2015年08月06日

8/6の空を見上げる

8/6日の空を見上げる

長崎出身の友人が毎年やっていること。
原爆の日に空を見上げ、平和を祈ること。
簡単なことなので、これならできると、いつのまにか、自分でもできるようになりました。

耳納連山が遠くにかすんで見えています。
これからも、この静かな空が、ゆるぎなくわたしの頭の上にあり続けられますように。

8/6の空をみあげる。#hiroshima



世の中にはいろんな立場の人がいて、いろんな考え方の人がいるから。
「ひとつのきまりごと」を作っても、それで良い人と良くない人はもちろんいると思う。

良くない人は良くないと、自分の思っていることを言えばいい。

問題は、自分とちがう考え方の人を誹謗中傷する人がいること。
それと、最初からの「意見」が誹謗中傷である人がいることだ。

あなたは、あなたの中で間違っていないことを言えばいい。
それによって誰かに訂正されたり貶められたり、誹謗中傷されることはない、はずだ。
時がたてば、きっとほんとうのことが残る。

話を戻そう。

空を見上げよう。
この空に、嘘や悪口や貶め傷つける言葉や行為が、なにひとつ混じらないように。


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posted by noyuki at 13:51| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月22日

「長いお別れ」 中島京子 文藝春秋



認知症について扱った小説だと聞いた。「でも中島京子さんの作品だから読んでみようかな?」と思った。

スタイリッシュな題名どおり、主人公の「お父さん」のプライドはおおまか損なわれず、「お母さん」も大変だけど明るくてなんだかほっとした。

主人公「東昇平」は元国語教師で校長先生。認知症を発症し、少しずつできないことが多くなっている。
長女は夫の仕事の関係でサンフランシスコ在住。次女は結婚して近くに住み、三女は独身のフードコーディネーター。
現在は妻の曜子さんと二人暮らしをしている。

短編のオムニバス仕立ての中で「東先生」はだんだんできないことが多くなっていく。それでも、昔のことを覚えていたり、サンフランシスコまで行ったり、孫に「漢字名人」と尊敬されたり。
これは、そういう毎日を過ごしながら現世にゆっくりとお別れしていく東先生の「ロング・グッドバイ」なお話。

もちろん、今、日本の各地に東先生は存在している。
わたしの防災メールには毎日のように「東先生が◯◯で行方不明になりました」と連絡が入るし、スーパーのレジでは東先生は小銭を揃えるのに苦労して、うしろに長い列を作らせている。
東先生は何十回と同じ昔話をしてくれるけれど、さっきクスリを飲んだかだけはどうしても思い出せない。

物語の中では、やさしく賢明な家族の力によって、東先生のプライドは損なわれない。
物語の中では、小さな女の子の冒険を助けてくれるし、どんなに困った事件が起きても作者と登場人物の力でユーモラスに乗り越えられてゆく。たとえそれが「いまわのきわ」であっても。
現実にはもっと大変なこともたくさんあるだろうし、東先生のプライドはいろんなかたちで損なわれるのかもしれない。
だけどもこれは物語。

物語は「社会を変えるもの」ではなくて、「人の心に静かに染みこんでいくもの」だと思っています。
この「お別れの物語」の感触がいろんなところに染みこんでいけばいいなと思いました。



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2015年06月20日

「書くインタビュー 1」佐藤正午 小学館文庫



メール形式のインタビュー。
その「1」では、「身の上話」とそれ以前の作品、インタビュー中に描かれた「ダンスホール」の解説、これから書く予定の「鳩の撃退法」のことが、メールの質問に答えるというカタチで書かれている。

ただの作品解説と思いきや一筋縄ではいかない。最初のインタビュアーはあまりの噛み合わなさに失踪するし、二度目のインタビュアーも作家の機嫌を害して、秘書の照屋氏の代筆、口述筆記の返事をもらったり(笑)
偏屈で気分屋の作家の本音を聞き出すまでの過程がおかしくて、笑いがこみあげてくるメール形式のロングインタビュー。

作家にはいろんな顔がある。執筆する作家、プロットを考える作家、リアルに生活している作家、喋る形式でインタビューを受ける作家。
先日サイン会までおしかけて佐藤正午氏と短い会話をする機会を得た私だが、印象は物静かに喋る方という印象だった。それは「喋るよりも書く方が性に合っている作家」のひとつの顔なのかもしれない。

「書くインタビュー」の作家は全然違う。偏屈で(失礼!)、きつい冗談も、嘘もはぐらかしも筆なめらかに連発してくれる。
そして、翻弄されながらも食らいつくインタビュアーが、作品の構造を聞き出してゆく。

「心の病」にかかっていた時期やそのときの行動、それが「ダンスホール」という作品にどういうふうに反映されているか、などは「喋るインタビュー」では辿り着けない領域だと思う。
インタビューを受ける作家のイメージを楽しむにも、少々難解な「ダンスホール」の解説を読むにも貴重な一冊です。

「書くインタビュー 2」については、また別の機会に。

*****

個人的ネタバレ感想。

210ページ。「ではこの(ダンスホールの)偏執狂的な文体に気づいた鋭い読者の方や優秀な編集者がじっさい正午さんの周りにいましたか?」というインタビュアーの質問について。

わたし自身は「しかけはわからなかったけれど、感じてはいました」。
「なんか変な文章だな、いつもの軽やかさがないな、もしかして、心の病という話も聞いてたけれど、まだ全快されてないのかな?」と勝手に心配していたほどです。
そしてそう感じたことなど誰にも言えず悶々としていました。

ああ、そういうことだったのか! とほんとにびっくり。
こうして翻弄されるのが正午ファンの醍醐味なのだと再確認しました。
それがどういう「しかけ」だったのかは、ぜひ、このインタビューでお確かめください。


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2015年05月21日

西へむかう帰路

今日みたいに黄砂か多い日は舌がしびれるんですよ、びりびり。


タカダが死んだと聞いて、そのことがずっとアタマの片隅にひっかかったままだ。

毎年タカダ夫妻からは年賀状が届く。
だけどその年は違った。
12月のはじめの頃に、印刷した欠礼はがきが奥さんのユウコの名前で届いたのだ。

5月にタカダが急逝した、と印刷の文字が無機質に伝えていた。

タカダとユウコが結婚して、別の土地に住むまでは、わたしたちのグループはいつも一緒だった。木田くんや美香もいた。他にも何人もわたしたちのシェアハウスに出入りしてた。
びみょうと言えばびみょうだったのは、最初、タカダとわたしがつきあいはじめたのに、いつのまにかユウコと結婚することになったことだ。

それはすごく悲しいことだったし、詳しく書きたくもない。ただ、幸運にもわたしたちは友だちでいつづけられた。
タカダとユウコの結婚式のあとに、タカダはわたしの手を取って泣いた。
オレが言うことじゃないけど、ナオミにはぜったい幸せになってほしい、本気でそう祈ってる、わたしたちは手を握りあって泣いた。
そして、今、思い出した。
二次会のパーティで、タカダの先輩とわたしがいい感じになったとき、タカダは、「先輩、結婚してるのにナオミに手を出さないでください」ってマジに怒ったのだった。
今考えても失笑ものだ。
以前から憧れてたタカダの先輩に言い寄られて、悪い気はしてなかったのに。
そう。
タカダはそんな純粋なヤツだから、憎んだり恨んだりできなかったのだ。

なのにユウコは半年以上もタカダの死をわたしに伝えなかった。
電話をしてみようと思ったけれど、それもできなかった。
一時期シェアハウスで同居してたくらいだもの、ユウコの性格はよくわかっている。言いたくないことはぜったいに言わないのだ。自分の弱みも悩みも、なにひとつ言わない。
彼女がはじめて告白するのはいつも、自分の中ですべてを片付けたあとだ。
わたしは、ユウコの中でいろんなことが片付くのを待った。

そしてわたしはよくないことばかりを考えた。
タカダがなんで死んだかってことだ。
賭け事好きのタカダは莫大な借金を作って自殺したんじゃないか?
あるいは誰かの保証人になって、あるいはよくない所から借金して。

ストリーはいつも違うけれど、だいたい、そんな結末ばかりだった。

タカダの死についても夫に伝えた。遅れてきたハガキ1枚で、葬儀にも出れなかったことも。そして、夫の意見もわたしと同様だった。
「なんらかの事情があったのだろう、触れてほしくない事に触れないほうがいい」

その後はユウコとの年賀状のやりとりも途絶えたままになった。
ひとりで車を運転してるとき、それが夕暮れだったりすると、わたしはタカダのことを考えた。
彼はどんな人生だったんだろう?
ユウコとの結婚生活はどうだったんだろう?
そうしてなぜ、自殺しなければいけなかったんだろう?
落日はいつも死とつながっていた。
その時刻はいつも、タカダのことを思い出すための時間だった。

三年がたち、以前ユウコと一緒に勤めていた会社のパーティで、私はユウコに再会することになる。

彼女は相応に年を取っていたけれど、ラインのきれいな革の茶色いブーツに黒のワンピースを着ていた。大きなターコイズの短めの首飾り、相変わらずの華やかさだった。
わたしは自分から「その話題」を出すことはできなかった。

そして同僚数人のグループで近況を話していたとき、ユウコは言った。
「夫は三年前になくなったの。雪の日の車の中で、彼は死んでいたの」と。

ひとりで故郷の家に帰っていたらしい、帰路に吹雪に巻き込まれ、車を停め、そこでなくなっているのが発見されたらしかった。
「ナオミにも話してなかったっけ?」ってユウコは、取り繕うように軽く笑った。
けっして弱い部分を見せない彼女の性格を思い出し、ああ、そんなふうにしか言えなかったんだなとわたしは思った。
自分の中で収拾のつかなくなったことを言葉にするのはむつかしい。
それでも、彼女が話してくれたことでわたしは少しほっとした。
「今はあたらしいボーイフレンドもできて」という言葉には少なからず苛ついたけれど、タカダのことを喋るためには「あたらしいボーイフレンド」も必要だったのかもしれないと言い聞かせた。

仕事場から家に向かう道はまっすぐに西にのびている。
落ちてゆく夕日を追いかけながらタカダのことを思い出す回数は、少しずつ減っていった。
借金のすえに自殺をした筋書きも消えてしまったが、吹雪の車中でタカダはどんなだったのだろうと考えることはあった。
彼は実家で好物のビールを飲んだのだ、そして、車が動かなくなったタイミングで酔いを覚まそうとしたのだ。彼は、ほろよいの夢うつつの中で消えてしまったのだ。
死に方に幸せも不幸せもない。だけど、わたしの想像は少しずつ軽くなっていった。

そうしてもう二年がたった。
タカダのことを思い出すことはぐんと減った。
わたしの「記憶のタカダ」もだんだん小さくなっていき、そして、ときおりそのことに抵抗するように、タカダという名前がふっと頭に浮かんだりもした。

逢魔が時の薄暗がりは、ときおりちがうものを見せてくれる。
その日、わたしはまたタカダのことを思い出していた。

あのとき、タカダがユウコと結婚してなくて、わたしと結婚してたらどうだろう?
そうしたら、タカダはまだ生きているんじゃないか?
タカダと結婚したかったわけじゃない。
でも、そうしたら、何かが違ってたんじゃないか?

「ユウコ、あんたなんかと結婚したから、タカダは死んだんだよ!」
赤信号で待ってるとき、わたしの口からとつぜんドロドロが言葉が飛び出した。
びっくりした!
なんなの? そんなこと思ったこともなかったのに。
ふつうに考えてもそれは違うのに。
交差点での風景は、広がっていく言葉に覆われて真っ黒になって、わたしは、夕闇に浮かび上がる赤信号をたよりにやっと家路についた。

家で降りたら外は漆黒の闇に変わっていた。

ちいさなちいさな恨みや後悔を、手に取ることは無駄だと言い聞かせてきた。
そのことに鬱屈すら感じたことはなかった。
だけどもある瞬間に、ザラザラとした砂が波にさらわれないままに残っていることに気づくのだ。

車のドアをあけると、いちだんと冷えた夜の空気にアタマがクリアになってくる。

ユウコの中にも、同じ海の砂が、同じように残っていたのかもしれない。
わたしがその存在に気づく前に、ユウコはその砂を、悲しみの中で掌に握りしめていたのかもしれない。

そう思ったとき、ユウコに対する無意識の不満が、スルスルと消えていくのがわかった。

ねえ、ユウコ。

わだかまりと思わないくらいのわだかまりも、この世界の中にはずっと流れているのかもしれないね。
誰も気づかなくても、そんなものがわたしたちの知らない浜辺にじっと溜まり続けていくんだろうね。


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2015年05月04日

伊坂幸太郎の備忘録 「火星に住むつもりかい?」光文社



小説好きなくせに、残酷なシーンや騙し騙されのストリーが苦手で、そんなものにはなるべく手を出さないようにしてきた。

だから、正直第一章からげんなり。
日本に平和警察なるものができて、怪しい人物をどんどん拷問して殺しちゃう話ばっかなんだもん。
冤罪も騙し合いもあり。そして、それを邪魔する「不思議な武器を持った男」もでてくる。
ああ、前評判には聞いてたけど、やっぱ手ださなきゃよかったって、うん、後悔もしました。

誰かやってきて、スパッと解決しちゃってよ、と思っても、次々にえげつない人ばかりが出てくるし。

そんなげんなりの中で、正義は小さくて綿密だ。
少しずつ、数人の人の小さな正義は形になって、世の中は変わっていきそうな気持ちにさせてくれる。
そもそも正義ってそんなもんなのかもしれない。
無敵の誰かが、跡形もないほど破壊するものではなくて、小さな良心が少しずつ繋がっていくみたいな。

正義の味方は予想とはかけ離れた人物だったし、大きな組織の中にも改革を望む人はいた。
「武器」は荒唐無稽だと思ったが、最後の最後までいい仕事をしてくれた。
げんなりばかりじゃなく、これから歩くべき方向も確かにあった。

ネタバレかもしれないけれど、気に入ったフレーズをひとつだけ。

「振り子が行ったり来たりするように、いつだって前の時代の反動が起きて、あっちへ行ったりこっちへ来たりを繰り返すだけだよ。
(中略)
どうすることもできないよ。振り子の揺れを真ん中で止めることはできないからね。大事なのは行ったり来たりのバランスだよ。偏ってきたら、別方向に戻さないといけない。正しさなんてものはどこにもない。スピードが出過ぎたらブレーキをかける。少し緩めてやる。その程度だ」

その程度のことを実行するために、これだけたくさんのうんざりが起こるんだよ。
それでもわたしたちは、振り子を逆方向に戻すことを、胸の中に灯すんだよね。

今更ながらに「物語と現実は地続きだ」と実感している。
震災のあと「想像ラジオ」という小説が登場したように。
今の時代に「火星に住むつもりかい」という小説があるように。
そして田中慎弥の「宰相A」という小説もうんざりしながら今読んでる。

ああ、うんざりだ。こんなうんざりなんて、できれば見ないで過ごしたい。
なんて思ってると、「火星にでも住むつもりかい?」って言われてしまいそうだけどね。



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2015年04月11日

ゆめを見た

休日なのに早朝に目覚めてしまいがっかりした。
だんだん夜明けが早くなって、もう外には小鳥の声が聞こえていた。

しかたないので、ベッドでアイパッドを繰る。
スクロールしながら、記事や読み物で覚醒していくのが最近の習慣だ。

ああ、それにしても眠りが浅いなあ。せっかくの休みだからもっとぐっすり眠りたかったなあ。
そう思っていると、友人が枕元にやってきていた。
姉のように慕っている年上の友人だ。

「そういうときはこれを食べるといいわよ」
小さなお皿に、茹でた青菜のようなものがちょこんと載っていた。
その上に檸檬をたっぷりたらしてくれた。
おおぶりで、あまりすっぱくない、わたしの好きな檸檬だ。

わたしはそれを食べた。
檸檬のすっぱさ以外の食感はなかった。
それくらい青菜はやわらかく茹でてあるんだと思った。
味のくせのない、ふわっとした青菜。

次に気がついたときは、近くの工場の8時のサイレンが鳴っていた。
ああ、ちょっと目を瞑っただけだと思ってたのに、すごくぐっすり眠ってしまってたのだ。

あの青菜檸檬のおかげだろうか?

それにしても味がなかった。
夢の中で食べるものはだいたい味がない。
だけど、匂いやふわっとした食感はある。

そしてわたしは夢の中でそれを、なぜか「おいしい」と思って食べている。

冬の公園。夕日がきれい。



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2015年03月25日

九年前の祈り  小野正嗣



心にひっかかった本は記録しておこうとは思っているのだが、ズルズルと遅れてしまうこともある、困ったもんです。

芥川賞受賞作。大分出身の友人のすすめで読んでみた。
旅行して気に入っていた佐伯、蒲江町の風景がなつかしく、シングルマザーと金髪の子供が、その町でどういうふうに映るのか想像しながら楽しんでいた。

が、後半にさしかかり、なにかがちがう、ゾワゾワ感に襲われてしまった。
なんなんだ、これは?

漁村の女性の強く明るい会話の中に、彼女たちの、心の中の純粋さや切迫した静かな祈りが見え隠れする。

そしてなによりも、最後に「現実と物語」のズレのようなもの残ってしまう。
その「居心地の悪さ」のようなものが見事だと思った。

(以下ネタバレになります・ご注意ください)

子供の希敏(ケビン)が千切れたミミズになる時、シングルマザーであるさなえは、困り果て、それを沈めようとする。
そして公的機関の女性から「なにか困ったことがあったらご相談ください」と言われ、さなえは「虐待を疑われているのでは」と思う。
それは「なんんらかの発達障害のある子どもへの支援のための声掛け」だと思うのだが、さなえは、「自分の虐待が疑われてる」と思う。さなえの世界の「ズレ」の中では、千切れたミミズの話なのだ。それは「障害の受容」の話ではないのだ。
美しい描写と、力強い漁村の人々の感性の中で、いろんなものが変わり、受容されていくのだが、この「ズレ」は変わらない。

現実と物語はズレている。
気づこうと気づくまいと。
そして、作り上げられた世界の美しさゆえに、そのことに「はっ!」と気づいたときの居心地の悪さが見事に残る作品でした。
あ、この居心地の悪さというのはけして悪い意味ではないです。
物語は多幸感が残るものばかりであっても困るので。



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2015年02月22日

「アイネクライネナハトムジーク」伊坂幸太郎 幻冬舎


昨年の10月くらいに読んでたのだけど、「鳩」にかかりっきりで、備忘録もなにも書いてなかった。6つの短編からなる、これはとても幸せな短篇集。

「アイネクライネ 」 ご存知斉藤和義の「ベリーベリーストロング」の原型となる物語。とはいえ、ラストは予想外の微笑ましさにあたたかい気持になる。

「ライトヘビー」 そのベリーベリーストロングのシングル曲の付録として描かれた物語(一生懸命探したけれど、当時は入手できなかった)。アイネクライネで脇役だったボクサー「ウィンストン小野」が主人公。おかしみのある話。

「ドクメンタ」 アイネクライネでパソコンを蹴飛ばしてデータを消した藤間さんの話。

「ルックスライク」 アイネクライネで主人公の友人夫婦だった織田夫妻の子供が登場。

「メイクアップ」 昔のいじめっ子に仕事で再会する話。

「ナハトムジーク」 さて。いろんな短編に少しずつ関係のある人々が出てきて、ジリジリしてたのが、ここにきて、みんなが繋がってくる。時間を行きつ戻りつしながら、ボクサー「ウィンストン小野」の試合を時間軸の横糸に勢ぞろいしてくる。日本人の素朴なボクサーをただ応援するのに、個々の人生の来し方行く末が集結してる感じがすごくおもしろかった。

気がつけばまた、登場人物の関係をメモしながら読んでました。

そういうと、仕掛がおもしろいだけじゃないか、と思われそうですが、伊坂幸太郎の描く人間のシンプルさ正直さおかしさが目一杯に生きていて、しかも短い物語がとても気持ちよく完結をしていて、この気持ちよさが伊坂幸太郎なのだ、と改めて思った作品でした。

追記。 本屋大賞の候補に選ばれたとのこと。おめでとうございます。派手ではない小品揃いで、非常に上質な文章を味わえる点では、こういうのが選ばれてもいいなとも思います。

追記その2。小説での「ウィンストン小野」の試合の結末は、去年のソフトバンクの優勝戦を思い出させました。読んだのと、観たのとほぼ同時期。ちょっとしたシンクロニシティ。


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2015年01月28日

夢をみた

夢をみた。
こんな夢だった。

わたしは占い師の前に座っている。
お金を払って、占ってもらったわけではない。
たまたま、高名な占い師という人と話す機会があって、そこで「手相をみましょう」という話になったのだ。

そもそも、運命を定められるのはきらいだ。
限定されたり、避けるべきものを教えられるのは、にがてなのだ。

でも、その人はなんだかいい感じで、ああ、この人のはなしだったら聞いてみたいって思っていた。

「うん、健康だし、これからも、いい感じですよ」
ふさふさしたショートボブにベールをかぶった、目の大きな占い師は言った。
「いい人に出会っていくでしょう」
「いい手相です。これからも、大きな苦労もないでしょう」

手相をみていた占い師はそれから顔をあげて言った。

「あとひとつ、アドバイスがあります。デイサービスには言った方がいいですよ」

デイサービス?

わたしはわけがわからなかった。

わたしはデイサービスに行くような年齢ではないのに。
ないのに....

そう思いながら、夢の中でわたしは気づいた。

わたしはいつのまにか、おばあちゃんになっていたのだ。
年月がたって、おばあちゃんになっていたのに、自分はそのことに気づかないで、いつまでも若い気持でいただけだったのだ。

わたしは。
いま、いくつで。
これまで、どんな人生をすごしてきたのだろう?

それをずっとずっと考えた。

考えていたら、目がさめた。

ああ、びっくりした。


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posted by noyuki at 20:36| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月29日

鳩のゆくえ 「鳩の撃退法」佐藤正午

B 鳩のゆくえ


「鳩」という比喩で、飛び出していったものの行方をメモしています。
ネタバレが多く含まれてますので、読了後に読まれることをおすすめします。

ケンジロウ が3万円 の封筒を持っている
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スピンの金庫 幸地ヒデヨシに預かってもらう
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スピンの女性従業員 佐野 前借りのお金とまちがって、持ち出す

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遊び人の大学生に渡す
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大学生、女優倶楽部で女を買う 高峰秀子に渡す

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高峰秀子、津田伸一に借金返済 3万円
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津田伸一、手持ちのピーターパンにはさむ
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津田伸一と奥平みなみさん、ガストで会う

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奥平みなみさんの子供 ピーターパンを3万円はさんだままで持っていく
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奥平さん、房州老人にピーターパンを返す
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房州老人 1万円は ホテルの支払いに 残りはトランクへ
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房州老人 のトランクは死後 津田伸一へ
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トランクの端数の3万円を津田伸一は生活費へ

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うち1万円でとこやのまえだで支払い
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それをパチンコ屋で女性が使い、偽札発覚

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本通り裏の追っ手
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津田伸一 まりこさんの家に泊まる

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大河内よっちゃん lolのチンピラに見つかる
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倉田ケンジロウに連絡をとってもらう。

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ピーターパンの本とトランクの入ったロッカーの鍵をわたす
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ケンジロウに3302万円。 網谷ちさ、こっそり100万持ち出し
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3301万円は堀之内元に寄付
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1万円だけが偽札


3万円の偽札のまとめ

1万円は房州老人がホテルで支払い
1万円は津田伸一がとこやのまえだで支払い
1万円だけトランクに残っていた。



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posted by noyuki at 21:45| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする