2014年12月17日

「鳩の撃退法」 小学館 佐藤正午

ざっくり言うと、消えた偽札の行方と、消えた家族の行方を追う小説。
小説家津田伸一は、そのどちらにも浅からぬ関わりを持っていて、絡まった複雑な人間模様が描かれている。

3年間「きらら」での連載で読んでて、とちゅうわからなくなってしまったことも多かったので、単行本の発売が待ち遠しくってしかたなかった。
で、最初っから通しで読んでみたら、全体も見渡せて、やっぱりすごく面白かった。
 
だから、あなたがこの分厚い小説を読もうかどうしようか迷ってるとしたら、「おもしろいからぜひ、読んでみたらいい」と言いたいですexclamation

なんにちもなんにちも、どんなブックレビュー書いたら伝わるかなと悩んでたんだけど、やっぱり言いたいことはただひとつ。
「鳩の撃退法」おもしろいです。こんなにおもしろい小説を読めて幸せ、そう思える小説です。


さて。
以下はネタバレもあります、ご注意ください。



津田伸一は、今はデリヘルの送迎ドライバー。
小説の世界から完全に干された彼は、パソコンもないままに、ノートに鉛筆で小説を書いている。

その小説の虚構と、事実が絶妙に入り混じる。
それは、多重で少し複雑なセカイではあるけれど、登場人物がみんな魅力的で、映画に例えるなら「いい役者が揃っていて、いい雰囲気のフィルムがまわっている」感じ。

本通りの裏の倉田ケンジロウの言葉少なく比喩に富んだセリフは、大物らしくて重厚。

ドーナツ屋の女性店員ぬもとは憎まれ口ばかりなのに、津田伸一を見捨てておけなくなっている。
「一回くらいぬもとと呼べ」という、彼女のセリフは、愛の告白にも聞こえる。カッコよすぎて、ジンジンきてしまった。

 チキチキのまりこさんのなげやりな奔放さも、ラストシーンの網谷千沙の困ってもひとりで踏ん張る健気さも、みんなみんな、人生がリアルで、生きている言葉で描かれていて、どんどん動いている。
てか、どんだけ登場人物がいて、どこでどれだけ繋がってるんだ?

そしてわたしは、出版社に勤める鳥飼なほみが一番好き。
出版業界から追放された状態の津田伸一の、この小説を、ただ出版したいがために、彼女はオリビアに通い続ける。
なのに生身の津田伸一のさそいを断り、「津田伸一の書いた小説の方にわたしは惹かれる」という。

で。この本が無事に出版されたのは、この小説によると鳥飼なほみのおかげということになるわけだから、鳥飼の大ファンのわたしとしては、ラストちらっとでもそこに触れてほしかった。
だけどそんなことはひとことも書かれてなかった!
そのことだけが不満といえば不満なんだけれど。
でも津田伸一だったら、ぜったいこう言うだろう。

「それはTMIだ」って。

TMI?
too much information。

これだけのボリュームなのに、読み終えたら、また読み返したくなる。
わたしの知らない謎やしかけが、まだ、この本にはたくさんあるような気がします。

http://shogofan.bbs.fc2.com/佐藤正午派の掲示板でいろいろな謎解きやってます。
こちらもよかったらご訪問ください。


人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。





posted by noyuki at 21:54| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

「身も心も」盛田隆二 光文社文庫




単行本版の感想はこちら

中江有里さんの解説がすばらしいと聞いて再読。解説も必読です。


仕事柄、いろんな高齢者の方に接し、「ああ、幸せじゃないんだなあ」と思うことがよくある。

できることができなくなったり。
健康でなくなったり。
自分の記憶があやふやになったり。
それを「不幸なこと」と言う方はとても多い。

長く生きることは不自由なことだとすれば、高齢化社会は不幸の吹き溜まりではないのか?
そして私はそれを打ち消す言葉を持たない。わたしには想像不可能な「不自由さ」だからだ。

絵画教室をきっかけに出会った、礼次郎と幸子は、愛を育んでゆく。
幸子は若い頃の後遺症から持病があり、礼次郎は脳梗塞で2度倒れる。
今年の桜をふたりで見たいと思うこと、車椅子を幸子に押してもらっての散歩。
いつ、死に別れるかもしれない二人が、お互いのために生きようと思う姿を見ると、ああ、老後は不幸なことばかりではないのだ。気の持ちようかもしれないけれど、幸せなことだってきっとあるはずなんだ、と思いたくなる。

そして、「自分は不幸だ」と訴える高齢者のみなさんに「きっと素敵なこともありますよ」と言いたくなってしまう。おそらく「実のないはげまし」は何の役にもたたないだろうけれど。
それでも「きっといいこともありますように」と、心の声を投げかけてくる。
恋じゃなくてもいいから。

そして自分はどうだ?
最近集中力も若いほどではなくなり、できない事が増えてきた自分をどんどん許してる。
そのくせそれを「ふがいない」と感じている。
いつかそれを「ふがいない」じゃなくて、「自由になっている」と考えられるようになれればいいのかもしれない。

そういう気持にさせてくれる「身も心も」という物語を心に持って、わたしはこれから先を生きていければいいな。
これは、そう思わせてくれる作品。



人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。



posted by noyuki at 15:29| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐藤正午系 盛田隆二系 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月20日

「ミドリの森」5 サトミ 2

わたしは、何を与えられて、何を与えられなかったのだろうか?
ときどきそのことについて考える。

 ミドリさんは話術の天才だ。すてきな話し言葉でお客さまをいい気分にさせてくれる。
奈津子さんはアートの天才。ちょっとした大胆なデザインで人を魅了する。
ふたりとも「ネイルサロンドルチェ」にはなくてはならない人たちだ。

だけどわたしはどうだろう?
そのどちらの技術があるとも思えない。いつも失敗しないようにドキドキしてる。
顔は地味だし、おしゃべりもできないから、いつまでたっても存在感がない。
あからさまに不満を言う人こそいないけれど、満足度は一番低いんじゃないかと思う。
「まだまだ若いんだから、ていねいに仕事することだけを心掛ければいいのよ」とミドリ先輩は言うけれど。彼女の本音はいつも深い森の中だ。

中学までは勉强だけはできた。そして高校は進学校に入ったのに、ついてゆくのもおぼつかなくなってしまった。
環境は残酷だ。だんだん疎外されていくようで、誰とも口を聞けなくなってしまった。両親は、せめて辞めないで卒業してくれればいいと願った。
卒業できる出席日数を計算しながら、仮病を使ったり、学校で石のように座ったままだったりを繰り返すのは苦行だったけれど、転校や退学は、もっと気の遠くなるような労力を必要としている気がした。
同級生たちはほとんど県外か近くの都市の大学に行った。わたしは冬にひどい気管支炎を起こして受験もままならなかった。もっとも、気管支炎でなくったって、行けるところなんてなかっただろう。
両親は、それでいいじゃない、専門学校にでも行って、近くで働ける技術があればそれで十分だわ、と言った。
巣立ちのできないひなのままでいて欲しいのだ。両親の中ではわたしはまだ、社会にうまく適応できなくて取り残された娘で、わたしはずっとそれに甘んじている。
高校を卒業したとたん頭の中がクリアになって、それなりに友だちもできたけれど、それでもわたしには、仕事の帰りにいっしょにお茶を飲む友だちなんて誰ひとりいないのだ。

わたしは二人に比べていろんなものを持っていない。
そのことがときどきイヤになってしまう。
「家に帰ればごはんができてるなんて羨ましい」って奈津子さんは言うけれど、ごはんと家族以外に何もない人生を、奈津子さんには想像できるだろうか?

お客様の途切れた昼下がり、そんなことを考えていると、奈津子さんの彼がお店の前を通った。180センチ以上のスーツ姿の端正な顔だちが、ちらりと中を覗いて会釈した。歯磨きのコマーシャルに出てくるようなきれいな白い歯。
今日は奈津子さんは非番でいない。平日にミドリ先輩とわたしがいるってことは、奈津子さんは休みなのだ。
すぐにそのことに気づいたらしく、そのまま彼はだだっ広いフードコートの方に歩いていった。

しばらくしてから、ミドリ先輩が席を立つ。
「ちょうど人も途切れたし、早いけれど食事してくるわ。ああ、おなかすいちゃった」
そう言って、お財布だけ持ってそそくさと店を出ていった。

そのときふいに、最近ミドリ先輩と奈津子さんの会話がないことにあたりがついた。

備品を揃えるふりして少し顔を出してみると、テーブルに座っている彼に挨拶しながら、「SUBWAY」のトレイを持って隣に座るミドリ先輩が遠くに見えた。
静かに凛とした佇まいの、いつものミドリ先輩はそこにはいない。
獲物を狙うカメレオン。静かに巻きつく白い蛇。彼の二の腕に漆黒のネイルアートの指が魔女のように突き刺して、ケラケラと笑っている。
嫌悪感のかけらもなく彼もまた笑っている。
そうか。彼はもう、たぶん、ずっと前から巻きつかれてしまっていたのだ。

最近ミドリ先輩と奈津子さんははよそよそしい。
奈津子さんが遅番の日に備品の片付けができてないって、ミドリ先輩はわたしにこぼすのに、本人には何も言わない。
土日に全員出勤したって、なんとなく会話が弾まない。

わたしの知らないところで何かが起こってるのだ。

そうしてわたしは「ごはんと家族以外のなにか」に飢えてるわたしが、ひそかに心踊らせていることに気づいてしまう。


人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。

posted by noyuki at 14:07| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ミドリの森 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月29日

「ホットロード」映画「人生は彼女の腹筋」駒沢敏器「シャバはつらいよ」大野更紗

ここのところ観たり読んだりしたものに対してノーリアクションだったので、この夏の記録として。

ホットロード 1 (集英社文庫―コミック版) -
ホットロード 1 (集英社文庫―コミック版) -

「ホットロード」紡木たく そして映画

記憶しているだけで3回はコミックスを買っている。
今回は能年玲奈の表紙ということで、記念に買って、そして映画もみた。

恥ずかしながらたくさん泣きました。

能年玲奈というのは、生粋の芸術家肌か、かなり頭のいい女優さんなのだと思う。
見つめる顔ひとつに、いろんな思いと込めることを知っている。そしてそれがずんずん伝わってくる。

ホットロードは簡単に言ってしまうと、「厨二病のよるべなさ」「大人や親のだらしなく真摯な事情」「愛する人の死をおそれる気持」みたいな感じだ。
大人になってからは「和希のおかあさん」に対するシンパシーが強くなった。
そして、木村佳乃の「おかあさん」はわたしのシンパシーの素みたいなものをよく表現していたように思う。



人生は彼女の腹筋 -
人生は彼女の腹筋 -

「人生は彼女の腹筋」駒沢敏器

何の先入観もなく読んでいって、だんだんと引きこまれていった本。
「旅先」のような場所設定が多いのだけど、最初は「ストレンジャー」的な立ち位置だったのが、とちゅうで文章の空気が変わる感じ。
その「風が吹いてかわる感じ」がすごく気持ちよかった。
最初は片岡義男的なものを感じていたけれど、そこまで乾いてはいない。

短編の中で「バリ島の犬」がとても雰囲気がおもしろくて、そこから引き込まれていった。
「ルイジアナ大脱走」もとてもステキなストリー。



シャバはつらいよ (一般書) -
シャバはつらいよ (一般書) -

「シャバはつらいよ」大野更紗

「困っている人」の大野更紗さんの新作。
病気のある人がすべて入院して過ごせるというわけではない社会の中で、更紗さんは「シャバ」に出ることを選択する。

その中でのおさいふ事情、福祉の事情、ツイッターなどで人と知り合いが増えていく過程、そして恋愛問題などが盛り込まれている。

そもそもかかる人が少ないのが「難病」なんだから、なかなか理解しづらいのだけど、その中での制度や不便感、そしてそれでも、社会で生きていきたいという欲求がリアルに軽快に描かれている。

難病ゆえに理解されず、治療や薬の研究予算が少ないなど、いろいろの問題もあるだろう。
(ALSもそうですね)
その中で、当事者の方の発信する声に、とてもリアルにうなずけることが多々ありました。



人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。
posted by noyuki at 14:16| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月06日

8月6日の空を見上げる

Pray for peace looking on a sky .6th August for Hiroshima #Hiroshima


8月6日朝の空はこんな感じです。
昨日までは大雨、今日は曇空で、南の海上には台風もあります。

友人のげんたのさんが毎年「原爆の日の空」を撮ってアップしてくれてたので、いつしか、サイレンの鳴る時間に空を見上げる習慣ができました。

小さな一瞬ですが、忘れないようにしたいと思います。

核兵器が人の命を奪うために使われませんように。
世界のどこかで、殺しあうほどの憎しみが起こりませんように。
正義という言葉の中に、小さな嘘がまじりませんように。


人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。



posted by noyuki at 11:35| 福岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月03日

幸せは薄手のTシャツ

2014051517530001.jpg


朝起きて、早めの朝日を浴びて、今日のTシャツを選べるような日が幸せ。
もくもくの入道雲を映し込めるような薄手のペラペラのTシャツだったらなおさらだ。

好きな服を着ればいい。

自分の選ぶことに自信がなくなったときは、そうつぶやくようにしている。

自分の着たい服は、他の人が着たい服とも違うし。
似合っているとも限らない。
わたしらしくないと誰かが思っているかもしれない。
でも、違っているように思えたら、また着替えればいいだけのこと。

今日のTシャツを選ぶように、自分の気分にフィットすることを選べばいいだけのことなのだ。

いや、オトナなのでときどき世間のドレスコードに合わせることもある。
けれど、それでもわたしは変わらず選び続ける。
選び続けないと、迷子になってしまう気がして。

ときどき、それが気に食わなくて、自分の着る服を押し付けようとする人もいて。
それが続くと、沈黙したり野良犬になったりするけれど。
基本、わたしはずっと選び続ける。
空の眩しさで迷子にならないように。

あなたが何を着ていようと、何を脱ぎ捨てようとわたしはかまわない。
みんな着たい服を着ればいい。

夏のうすっぺらい服が大好きだ。
さて、今日はどのTシャツにしようか。



人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。

posted by noyuki at 21:59| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

そういえばこないだうどん屋で 備忘録

市内のはずれの県境に近いところに小さなうどん屋があって、休みの日とかときどき食べに行く。
おろしうどんがおいしい。大根おろしがすごく辛くてピリっとしてる。
初夏の夕暮れのおろしうどん、ほんとうに幸せだ。

そして、うどん屋には手垢のついた少し前の週刊誌があって、6/15日号でなんとかポストだったと思うんだけど、それをパラパラとめくってて、ひとつ気になる読み物があって、ちらっと読んだらかなりおもしろくて、結局うどんが来るまでのあいだ夢中で読んだ。

佐世保で以前小学校の同級生に殺された女児の兄へのインタビュー記事だった。
筆者は新聞局の支所に住んでた被害者の父親の部下。ときおり二階の自宅で食事に呼ばれていたという。
事件当初、支局にはたくさんの記者が詰めかけ、若かった彼にはなすすべもなかった。
そして年月がたち、彼は被害女児の兄をインタビューすることになる。
聞いていいものかという怖れもあったが、兄は誰も聞いてくれなかったといい、彼に自分の思いを語る。

自分はふつうに生きたい。だから加害者に対しても、と、彼は言う。
それは宗教的な赦しともちがうし、もっとフラットでシンプルな感覚なのかもしれないと思った。
「気持ちの奥底にあるほんとうの感覚」に出会うのはむつかしい。心の中をきちんと見据えた、とてもすごい文章に触れた気がした。

その日は回転の早いうどん屋をあとにして、その記事のことがずっと頭にあって、ネットでググったら、一冊の本として発売されてることを知った。

もう一度、全部をゆっくり味わって読みたいと思いました。

謝るなら、いつでもおいで -
謝るなら、いつでもおいで -


人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。

posted by noyuki at 22:06| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月06日

ひとり浜辺に打ち上げられて


ラブya!


書くことがなかったり、感じることが平坦だったり、何も溢れてこなかったり、そういうことがすごく怖くなったりもする。
それが今のあたしだ。

たとえば、切ないって言葉を咀嚼しすぎると、切なさは味を失うんだろうか?
たぶん、そういうことじゃないんだと思う。

胸の奥のマグマに触れることができないんだ。
何も溢れてこなくって。
そこに静かにあるだけで。

そこはもう、誰にも触れない場所になってしまっている。
自分なのに触れられないもどかしさ。

「気がついたら、ひとりで知らない浜辺に佇んでいたような気分なんだよ」
おんな友達がそう言った。
たぶん似た感じなんだろうと思う。

いろんな人と繋がっていろんなセカイに影響を受けながら生きているから。
他者なしの自分はあり得ない。
ここ数年は、そういうことばかり考えていた。

だけど、そればかりじゃ生きられないことにもそろそろ気づいている。

胸の奥にあるマグマに届かないんだ。
そこを何度もこの手で触っては持て余していたし。
誰かに触られると、奇跡にように溶岩が流れ出た。

でも、そうだったのは、もう遠い昔のことみたいだよね。

恋とか、憎しみとか、喜びとか、怒りとか、みんな自然に泉のように溢れていて、蓋をするすべさえわからなかった。
そんなふうに当たり前のように触れていたものに、いつのまにか触れなくなったしまったんだよ。
胸の奥底にまだあるのは知っているのに。
遠すぎて、誰にも届かず、届かない分だけ、ひとりぼっちになっていった。

もう自然な放熱をしなくなったわたしたちは、おのおのひとりで佇んでいる。

「のゆきちゃんはわたしより若いし。これからもっとそういうのを感じていくんだと思うよ」
前述のおんな友達がそう言った。

そうかもしれないね。
これから、もっと何も流れ出さない、別の人生が待ってるんだろう。

だけど、流れだそうと、胸の奥にただじっととどまっていようと。
それはいつだってやっかいなものだ。
やっかいさの質が変わってゆくだけで。
わたしはまだ、繋がることで解消されない、自分にも届かない自分を静かに愛している。

そして、それと同時に、誰かわたしをこじ開けてと、もうひとりの私は都合よくも待ち続けてるんだ。

わたしを開けて!


人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。




posted by noyuki at 19:32| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月01日

「女のいない男たち」 村上春樹 文芸春秋社





一時期村上春樹の短編は、書きたりない(意図的に書きおとした?)部分が気になって消化不良のように感じていた時期があった。
そして、9年ぶりのこの短編も、ある意味書きすぎてなくて、あまり壮大ではなくって、雨だれとか、古いビートルズのアルバムとか、せつない恋をうたうジャズとかそういう感じの本だと思った。

文藝春秋連載中よりも、文字の大きさや紙質やレイアウトの状態のせいか、上質な仕上がりに感じた。現金なものである。

好きな短編集のため、備忘録として各編の感想を書いておきます。ネタバレを好まれない方はご遠慮ください。

「ドライブマイカー」

免停になった俳優が、運転手の女性に、なくなった妻について話す。
妻の、どうしても理解できない部分。それを運転手のみさきが聞き、そして簡単な言葉で処理する。言い方が悪いけれど、彼女の世界の理の中で処理する感じ。水滴のようにそのひとことが染みる物語。

「イエスタディ」

まったく話の内容は違うのだが「午後の最後の芝生」を思い出した。
若い大学生世代の僕を含めた3人の物語。夢の中にでてくるという「氷の月」のエピソードが泣きそうに好きだった。

「独立機関」

52歳にしてはじめて本当の恋に落ちた整形外科医の話。
恋のやっかいさと同時に、女性の「独立機関」について語られている。
語り手としての医師の秘書のスタンスが完璧に美しく、ここにある別の物語が浮き立ってみえる。

「シェェラザード」

性交して話をして帰っていく女性をシェエラザードと名付け、千夜一夜物語のように彼女から聞いた話が描かれている。
ところが、なぜに彼女が来るようになったのか描かれてないし、彼女が、のちの別の物語としてちらりと語ったことの詳細も描かれてない。
千夜一夜物語の語り手との濃密な時間が、恋とは言えないものの男女の結びつきの根元のようなものを語っていて。その雰囲気はこの短編の一貫したテーマのように思える。

「木野」

仕事をやめてバーをはじめた男の話。
おとぎ話のように不思議なことがたくさん起こる。
濃密な男女に関係とは別に、男を裏切る女や身体の関係を求める女もたくさん短編に登場するが、そういう女たちはまた、別のものをもたらす。

「女のいない男たち」

書き下ろし。
女のいない男たちというものがどういう過程でできあがるか描かれている。
訃報からもたらされるいろんな感情が一編の詩のよう。
しかし、短編のラストとしてうまく機能している。

 
男と女についての短編集として、「一貫して上質の音楽が流れている」印象。
ときどき思い出してひとつ、という感じに読み返したい作品集だけど、やはり今いちばん気に入っているのは「イエスタディ」の氷の月の話。何が自分のお気に入りになるかは人それぞれだろうけれど、この美しい描写に出会えて本当に嬉しかった。
好きな音楽の好きなフレーズのように千回くらい口ずさんでいたい。



人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。








posted by noyuki at 21:24| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | 見て、読んで、感じたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月07日

書いてみた

テーマ「わたしが大人になったとき」
* (某所でのエッセイのテーマです。ぜんぜん関係ないけれど、書いてみました)

「取り立て屋を使ってみたらどう?」
不動産屋の女性がそう言った。
「うちに名刺を置いていったところがあるの。礼儀正しいしちゃんとしてた。うちはまだ使ったことないんだけど、料金もきちんと書いてあるし、悪い感じじゃなかったよ」
義父母の遺した四階だてのワンルームマンションが、健康なニワトリが毎朝卵を産むようにきちんと収益をあげたのは10年ほどだった。
老朽化もだが、家賃の滞納が悩みの種。
景気も悪いし、世の中も変わったんだろう、何度催促しても約束しても何ヶ月も滞納する人が増えた。
同年代の気心のしれた不動産屋の女性と、マンションの売却を画策していたのだが、春先に景気が上向きになり、とんとん拍子に買い手がついた。
それで、一番悪質な入居者だけは退出してもらうことを決めたのだった。

「取り立て屋」は家賃の取り立ても、追い出しも一定の手数料を払えばやってくれるのだという。
意を決して名刺の番号に電話すると、ガタイのいいダークスーツの男性が、上等な会社案内のパンフレットを持ってやってきた。
「私共は違法なことや悪質なことはけしていたしません」と、物腰柔らかに説明する。
だけども、その柔らかな言葉の裏に硬質なものが見え隠れして緊張した。
わたしは契約書にサインした。手数料を差し引けばたいした収入ではない。
だけども、これから先にマイナスを増やしていくよりかはいいと思った。

「いつもお世話になってます。入居している平田です。実はさきほどあなたの代理人と名乗る男から電話があったのですが」
入居者から電話があった。さっそくアクションがあったのだろう。
「私はこれは詐欺ではないかと思いまして。その人の言うことがどうしても信じられないものですから、大家さんと直接お話ししたいと思いまして」
いつになく丁寧な口調でだった。
「ええ、そうです、すべて任せました。これからは、お金のことはすべて彼と話してください」
空白がおとずれる。かなり長めの空白だった。
「これまで、困っているときも、とてもよくしていただきましたのに…」
今まで家賃を待ってもらったことにはとても感謝している、自分は本当に行くところがない、お金はなんとかして用立てるから、どうかそのままおいてもらえないだろうか? というようなことを本当に平身低頭の口調で彼は訴えた。
狭い町の中で入居者がどういう生活をしてきたかなんてすぐにわかる。
タクシー会社の配車係としてきちんと働いてきた頃は、共用階段の掃除などもみずからやってくれていた。
だがそこを辞め、いくつかのタクシー会社を渡り歩くうちに彼は変わってしまった。ギャンブルに手をだしているという噂も聞いた。家賃は何ヶ月も滞納するようになった。
そのあと「取り立て屋」からも電話がはいった。
「お金は払うが退出はかんべんしてくれと言われますがどうしましょうか?」
「だめです。退出させてください」
その後のふたりのやりとりをわたしは知らない。
仕事はほどなく完了し、手数料を支払った。
一度も入居者に会わずに、すべては終わった。

わたしはいつオトナになれたのかと思うとき、この一連のやりとりを思い出すのだ。
自分の生活のために、人の人生を踏みにじることだってわたしはできたのだ。
このときかぎりではない。
わたしはその後も、やむをえず他人の大切なものを奪った。
一度経験してしまえば、二度目もあるのだ。
大人として金や情報を使って、手段を手に入れるのは、プロメテウスの火を手に入れることに少し似ていると思った。
一度手に入れたからには、もっと謙虚に用心深く生きなければならない。



人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。

posted by noyuki at 21:50| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | 詩とか短文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする