶん、僕の気持ちの方がぜったいに重たいんだ」って。

 結婚記念日にワンピースを贈りたいと言って、その男は店にやってきた。
 仕立てのいいスーツを着た30代前半らしき男性だった。
「妻がここのブランドが好きで。最近ショーウィンドーに飾ってあった幾何学プリント柄のワンピースを買おうかどうか迷っていると話してくれたんです。あ、サイズは38なんだけど」
 どのワンピースなのか見つけるのは簡単だった。彼女の名前は顧客名簿にあったし、ワンピースを手にとって見せたのは、ほかならぬタミーだったからだ。

「ウチのブランドのそのサイズなら奥様はとてもぴったりのはずです。肌映りもよくて、いつもより少し冒険的な柄ですけれど、きっと着る機会も多いと思います」

 ストレートの黒髪に無地のワンピースを合わせることの多い女性だった。もう少し派手なものに挑戦してみたいけれど自信がなくて、という言葉が自然に出てくる。敵をつくることもなければ、誰かを陥れることもなくおだやかに暮らして、そして結婚していったタイプ。
「その通りだし、憎めない人なんだけれどね」と男は妻のことを評した。

 ある晩の帰宅のとちゅうでばったり会ったその男は、きれいにラッピングしてくれたお礼をさせて欲しいと、タミーを誘った。
 お客さまにそういうことをしていただくのは禁じられておりますし、それに、わたしは自分の仕事をしたまでですから、というタミーの言うことも聞かず、ほら、あそこのお店、行きつけのバーなんだと、なかば強引にタミーを連れていき、それからメルアドを聞き出すことから、つきあいがはじまった。

 強引だけど、話してみると情感に溢れているところが好感だったけれど、妻へのプレゼントを選んだ女性とつきあうのは整合性がない。
 そのことを指摘したときにそう言ったのだ。
「君が思っている以上に君のことを好きなんだ」と。

 押し切られるようにつきあったのに、だんだん自分の方が好きになってゆくのがわかるときの気持ちは、熱病のようだったけれど、そこにはたしかな敗北感もあった。

 いつだってそうだ。
 誰かに認められたくてしかたないんだ。
 そんな気持ちで恋をして、そしてわたしは自爆してゆくんだ。

 がんばって大学に合格したときも、就職が決まったときも、いや、もっとずっと幼い頃から、両親はいつもタミーの出す結果以上のことを望んでいた。
 ことに母親は学問に関しては容赦なかった。
 わたしは学問も手に職もなかったからお父さんに養ってもらわなければならない。あなたにはそういう人生を歩んでほしくないの。だから、力をつけてひとりで生きていけるようになりなさい。
 地方の公務員で暴君であった父の期待以上に、母親はずっと屈折した期待をタミーと兄にかけ続け、兄は期待どおりにその地方屈指の大企業に入った。

 タミーは、逃げた。
 地元国立大学の二次試験を巧妙に失敗し、家から通えない私立を選び、ひどい愚痴を聞かされながらも学費を出してもらい、大学のある都市に就職した。

 実をいえば、それは高校に勤務していたスクールカウンセラーの内緒の入れ知恵もあったのだが、彼の言葉は今でも忘れられない。
「親子だからって、離れていた方がいい親子だっている。実際、君がそうだ。君が知恵をしぼって両親から離れたとしても、僕は賢い選択だと思うだろう」

 いままで頼りにしてきた人間を切り捨てるのは容易なことではない。
 嫌いと思っていいんだと言われて嫌いになれるのは表面だけだ。
 カウンセラーは、決めるのは自分だと言った。

 何年も何年も、若いときの暴挙が正解だったのかわからない年月が続いている。
 両親は今でも、同居する兄夫婦や子供に対しては暴君だと伝え聞く。
 
 タミーは逃げられた。
 だけども、大きな影がいつもつきまとっている。

 無条件に自分を受け入れてくれるはずのものを、自らの手で遮断してしまった影。
 
 それはいつも、自分では手に負えないほど過剰で、どろどろとしていて。
 それが愛なのかどうかさえもタミーにはわからない。
 
 もし、男の愛情が「自分以上」のものだと男が言い切るのならば、彼はこの巨大な影以上のものを抱えているということなのか?
 
 そんなことはあり得ない。
 それだけは見ているだけでわかった。

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posted by noyuki at 16:32| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | それはたぶんたいしたことじゃない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月28日

「それはたぶんたいしたことじゃない」8

「 タミー」 3


 ショップの中堅になった頃から遅番の仕事が多くなった。
 レジを締めたりの仕事もあるし、在庫の管理や商品の注文も必要になってきたからだ。

 イタリア系の少しだけ高めのブランド。
 大学での専攻は英米文学だったけれど、第二外国語がイタリア語だったことが縁だった。ある程度のイタリア語の知識が必要だったのはたしかだったけれど、専門的なバイヤーではなく、あくまでショップの店員だ。
 大学まで出て店員の仕事なんて、と時代錯誤の両親が嘆息した負い目はあったけれど、就職氷河期に就職が決まっただけでもラッキーだった。

 この仕事は嫌いではない。マネキンに入荷したばかりの服を自分の手で着せられる。
 日本にはない色彩のプリント柄の服などには心踊った。お誕生日に着せ替え人形の新しい服を買ってもらったときの、はじめて袖を通したときのわくわく感そのままの自分が、今もここにいるような気がした。

 もちろん、マネキンだけを相手にするわけではなかったが、お客さんが新しい服を試着するときもそのわくわく感はあった。
 服の色合いひとつで、顔に明るい光が指すような瞬間をこれまで何度も見てきた。
 それは自分に対しても同じだ。
 
 中身なんて関係なく、人はどれだけでも違う自分になれることができる。
 服を通してタミーは、そのことを知ったような気がする。
 わたしは、どんなふうにだって変われる。

 タナカさんが日記に、(シックな色合いのものが好き)って書いたときに、彼女に入荷したばかりのピンクとくすんだブルーの幾何学模様のストールをプラスしたらどんなに素敵だろうと思った。 
 だけどそんなことは思うだけで書かない。

 タミオが着ているのは、いつもチャコールグレーのスーツだ。ネクタイの柄がいつも同じようなレジメンタルであることを上司に注意される。高いマンションを契約するには、それ相応のネクタイが必要なのだというのが上司の持論だからだ。(タミオの日記による)
 
「横浜に行くことになりました」
 ある日、タナカさんが日記にそう書いた。
 長期の休みを利用して、高校時代の友人の住む横浜に滞在するというのだ。
「う〜ん、残念。そのあたりは研修で身動きがとれません。お会いしたかったなあ」
 予防線をはるような言い訳。
「それは残念! 中華街にでもお誘いしたかったのに。以前言われてましたよね? 中華はだんぜん人数が多い方が楽しいって」
「そうそう。中華は人数の多い方が楽しいよね。いつか中華をごちそうしましょう」
「え? ご馳走になってもいいんですか?」
「大丈夫、オトナですから。次にタナカさんがおこしの際にはお友達もご一緒にどうぞ」
「( ^ o ^ )/」

 なにをやってんだ、わたしは。
 本当にそうする勇気なんてないくせに、こんなウソばかり並べ立てる。
 タナカさんを受け入れる覚悟なんてないくせに、なんでも受け入れてるようないい顔をしてみせる。
 
 いっそ、メールして本当のことを洗いざらい話してしまいたい衝動にもかられた。
 ウソついてごめんね、わたしはあなたよりも10歳以上も年上の女性なんだよ。
 若くて純粋でキラキラして才能あふれたタナカさん。
 彼女になにもかもぶちまけて、それでいて、何でも話せる友達でいられたら、どんなに素敵だろう。
 
 だけど、きっと、もう、遅いんだ。
 
 タナカさんの中にあるキラキラの中には、見たこともないタミオに対する淡い感情が溢れていたから。
 それを、自分の都合でリセットすることの残酷さは痛いほどわかっていたから。

 彼女の気持ちを引き受ける覚悟もないくせに、嫌われるのは怖くて、それでいて、恋心のオーラは心地よく嬉しくて、いつまでもそれを感じ続けていたい。
 そんな自分の気持ちに嫌悪しながらも、タミーにはだんだんわかってきた。

 そうか。
 
 あの男もあのとき、そういう気持ちだったんだ。

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posted by noyuki at 16:40| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | それはたぶんたいしたことじゃない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月06日

それはたぶんたいしたことじゃない 7

「タミー」2

 豊富なコミュニティが魅力のSNSだった。
 奥田民生のアルバムの情報が欲しかったし、仕事先で扱う女性服ブランドのクチコミの評判も知りたかった。最近はやりの本も読んでみたいけれど、どれがいいのかも全然わからないので、本のコミュニティにも入ってみた。

 ときどきコメントを書いてみるのは、新刊本のコミュニティだ。
 若い書店員の女性が、聞いたこともない作家の本を紹介してくれる。また専業主婦らしき女性が毎日のように文庫の本の感想を書いてくれる。
 女性が多くて、しかもゆったりした感じで、なじみやすい雰囲気のコミュニティだった。実際にそのコミュで評判になったおかげで有川浩のおもしろさを知った。

 それでつい、ここで見つけて読んでみておもしろかったとか、ひとこと感想を書くようになったのだ。
 少しだけ、注意して文体を考えてみる。
「帰りの駅の書店で、見かけて買ってみました。すごくおもしろかった。ぼくのお気に入りの作家になりそうです」
 「ぼく」なんだ.......「わたし」じゃないんだ。
 自分でそう書いてみるとなんだかわくわくした。

 それから日記も書いてみた。
 27歳の営業の男性。信頼していた上司が転職したせいで新しい上司に苦労していること。よその部署だった上司は勝手がわからずに年配の女性社員によく怒られてること。年配の女性社員はときどきお弁当を持ってきていて、おかずを作った残り物だって言うけれどそれがすごくおいしそうに見えること。柑橘系のコロンは嫌味じゃないけれど、毎日だと飽きるなあ、トイレの香水みたいだ、とか。
 残業すると、駅の本屋が閉店してしまうんで、せっかく買おうと思ってた本をいつまでたっても買えない、とか。
 内容はまるっきりウソじゃなかった。愚痴を書くときはほぼ100%本気だ。だけど少しずつ、シチュエーションを変えていくと、まるで他人事のようにおもしろおかしく思えるから不思議だった。

 最初にコメントをくれたのは、文庫本ばかり読んでいる主婦のみるくさんだった。
「タミオくん、がんばれ! 誰かが陰ながらみてくれてるよ」って。
 それから書店員のタナカさんもときどき書いてくれるようになった。
「お互い、仕事の人間関係は面倒ですね」って。
 それからみるくさんの仲良しのポピーさんも、遊びにきてくれるようになった。
 
 なんだか嬉しかった。
 タミオは草食系なんだろう。あまり警戒されてないような気がする。
 考えてみればあたりまえだ。男じゃないんだから。

 タミオは書店員のタナカさんと、ことのほか話がはずんだ。
 イラストがうまくて、ちょっとヲタクっぽいエッチな女性イラストとかを描いてはアップしている。
 タミオは本気で喜ぶ。
 「わ、すごい。ちょっとドキッとしたよ。もっとこんな感じのヤツ、いっぱい描いてください」
 タナカさんは褒められるとやっぱり喜ぶ。まだ21歳の大学生だという。書店の方はどうやら夕方からのバイトらしい。
 
 タナカさんがまぶしかった。
 ネイルをきれいに塗った指のアップを載せてみたり。髪の色を夏はうんと明るくしてみたり。それを逐一日記に書いてくる。ぼくも女性だったらそんな爪にしてみたい、とってもかわいいです、とタミオが言うと、ぜひぜひ、男性でもやってみて!なんて返してくる。

 ごめん、タナカさん。実を言うと、わたしの爪や髪にはたぶんあなたの何倍もお金と手間がかかっているんだ。だけどショップで働いてると、それが少しだけ当たり前になるだけのこと。あなたみたいに自分の好きにやって喜んでいるわけじゃない。
 若いときはわたしもタナカさんみたいだったのだろうか? 真希はパソコンの画面を見ながらそう考える。
 嫌味のない素直さ。
 そんなもの持ち合わせてなかった。
 タナカさんの書くものは文章も絵も、完成品ではないもののキラキラしててとても気持ちよかった。どこか真似ている感じのイマドキのものだったとしても、そこには真似できないキラキラがいつもあった。いろんな才能があるんだろう、なのにプライド高いわけじゃなくて、もっとささやかなところで楽しんでいる。
 そしてタミオは、知らない人格である気安さも手伝って、それを手放しで褒めている。
 タナカさんはいつしかタミオを信頼する年上の友人のように扱ってくれるようになっていった。

 いや。
 友人以上に思ってくれているような気がする。
 面と向かってなくても、ただの言葉の羅列でも。
 そういうことは、なんとなくわかるものなんだ。

 会ったこともないタナカさん。
 わたしは、あなたよりも10歳以上も年上の女で、ウソの人格を楽しんでいるような人間なんだよ。

 胸の中はときにはあたたかさでいっぱいになって。
 そしてときには、そのあたたかさが溢れすぎて痛くなったりもした。




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posted by noyuki at 15:19| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | それはたぶんたいしたことじゃない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

それはたぶんたいしたことじゃない 6

「 タミー」 1

 小さい頃、近所のおねえさんにもらった着せ替え人形の名前がタミーだ。
「リカちゃんよりもずっとお姉さんの人形なんだけど、すごく大事にしてたから、よかったら使ってね」と言われ、素直に愛用していた。
 ほっぺがふっくらしていて口が尖っていて気が強そうだ。ちょっぴり外国人のような風貌をしている。
 手足の色はよく見たら薄汚れているようにも見えたけれど、真希はその人形がすごく好きだった。

 真希は自分の名前があまり好きじゃない。
 悪い名前ではないとは思うのだが、中学校時代同じ名前の同級生がいて、それ以来嫌いになった。髪を明るく染めているようなタイプ。学校にはくるけれど、裏庭でグループで煙草を吸っているようなタイプ。強がりを言うけれど姑息さだけが目立っている同級生と、同じ名前であることがイヤだったのだ。

 学生時代「マッキー」って友達に呼ばれるたびに「マッキーよりもタミーがいいな」とずっと思っていた。
 思っていただけで、そうは言えなかった。

 名前のことを考えるとき、オトナになってよかったなあと思う。
 女性服のショップである仕事先で呼ばれる苗字は「記号」のようなものだし、幸いそちらのほうは嫌いではない。

 パソコンで使うハンドルネームはずっと「タミー」だ。
 どこのサイトでもタミー。たぶん、タミー以外の名前を使っても誰も自分だとは気づかないだろう。

 そう思って、ある日、ちょっとしたイタズラを思いついた。
 あまり書き込まないでだろうSMSにとりあえず登録したときに、名前を「タミオ」にしてみたのだ。
 奥田民生が好きだから、こういう名前でもいいんじゃないだろうか。
 あとは生年月日や居住地など、まったくのデタラメを入力していく。
 性別は、最初は保留にしておいた。
 最後までどうしようかと悩んで、それから男性の方のボタンを押した。

 幸いここには知り合いもいない。
 コミュニティの情報が読みたかっただけなので、書き込みをすることもないだろう。

 プロフィールの確認画面を見て、心が踊った。
 名前 タミオ。
 年齢 27歳。
 居住地 横浜市。
 仕事 営業。
 不動産関係の営業をやっています。

 まったく知らない男のプロフィールが画面に現われた。
 そうか。
 わたしの中に知らない男がいるのだ。

 それはなんて楽しいことなんだろう。


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posted by noyuki at 15:02| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | それはたぶんたいしたことじゃない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

それはたぶんたいしたことじゃない 5

「ミキティース」5

 
 あれから8年がたって、幹子は今もあの頃のままの2DKに部屋に住んでいる。
 仕事は一度変わった。
 同じようなオフィスワークだけど、運がいいのか転職した先はけっこういい会社で、待遇はよくなり、ストレスは軽減された。
 
 職場の同年代の女性と気が合うようになり、帰りにエスニックのレストランに入ったり、ときには休日に車で郊外の観光地までドライブする機会もできた。
 同年代の独身女性はあまりいないので、グループになる必要なんてない。気に入った個人同士でつきあえるようになった分、気が楽になったのだろう。

「それで、今までに一度も男の人とつきあったことないの?」
 今夜、ふたりで飲みに行った会社帰りのバーで、お酒で饒舌になった同僚からそう尋ねられた。それで久しぶりにショウタのことを思い出した。誰にも話せなかったその頃のことを手短かに話した。

 
「そうなんだ。そういうのって、ほんとに好きじゃなかったのかもね」
 彼女がそう言うのであいまいに頷いた。けれど、違う、わからなかっただけで、ほんとは好きだったのかもしれないと、そのときちらりと思った。

 その日は口当たりのいいワインのおかげで倒れこむように眠れた。なのに夜中にぱちりと目覚めてしまい、今、幹子はそのことについて、ベッドの上でぼんやりと考えているのだ。
 週末は長い。考える時間はどれだけだってある。

 いつしか幹子は小学校にはいる前の引っ越し前夜のことを思い出していた。 
「新しいマンションから、新しい小学校に通うようになるの。新しいおとうさんと一緒にみんなで楽しく暮らしていくのよ」
 ものごころついたときに母は離婚していたから、お父さんというのがどういうものなのかぴんとこなかったけれど、いつもケーキを買ってきては楽しく遊んでくれるこの人が一緒に住んでくれると思うと、きっと楽しいにちがいないと幹子の心は華やいだ。
 実際に楽しかったのかもしれない。
 ぎくしゃく遠慮していたのは自分の方だ。
 しばらくすると、母親を二人っきりで寄りそうように生きていた頃を懐かしく思うようになってきた。
 思春期に、着替えも洗濯も不必要なくらいに神経質になったのは自分の方だ。
 そんな空気を感じながらも、気持ちのやさしい父親は遠慮がちにやさしく接してくれた。誕生日には、趣味の合わない高価なダッフルコートを選んでくれた。
「こういうのはあまり好きじゃないの」と言えなかったのは自分の方だ。

 今は離れて暮らしているせいで父母とも穏やかな関係を続けていられる。父親は優しくて今でも遠慮がちだ。おだやかで人のいい父親。帰省するたびに「なにかの足しにするといい」と小遣いをくれる。
 
 このまま、この部屋でずっとこうしていられたらいいのにと思う。
 誰も、わたしを「新しい場所へ」なんて連れていって欲しくない。
 ほかの幸せがあるのかもしれないけれど、こうやって、夜中に降り始めた雨の音をひとりで聞いている時間の方が自分はたぶん好きなのだ。

 いつかは、そうじゃない環境にとびこむことだってできるのだろうか?
 できるときがくるのなら、そうしたっていいと思う。
 その時がくれば、それはきっとたいしたことじゃないのだと自分に言い聞かせよう。
 この言葉はとても好きだ。ショウタが残してくれた一番幸せな言葉だ。

 すっかり目が覚めてしまった。
 いいや。起き上がろう。
 そうしてこれからミキティースになろう。


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posted by noyuki at 21:40| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | それはたぶんたいしたことじゃない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月18日

それはたぶんたいしたことじゃない 4

「ミキティース」4

 自宅暮らしのショウタは週末にはよく部屋にやってきたし、待ち合わせてレストランに行ったり、近くの居酒屋で夕飯を食べる回数も増えた。
 金曜日の夜に終電で帰ることもなく朝までショウタがいたり、化粧もしないで近所にふたりでできたてのフランスパンを買いにいったりもした。
 
「一緒に暮らしたいんだ」ある日ショウタがそう言った。
「ここに?」
「いや。マンションを買おうかと思って。中古だけど、すごくいいのを仕事先で見つけた。幹子と結婚して、そこで暮らしたいって部屋を見たとたんに思った。南向きの7階で白木のフローリングのリビングで、そこからの眺めがすごく幸せそうだった。だから、ああ、この場所に幹子といっしょにいれたらいいなあと思ったんだ。幹子さん、僕と結婚してください」

 この日当たりの悪い7,5畳の部屋ぜんたいに太陽の光が降り注いだような気がした。もし、外を歩いていたのなら、嬉しさのあまり車道まで一気に走り出してしまうに違いない。坂道だったら、くるくるとボールになって坂を転げまわってゆけるだろう。そうして軽くなったカラダは、空までロケットみたいに飛んでいけるかもしれない。
 それくらいに、心臓がバクバクと音をたててダンスした。

 なのに、次に幹子の心の中に浮かんだのは、喜びのあまりに車道に飛び出した自分が、大型トラックに轢かれて即死してしまう光景だった。

 なぜ?

 けっきょく幹子は返事を引き伸ばした末に、メールで申し出を断り、もう会わないでいたいと書いた。
 理由もないメールにショウタは怒ったけれど、携帯を着信拒否にしてしまった。
 夜中に部屋をノックする音が何度かしたけれど、そんな夜は静かに照明をオフにした。

 なぜ?

 他人の心の中なんて絶対にわからない。
 自分の一番深いもののことを言葉にできないから。
 言葉にできない、ただのあいまいなモノを説明することなんてできないからだ。

 たぶん。

 
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posted by noyuki at 13:11| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | それはたぶんたいしたことじゃない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月17日

それはたぶんたいしたことじゃない 3

ミキティース」3

「口に出さないでなんでもこっそりフォローするんだよね」
 幹子の部屋でコーヒーを飲みながらショウタがそう言った。
「部長の書いた文書の変換ミス、会議室が懐疑室だったのをこっそりなおしてたでしょ」
「あれはたまたま気づいたけど、プリントアウトする前だったから」
「会議室のお茶の片づけ。自分が参加してなくてもやってくれてた」
「女子社員がするものと思ってる人たちばかりだもの」
「忍者みたいな先輩だなあって思ってたんだ」
「忍者はひどいと思う」
「そういう人がいるから潤滑になんでもできてるんだなあって感心したんだ」

 それは人を好きになる理由になるのだろうか、と幹子はちらりと思う。

「そういうところに気づくってことは、社員のダメなところをいっぱい知ってるわけでしょ。でも、愚痴は言わない」
「言う機会も相手もいなかっただけ」
「嘘だよ。女子同士で悪口言ってても参加してなかった」
「愚痴のピンスポットがズレてたからよ」

 そこでショウタの両腕が、向かい合った幹子の肩に置かれた。

「じゃあ、今、ここで言って。僕たちはたぶん、おなじ事で苛立って、おなじ事をスルーしてきたような気がするんだ」
 そう言われてもすぐには思いつかない.....と思いながらも、くだんの部長の変換ミスのひどさに辟易してて、それでこっそりチェックするようになったことを告白した。
 ショウタは声をあげて笑った。
「あの人、約束の時間にもよく遅れてるでしょ。それも、ときどき教えてあげてる」
「得意先からよく電話受けてたのよ、まだ来ないって」

 ショウタの腕が、幹子の背中をぎゅっと抱きしめる。
 
「幹子さんはほんといい仕事してたよね。ああ、また幹子さんと仕事したいなあ」

 好きになるきっかけってそういうものでいいのか? 
 そういう理由でキスをして、そういう理由でわたしの胸の白さをたしかめ、そういう理由でわたしの中に入ってきて、そうしてわたしのカラダの中に張られていた一本の線がゆるんでいって、わたしがこらえきれずに声をあげる。
 そういうことでいいのか?

 それはこじつけのようにも思えたけれど、それでもショウタには邪気のない愛情があることだけはわかった。

 たぶん、そういうことに慣れてないんだ。
 これからわたしは慣れていけるだろうか?
 生まれつき持っていないものを、わたしはこの人を真似るようにして、手に入れることができるのだろうか?
 
 幹子は、自分の横でつかのま寝息を立てるショウタの顔を見つめながらそんなことを考えていた。

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posted by noyuki at 15:54| 福岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | それはたぶんたいしたことじゃない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月09日

それはたぶんたいしたことじゃない 2

「ミキティース」2

 ショウタは以前は同じ会社の同じ部署にいたけれど、つきあうようになったのは、家業を継ぐために退職してからだった。

 地元の不動産会社だという。新卒で数年間社会勉強のカタチで幹子の会社に入社したが、社長が引き受けた縁故採用だったらしい。

 ふつうの若者。髪は染めてないものの、きちんとしたサロンでカットして、服の趣味もこぎれい。背がひょろりと高いことをのぞけば目立つところもなかった。
 ふつうに宴会の幹事をまかされたり、取引先で失敗して怒鳴られたりもしていた。
 そつなくなんでもこなすタイプではなかった。ポカも多かった。
 それでもまわりに可愛がられていたのは、その人柄の良さゆえだと思う。

 辞めることになったときに、送別会を開くことになり、その幹事は順番制で幹子が引き受けた。
 オレンジのガーベラをベースにして、黄色や赤色の明るい色の混じった花束を作ってもらう。
 いつもまわりを元気にしてくれる「すこやかな」印象に対するお礼のつもりだったのだ。

 送別会の二次会が終わり、電車の時間を気にしながら足早に帰っていると、ショウタが追っかけてきた。
「花束の色が嬉しかった。つきあってくださいっ」
 一期下の職場の男性を恋愛の対象と見たことなんてなかったので、いきなりの攻撃に幹子は驚く。
「あ、ごめん、花束がなんて言ったらびっくりしますよね。えっとー、そうじゃなくて、前から先輩の心遣いがいいなあっていつも思ってて、でも、会社辞めたら、もう連絡もできないのさみしいし。メル友から、はじめてもらったら嬉しいな、って思って......」

 勢いで言おうと思ってたことが、だんだん尻すぼみになっていく。その様子がおかしくて吹き出してしまった。

 メールはいつか電話になり、外で会ったり、幹子の部屋で会うようになるのに、それほどの時間はかからなかった。
 
 それでも幹子は、特定の男性と懇意になることの意味がよくわからなかった。どういうことを話せばいいのか、どういうことをすればいいのか、なにもかもがピンとこない。
 聞かれるままに職場の近況を話したり、愚痴を言ったり、その会話すらも手探りだったように思う。

 ただ、いっしょにいるだけで楽しい、というのは、人を愛する感情が、ごく自然に身に付いている人が感じることなのだ、たぶん。


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posted by noyuki at 11:10| 福岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | それはたぶんたいしたことじゃない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

それはたぶんたいしたことじゃない 1

「ミキティース」1

「それは、多分たいしたことじゃないんだ」というのがショウタの口癖だった。
 仕事で女同士の中傷に巻き込まれたり、下着泥棒を警察に届けたばかりにマンションの管理人に興味本位の質問をされた時、幹子はずいぶんその言葉に救われたものだ。

「嫌なことって、普通に生活してるだけでやまほど起きるものなんだ。でも、そんなときに僕はいつもこう思うことにしてる。それは、たぶんたいしたことなんじゃないって。だってさ。そんなことがあったって、夜には好きな本を読んだりごはんを食べたり、幹子とこうして電話で話したりしてるだろ? そういうことができるのが大切なことで、あとはそんなにたいしたことじゃないんだ。たいしたことじゃないことは、いつか心の中から消えさってゆく。自然に消えていくのを待っていればいいんだよ」
 
 そんなショウタと別れた。
 幹子は夜ごとにその言葉をつぶやくようになった。
「これは多分、わたしにとって、全然たいしたことじゃない」
 一日に何回も、呪文のようにつぶやいた。つぶやくごとに、ショウタの顔やそれを言うときの癖のあるイントネーションを思い出した。大声をあげて泣きたくもなった。

「それでも、たいしたことじゃないことは、いつか心の中から消えさってゆくんだ」
 ショウタは確かにそう言った。だからこのこともまた、いつか消え去っていくのだろう。
 消え去ってほしいのかどうかは、自分でもわからないのだけど。


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posted by noyuki at 13:24| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | それはたぶんたいしたことじゃない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする