2015年09月27日

「アンダーリポート/ブルー」佐藤正午 小学館文庫



何度か読んだはずなのに、詳細を忘れてしまっている。
「交換殺人」の話だったはずなのに、誰と誰がどういう理由で交換されたのかを忘れてしまっている。

おそらくひとつは、ストリーが複雑なのと、記憶の経年劣化がおきているためだ。
あと「文体」とか「仕掛け」とか「時系列」とか「雰囲気」とか、追いかけるものが多すぎて、とてもストリーだけに集中してはいられないかったからにちがいない。

そのことについては、伊坂幸太郎さんが「解説」で書かれてる。

というわけで、三度目なのにガツンとやられてしまった。
「アンダーリポート/ブルー」
いや、正確には、「アンダーリポート」と短編「ブルー」は別々に何度か読んでたのだが、同じ本に収録されていなかったため、同時に読む機会がなかった。
今回はじめて同時に読めた。
すごかった。
なにが?
裏切りがすごい。驚きがすごい。「ブルー」を読んではじめてわかることがある。そのことに愕然とくる。

メビウスの輪のように「閉じた小宇宙」の中で、ふたりの女性が「殺してやりたい男」を思い描き、交換殺人を犯す話だ。
ざっくり言ってしまうとそうなのだが、少しずつ登場人物の立ち位置がわかってくる。
そして、完璧に「閉じた小宇宙」だと思い込んでいたはずなのに、いきなりドアがこじ開けられる。
それが「ブルー」だ。

「ブルー」の初出は、「正午派」という本のカバーの裏側に書かれた短編だった。
それを「人をくったような意外性」だけでおもしろがっていたが、ここにきて「アンダーリポート」と続けて読むと、作者の用意した「びっくりするような着地点」がようやくわかりました。



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posted by noyuki at 17:29| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月09日

「ミドリの森」6 ミドリ  「ウソツキドリ」

「ウソツキドリがさ、いつのまにか、ここからいなくなったんだよね」
よりママが自分の胸に指をあててそう言った。指のあいだからタバコの煙がふわっとひとすじ昇っていく。

ミドリ以外の客はいない。カウンター席もたったふたつのボックス席も空っぽだ。
仕事の帰りに滝のような夕立が降ってきて、折り畳み傘では肩もくるぶしもずぶ濡れになった。それでこの古びた店に飛び込んだのだ。

よりママは痩せぎすで、きついパーマの髪は明るい。皺だらけの顔なのにつけまつげだけが異常に元気だ。もう何十年この店を続けてるんだろうか?
順番にカラオケを入れて、記憶にもないような古い曲を歌う常連客も今日はいない。
新しいボトルを開けて、口数も少なくウィスキーを飲む店内には、外から聞こえる滝雨の音しか聞こえなかった。

「ウソツキドリ?」
「そう、ウソツキドリ。今思うと、あれはウソツキドリだったわ。いたときは、なんにも気付かなかったけどさ」
「勝手に、よりママに嘘をつかせてたってこと?」

よりママは、深く煙を吐いた。

「まあ、そういう感じかな?」
いや、ちょっとちがうかな?  そう言いながら、勝手にウィスキーを足して、大きな氷をぽんといれる。
氷は大きすぎて、グラスがなみなみになる。まあ、いいか。これくらいだと薄くならない。

「ウソツキドリがずっとわたしと男を喰いちらかしてたのよ。気づかないうちにね」

こんな男とやる気なんてない、って思っててもさ、気がついたらやっちゃってんだよね。
誰でもよかったわけじゃなくって、でも、雷に打たれたみたいになってさ、電気が走ってどくどくするの。
だからわたしは、人を好きになるときって電気が走るもんだって思ってた。
こころって頭じゃないんだ。こころはこころで勝手なことするもんだって本気で思ってたの。
でもそうじゃなかった。

今になってわかるわ。
あれはウソツキドリの仕業よ。

きっと、いろんな見えないところを喰いちらかしてたんだろうね。
ちょっとした隙に、なんかどうしようもなくなって、悲しくなったりするの。ほんとに好きかどうかわかないんだけど、もっとわたしを見てほしくってズキズキしたり、もう、いてもたってもいられないくらいになって、なんで閉店まぎわに帰っちゃうの?  最後までわたしといてくれないのは誰かのところに行くから? ってふつふつ腹がたったりしてさ。帰るってのを、鍵閉めて押し倒したこともあった。結局待ちくたびれた女がやってきて、ドアバンバン蹴たくって、それどころじゃなくなったんだけどね。
伝票だって、ずいぶん書き換えたのよ。今考えると笑っちゃうけど、きらいな男の伝票に好きな男の飲んだ分をつけていったりするのよ。
でも、そんなことしたって一緒、ウソツキドリは勝手に飽きて、勝手にどこか行っちゃうの。

ある日、羽振りのいい男が、単なる見栄っ張りの浪費家に見えたりするの。
横顔のきれいさに惚れたはずなのに、なんだろ、このナルシストって思ったりしてさ。
すーっと、冷静になると、みんなつまんない男で。
もうどうでもよくなっちゃうの。自分でもびっくり。
ウソツキドリがいなくなると、なんの感慨もわかないのね。
なんであんなに好きだったのに、こんなに見下してしまうんだろう? あの気持はどこに行ってしまったんだろうって、もうさ、愕然よ。

そのうち、ウソツキドリはわたしのところにはもう戻ってこなくなってしまった。
いなくなったら、よくわかる。
さみしいもんよ。
もう、あんなに怒ったり悲しんだりしなくていいんだもん。
ほら、ここに来る人たちってさ、みんな大昔の恋の歌を歌うじゃない。
あんなの聞いたってさ、ああ、この歌作った人たち、みんなウソツキドリにやられてたんだね、とか思ってしまうだけなの。
平和っていえば平和なんだけど。
なんか、毎日が平べったい感じになっちゃったのよ。

ミドリはロックを飲み干した。ほとんど溶けていない大きな氷だけがグラスに残った。
「ちょっと待って」って、よりママは洗い場に入っていく。
「干し魚を焼いてあげる。ウソツキドリの好物よ」
台所から声が聞こえた。

ミドリはもう一度LINEを見る。
既読がついてるのに返信はない。
「雨がひどくて、ひとりじゃ帰れない。迎えにきて」
もう一度メッセをいれる。
今度は既読はつかない、いつまでたっても既読がない。

ボックス席に移動して電話を入れた。
15回まで数えた。

「明日は早いんだ。もう、寝てたよ」
男の声がそう言った。
「もう、飲み過ぎて歩けない。ねえ迎えにきてよ」
今度は沈黙。

そして男は電話を切る。
だけどミドリは知っている。
断れない男なのだ。

「迎えにこないと、隣にいる男とやっちゃうよ」

LINEにそう入れる。
既読はすぐにつく。
男はベッドから起き上がり、服を着替えて、車を出すだろう。
わたしがゆっくりと薄手のコートをはおる間に、男が支払いを済ませてくれるはずだ。

家にあげて、抱きついてしまえばいい。
でも、その頃には、記憶の一番奥にある、誰にも言えない嫌悪感がわきあがってきて、またわたしはセックスを拒んでしまうのかもしれない。

ウソツキドリはずっとわたしの中にいるんだろうか?

目をつむると、そこには暗い沼があった。
泥沼だ。
わたしの足はいつも膝まで泥沼につかったまんま。だからまっすぐに歩けない。
そしてウソツキドリも男も、みんな泥沼に足を救われて身動きが取れなくなってしまうんだ、きっと。

何日か前、ミドリの仕事場のロッカーに「うそつき」と書いてあった。
ひきずるような血の文字にゾッとした。
消去法で考えれば、それが誰の仕業かなんてすぐわかる。

そしてゾッとするような血文字のカラクリも思いの外かんたんにわかった。
使用済みの生理用ナプキンがロッカーの前に転がっていた。

ねえ。人を恨んだりできるのはけっこうまっすぐなことなのかもしれないね。
恨まれたって、わたしが傷つかない。
誰かの恨みや怒りまで、わたしは引き受けられないもの。

もっともっとこわいのは自分だ。
どこまで壊れていけば、生きるのをやめられるんだろうか?
そう思いながらわたしは今も生きているんだよ。

よりママが干し魚を焼いてもってきてくれた。
つまんで口に入れられるくらいの小さな干し魚だ。

その魚に手をつけようとしたら、ドアが開いて、傘を折りたたみながら男がようやくやってきた。
「なんだかいい匂いだね」
そう言って男はにこやかに笑った。


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2015年08月19日

「ジャイロスコープ」 新潮社文庫 伊坂幸太郎




正直「文庫で発売のオリジナル短篇集」って、ああ、あまりおもしろくないのかな?と思ってた。あまり売れる算段がないから文庫なのかな?とも(失礼!)
いえいえ。ほんとに満足! 作品も構成もラストの「十五年を振り返って」インタビューも、作品と作者に対する愛にあふれた丁寧な作りだと思う。

最近の伊坂幸太郎の描く分野は実に幅広く、好みのものも、ちょっと避けたいグロいものも、実験的に見えるものもある。そういうのが全て入った、本当にいろとりどりな一冊。
そして、その「色とりどり」がひとまとめにきれいな瓶に入っている印象。

というと、ピンとくる方もいらっしゃるかも。
そして「ジャイロスコープ」というタイトルの由来も。



以下。ネタバレを含めた簡単な感想です。

* 「浜田青年ホントスカ」 一本目からガツンと楽しい短編。「相談屋さん」の話。いや、浜田岳さんに演じてほしい、浜田青年です。

* 「ギア」 セミンゴという謎の物体の不思議な話。

* 「二月下旬から3月上旬」坂本ジョンの話。意外な仕掛けにびっくり!

* 「if」個人的にはこのお話がいちばん好み。伊坂幸太郎らしい、人間の誠実さがよく出ている。

* 「ひとりでは無理がある」サンタクロースの話。これもまた好み。こうして、どれが好きだったか書いていくと、自分が伊坂幸太郎の「どんなところが好き」なのかよくわかります。

* 「彗星さんたち」新幹線の清掃業務をする方々の話。これもまた、不思議な...

*「うしろの声がうるさい」オールスターズ!(謎)

これにインタビュー形式の作品解説がついてて、ほんとに豪華な一冊でした。






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2015年08月06日

8/6の空を見上げる

8/6日の空を見上げる

長崎出身の友人が毎年やっていること。
原爆の日に空を見上げ、平和を祈ること。
簡単なことなので、これならできると、いつのまにか、自分でもできるようになりました。

耳納連山が遠くにかすんで見えています。
これからも、この静かな空が、ゆるぎなくわたしの頭の上にあり続けられますように。

8/6の空をみあげる。#hiroshima



世の中にはいろんな立場の人がいて、いろんな考え方の人がいるから。
「ひとつのきまりごと」を作っても、それで良い人と良くない人はもちろんいると思う。

良くない人は良くないと、自分の思っていることを言えばいい。

問題は、自分とちがう考え方の人を誹謗中傷する人がいること。
それと、最初からの「意見」が誹謗中傷である人がいることだ。

あなたは、あなたの中で間違っていないことを言えばいい。
それによって誰かに訂正されたり貶められたり、誹謗中傷されることはない、はずだ。
時がたてば、きっとほんとうのことが残る。

話を戻そう。

空を見上げよう。
この空に、嘘や悪口や貶め傷つける言葉や行為が、なにひとつ混じらないように。


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2015年07月22日

「長いお別れ」 中島京子 文藝春秋



認知症について扱った小説だと聞いた。「でも中島京子さんの作品だから読んでみようかな?」と思った。

スタイリッシュな題名どおり、主人公の「お父さん」のプライドはおおまか損なわれず、「お母さん」も大変だけど明るくてなんだかほっとした。

主人公「東昇平」は元国語教師で校長先生。認知症を発症し、少しずつできないことが多くなっている。
長女は夫の仕事の関係でサンフランシスコ在住。次女は結婚して近くに住み、三女は独身のフードコーディネーター。
現在は妻の曜子さんと二人暮らしをしている。

短編のオムニバス仕立ての中で「東先生」はだんだんできないことが多くなっていく。それでも、昔のことを覚えていたり、サンフランシスコまで行ったり、孫に「漢字名人」と尊敬されたり。
これは、そういう毎日を過ごしながら現世にゆっくりとお別れしていく東先生の「ロング・グッドバイ」なお話。

もちろん、今、日本の各地に東先生は存在している。
わたしの防災メールには毎日のように「東先生が◯◯で行方不明になりました」と連絡が入るし、スーパーのレジでは東先生は小銭を揃えるのに苦労して、うしろに長い列を作らせている。
東先生は何十回と同じ昔話をしてくれるけれど、さっきクスリを飲んだかだけはどうしても思い出せない。

物語の中では、やさしく賢明な家族の力によって、東先生のプライドは損なわれない。
物語の中では、小さな女の子の冒険を助けてくれるし、どんなに困った事件が起きても作者と登場人物の力でユーモラスに乗り越えられてゆく。たとえそれが「いまわのきわ」であっても。
現実にはもっと大変なこともたくさんあるだろうし、東先生のプライドはいろんなかたちで損なわれるのかもしれない。
だけどもこれは物語。

物語は「社会を変えるもの」ではなくて、「人の心に静かに染みこんでいくもの」だと思っています。
この「お別れの物語」の感触がいろんなところに染みこんでいけばいいなと思いました。



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posted by noyuki at 21:18| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月20日

「書くインタビュー 1」佐藤正午 小学館文庫



メール形式のインタビュー。
その「1」では、「身の上話」とそれ以前の作品、インタビュー中に描かれた「ダンスホール」の解説、これから書く予定の「鳩の撃退法」のことが、メールの質問に答えるというカタチで書かれている。

ただの作品解説と思いきや一筋縄ではいかない。最初のインタビュアーはあまりの噛み合わなさに失踪するし、二度目のインタビュアーも作家の機嫌を害して、秘書の照屋氏の代筆、口述筆記の返事をもらったり(笑)
偏屈で気分屋の作家の本音を聞き出すまでの過程がおかしくて、笑いがこみあげてくるメール形式のロングインタビュー。

作家にはいろんな顔がある。執筆する作家、プロットを考える作家、リアルに生活している作家、喋る形式でインタビューを受ける作家。
先日サイン会までおしかけて佐藤正午氏と短い会話をする機会を得た私だが、印象は物静かに喋る方という印象だった。それは「喋るよりも書く方が性に合っている作家」のひとつの顔なのかもしれない。

「書くインタビュー」の作家は全然違う。偏屈で(失礼!)、きつい冗談も、嘘もはぐらかしも筆なめらかに連発してくれる。
そして、翻弄されながらも食らいつくインタビュアーが、作品の構造を聞き出してゆく。

「心の病」にかかっていた時期やそのときの行動、それが「ダンスホール」という作品にどういうふうに反映されているか、などは「喋るインタビュー」では辿り着けない領域だと思う。
インタビューを受ける作家のイメージを楽しむにも、少々難解な「ダンスホール」の解説を読むにも貴重な一冊です。

「書くインタビュー 2」については、また別の機会に。

*****

個人的ネタバレ感想。

210ページ。「ではこの(ダンスホールの)偏執狂的な文体に気づいた鋭い読者の方や優秀な編集者がじっさい正午さんの周りにいましたか?」というインタビュアーの質問について。

わたし自身は「しかけはわからなかったけれど、感じてはいました」。
「なんか変な文章だな、いつもの軽やかさがないな、もしかして、心の病という話も聞いてたけれど、まだ全快されてないのかな?」と勝手に心配していたほどです。
そしてそう感じたことなど誰にも言えず悶々としていました。

ああ、そういうことだったのか! とほんとにびっくり。
こうして翻弄されるのが正午ファンの醍醐味なのだと再確認しました。
それがどういう「しかけ」だったのかは、ぜひ、このインタビューでお確かめください。


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posted by noyuki at 14:46| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月21日

西へむかう帰路

今日みたいに黄砂か多い日は舌がしびれるんですよ、びりびり。


タカダが死んだと聞いて、そのことがずっとアタマの片隅にひっかかったままだ。

毎年タカダ夫妻からは年賀状が届く。
だけどその年は違った。
12月のはじめの頃に、印刷した欠礼はがきが奥さんのユウコの名前で届いたのだ。

5月にタカダが急逝した、と印刷の文字が無機質に伝えていた。

タカダとユウコが結婚して、別の土地に住むまでは、わたしたちのグループはいつも一緒だった。木田くんや美香もいた。他にも何人もわたしたちのシェアハウスに出入りしてた。
びみょうと言えばびみょうだったのは、最初、タカダとわたしがつきあいはじめたのに、いつのまにかユウコと結婚することになったことだ。

それはすごく悲しいことだったし、詳しく書きたくもない。ただ、幸運にもわたしたちは友だちでいつづけられた。
タカダとユウコの結婚式のあとに、タカダはわたしの手を取って泣いた。
オレが言うことじゃないけど、ナオミにはぜったい幸せになってほしい、本気でそう祈ってる、わたしたちは手を握りあって泣いた。
そして、今、思い出した。
二次会のパーティで、タカダの先輩とわたしがいい感じになったとき、タカダは、「先輩、結婚してるのにナオミに手を出さないでください」ってマジに怒ったのだった。
今考えても失笑ものだ。
以前から憧れてたタカダの先輩に言い寄られて、悪い気はしてなかったのに。
そう。
タカダはそんな純粋なヤツだから、憎んだり恨んだりできなかったのだ。

なのにユウコは半年以上もタカダの死をわたしに伝えなかった。
電話をしてみようと思ったけれど、それもできなかった。
一時期シェアハウスで同居してたくらいだもの、ユウコの性格はよくわかっている。言いたくないことはぜったいに言わないのだ。自分の弱みも悩みも、なにひとつ言わない。
彼女がはじめて告白するのはいつも、自分の中ですべてを片付けたあとだ。
わたしは、ユウコの中でいろんなことが片付くのを待った。

そしてわたしはよくないことばかりを考えた。
タカダがなんで死んだかってことだ。
賭け事好きのタカダは莫大な借金を作って自殺したんじゃないか?
あるいは誰かの保証人になって、あるいはよくない所から借金して。

ストリーはいつも違うけれど、だいたい、そんな結末ばかりだった。

タカダの死についても夫に伝えた。遅れてきたハガキ1枚で、葬儀にも出れなかったことも。そして、夫の意見もわたしと同様だった。
「なんらかの事情があったのだろう、触れてほしくない事に触れないほうがいい」

その後はユウコとの年賀状のやりとりも途絶えたままになった。
ひとりで車を運転してるとき、それが夕暮れだったりすると、わたしはタカダのことを考えた。
彼はどんな人生だったんだろう?
ユウコとの結婚生活はどうだったんだろう?
そうしてなぜ、自殺しなければいけなかったんだろう?
落日はいつも死とつながっていた。
その時刻はいつも、タカダのことを思い出すための時間だった。

三年がたち、以前ユウコと一緒に勤めていた会社のパーティで、私はユウコに再会することになる。

彼女は相応に年を取っていたけれど、ラインのきれいな革の茶色いブーツに黒のワンピースを着ていた。大きなターコイズの短めの首飾り、相変わらずの華やかさだった。
わたしは自分から「その話題」を出すことはできなかった。

そして同僚数人のグループで近況を話していたとき、ユウコは言った。
「夫は三年前になくなったの。雪の日の車の中で、彼は死んでいたの」と。

ひとりで故郷の家に帰っていたらしい、帰路に吹雪に巻き込まれ、車を停め、そこでなくなっているのが発見されたらしかった。
「ナオミにも話してなかったっけ?」ってユウコは、取り繕うように軽く笑った。
けっして弱い部分を見せない彼女の性格を思い出し、ああ、そんなふうにしか言えなかったんだなとわたしは思った。
自分の中で収拾のつかなくなったことを言葉にするのはむつかしい。
それでも、彼女が話してくれたことでわたしは少しほっとした。
「今はあたらしいボーイフレンドもできて」という言葉には少なからず苛ついたけれど、タカダのことを喋るためには「あたらしいボーイフレンド」も必要だったのかもしれないと言い聞かせた。

仕事場から家に向かう道はまっすぐに西にのびている。
落ちてゆく夕日を追いかけながらタカダのことを思い出す回数は、少しずつ減っていった。
借金のすえに自殺をした筋書きも消えてしまったが、吹雪の車中でタカダはどんなだったのだろうと考えることはあった。
彼は実家で好物のビールを飲んだのだ、そして、車が動かなくなったタイミングで酔いを覚まそうとしたのだ。彼は、ほろよいの夢うつつの中で消えてしまったのだ。
死に方に幸せも不幸せもない。だけど、わたしの想像は少しずつ軽くなっていった。

そうしてもう二年がたった。
タカダのことを思い出すことはぐんと減った。
わたしの「記憶のタカダ」もだんだん小さくなっていき、そして、ときおりそのことに抵抗するように、タカダという名前がふっと頭に浮かんだりもした。

逢魔が時の薄暗がりは、ときおりちがうものを見せてくれる。
その日、わたしはまたタカダのことを思い出していた。

あのとき、タカダがユウコと結婚してなくて、わたしと結婚してたらどうだろう?
そうしたら、タカダはまだ生きているんじゃないか?
タカダと結婚したかったわけじゃない。
でも、そうしたら、何かが違ってたんじゃないか?

「ユウコ、あんたなんかと結婚したから、タカダは死んだんだよ!」
赤信号で待ってるとき、わたしの口からとつぜんドロドロが言葉が飛び出した。
びっくりした!
なんなの? そんなこと思ったこともなかったのに。
ふつうに考えてもそれは違うのに。
交差点での風景は、広がっていく言葉に覆われて真っ黒になって、わたしは、夕闇に浮かび上がる赤信号をたよりにやっと家路についた。

家で降りたら外は漆黒の闇に変わっていた。

ちいさなちいさな恨みや後悔を、手に取ることは無駄だと言い聞かせてきた。
そのことに鬱屈すら感じたことはなかった。
だけどもある瞬間に、ザラザラとした砂が波にさらわれないままに残っていることに気づくのだ。

車のドアをあけると、いちだんと冷えた夜の空気にアタマがクリアになってくる。

ユウコの中にも、同じ海の砂が、同じように残っていたのかもしれない。
わたしがその存在に気づく前に、ユウコはその砂を、悲しみの中で掌に握りしめていたのかもしれない。

そう思ったとき、ユウコに対する無意識の不満が、スルスルと消えていくのがわかった。

ねえ、ユウコ。

わだかまりと思わないくらいのわだかまりも、この世界の中にはずっと流れているのかもしれないね。
誰も気づかなくても、そんなものがわたしたちの知らない浜辺にじっと溜まり続けていくんだろうね。


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posted by noyuki at 22:57| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月04日

伊坂幸太郎の備忘録 「火星に住むつもりかい?」光文社



小説好きなくせに、残酷なシーンや騙し騙されのストリーが苦手で、そんなものにはなるべく手を出さないようにしてきた。

だから、正直第一章からげんなり。
日本に平和警察なるものができて、怪しい人物をどんどん拷問して殺しちゃう話ばっかなんだもん。
冤罪も騙し合いもあり。そして、それを邪魔する「不思議な武器を持った男」もでてくる。
ああ、前評判には聞いてたけど、やっぱ手ださなきゃよかったって、うん、後悔もしました。

誰かやってきて、スパッと解決しちゃってよ、と思っても、次々にえげつない人ばかりが出てくるし。

そんなげんなりの中で、正義は小さくて綿密だ。
少しずつ、数人の人の小さな正義は形になって、世の中は変わっていきそうな気持ちにさせてくれる。
そもそも正義ってそんなもんなのかもしれない。
無敵の誰かが、跡形もないほど破壊するものではなくて、小さな良心が少しずつ繋がっていくみたいな。

正義の味方は予想とはかけ離れた人物だったし、大きな組織の中にも改革を望む人はいた。
「武器」は荒唐無稽だと思ったが、最後の最後までいい仕事をしてくれた。
げんなりばかりじゃなく、これから歩くべき方向も確かにあった。

ネタバレかもしれないけれど、気に入ったフレーズをひとつだけ。

「振り子が行ったり来たりするように、いつだって前の時代の反動が起きて、あっちへ行ったりこっちへ来たりを繰り返すだけだよ。
(中略)
どうすることもできないよ。振り子の揺れを真ん中で止めることはできないからね。大事なのは行ったり来たりのバランスだよ。偏ってきたら、別方向に戻さないといけない。正しさなんてものはどこにもない。スピードが出過ぎたらブレーキをかける。少し緩めてやる。その程度だ」

その程度のことを実行するために、これだけたくさんのうんざりが起こるんだよ。
それでもわたしたちは、振り子を逆方向に戻すことを、胸の中に灯すんだよね。

今更ながらに「物語と現実は地続きだ」と実感している。
震災のあと「想像ラジオ」という小説が登場したように。
今の時代に「火星に住むつもりかい」という小説があるように。
そして田中慎弥の「宰相A」という小説もうんざりしながら今読んでる。

ああ、うんざりだ。こんなうんざりなんて、できれば見ないで過ごしたい。
なんて思ってると、「火星にでも住むつもりかい?」って言われてしまいそうだけどね。



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2015年04月11日

ゆめを見た

休日なのに早朝に目覚めてしまいがっかりした。
だんだん夜明けが早くなって、もう外には小鳥の声が聞こえていた。

しかたないので、ベッドでアイパッドを繰る。
スクロールしながら、記事や読み物で覚醒していくのが最近の習慣だ。

ああ、それにしても眠りが浅いなあ。せっかくの休みだからもっとぐっすり眠りたかったなあ。
そう思っていると、友人が枕元にやってきていた。
姉のように慕っている年上の友人だ。

「そういうときはこれを食べるといいわよ」
小さなお皿に、茹でた青菜のようなものがちょこんと載っていた。
その上に檸檬をたっぷりたらしてくれた。
おおぶりで、あまりすっぱくない、わたしの好きな檸檬だ。

わたしはそれを食べた。
檸檬のすっぱさ以外の食感はなかった。
それくらい青菜はやわらかく茹でてあるんだと思った。
味のくせのない、ふわっとした青菜。

次に気がついたときは、近くの工場の8時のサイレンが鳴っていた。
ああ、ちょっと目を瞑っただけだと思ってたのに、すごくぐっすり眠ってしまってたのだ。

あの青菜檸檬のおかげだろうか?

それにしても味がなかった。
夢の中で食べるものはだいたい味がない。
だけど、匂いやふわっとした食感はある。

そしてわたしは夢の中でそれを、なぜか「おいしい」と思って食べている。

冬の公園。夕日がきれい。



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2015年03月25日

九年前の祈り  小野正嗣



心にひっかかった本は記録しておこうとは思っているのだが、ズルズルと遅れてしまうこともある、困ったもんです。

芥川賞受賞作。大分出身の友人のすすめで読んでみた。
旅行して気に入っていた佐伯、蒲江町の風景がなつかしく、シングルマザーと金髪の子供が、その町でどういうふうに映るのか想像しながら楽しんでいた。

が、後半にさしかかり、なにかがちがう、ゾワゾワ感に襲われてしまった。
なんなんだ、これは?

漁村の女性の強く明るい会話の中に、彼女たちの、心の中の純粋さや切迫した静かな祈りが見え隠れする。

そしてなによりも、最後に「現実と物語」のズレのようなもの残ってしまう。
その「居心地の悪さ」のようなものが見事だと思った。

(以下ネタバレになります・ご注意ください)

子供の希敏(ケビン)が千切れたミミズになる時、シングルマザーであるさなえは、困り果て、それを沈めようとする。
そして公的機関の女性から「なにか困ったことがあったらご相談ください」と言われ、さなえは「虐待を疑われているのでは」と思う。
それは「なんんらかの発達障害のある子どもへの支援のための声掛け」だと思うのだが、さなえは、「自分の虐待が疑われてる」と思う。さなえの世界の「ズレ」の中では、千切れたミミズの話なのだ。それは「障害の受容」の話ではないのだ。
美しい描写と、力強い漁村の人々の感性の中で、いろんなものが変わり、受容されていくのだが、この「ズレ」は変わらない。

現実と物語はズレている。
気づこうと気づくまいと。
そして、作り上げられた世界の美しさゆえに、そのことに「はっ!」と気づいたときの居心地の悪さが見事に残る作品でした。
あ、この居心地の悪さというのはけして悪い意味ではないです。
物語は多幸感が残るものばかりであっても困るので。



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